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中国怪奇小説集(ちゅうごくかいきしょうせつしゅう)15池北偶談(清)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-27 18:03:01  点击:  切换到繁體中文


   鏡の恨み

 けい州の某家の忰は元来が放埒無頼ほうらつぶらいの人間であった。ある時、裏畑に土塀どべいを築こうとすると、その前の夜の夢に一人の美人が枕もとに現われた。
「わたくしは地下にあることすでに数百年に及びまして、神仙となるべき修煉しゅうれんがもう少しで成就するのでございます。ところが、明日おそろしい禍いが迫って参りまして、どうにものがれることが出来なくなりました。それを救って下さるのは、あなたのほかにありません。明日わたくしの胸の上に古い鏡を見付けたらば、どうぞお取りなさらないように願います。そうして元のように土をかけて置いて下されば、きっとお礼をいたします」
 くれぐれも頼んで、彼女の姿は消えた。あくる日、人をあつめて工事に取りかかると、果たして土の下から一つの古い棺を掘り出して、その棺をひらいてみると、内には遠いむかしのよそおいをした美人の死骸が横たわっていて、その顔色は生けるがごとく、昨夜の夢にあらわれた者とちっとも変らなかった。更にあらためると、女の胸には直径五、六寸の鏡が載せてあって、その光りは人の毛髪を射るようにも見えた。忰は夢のことを思い出して、そのままに埋めて置こうとすると、家僕しもべの一人がささやいた。
「その鏡は何か由緒のある品に相違ありません。いわゆる掘出し物だから取ってお置きなさい」
 好奇心と慾心とが手伝って、忰は遂にその鏡を取り上げると、女の死骸はたちまち灰となってしまった。これには彼もおどろいて、慌ててその棺に土をかけたが、鏡はやはり自分の物にしていると、女の姿が又もや彼の夢にあらわれた。
「あれほど頼んで置いたのに、折角の修煉もあだになってしまいました。しかしそれも自然の命数で、あなたを恨んでも仕方がありません。ただその鏡は大切にしまって置いて下さい。かならずあなたの幸いになることがあります」
 彼はそれを信じて、その鏡を大切に保存していると、鏡はときどきに声を発することがあった。ある夜、かの女が又あらわれて彼に教えた。
「宰相の楊公が江陵に府を開いて、才能のある者をしたいといっています。今が出世の時節です。早くおいでなさい」
 その当時、楊公が荊州に軍をとどめているのは事実であるので、忰は夢の教えにしたがって軍門に馳せ参じた。楊公が面会して兵事を談じると、彼は議論縦横、ほとんど常人の及ぶところでないので、楊公は大いにこれを奇として、わが帷幕いばくのうちにとどめて置くことにした。忰は一人の家僕を連れていた。それは女の死骸から鏡を奪うことを勧めた男である。
 こうして、その出世は眼前にある時、彼は瑣細ささいのことから激しく立腹して、かの家僕をち殺した。自宅ならば格別、それが幕営のうちであるので、彼もその始末に窮していると、女がどこからか現われた。
「御心配なさることはありません。あなたは休養のために二、三日の暇を貰うことにして、あなたの輿こしのなかへ家僕の死骸をのせて持ち出せば、誰も気がつく者はありますまい」
 言われた通りにして、彼は家僕の死骸をひそかに運び出すと、あたかも軍門を通過する時に、その輿のなかからおびただしい血がどっと流れ出したので、番兵らに怪しまれた。彼はひき戻されて取調べを受けると、その言うことも四度路しどろで何が何やらちっとも判らない。楊公も怪しんで、試みに兵事を談じてみると、ただ茫然として答うるところを知らないという始末である。いよいよ怪しんで厳重に詮議すると、彼も遂に鏡の一条を打ちあけた。そうして先日来の議論はみな彼女が傍から教えてくれたのであることを白状した。
 そこで、念のためにその鏡を取ろうとすると、鏡は大きいひびきを発してどこへか飛び去った。彼は獄につながれて死んだ。

   韓氏の女

 みんの末のことである。
 広州こうしゅうに兵乱があった後、周生しゅうせいという男が町へ行って一つの(腰から下へ着けるきぬである)を買って来た。そのあかい色が美しいので衣桁いこうの上にかけて置くと、夜ふけて彼が眠ろうとするときに、ひとりの美しい女がとばりをかかげて内を窺っているらしいので、周はおどろいてとがめると、女は低い声で答えた。
「わたくしはこの世の人ではありません」
 周はいよいよ驚いて表へ逃げ出した。夜があけてから、近所の人びともその話を聞いて集まって来ると、女の声は袴のなかから洩れて出るのである。声は近いかと思えば遠く、遠いかと思えば近く、暫くして一個の美人のすがたがけむりのようにあらわれた。
「わたくしは博羅はくらに住んでいた韓氏かんしの娘でございます。城が落ちたときに、賊のためにとらわれてはずかしめを受けようとしましたが、わたくしは死を決して争い、さんざんに賊を罵って殺されました。この袴は平生わたくしの身に着けていたものですから、たましいはこれに宿ってまいったのでございます。どうぞ不憫ふびんとおぼしめして、浄土へ往生の出来ますように仏事をお営みください」
 女は言いさして泣き入った。人びとは哀れにも思い、また不思議にも思って、早速に衆僧をまねいて仏事を営み、かの丹袴たんこを火にいてしまうと、その後はなんの怪しいこともなかった。

   慶忌

 張允恭ちょういんきょうみん天啓てんけい年間の進士しんし(官吏登用試験の及第者)で、南陽なんようの太守となっていた。
 その頃、河をさらう人夫らが岸に近いところに寝宿ねとまりしていると、橋の下でくような声が毎晩きこえるので、不審に思って大勢おおぜいがうかがうと、それは大きい泥鼈すっぽんであった。こいつ怪物に相違ないというので、取り押えて鉄の釜で煮殺そうとすると、たちまちに釜のなかで人の声がきこえた。
「おれを殺すな。きっとお前たちに福を授けてやる」
 人夫らは怖ろしくなって、ますますその火を強くいたので、やがて泥鼈は死んでしまった。試みにその腹をいてみると、ひとりの小さい人の形があらわれた。長さ僅かに五、六寸であるが、その顔には眉も眼も口もみな明らかにそなわっているので、彼らはますます怪しんで、それを太守の張に献上することになった。張もめずらしがって某学者に見せると、それは管子かんしのいわゆる涸沢こたくの精で、慶忌けいきという物であると教えられた。
(谷の移らず水の絶えざるところには、数百歳にして涸沢の精を生ずと、捜神記にも見えている)。

   洞庭の神

 梁遂りょうすいという人が官命を帯びて西粤せいえつに使いするとき、洞庭どうていを過ぎた。天気晴朗の日で、舟を呼んで渡ると、たちまちに空も水も一面にくらくなった。
 舟中の人もおどろき怪しんで見まわすと、舟をる五、六町の水上に、一個の神人しんじんの姿があざやかに浮かび出た。立派なひげを生やして、黒い紗巾しゃきんをかぶって、一種異様のけものにまたがっているのである。獣は半身を波にかくして、わずかにその頭角をあらわしているばかりであった。また一人、その状貌じょうぼうすこぶる怪偉なるものが、かの獣の尾を口にくわえて、あとに続いてゆくのである。
 やがて雲低く、雨降り来たると、人も獣もみな雲雨のうちに包まれて、天へ登るかのように消えてしまった。
 これは折りおりに見ることで、すなわち洞庭の神であると舟びとが説明した。

   ※[#「口+斗」、288-1]

 広西こうせい地方には※蛇きょうだ[#「口+斗」、288-2]というものがある。この蛇は不思議に人の姓名を識っていて、それを呼ぶのである。呼ばれてこたえると、その人は直ちに死ぬと伝えられている。
 そこで、ここらの地方の宿屋では小箱のうちに蜈蚣むかでをたくわえて置いて、泊まり客に注意するのである。
「夜なかにあなたの名を呼ぶ者があっても、かならず返事をしてはなりません。ただ、この箱をあけて蜈蚣を放しておやりなさい」
 その通りにすると、蜈蚣はすぐに出て行って、戸外にひそんでいるかの蛇の脳を刺し、安々と食いころして、ふたたび元の箱へ戻って来るという。
(宋人の小説にある報寃蛇ほうえんだの話に似ている)。

   范祠の鳥

 長白山ちょうはくさん醴泉寺れいせんじは宋の名臣范文正はんぶんせい公が読書の地として知られ、公のほこらは今も仏殿の東にある。
 康煕こうき年間のある秋に霖雨ながあめが降りつづいて、公の祠の家根やねからおびただしい雨漏りがしたので、そこら一面に湿れてしまったが、不思議に公の像はちっとも湿れていない。
 寺の僧らが怪しんでうかがうと、一羽の大きい鳥が両のつばさを張ってその上をおおっていた。翼には火のような光りがみえた。
 雨が晴れると共に、鳥はどこへか姿を隠した。


 

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