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中国怪奇小説集(ちゅうごくかいきしょうせつしゅう)10夷堅志(宋)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-27 17:49:54  点击:  切换到繁體中文


   三重歯

 右相丞鄭雍ていようの甥の鄭某は拱州こうしゅうに住んでいた。その頃、京東けいとうは大饑饉で、四方へ流浪して行く窮民が毎日つづいてその門前を通った。
 そのなかに一人の女があった。泥まぶれのきたない姿をしていたが、その容貌きりょうは目立って美しいので、主人の鄭は自分の家へ引き取ってしょうにしようと思った。女にも異存はなく、やがては餓死するかも知れない者を、お召つかいくだされば望外の仕合わせでございますと答えた。そこで請人うけにんを立てて相当の金をわたして、女はここの家の人となって、髪を結わせ、新しい着物に着かえさせると、彼女の容貌はいよいよ揚がってみえた。
 女は美しいが上に、なかなか利口なたちであるので、主人にも寵愛されて、無事に五、六カ月をすごしたが、ある夜、大雷雨の最中に、寝間の外から声をかける者があった。
「先日の婦人を返してください。あの女は餓死すべき命数になっているので、生かして置くことは出来ないのです」
 鄭は内からそれに応対していたが、外にいるのは何者であるか判らない。おそらく何かの妖物ようぶつであろうと思われるので、堅くこばんで入れなかった。外の声もいつかやんだ。
 しかし夜が明けてから考えると、こういう女をいつまでもとどめて置くのは、自分の家のためにもよろしくないらしい。いっそ思い切ってひまを出そうかとも思ったが、やはり未練があるのでそのままにして置くと、次の夜にも又もや門を叩いて彼女を渡せという者があった。鄭も意地になってそれをこばんだ。
「畜生。なんとでもいえ。女を連れて行きたければ、勝手に連れて行ってみろ。おれは決して渡さないぞ」
 相手は毎夜のように門を叩きに来るのを、鄭はいつも強情に罵って追い返した。たがいにこんくらべを幾日もつづけているうちに、ある夜かの女は俄かに歯が痛むと言い出して、夜通しうなって苦しんでいたが、朝になってみると、その歯が三重に生えて、さながら鬼のような形相ぎょうそうになったので、主人は勿論、一家内の者がみな怖れた。
 こうなると、もう仕様がない。彼女は即日に暇を出された。
 何分にもこんな形になってしまっては、誰も引き取る者もないので、彼女は遂に乞食の群れに落ちて死んだ。

   鬼に追わる

 宋の紹興しょうこう二十四年六月、江州彭沢ほうたくの丞を勤める沈持要ちんじようという人が、官命で臨江へゆく途中、湖口ここう県を去る六十里の化成寺かせいじという寺に泊まった。
 その夜、住職をたずねると、僧は彼にむかって客室の怪を語った。
「昨年のことでございます。ひとりのお客人が客室にお泊まりになりました。その部屋のうちには※(「木+親」、第4水準2-15-75)りょしんがござりました。申すまでもなく、旅で死んだお人の棺をお預かり申していたのでござります。すると、夜なかにお客人はその棺のうちから光りを発したのを見て、不思議に思ってじっと見つめていると、その光りのなかに人の影が動いているらしいので、お客人も驚きました。となりは仏殿であるので、さあといったらそこへ逃げ込むつもりで、寝床のとばりをかかげて窺っていると、棺のなかの鬼もふたをあげてこちらを窺っているのでござります。いよいよまらなくなって、お客人は寝床からそっとひと足降りかかると、鬼もまた、棺の中からひと足踏み出す。ぎょっとして足を引っ込ませると、鬼もまた足を引っ込ませる。こっちが足をおろすと、鬼もまた足をふみ出すというわけで、同じようなことを幾たびも繰り返しているうちに、お客人ももうどうにもならないので、思い切って寝床から飛び降りて逃げ出すと、鬼も棺から飛び出して追って来る。お客人は仏殿へ逃げ込みながら、大きい声で救いを呼んでいると、鬼はもう近いところまで追い迫って来ました。
 お客人は気も魂も身に添わずというわけで、ころげ廻って逃げるうちに、力が尽きて地にたおれると、鬼はここぞと飛びかかって来るとき、たちまち柱に突き当って、がちりという音がしたかと思うと、それぎりでひっそりと鎮まってしまいました。そこへ大勢の僧が駈けつけて、半死半生でたおれているお客人を介抱して、さてそこらをあらためてみると、骸骨が柱にあたってばらばらにくずれていました。
 その後に、その死人の家から棺をうけ取りに来ましたが、死骸が砕けているのを見て承知しません。なんでもちゅうの者が棺をあばいたに相違ないといって、とうとう訴訟沙汰にまでなりましたが、当夜の事情が判明して無事に済みました」

   土偶

 鄭安恭ていあんきょう肇慶ちょうけいの太守となっていた時のことである。
 夜番のそつが夜なかに城中を見まわると、城中の一つのていに火のひかりの洩れているのを発見したので、怪しんでその火をたずねてゆくと、そこには十余人の男と五、六人の小児とが集まって博奕ばくちをしているのであった。卒は大胆な男であるので、進み寄って冗談半分に声をかけた。
「おい。おれにもぜにをくれ」
 彼が手を出すと、諸人は黙って銭をくれた。その額は三千銭ほどであった。夜が明けてからあらためると、それは本当の銅銭であったので、彼は大いに喜んだ。明くる晩もやはりその通りで、彼は又もや三千あまりの銭を貰って来た。それに味を占めて、彼は上役に巧く頼み込んで、以来は夜更けの見まわりを、自分ひとりが毎晩受持つことにした。そうして、相変らず賭博者の群れからテラせんのようなものを受取っていたので、彼の懐中はいよいよ膨らんだ。
 そのうちに、城中の軍資を入れてあるくらのなかから銀数百両と銭数千びんが紛失したことが発見されて、その賊の詮議が厳重になった。かの卒は近来俄かに銭使いがあらい上に、新しい着物などをこしらえたというのが目について、真っ先に捕えられて吟味を受けることになったので、彼も包み切れないで正直に白状した。太守の鄭はその賭博者の風俗や人相をくわしく取調べた後に、こう言った。
「それはまことの人ではあるまい。おそらく土偶どぐうのたぐいであろう」
 そこで、かの卒を見知り人にして、他の役人らが付き添って、近所の廟をたずね廻らせると、城隍廟じょうこうびょうのうちに大小の土人形がならんでいる。その顔や形がそれらしいというので、試みに一つの人形の腹をこわしてみると、果たして銀があらわれた。つづいて他の人形を打ち砕くと、皆その腹に銀をたくわえていた。さらに足の下の土をほり返すと、土の中からもたくさんのぜにが出た。
 卒が貰った銭と、掘り出した銀と銭とを合算すると、あたかも紛失の金高に符合しているので、もう疑うところはなかった。
 土人形は片っ端から打ちこわされた。その以来、怪しい賭博者は影をかくした。

   野象の群れ

 宋の乾道けんどう七年、縉雲しんうん陳由義ちんゆうぎが父をたずねるために※(「門<虫」、第3水準1-93-49)みんよりこうへ行った。その途中、ちょう州を過ぎた時に、土人からこんな話を聞かされた。
 近年のことである。けい州の太守が一家を連れて、ふく州から任地へおもむく途中、やはりこの潮州を通りかかると、元来このあたりには野生の象が多くて、数百頭が群れをなしている。時あたかも秋の刈り入れ時であるので、土地の農民らは象の群れに食いあらされるのを恐れて、その警戒を厳重にし、田と田のあいだに陥穽おとしあなを設けて、かれらの進入を防ぐことにしたので、象の群れは遠く眺めているばかりで、近寄ることが出来なかった。
 かれらは腹立たしそうに唸っていたが、やがて群れをなして太守の一行を取り囲んだ。一行には二百人の兵が付き添っていたが、幾百という野象に囲まれては身動きも出来ない。なんとかすかしていやろうとしても、かれらはなかなか立ち去らないで、一行を包囲すること半日以上にも及んだので、一行ちゅうの女子供は途方にくれた。そのなかには恐怖のあまりに気を失う者もできた。
 こうなると、土地の者も見捨てては置かれないので、大勢が稲をになって来てその四方に積んだ。最初のうちは象も知らぬ顔をしていたが、だんだんにたくさん運ばれて、自分たちの食うには十分であることを見きわめた時に、かれらは初めて囲みを解いて、その稲を盛んに食いはじめた。かれらは太守の一行を人質ひとじちにして、自分たちの食料を強要したのである。
 野獣の智、まことに及ぶべからずと、人びとは舌をまいた。


 

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