「猿は
申に属します。それで、かれらが勝手にそんな名を付けたので、もとからの地名ではございません」
「おまえらがここへ帰り住むようになったらば、おれに出口を教えてくれ、
礼物などは貰うに及ばない。ただこの娘たちを救って出られればいいのだ」
「それはたやすいことでございます。半時のあいだ眼を閉じておいでなされば、自然にお望みが遂げられます」
李はその通りにしていると、耳のはたには激しい雨風の声がしばらく聞えるようでしたが、やがてその声がやんだので眼を開くと、一匹の大きい白鼠がさきに立って、
豕のような五、六匹の鼠がそのあとに従っていました。そこには一つの穴が掘られていて、それから明るい路へ出られるようになっているので、李は三人の娘と共に再びこの世の風に吹かれることになりました。
それからすぐに銭翁の家をたずねて、かのむすめを引き渡すと、翁はおどろき喜んで、かねて触れ出した通りに李を婿にしました。他の二人の娘の家でも、おなじくその娘を贈ることにしたので、李は一度に三人の美女を
娶った上に、あっぱれの
大福長者になりました。その後ふたたびかの場所へ行ってみると、そこらには草木が一面におい茂っているばかりで、むかしの跡をたずねる
便宜もありませんでした。
牡丹燈記
元の末には天下大いに乱れて、一時は群雄割拠の時代を現じましたが、そのうちで
方谷孫というのは
浙東の地方を占領していました。そうして、毎年正月十五日から五日のあいだは、明州府の城内に
元宵の燈籠をかけつらねて、諸人に見物を許すことにしていたので、その
宵々の賑わいはひと通りでありませんでした。
元の
至正二十年の正月のことでございます。
鎮明嶺の
下に住んでいる
喬生という男は、年がまだ若いのに先頃その妻をうしなって、男やもめの心さびしく、この元宵の夜にも燈籠見物に出る気もなく、わが家の
門にたたずんで、むなしく往来の人びとを見送っているばかりでした。十五日の夜も
三更(午後十一時―午前一時)を過ぎて、往来の人影も次第に稀になった頃、髪を
両輪に結んだ召仕い風の小女が双頭の牡丹燈をかかげて先に立ち、ひとりの女を案内して来ました。女は年のころ十七、八で、
翠い袖、
紅い
裙の
衣を着て、いかにもしなやかな姿で西をさして
徐かに行き過ぎました。
喬生は月のひかりで窺うと、女はまことに
国色ともいうべき美人であるので、我にもあらず浮かれ出して、そのあとを追ってゆくと、女もやがてそれを
覚ったらしく、振り返ってほほえみました。
「別にお約束をしたわけでもないのに、ここでお目にかかるとは……。何かのご縁でございましょうね」
それをしおに、喬生は走り寄って丁寧に敬礼しました。
「わたくしの住居はすぐそこです。ちょっとお立ち寄り下さいますまいか」
女は別に
拒む色もなく、かの小女をよび返して、喬生の
家へ戻って来ました。初対面ながら甚だ打ち解けて、女は自分の身の上を明かしました。
「わたくしの姓は
符、
字は
麗卿、名は
淑芳と申しました。かつて
奉化州の
判を勤めて居りました者の娘でございますが、父は先年この世を去りまして、家も次第に衰え、ほかに兄弟もなく、
親戚もすくないので、この
金蓮とただふたりで
月湖の西に仮住居をいたして居ります」
今夜は泊まってゆけと勧めると、女はそれをも拒まないで、遂にその一夜を喬生の家に明かすことになりました。それらの事は
委しく申し上げません。原文には「甚だ歓愛を
極む」と書いてございます。夜のあける頃、女はいったん別れて去りましたが、日が暮れるとまた来ました。
金蓮という召仕いの小女がいつも牡丹燈をかかげて案内して来るのでございます。
こういうことが半月ほども続くうちに、喬生のとなりに住む老人が少しく疑いを起しまして、境いの壁に小さい穴をあけてそっと覗いてみると、
紅や
白粉を塗った一つの骸骨が喬生と並んで、ともしびの
下に睦まじそうにささやいているのです。それをみて老人はびっくりして、翌朝すぐに喬生を詮議すると、喬生も最初は堅く秘して言わなかったのですが、老人に
嚇されてさすがに薄気味悪くなったと見えて、いっさいの秘密を残らず白状に及びました。
「それでは念のために調べて見なさい」と、老人は注意しました。「あの女たちが月湖の西に住んでいるというならば、そこへ行ってみれば正体がわかるだろう」
なるほどそうだと思って、喬生は早速に月湖の西へたずねて行って、長い
堤の上、高い橋のあたりを隈なく探し歩きましたが、それらしい住み家は見当りません。土地の者にも訊き、往来の人にも尋ねましたが、誰も知らないという。そのうちに日も暮れかかって来たので、そこにある
湖心寺という古寺にはいって暫く休むことにしました。そうして、東の廊下をあるき、さらに西の廊下をさまよっていると、その西廊のはずれに薄暗い
室があって、そこに一つの
旅が置いてありました。旅
というのは、旅先で死んだ人を棺に
蔵めたままで、どこかの寺中にあずけて置いて、ある時機を待って故郷へ持ち帰って、初めて本当の葬式をするのでございます。したがって、この旅
に就いては昔からいろいろの怪談が伝えられています。
喬生は何ごころなくその旅
をみると、その上に白い紙が貼ってあって「
故奉化符州判女、
麗卿之柩」としるし、その柩の前には見おぼえのある双頭の牡丹燈をかけ、又その燈下には人形の
侍女が立っていて、人形の背中には金蓮の二字が書いてありました。それを見ると、喬生は俄かに
ぞっとして、あわててそこを逃げ出して、あとをも見ずに我が家へ帰って来ましたが、今夜もまた来るかと思うと、とても落ちついてはいられないので、その夜は隣りの老人の家へ泊めてもらって、
顫えながらに一夜をあかしました。
「ただ怖れていても仕方がない」と、老人はまた教えました。「
玄妙観の
魏法師は
故の開府の
王真人のお弟子で、おまじないでは当今第一ということであるから、お前も早く行って頼むがよかろう」
その明くる朝、喬生はすぐに玄妙観へたずねてゆくと、法師はその顔をひと目みて驚いた様子でした。
「おまえの顔には妖気が満ちている。一体ここへ何しに来たのだ」
喬生はその坐下に拝して、かの牡丹燈の一条を訴えると、法師は二枚の
朱いお
符をくれて、その一枚は
門に貼れ、他の一枚は寝台に貼れ。そうして、今後ふたたび湖心寺のあたりへ近寄るなと言い聞かせました。
家へ帰って、その通りにお符を貼って置くと、果たしてその後は牡丹燈のかげも見えなくなりました。それからひと月あまりの後、喬生は
袞繍橋のほとりに住む友達の家をたずねて、そこで酒を飲んで帰る途中、酔ったまぎれに魏法師の戒めを忘れて、湖心寺のまえを通りかかると、寺の門前にはかの金蓮が立っていました。
「お嬢さまが久しく待っておいでになります。あなたもずいぶん薄情なかたでございますね」
否応いわさずに彼を寺中へ引き入れて、西廊の薄暗い一室へ連れ込むと、そこには麗卿が待ち受けていて、これも男の無情を責めました。
「あなたとわたくしは
素からの知合いというのではなく、途中でふと行き逢ったばかりですが、あなたの厚い心に感じて、遂にわたくしの身を許して、毎晩かかさずに通いつめ、出来るかぎりの真実を
竭して居りましたのに、あなたは怪しい
偽道士のいうことを
真に受けて、にわかにわたくしを疑って、これぎりに縁を切ろうとなさるとは、余りに薄情ななされかたで、わたくしは深くあなたを怨んで居ります。こうして再びお目にかかったからは、あなたをこのままに帰すことはなりません」
女は男の手を握って、
柩の前へゆくかと思うと、柩の
蓋はおのずと開いて、二人のすがたはたちまち隠れました。蓋は元のとおりに閉じられて、喬生は柩のなかで死んでしまったのです。
となりの老人は喬生の帰らないのを怪しんで、
遠近をたずね廻った末に、もしやと思って湖心寺へ来てみると、見おぼえのある喬生の着物の裾がかの柩の外に少しくあらわれているので、いよいよ驚いてその次第を寺の僧に訴え、早速にかの柩をあけてあらためると、喬生は女の
亡骸と折り重なって死んでいました。女の顔はさながら生けるが如くに見えるのです。寺の僧は嘆息して言いました。
「これは奉化州判の符という人の娘です。十七歳のときに死んだので、仮りにその遺骸をここに預けたままで、一家は北の方へ赴きましたが、その後なんのたよりもありません。それが十二年後のこんにちに至って、そんな不思議を見せようとは、まことに思いも寄らないことでした」
なにしろそのままにしては置かれないというので、男と女の死骸を
蔵めたままで、その柩を寺の西門の外に埋めました。ところが、その後にまた一つの怪異が生じたのでございます。
陰った日や暗い夜に、かの喬生と麗卿とが手をひかれ、一人の小女が牡丹燈をかかげて先に立ってゆくのをしばしば見ることがありまして、それに出逢ったものは重い病気にかかって、
悪寒がする、熱が出るという始末。かれらの墓にむかって法事を営み、肉と酒とを供えて祭ればよし、さもなければ命を
亡うことにもなるので、土地の人びとは大いに
懼れ、争ってかの玄妙観へかけつけて、なんとかそれを取り鎮めてくれるように嘆願すると、魏法師は言いました。
「わたしのまじないは未然に防ぐにとどまる。もうこうなっては、わたしの力の及ぶ限りでない。聞くところによると、
四明山の頂上に
鉄冠道人という人があって、鬼神を鎮める法術を
能くするというから、それを尋ねて頼んでみるがよかろうと思う」
そこで、大勢は誘いあわせて四明山へ登ることになりました。
藤葛を
攀じ、
渓を越えて、ようやく絶頂まで辿りつくと、果たしてそこに一つの草庵があって、道人は
几に倚り、童子は鶴にたわむれていました。大勢は庵の前に拝して、その願意を申し述べると、道人はかしらをふって、わたしは山林の隠士で、
翌をも知れない老人である。そんな怪異を鎮めるような奇術を知ろう筈はない。おまえ方は何かの聞き違えで、わたしを買いかぶっているのであろうと言って、堅く断わりました。いや、聞き違えではない、玄妙観の魏法師の指図であると答えると、道人はさてはとうなずきました。
「わたしはもう六十年も山を下ったことがないのに、あいつが飛んだおしゃべりをしたので、又うき世へ引き出されるのか」
彼は童子を連れて下山して来ましたが、老人に似合わぬ足の軽さで、直ちに湖心寺の西門外にゆき着いて、そこに
方丈の壇をむすび、何かのお符を書いてそれを
焚くと、たちまちに符の使い五、六人、いずれも身のたけ一丈余にして、
黄巾をいただき、
金甲を着け、彫り物のある
戈をたずさえ、壇の下に突っ立って師の命令を待っていると、道人はおごそかに言い渡しました。
「この頃ここらに妖邪の祟りがあるのを、おまえ達も知らぬことはあるまい。早くここへ駆り出して来い」
かれらは承わって立ち去りましたが、やがて喬生と麗卿と金蓮の三人に
手枷首枷をかけて引っ立てて来て、さらに道人の指図にしたがい、
鞭や
笞でさんざんに打ちつづけたので、三人は惣身に血をながして苦しみ叫びました。
その
呵責が終った後に、道人は三人に筆と紙とをあたえて、服罪の
口供を書かせ、さらに大きな筆をとってみずからその判決文を書きました。
その文章は長いので、ここに略しますが、要するにかれら三人は世を惑わし、民を
誣い、条にたがい、法を犯した罪によって、かの牡丹燈を焚き捨てて、かれらを九泉の獄屋へ送るというのでありました。
急々如律令(悪魔払いの呪文)、もう寸刻の容赦はありません。この判決をうけた三人は、今さら嘆き悲しみながら、進まぬ足を追い立てられて、泣く泣くも地獄へ送られて行きました。それを見送って、道人はすぐに山へ帰ってしまいました。
あくる日、大勢がその礼を述べるために再び登山すると、ただ草庵が残っているばかりで、道人の姿はもう見えませんでした。さらに玄妙観をたずねて、そのゆくえを問いただそうとすると、魏法師はいつか唖になって、口をきくことが出来なくなっていました。