四
半七にかまをかけられて、荒物屋の女房はとうとうおしゃべりをしてしまった。その話によると、お杉は十七の春から吉見の屋敷へ奉公に出ているうちに、病身の妻を持っている主人と一種の関係が結ばれた。そんなことは知らないお杉の両親は、もう年頃になった娘をいつまで奉公させて置くでもない、家へ帰って相当の婿を取らせなければならないというので、忌がる娘を無理に連れて帰ったが、そういう秘密があるので、お杉は容易に婿を取ろうと云わないばかりか、店の手伝いも碌々にしないので、この頃は親子喧嘩が絶えないとのことであった。
「それでもさっきのあの川っ縁で大根を洗っていたぜ」と、半七は云った。
「まあ、その位のことはするでしょうけれど……」と、女房はほほえんだ。「ここらにいれば其のくらいのことは当りまえですもの。それで何でも以前の旦那様というのが時々たずねていらっしゃるんですよ」
「あすこの家へ来るのかえ」
「いいえ、親たちは堅い人ですから、そんなことは出来ません。この先の辰さんの家で、ほほほほほ」
いくらか法界悋気もまじって女房はこんな秘密までもべらべらしゃべった。辰蔵というのは小料理屋の亭主であるが、身持ちのよくない人間で小博奕も打つ男である。料理屋といっても、家には老母と小女がいるきりなので、お杉はどんなふうに頼み込んだか知らないが、その家を逢い曳きの場所に借りて、ときどきに旧主人に逢っている。それを近所ではみんな知っているが、お杉の親たちは不思議に知らないらしい。知れたらきっとなにかの面倒が起るであろうと女房は仔細らしく話した。
「なるほど、そいつは粋事だね。不動前まで行ったら、もっといい茶屋もあるだろうに……」と、半七は笑った。多寡が百俵取りで、おまけに道楽者の吉見としては、金廻りが悪いに相違ない。ここらの小料理屋が分相当であるかも知れないと彼は思った。
これでまずお杉と吉見との関係は確かめられた。ゆうべも吉見が来たらしいかと訊いたが、荒物屋の女房もさすがにそこまでは知らないと云った。そこへ鳥さしの姿が見えたので、半七は外へ出て招くと、老人は黐竿をかかえて小走りに急いで来た。
「もし、これだけ捕って来ました」
老人は一生懸命になって猟り歩いたらしい。運の悪い雀が十二三羽も籠の中に押込まれていた。
「たいそう捕れましたね」と、半七は笑いながら云った。「それだけあればたくさんです。ところで、どうでしょう。その雀の羽には黐が付いているが、それでも飛べますか」
「飛べるのもあり、飛べないのもあります」と、老人は云った。「しかし、どうせこの黐は洗って取るのです。黐の付いているままでお鷹にやるわけには行きませんからね」
「ここで逃がさないように巧く洗えますかえ」
「そりゃ洗えないことはありませんよ」
「そうですか。だが、まあ、その儘にして出かけましょう」
「これから何処へまいります」
「すぐそこの料理屋へ行くんです」
半七は老人に何かささやくと、彼はおとなしくうなずいた。草履の代を払って、半七は先に立って出てゆくと、やがて彼の辰蔵の店のまえに来た。小料理屋といっても、やはり荒物屋兼帯のような店で、片隅には草鞋や渋団扇などをならべて、一方の狭い土間には二、三脚の床几が据えてあった。その土間をゆきぬけた突き当りに、四畳半ぐらいの小座敷があるらしく、すすけた障子が半分明けてあるのが表からみえた。店口の柳の木には一匹の荷馬がつないであった。と思うと、店のなかでは俄かに呶鳴る声がきこえた。
「この野郎、横着な野郎だ。三日の約束がもう五日になるでねえか」
半七は表から覗いてみると、今しきりに呶鳴っているのは、三十五六の赭ら顔の大男で、その風俗はここらの馬子と一と目で知られた。その相手になって何か云い争っているのは、やはりおなじ年頃の色の黒い、中背の男で、おそらく亭主の辰蔵であろうと半七は想像した。
「嘘つき野郎め、ふてえ奴だ、われには何度だまされたか知れねえぞ。もうその手を食うものか、耳をそろえて直ぐに渡せ」と、馬子は嵩にかかって哮り立った。
「嘘をつく訳じゃねえ。今ここにねえから我慢してくれと云うのだ。近所隣りの手前もあらあ。無暗に大きな声をするな」と、辰蔵は着物の襟を掻き合わせながら云った。
「なんの、遠慮があるものか。貴様が横着の嘘つき野郎ということは不動様も御存じで、近所隣りでもみんな知っているんだ。それが口惜しければ銭を出せ」
「だから、少し待てと云うのだ」と、辰蔵はそらうそぶいていた。「多寡が盆の上の貸し借りだ。まさかに名主や代官所へ持ち出すわけにもいくめえ。いくら騒いだって始まらねえ理窟だ。まあ、おとなしくあしたまで待つがいい。きょう中にはきっと金のはいるあてがあるんだから」
「その嘘はもう聞き飽きた。貴様のような奴に一杯食わされて、べんべんと待っている俺じゃねえだ。さあ、すぐに出せ。これだけの家台骨を張っていて、一貫と二百ばかりの銭がねえとは云わせねえぞ」
馬子は辰蔵の胸ぐらを引っ掴んで小突きまわすと、辰蔵も半纒をぬいで起ち上がった。そばに十四五の少女がぼんやり突っ立っているが、相手の権幕が激しいので取り鎮めるすべもないらしい。老母らしい女のすがたは見えなかった。
二人の問答によって想像すると、馬子は博奕の貸しを催促に来たらしい。この行きがかりではどうでも一と騒動なくては納まるまいと、半七は黙って表から覗いていると、果たして二人の拳固が入り乱れて打ち合いをはじめた。力ずくでは馬子の方が強いらしく、辰蔵は忽ちその利き腕を捻じ曲げられて、床几の上に押し付けられると、床几はかたむいて倒れて、馬子も辰蔵に折りかさなって土間にころげた。もう見てもいられないので、半七は店へはいって声をかけた。
「おい、おい、どうしたんだ。おれ達はさっきから待っているじゃねえか。喧嘩はあとにして、お客様の方をどうかしてくれ」
哮り狂っている二人の耳には、その声が容易に聞えないらしいので、半七は舌打ちをしながら進み寄って、まず馬子の腕を押え付けた。捕物に馴れている半七に利き腕をつかまれて、暴れ狂っている馬子もいたずらに身をもがくばかりであった。
「まあ、静かにするがいい。ここの家の商売の邪魔にもなる。今聞いていりゃあ盆の上の貸し借りだというじゃあねえか。そんな野暮に催促するにも及ばねえ。ここの亭主もきょう中には金がきっとはいるというんだから、わたしが仲人だ。まあ待ってやるがよかろうぜ」
馬子は黙って半七の顔をながめていたが、腕をつかんだ手際といい、その風俗といい、その口振りといい、なんだか薄気味悪くも感じたらしく、無言のままで、のそのそと表へ出て行ってしまった。
「やい、待て。野郎」
跳ね起きてそのあとを追おうとする辰蔵を、半七はまた押えた。
「おめえも大人気ねえ。まあ、落ち着くがよかろう。こうして、お客様が二人はいって来たんだ」
無頼漢でも博奕打ちでも、さすがに客商売の辰蔵は客に対して苦い顔をしているわけにも行かなかった。殊に相手の馬子は繋いである馬を解いて、そのまま出て行ってしまったので、彼は眼の前の客をかき退けてそれを追ってゆくことも出来ないので、着物の泥をはたきながら急に笑顔を作った。
「どうも相済みません。飛んだところをお目にかけまして……」
「おめえは苦労人らしい。あんな馬子を相手にしてどたばたしちゃあいけねえ」と、半七は笑いながら床几に腰をかけた。
「まことに恐れ入りますが……」と、辰蔵は突ん曲がった髷の先を直しながら云った。「懇意先に急病人が出来たというので、おふくろはその手伝いに行きましてね。もう午過ぎだというのに、まだなんにも支度がしてねえのでございますが……。まあ、お茶でも上がって、どこかよそへお出でなすってください」
かれは小女に指図して、煙草盆と茶とを運ばせると、半七は表を見かえって声をかけた。
「もし、お前さんもここへ来て、茶でもお上がんなさい。ここの家じゃ何も出来ねえそうだから」
鳥さしの老人は、軒さきに黐竿を立てかけてはいって来た。その人をみると、辰蔵の眼は急に光った。
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