異洞
乾符年中の事、天台の僧が
台山の東、
臨海県のさかいに一つの
洞穴を発見したので、同志の僧と二人連れで、その奥を探りにはいった。初めの二十里ほどは路が低く狭く、ぬかるみのような所が多かったが、それからさきは次第に
闊く平らかな路になって、さらに山路にさしかかった。
山は十里ほどで、それを越えると町へ出た。町のすがたも住む人びとも、世間普通と変ることはなかった。この僧は気を吸うことを習っていたので、別に飢えも
渇きも感じなかったが、連れの僧はひどく飢えて来た。
そこである食い物店へ行って食を乞うと、そこにいる人が言った。
「
飢渇を忍んで行けば、子細なく還られるが、ここの土地の物をむやみに食うと、還られなくなるかも知れませんぞ」
それでも余りに飢えているので、その僧は無理に頼んで何か食わせてもらった。
それからまた連れ立って行くこと十数里、路がだんだんに狭くなって、やがて一つの小さい洞穴を見つけたので、それをくぐって出ようとすると、さきに物を食った僧は立ちながら石に化してしまった。
ひとりの僧は無事に山を出て、ここはどこだと人に訊くと、
牟平の海浜であるといわれた。
異石
帝
堯の時に、五つの星が天から落ちた。その一つは土の精で、
穀城山下に墜ち、化して
※橋[#「土+已」、159-2]の老人となって兵書を
張良に授けた。
「この書をよめば帝王の師となることが出来る。後日にわたしを探し求めるならば、穀城山下の黄いろい石がそれである」
いわゆる
黄石公である。張良は漢をたすけて功成るの後、穀城山下に於いて果たして黄石を発見した。彼は
商山にかくれていた
四皓にしたがい、道を学んで世を終ったので、その家では衣冠と黄石とを併せて葬った。占う者は常にその墓の上に、黄いろい気が数丈の高さにのぼっているのを見た。
漢の末に
赤眉の賊が起った時に、賊兵は張良の墓をあばいたが、その死骸は発見されなかった。黄いろい石も行くえが知れなかった。墓の上にあがる黄気もおのずから消え失せた。
異魚
![※(「魚+侯」、第3水準1-94-45)](http://www.aozora.gr.jp/gaiji/1-94/1-94-45.png)
魚は
河豚の一種で、虎斑がある。わが
虎鰒のたぐいであって、なま煮えを食えば必ず死ぬと伝えられている。
饒州に
呉という男があった。家は豊かで、その妻の実家も富んでいて、夫婦の仲もむつまじく、なんの欠けたところもなかった。ところが、ある日のこと、呉が酔って来て、床の上にぶっ倒れてしまった。妻が立ち寄って、その着物を着換えさせ、
履を脱がせようとして其の足を挙げさせる時、酔っている夫は足をぶらぶらさせて、思わず妻の胸を蹴ると、彼女はそのまま
仆れて死んだ。夫は酔っていて、なんにも知らないのであった。
しかし妻の
里方では承知しない。呉が妻を
殴ち殺したといって告訴に及んだが、この訴訟事件は年を経ても解決せず、州郡の役人らにも処決することが出来ないので、遂に
上聞に達することになって、呉を牢獄につないで朝廷の沙汰を待っていた。
呉の親族らはそれを聞いて
懼れた。上聞に達する上は必ず公然の処刑を受けるに相違ない。そうなっては一族全体の恥辱であるというので、差し入れの食物のうちにかの
![※(「魚+侯」、第3水準1-94-45)](http://www.aozora.gr.jp/gaiji/1-94/1-94-45.png)
![※(「魚+夷」、第3水準1-94-41)](http://www.aozora.gr.jp/gaiji/1-94/1-94-41.png)
魚の生き
鱠を入れて送った。呉がそれを食って獄中で自滅するように計ったのである。しかも呉はそれを食っても平気であった。親族らはしばしばこの手を用いたが、遂に彼を
斃すことが出来なかったのみか、却ってますます元気を増したように見えた。
そのうちにあたかも
大赦に逢って、呉は赦されて家に帰った。その後も子孫繁昌して、彼は八十歳までも長命して天寿をまっとうした。この魚はなま
煎えを食ってさえも死ぬというのに、
生のままでしばしば食っても遂に害がなかったのは、やはり一種の天命というのであろうか。