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半七捕物帳(はんしちとりものちょう)01 お文の魂

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-28 9:29:08  点击:  切换到繁體中文

底本: 定本・半七捕物帳 第1巻
出版社: 同光社
初版発行日: 1950(昭和25)年1月25日

 


        一

 わたしの叔父は江戸の末期に生れたので、その時代に最も多く行はれた化物屋敷の不入いらずの間や、嫉み深い女の生靈いきりやうや、執念深い男の死靈や、さうしたたぐひの陰慘な幽怪な傳説を澤山たくさんに知つてゐた。しかも叔父は「武士たるものが妖怪などを信ずべきものでない。」といふ武士的教育の感化から、一切これを否認しようと努めてゐたらしい。その氣風は明治以後になつても失せなかつた。わたし達が子供のときに何か取留めのない化物話などを始めると、叔父はいつでもにがい顏をして碌々ろくろくに相手にもなつて呉れなかつた。
 その叔父が唯一度こんなことを云つた。
「併し世の中には解らないことがある。あのおふみの一件なぞは……。」
 おふみの一件が何であるかは誰も知らなかつた。叔父も自己の主張を裏切るやうな、この不可解の事實を發表するのが如何にも殘念であつたらしく、それ以上には何も祕密を洩さなかつた。父にいても話してくれなかつた。併しその事件の蔭にはKのをぢさんが潜んでゐるらしいことは、叔父の口ぶりにつてぼ想像されたので、わたしの稚い好奇心は到頭たうとうわたしをうながしてKのをぢさんのところへはしらせた。私はその時まだ十二であつた。Kのをぢさんは、肉縁の叔父ではない。父が明治以前から交際してゐるので、わたしは稚い時から此人ををぢさんと呼び慣はしてゐたのである。
 わたしの質問に對して、Kのをぢさんも滿足な返答をあたへてれなかつた。
「まあ、そんなことはうでも可い。つまらない化物の話なんぞすると、お父さんや叔父さんに叱られる。」
 ふだんから話好きのをぢさんもこの問題については堅く口を結んでゐるので、わたしも押返して詮索する手がかりが無かつた。學校で毎日のやうに物理學や數學をどしどし詰め込まれるのに忙しい私の頭からは、おふみと云ふ女の名も次第に煙のやうに消えてしまつた。それから二年ほど經つて、なんでも十一月の末であつたと記憶してゐる。わたしが學校から歸る頃から寒い雨がそぼそぼと降り出して、日が暮れる頃には可なりに強い降りになつた。Kのをばさんは近所の人に誘はれて、けふは午前ひるまへから新富座見物に出かけた筈である。
「わたしは留守番だから、あしたの晩は遊びにおいでよ。」と前の日にKのをぢさんが云つた。わたしはその約束を守つて、夕飯を濟ますと直ぐにKのをぢさんをたづねた。Kの家はわたしの家から直徑にして四町ほどしかはなれてゐなかつたが、場所は番町で、その頃には江戸時代の形見といふ武家屋敷の古い建物がまだ取拂はれずに殘つてゐて、晴れた日にも何だかかげつたやうな薄暗い町の影を作つてゐた。雨のゆふぐれは殊にわびしかつた。Kのをぢさんも或大名屋敷の門内に住んでゐたが、おそらく其の昔は家老とか用人とかいふ身分の人の住居であつたらう。かくも一軒建になつてゐて、小さい庭にはあらい竹垣が結びまはしてあつた。
 Kのをぢさんは役所から歸つて、もう夕飯をしまつて、湯から歸つてゐた。をぢさんは私を相手にしてランプの前で一時間ほども他愛もない話などをしてゐた。時々に雨戸を撫でる庭の八つ手の大きい葉に、雨の音がぴしやぴしやときこえるのも、外の暗さを想はせるやうな夜であつた。柱にかけてある時計が七時を打つと、をぢさんはふと話をやめて外の雨に耳を傾けた。
「大分降つて來たな。」
「をばさんは歸りに困るでせう。」
「なに、人力車くるまを迎ひにやつたから可い。」
 かう云つてをぢさんは又默つて茶をんでゐたが、やがて少し眞面目まじめになつた。
「おい、いつかお前が訊いたおふみの話を今夜聞かしてやらうか。化物の話はかういう晩が可いもんだ。しかしお前は臆病だからなあ。」
 實際私は臆病であつた。それでも怖い物見たさ聞きたさに、いつも小さい身體を固くして一生懸命に怪談を聞くのが好きであつた。殊に年來の疑問になつてゐるおふみの一件をはからずもをぢさんの方から切出したので、わたしは思はず眼をかゞやかした。明るいランプの下ならどんな怪談でも怖くないといふ風に、わざと肩を聳かしてをぢさんの顔を屹とみあげると、強ひて勇氣を粧ふやうな私の子供らしい態度が、をぢさんの眼には可笑く見えたらしい。彼はしばらく默つてにやにや笑つてゐた。
「そんなら話して聞かせるが、怖くつてうちへ歸られなくなつたから、今夜は泊めて呉れなんて云ふなよ。」
 先づかうおどして置いて、をぢさんはおふみの一件といふのをしずかに話し出した。
「わたしが丁度二十歳はたちの時だから、元治元年――京都では蛤御門はまぐりごもんいくさがあつた年のことだと思へ。」と、をぢさんは先づ冒頭まくらを置いた。
 その頃この番町に松村彦太郎といふ三百石の旗本が屋敷を持つてゐた。松村は相當に學問もあり、殊に蘭學が出來たので、外國掛がいこくがかりの方へ出仕しゅつしして、鳥渡ちょつと羽振の好い方であつた。その妹のお道といふのは、四年前に小石川西江戸川端の小幡おばた伊織といふ旗本の屋敷へ縁付いて、お春といふ今年三つの娘まで儲けた。
 すると、ある日のことであつた。そのお道がお春を連れて兄のところへ訪ねて來て、「もう小幡の屋敷にはゐられませんから、暇を貰つて頂きたうございます。」と、突然に飛んだことを云ひ出して、兄の松村をおどろかした。兄はその仔細を聞きただしたが、お道は蒼い顔をしてゐるばかりで何も云はなかつた。
「云はないで濟むわけのものでない、その仔細をはつきりと云へ。女が一旦他家へ嫁入りをした以上は、むやみに離縁なぞすべきものでも無し、されるべき筈のものでもない。唯だしぬけに暇を取つてくれでは判らない。その仔細をよく聞いた上で、兄にも成程と得心とくしんがまゐつたら、又掛合ひのしやうもあらう。仔細を云へ。」
 この場合、松村でなくても、先づかう云ふより外はなかつたが、お道は強情に仔細を明かさなかつた。もう一日もあの屋敷にはゐられないから暇を貰つてくれと、今年二十一になる武家の女房がまるで駄々つ子のやうに、たゞ同じことばかり繰返してゐるので、堪忍強い兄もしまひにはれ出した。
「馬鹿、考へてもみろ、仔細も云はずに暇を貰いに行けると思ふか。また、先方でも承知すると思ふか。きのふや今日けふ嫁に行つたのでは無し、もう足掛け四年にもなり、お春といふ子までもある。しうと小姑こじうとの面倒があるでは無し、主人の小幡は正直で物柔かな人物。小身ながらも無事にかみの御用も勤めてゐる。なにが不足で暇を取りたいのか。」
 叱つてもさとしても手堪てごたへがないので、松村も考へた。よもやとは思ふものゝ世間にためしが無いでもない。小幡の屋敷には若い侍がゐる。近所となりの屋敷にも次三男の道樂者がいくらも遊んでゐる。妹も若い身空であるから、もしや何かの心得違ひでも仕出來しでかして、自分から身を退かなければならないやうな破滅に陥つたのではあるまいか。かう思ふと、兄の詮議はいよいよ嚴重になつた。どうしてもお前が仔細を明かさなければ、おれの方にも考へがある。これから小幡の屋敷へお前を連れて行つて、主人の目の前で何も彼も云はしてみせる。さあ一緒に來いと、襟髪えりがみを取らぬばかりにして妹を引き立てようとした。
 兄の權幕けんまくがあまり激しいので、お道も流石さすがに途方に暮れたらしく、そんなら申しますと泣いて謝つた。それから彼女が泣きながら訴へるのを聞くと、松村は又驚かされた。
 事件は今から七日前、娘のお春が三つの節句の雛を片附けた晩のことであつた。お道の枕もとに散らし髪の若い女が眞蒼な顔を出した。女は水でも浴びたやうに、頭から着物までびしよ濡れになつてゐた。その物腰は武家の奉公でもしたものらしく、行儀よく疊に手をついてお辭儀してゐた。女はなんにも云はなかつた。また別に人を脅かすやうな擧動も見せなかつた。たゞ默つておとなしく其處そこにうづくまつてゐるだけのことであつたが、それがたとへやうもないほどに物凄かつた。お道はぞつとして思はずよぎの袖に獅噛しがみ付くと、おそろしい夢は醒めた。
 これと同時に、自分と添寢をしてゐたお春も同じく怖い夢にでもおそはれたらしく、急に火の付くやうに泣き出して、「ふみが來た。ふみが來た。」とつづけて叫んだ。濡れた女は幼い娘の夢をも驚かしたらしい。お春が夢中に叫んだふみといふのは、おそらく彼女の名であらうと想像された。
 お道はおびえた心持で一夜を明した。武家に育つて武家に縁付いた彼女は、夢のやうな幽靈話を人に語るのを恥ぢて、その夜の出來事は夫にも祕してゐたが、濡れた女は次の夜にも又その次の夜にも彼女の枕もとに眞蒼な顔を出した。そのたびごとに幼いお春も「ふみが來た」と同じく叫んだ。氣の弱いお道はもう我慢が出來なくなつたが、それでも夫に打ちあける勇氣はなかつた。
 斯ういふことが四晩もつゞいたので、お道も不安と不眠とに疲れ果てゝしまつた。恥も遠慮も考へてはゐられなくなつたので、たうとう思ひ切つて夫に訴へると、小幡は笑つてゐるばかりで取合はなかつた。しかし濡れた女はその後もお道の枕邊まくらべを去らなかつた。お道がなんと云つても、夫は受付けて呉れなかつた。しまひには「武士の妻にもあるまじき」と云ふやうな意味で機嫌を惡くした。
「いくら武士でも、自分の妻が苦しんでゐるのを笑つててゐる法はあるまい。」
 お道は夫の冷淡な態度を恨むやうにもなつて來た。かうした苦しみがいつまでも續いたら、自分は遲かれ速かれ得體えたいの知れない幽靈のために責め殺されてしまふかも知れない。もう斯うなつたら娘をかゝへて一刻いつときも早くこんな化物屋敷を逃げ出すよりほかはあるまいと、お道はもう夫のことも自分のことも振返つてゐる餘裕がなくなつた。
「さういふ譯でございますから、あの屋敷にはどうしてもゐられません。お察し下さい。」
 思ひ出してもぞつとすると云ふやうに、お道は此話をする間にも時々に息をんで身ををのゝかせてゐた。そのおどおどしてゐる眼の色がいかにも僞りを包んでゐるやうには見えないので、兄は考へさせられた。
「そんな事がまつたくあるか知らん。」
 どう考へてもそんなことが有りさうにも思はれなかつた。小幡が取合はないのも無理はないと思つた。松村も「馬鹿をいへ」と、頭から叱りつけてしまはうかとも思つたが、妹がこれほどに思ひ詰めてゐるものを唯一概に叱つて追ひやるのも何だか可哀想のやうでもあつた。殊に妹はこんなことを云ふものの、この事件の底にはまだ他になにかこみいつた事情が潜んでゐないとも限らない。いづれにしても小幡に一度逢つた上で、よくその事情を確かめてみようと決心した。
「お前の片口かたくちばかりでは判らん。兎もかくも小幡に逢つて、先方の了簡を訊いてみよう、萬事はおれに任しておけ。」
 妹を自分の屋敷に殘して置いて、松村は草履取一人を連れて、すぐに西江戸川端に出向いた。

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