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半七捕物帳(はんしちとりものちょう)01 お文の魂

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-28 9:29:08  点击:  切换到繁體中文


        四

 をぢさんは歸途かへりに本郷の友達のうちに寄ると、友達は自分の識つてゐる踊の師匠の大浚おほさらひが柳橋のあるところに開かれて、これから義理に顔出しをしなければならないから、貴公も一緒に附合へと云つた。をぢさんも幾らかの目録を持つて一緒に行つた。綺麗な娘子供の大勢あつまつてゐる中で、燈火あかりのつく頃までわいわい騒いで、をぢさんは好い心持に酔つて歸つた。そんな譯で其日は小幡の屋敷へ探索の結果を報告にゆくことが出來なかった。
 あくる日小幡をたづねて、主人の伊織に逢つた。半七のことは何にも云はずに、をぢさんは自分ひとりで調べて來たやうな顔をして、草雙紙と坊主の一條を自慢らしく報告した。それを聽いて、小幡の顔色は見る見る蔭った。
 お道はすぐに夫の前に呼び出された。新編うす墨草紙を眼の前に突き付けられて、おまへの夢に見る幽靈の正體はこれかと嚴重に吟味された。お道は色を失つて一言もなかつた。
「聞けば淨圓寺の住職は破戒の堕落僧だといふ。貴様も彼に誑されて、なにか不埒を働いてゐるに相違あるまい。眞直に云へ。」
 夫に幾ら責められても、お道は決して不埒を働いた覺えはないと泣いて抗辯した。しかし自分にも心得違ひはある。それは重々恐れ入りますと云つて一切の祕密を夫とをぢさんとの前で白状した。
「このお正月に淨圓寺へ御參詣にまゐりますと、和尚様は別間で色々お話のあつた末に、わたくしの顔をつくづく御覽になりまして、頻りに溜息をいておいでになりましたが、やがて低い聲で『あゝ御運の惡い方だ。』と獨り言のやうにおつしやいました。その日はそれでお別れ申しましたが、二月に又お詣りをいたしますと、和尚様はわたくしの顔を見て、又同じやうなことを云つて溜息をいておいでになりますので、わたくしも何だか不安心になつてまゐりまして、『それはどうした譯でございませう。』と怖々うかゞひますと、和尚様は氣の毒さうに、『どうも貴方あなた御相ごさうがよろしくない。御亭主を持つてゐられると、今に御命にもかゝはるやうなわざはひが來る。出來ることならば獨身におなり遊ばすとよいが、左もないと貴方ばかりでない、お嬢様にも、おそろしい災難が落ちて來るかも知れない。』とさとすやうに仰しやいました。かう聞いて私もぞつとしました。自分はもあれ、せめて娘だけでも災難を逃れる工夫くふうはございますまいかと押返して伺ひますと、和尚様は『お氣の毒であるが、母子おやこは一體、あなたが禍を避ける工夫をしない限りは、お嬢様も所詮逃れることはできない。』と……。さう云はれた時の……わたくしの心は……御察し下さいまし。」と、お道は聲を立てゝ泣いた。
「今のお前達が聞いたら、一口に迷信とか馬鹿々々しいとかけなしてしまふだらうが、その頃の人間、殊に女などはんなさうしたものであつたよ。」と、をぢさんはこゝで註を入れて、わたしに説明してくれた。
 それを聽いてからお道には暗い陰がまつはつて離れなかつた。どんなわざはひが降りかゝつて來やうとも自分だけは前世の約束とも諦めよう。しかし可愛い娘にまでまきぞへのわざはひを着せると云ふことは、母の身として考へることさへも怖ろしかつた。あまりに痛々しかつた。お道にとつては、夫も大切に相違なかつたが、娘は更に可愛かつた。自分の命よりもいとほしかつた。第一に娘を救ひ、あはせて自分の身を全うすることは、飽きも飽かれもしない夫の家を去るよりほかにないと思つた。
 それでも彼女は幾たびか躊躇した。そのうち二月も過ぎて、娘のお春の節句が來た。小幡の家でも雛を飾つた。緋桃白桃の影をおぼろにゆるがせる雛段の夜の灯を、お道は悲しく見つめた。來年も再來年も無事に雛祭が出來るであらうか。娘はいつまでも無事であらうか。呪はれた母と娘とは何方どちらが先にわざはひを受けるのであらうか。そんな恐れと悲しみとが彼女の胸一ぱいに擴がつて、あはれなる母は今年の白酒に酔へなかつた。
 小幡の家では五日の日に雛をかたづけた。今更ではないが雛の別れは寂しかつた。その日のひるすぎにお道が貸本屋から借りた草雙紙を讀んでゐると、お春は母の膝に取附きながらその※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28) 繪を無心に覗いてゐた。草雙紙は、かの薄墨草紙で、むごい主人の手討に逢つて、杜若かきつばたの咲く古池に沈められたお文といふ腰元の魂が、奥方のまへに形をあらはしてその恨みを訴へるといふところで、その幽靈がもの凄く描いてあつた。稚いお春もこれには餘ほどおびやかされたらしく、その繪を指して「これ、何。」と、怖々こはごは訊いた。
「それは文といふ女のお化けです。お前もおとなしくしないと、庭のお池からかういふこはいお化けが出ますよ。」
 おどつもりでもなかつたが、お道は何心なく斯う云つて聞かせると、それがお春の神經を強く刺戟したらしく、ひきつけたやうに眞蒼になつて母の膝にひしと獅噛しがみ付いてしまつた。
 その晩にお春はおそはれたやうに叫んだ。
「ふみが來た!」
 明くる晩もまた叫んだ。
「ふみが來た!」
 飛んだことをしたと後悔して、お道は早々に彼の草雙紙を返してしまつた。お春は三晩つゞいてお文の名を呼んだ。後悔と心配とでお道も碌々に眠られなかつた。さうして、これがの恐ろしいわざはひの來る前觸れではないかとも恐れられた。彼女の眼の前にもお文の姿がまぼろしのやうに現れた。
 お道もたうとう決心した。自分の信じてゐる住職の教へにしたがつて、こゝの屋敷を立退くより他はないと決心した。無心の幼兒をさなごがお文の名を呼びつゞけるのを利用して、かれは俄に怪談の作者となつた。その僞りの怪談を口實にして、夫の家を去らうとしたのであつた。
「馬鹿な奴め。」と、小幡は自分の前に泣き伏してゐる妻を呆れるやうに叱つた。併しこんな淺墓あさはかな女の巧みの底にも人の母として我子を思ふ愛の泉の潜んで流れてゐることを、Kのをぢさんも認めないわけには行かなかつた。をぢさんの取りなしで、お道はやうやうに夫のゆるしを受けた。
「こんなことは義兄あにの松村にも聞かしたくない。しかし義兄の手前、屋敷中の者どもの手前、なんとかをさまりを付けなければなるまいが、何うしたものでござらう。」
 小幡から相談をうけてKのをぢさんも考へた。結局、をぢさんの菩提寺の僧を頼んで、表向きは得體えたいの知れないお文の魂のために追善供養を營むと云ふことにした。お春は醫師の療治をうけて夜啼をやめた。追善供養の功力くりきによつて、お文の幽靈も其後は形を現さなくなつたと、まことしやかに傳へられた。
 その祕密を知らない松村彦太郎は、世の中には理窟で説明のできない不思議なこともあるものだと首をかしげて、日頃自分と親しい二三の人達にひそかに話した。わたしの叔父もそれを聽いた一人であつた。
 お文の幽靈を草雙紙のなかから見つけ出した半七の鋭い眼力を、Kのをぢさんは今更のやうに感服した。淨圓寺の住職はなんの目的でお道に怖ろしい運命を豫言したか、それに就いては半七も餘り詳しい註釋を加えるのを憚つてゐるらしかつたが、それから半年の後にその住職が女犯によぼんの罪で寺社方の手に捕はれたのを聽いて、お道は又ぞつとした。彼女は危い斷崖の上に立つてゐたのを、幸ひに半七のために救はれたのであつた。
「今もいふ通り、この祕密は小幡夫婦と私のほかには誰も知らないことだ。小幡夫婦はまだ生きてゐる。小幡は維新後に官吏となつて今は相當の地位にのぼつてゐる。わたしが今夜話したことは誰にも吹聽ふいちやうしない方がいゝぞ。」と、Kのをぢさんは話の終りに斯う附け加へた。
 この話の濟む頃には夜の雨もだんだんに小降りになつて、庭の八つ手の葉のざわめきも眠つたやうに鎮まつた。

 幼いわたしの頭腦あたまにはこの話が非常に興味あるものとして刻み込まれた。併しあとで考へるとこれの探偵談は半七としては朝飯前の仕事に過ぎないので、それ以上の人を衝動するやうな彼の冒險仕事はまだまだ他に澤山あつた。彼は江戸時代に於ける隱れたシヤアロツク・ホームズであつた。
 わたしが半七によく逢うやうになつたのは、それから十年の後で、あたかも日清戰争が終りを告げた頃であつた。Kのをぢさんは、もう此の世にゐなかつた。半七も七十を三つ越したとか云つてゐたが、まだ元氣の好い、不思議なくらゐに水々しいお爺さんであつた。息子に唐物商とうぶつやを開かせて、自分は樂隱居でぶらぶら遊んでゐた。わたしはある機會から、この半七老人と懇意になつて、赤坂の隱居所へたびたび遊びに行くやうになつた。老人はなかなか贅澤で、上等の茶を淹れて旨い菓子を食はせてくれた。
 その茶話ちやばなしのあひだに、わたしは彼の昔語を色々聽いた。一冊の手帳は殆ど彼の探偵物語でうずめられてしまつた。その中から私が最も興味を感じたものをだんだんに拾ひ出して行かうと思ふ、時代の前後を問はずに――





底本:「定本・半七捕物帳 第1巻」同光社
   1950(昭和25)年1月25日初版発行
入力:小山純一
校正:浜野智
1998年7月9日公開
2004年3月1日修正
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