三
娘は仔細ありげな眼をして老人をうかがっている。老人は首を垂れて黙っている。そこにどんな事情が忍んでいるかを半七も容易に想像することは出来なかったが、とにかくに老人の苦労があまり大きそうなので、半七も黙っているわけには行かなくなって、小声で彼を励ますように云った。
「ねえ、おまえさん。もうこうなったらお互いに考えていても仕方がありません。わたしは神田三河町の半七という御用聞きで、実は八丁堀の旦那から内密にその詮議を云い付けられているんです。お前さんは光井さんと心安いようではあるし、犬も朋輩、鷹も朋輩、いわば朋輩同士のことだから、なんとかわたしに手伝って、そのお鷹を早く見つけ出す工夫をしてくれませんか。逃がした鳥さえ無事に探し出せば、そこは何とでも穏便に済むだろうじゃありませんか。ねえ、そうでしょう」
「そうです、そうです」と、老人は力を得たようにうなずいた。「それよりほかにしようはありますまい。わたしに出来ることならば何でも手伝いをいたしますから、どうぞ一刻も早くそのお鷹を探し出してください。わたしからもくれぐれもお願い申します」
「おまえさんが手伝ってくだされば、蛇の道は蛇で、わたしの方でも大変に都合がいい。いい塩梅に雨も大抵やんだようだから、そろそろ出かけながら相談しようじゃありませんか」
半七は鳥さしの分も一緒に勘定を払って出ると、老人はひどく気の毒そうに礼を云いながら半七のあとに付いて出て来た。鳥さしも鷹匠とおなじことで、ふだんは御用を嵩にきて、かなり大面をしているものであるが、この場合、かれは半七の救いを求めるように至極おとなしく振舞っていた。二人は雨あがりの田舎道をひろいながら歩いた。
「おまえさん、あの蕎麦屋の娘を知っていなさるのかえ」と、半七はあるきながら訊いた。
「はあ、時々あすこの家へ寄りますので、夫婦や娘とも心安くして居ります。娘はお杉といって、この間まで奉公に出ていたのでございますよ」
「もう二十歳ぐらいでしょうね」
「左様だそうです。当人はもう少し奉公していたいと云うのを無理に暇を取らせて、この春から家へ連れて来たのですが、やはり長し短しで良い婿がないそうで、いまだに一人でいるようでございます」
「どこに奉公していたんです」
「雑司ヶ谷の吉見仙三郎という御鷹匠の家にいたのだそうです。そんな訳で、わたしとは特別に心安くしているのですが……」
「その吉見というのは幾つぐらいの人ですね」
「二十三四にもなりましょうか」
「独り身ですかえ」
「組が違うのでよく知りませんが、もう御新造がある筈です。そうです、そうです。御新造様があると、あのお杉が話したことがありました。吉見さんには時々逢うこともありますが、色のあさ黒い、人柄のいい、なかなか如才ない人です。そのかわり随分道楽もするそうですが……」
「そうですか」と、半七は一々うなずきながら聴いていた。「あの娘は何年ぐらい吉見さんに奉公していたんですえ」
「なんでも十七の年から奉公していたとかいうことです」
「雑司ヶ谷の組の人たちも目黒のほうへお鷹馴らしに出て来ますかえ」
「ときどきに出て来ます」と、老人は答えた。
半七はしばらく立ち停まって思案していたが、やがて左右を見かえってささやいた。
「おまえさん。御苦労だが、もう一度あの蕎麦屋へ引っ返してくれませんか」
「はあ」と、老人は不審そうに半七の顔を見た。「なにか、忘れ物でも……」
「さあ、どうも大きな忘れ物をして来たらしい」と、半七はほほえんだ。「おまえさんの鳥籠にはまだ三匹しかはいっていませんね」
「けさは遅く出て来たものですから、まだ一向に捕れません」
「むむ、三匹でもいいが、そうですね、もう二、三匹捕れませんかえ」
「今はここらにたくさん寄る時分ですから、二羽や三羽はすぐに捕れます」
「じゃあ、済みませんが、そこらへ行って二、三匹さして来てくれませんか。なるべく多い方がいい」
老人はその意味を解し兼ねたらしいが、云われるままに承知して、竹竿のぬれた黐を練り直していると、しぐれ雲はもう通り過ぎてしまったらしく、初冬の弱い日のひかりが路傍の藁屋根をうす明るく照らして来た。
「いい塩梅に日が出て来ました。これなら二羽や三羽は訳なしです」と、老人は空を見あげながら云った。
「なるべく多い方がいいんですね」
「と云って、二十匹も三十匹も要るわけじゃありません。まあ、五、六匹か、十匹もあればたくさんだろうと思うんです。そうすると、わたしはもう一度、あの蕎麦屋へ行っていますからね。雀が捕れ次第に引っ返して来てください」
約束して二人は別れた。半七はまた引っ返して蕎麦屋の前に来ると、むすめのお杉は暖簾から首を出して、仔細らしくこっちをうかがっているらしかった。
「おい、ねえさん。ちょいと用がある。こっちへ来てくんねえ」
半七は小手招ぎをして娘を呼び出した。お杉は少しく躊躇しているらしかったが、とうとう思い切って外へ出て来た。二人は大きい榎の木の下に立って、脚もとに遊んでいる鶏をながめながら小声で話し出した。
「姐さん、おまえさんの名はお杉さんというんだね」と、半七はまず訊いた。
お杉はやはり無言でうなずいた。
「わたしは神田の半七という御用聞きだ。今おまえを調べるのは御用だから、そのつもりで何でも正直に云ってくれないじゃあ困る。いいかえ」と、半七はまず嚇して置いて、それから吉見の屋敷の奉公のことを訊いた。
それに対して、お杉は正直に答えた。自分は十七の春から雑司ヶ谷の吉見の屋敷に奉公して、この二月の出代りのときに暇を取って退がったと云った。吉見仙三郎は養子で、家付きの娘お千江と五年まえから夫婦になったが、お千江はとかく病身で、夫婦の仲にはまだ子供もないということも話した。
「おまえは婿を取るために家へ帰ったんだろう」と、半七は笑いながら訊いた。
「そう云って無理にお暇をいただいたのです」
「それでなぜ婿を取らねえ。気に入ったのがねえのか」
お杉はすこし顔を赧くして黙っていた。
「吉見の旦那は時々たずねてくるのかえ」
お杉は眼をひからせて半七の顔を屹と見たが、すぐに又うつむいてしまった。
「え、そうだろう。吉見の旦那はゆうべ来やしなかったか。え、来たろうな」
お杉はやはり黙っていた。半七はその肩に手をかけて云った。
「え、ほんとうに来たろう。隠しちゃあいけねえ」
「いいえ」
「たしかに来ねえか」
「おいでになりません」と、お杉はきっぱり答えた。
「嘘をついちゃあいけねえぜ。嘘をつくと飛んだことになる。吉見さんは全く来ねえか」
「一度もおいでになりません」
半七は黙ってお杉の顔色をながめていると、足もとの鶏がだしぬけに時を作ったので、お杉は思わず顔をあげた。その顔はいつか蒼ざめていた。
おとなしそうに見えてもなかなかに強情らしいので、半七はこの上の詮議は無駄であろうと思った。もちろん彼女を引っ張って行って、表向きに吟味する術がないでもないが、町方と違ってここらは郡代の支配であるから、公然彼女を吟味するとなれば、どうしても郡代の屋敷へ引っ立てて行かなければならない。そうなると、この事件は明るみへ持ち出されて、たといその鳥のゆくえは判ったとしても、光井金之助らは当然その咎めをうけなければならない。それではなんにもならないと思ったので、半七はひとまずお杉の詮議を切り上げることにした。
「いや、そう判ったらもうそれでいい。お父っさんや阿母さんにはこんなことは黙っているがいいぜ」
お杉は網を逃がれた小鳥のように、早々に会釈して立ち去った。暖簾をはいる彼女のうしろ姿を見届けて、半七は二、三軒先の荒物屋へ寄ると、まだ若い女房が火鉢のまえで継ぎ物をしていた。
「麻裏はありませんかえ」
「いらっしゃい」と、女房は針をやすめて起って出た。「どうも宜しいのが切れて居りまして……」
「なんでもいい。俄か雨でこの通り泥だらけにしてしまったのだから、何か丈夫そうなのを下さいな」
どうで気に入ったのは無いと承知の上で、半七はありあわせた麻裏草履を一足買った。かれは店口に腰をかけて、その草履を穿きかえながら訊いた。
「おかみさん。そこの蕎麦屋の娘は雑司ヶ谷に奉公していたんだね」
「よく御存じで……。そうでございますよ」
「わたしもあの辺の者だから知っているんだが、あの娘は御鷹匠の吉見さんの御屋敷に奉公していたんだろう」
「そうでございますよ」と、女房はうなずいた。
「だが、どうして暇を取るようになったのかなあ」と、半七はわざと首をかしげて見せた。「そんな筈じゃあないんだが……」
「お杉さんの忌がるのを、親たちが無理に下げたのだということでございますよ」
「そうだろう。御新造は病気だし、旦那が暇をくれる筈はないんだから」
女房はすこし驚いたように半七の顔を見たが、やがて又笑い出した。
「ほほ、なにもかも御存じなのでございますねえ」
「知っているよ。今もいう通り、すぐ近所に住んでいるんだから」と、半七も笑った。「その一件があるので、あの娘はまだ婿を取らないんだろう。え、そうだろう」
女房は意味ありげに笑っていた。
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