|
半七捕物帳(はんしちとりものちょう)14 山祝いの夜
|
|
|
時代推理小説 半七捕物帳(一) |
光文社時代小説文庫、光文社 |
1985(昭和60)年11月20日 |
1986(昭和61)年12月1日第5刷 |
一
「その頃の箱根はまるで違いますよ」 半七老人は天保版の道中懐宝図鑑という小形の本をあけて見せた。 「御覧なさい。湯本でも宮の下でもみんな茅葺屋根に描いてあるでしょう。それを思うと、むかしと今とはすっかり変ったもんですよ。その頃は箱根へ湯治に行くなんていうのは一生に一度ぐらいの仕事で、そりゃあ大変でした。いくら金のある人でも、道中がなかなか億劫ですからね。まあ、普通は初めの朝に品川をたって、その晩は程ヶ谷か戸塚にとまって、次の日が小田原泊りというのですが、女や年寄りの足弱連れだと小田原まで三日がかり。それから小田原を発って箱根へのぼるというのですから、湯治もどうして楽じゃありませんでした。わたくしが二度目に箱根へ行ったのは文久二年の五月で、多吉という若い子分を一人連れて、お節句の菖蒲を軒から引いた翌くる日に江戸をたって、その晩は式の通りに戸塚に泊って、次の日の夕方に小田原の駅へはいりました。日の長い時分ですから、道中は楽でしたが、旧暦の五月ですから、日のうちはもう暑いのに少し弱りました。なに、こっちは湯治の何のというわけじゃないので、実は八丁堀の旦那(同心)の御新造が産後ぶらぶらしていて、先月から箱根の湯本に行っているので、どうしても一度は見舞に行かなけりゃあならないような破目になって、無けなしの路用をつかって、御用の暇をみて道中に出たわけなんです。それでも旅へ出ればのんきになって、若い奴を相手に面白くあるいて行きました。で、今も申す通り、二日目の夕方に酒匂の川を渡って、小田原の御城下に着いて、松屋という旅籠屋に草鞋をぬぐと、その晩に一つの事件が出来したんです」
その頃の小田原と三島の駅は、東海道五十三次のなかでも屈指の繁昌であった。それはこの二つの駅のあいだに箱根の関を控えているからで、東から来た旅人は小田原にとまり、西から来た人は三島に泊って、あくる日に箱根八里の山越しをするというのが其の当時の習いであった。そうして、小田原を発ったものは三島にとまり、三島を発った者は小田原に泊ることになるので、東海道を草鞋であるくものは、否が応でもこの二つの駅に幾らかの旅籠銭を払って行かなければならなかった。関所を越える旅ではないが、半七もやはり小田原に泊って、あくる日湯本の宿をたずねて行こうと思っていた。 道草を食いながらぶらぶらあるいて来たので、二人が宿へ着いたのはもう六ツ半(午後七時)頃であった。風呂へはいって来ると、女中がすぐに膳を運び出した。半七は下戸であるが、多吉は飲むので、二人の膳のうえには徳利が乗っていた。多吉の附き合いに二、三杯飲むと、もう半七はまっ赤になって、膳を引かせると、やがてそこへごろりと横になってしまった。 「親分、くたびれましたかえ」と、多吉は宿から借りた紅摺りの団扇で、膝のあたりの蚊を追いながら云った。 「むむ。あんまり道草を食ったので、ちっとくたびれたようだ。意気地がねえ。おとどし大山へ登った時のような元気はねえよ」と、半七は寝ころびながら笑った。 「時に親分。わっしは先刻ここの風呂へ行く途中で変な奴に逢いましたよ」 「誰に逢った」 「なんという奴だか知らねえんですけれど、なんでも堅気の人間じゃありません。どこかで見た奴だと思うんだが、どうも思い出せないので……。なにしろ廊下で私に逢ったら、あわてて顔をそむけて行きましたから、むこうでも覚ったに相違ありません。あんな奴が泊っているようじゃあ、ちっと気をつけなけりゃあいけませんぜ」と、多吉は仔細らしくささやいた。 「まさか、胡麻の蠅じゃあるめえ」と、半七はまた笑った。「小博奕でも打つぐらいの奴なら、旅籠屋へきて別に悪いこともしねえだろう。道楽者は却って神妙なものだ」 こっちが気にも留めないので、多吉もそれぎり黙ってしまった。四ツ(午後十時)頃に床をしかせて、二人は六畳の座敷に枕をならべて寝ると、その夜なかに半七はふと目をさました。 「やい、多吉。起きろ、起きろ」 二、三度呼ばれて、多吉は寝ぼけまなこをこすった。 「親分。なんです」 「なんだか家じゅうがそうぞうしいようだ。火事か、どろぼうか、起きてみろ」 多吉は寝衣のままで蚊帳をくぐって出て、すぐに二階を降りて行ったが、やがて又あわただしく引っ返して来た。 「親分。やられた。人殺しだ」 半七も起き直った。多吉の話によると、裏二階に泊った駿府(静岡)の商人の二人づれが何者にか殺されて、胴巻の金を盗まれたというのであった。一人は寝ているところを一と突きに喉を刺されたのである。そうして、その蒲団の下に入れてあった胴巻をひき出そうとする時に、となりに寝ている連れの男が眼をさましたので、これもついでに斬り付けたらしく、その男は寝床から少し這い出して、頸すじを斜めに斬られて倒れていた。 「役人が来て、もう調べています。なんでも外からはいったものじゃないらしいと云っていますから、いずれここへも調べにくるでしょう」と、多吉は云った。 「ひどいことをする奴だな」と、半七は首をかしげて考えていた。「なにしろ調べに来るまでは無暗に動いちゃあならねえ。まあ差し当ってはじっとしていろ」 「そうですね」 二人は床のうえに坐って待っていると、廊下を急いで来る足音がこの座敷のまえに止まって、だしぬけに障子をがらりとあけて這い込んで来た者があった。彼は蚊帳の外から声をかけた。 「大哥。多吉の大哥。すまねえが助けてくれ」 「誰だ」と、多吉はうす暗い行燈の火で蚊帳越しに透かしてみると、それは廊下でさっき出逢った男であった。彼は二十八九で、色のあさ黒い、小じっかりとした男で、ひどくあわてたように息をはずませていた。 「わっしだ、小森の屋敷の七蔵だ。おめえにはちっと義理の悪いことがあるもんだから、さっきは知らねえ顔をして悪かった。後生だ、なんとか助けてくれ」 名乗られて、多吉もようよう思い出した。かれは下谷の小森という与力の屋敷の中間で、ふだんから余り身状のよくない、方々の屋敷の大部屋へはいりこんで博奕を打つのを商売のようにしている道楽者であった。去年の暮、あるところで彼は博奕に負けて、寒空に素っ裸にされようとするところへ、ちょうど多吉が行きあわせて、可哀そうだと思って一分二朱ばかり貸してやった。七蔵はひどく喜んで、大晦日までにはきっと多吉の家までとどけると固く約束して置きながら、ことしの今まで顔出しもしなかったのである。 「ちげえねえ。小森さんの屋敷の七蔵か。てめえ、渡り者のようでもねえ、あんまり世間の義理を知らねえ野郎だ」 「だから今夜はあやまっている。大哥、拝むから助けてくんねえ」 「てめえに拝み倒されるおれじゃあねえ。嫌だ、嫌だ」 多吉は強情に跳ね付けているのを聞きかねて、半七は口を出した。 「まあ、そう色気のねえことを云うなよ。そこで、七蔵さんという大哥はわたし達になんの用があるんです。わたしは神田の半七という者です」 「やあ、どうも……」と、七蔵はあらためて会釈した。「親分、後生だから助けておくんなせえ」 「どうすりゃあお前さんが助かるんだ」 「実は旦那が私を手討ちにして、自分も腹を切るというんで……」 「ふむう」 これには半七もおどろかされた。どんな事情があるか知らないが、武士が家来を手討ちにして自分も腹を切る、それは容易ならないことだと思った。多吉もさすがにびっくりして、行儀の悪い膝を立て直して云った。 「まあ蚊帳へはいれ。一体そりゃあどういう理窟だ」
[1] [2] [3] 下一页 尾页
|
作家录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 |
|
上一篇作家: 半七捕物帳(はんしちとりものちょう)13 弁天娘
下一篇作家: 半七捕物帳(はんしちとりものちょう)15 鷹のゆくえ |
|
|
|
|
|
网友评论:(只显示最新10条。评论内容只代表网友观点,与本站立场无关!) |
|
|
没有任何图片作家 |
|