第六の男は語る。
「わたくしの役割は五代という事になっています。昔から五代乱離といいまして、なにしろ僅か五十四年のあいだに、梁、唐、晋、漢、周と、国朝が五たびも変ったような混乱時代でありますので、文芸方面は頗る振わなかったようです。しかしまた一方には、五代乱離といえどもみな国史ありといわれていまして、皆それぞれの国史を残している位ですから、文章まったく地に
墜ちたというのではありません。したがって、国史以外にも相当の著述があります。
さてそのなかで、今夜の御注文に応じるには何がよかろうかと思案しました末に、まずこの『録異記』をえらむことにしました。作者は
蜀の
杜光庭であります。杜光庭は
方士で、学者で、唐の末から五代に流れ込み、蜀王の
昶に親任された人物です。申すまでもなく、この時代の蜀は正統ではありません、乱世に乗じて自立したものですから、三国時代の蜀と区別するために、歴史家は偽蜀などと呼んでいます。その偽蜀に仕えていたので、杜光庭の評判はあまり好くないようですが、単に
作物として見る時は、この『録異記』などは五代ちゅうでも屈指の作として知られています。彼はこのほかにも『神仙感遇伝』『集仙録』などの著作があります。これから紹介いたしますのは、『録異記』八巻の一部と御承知ください」
異蛇
剣利門に蛇がいる。長さは三尺で、その大きいのは
甕のごとく、小さいのも柱の如く、かしらは兎、からだは蛇で、うなじの下が白い。かれが人を害せんとする時は、山の上からくるくると廻転しながら落ちて来て、往来の人を噛むのである。そうして、人の腋の下を
啖い破ってその穴から生血を吸う。この蛇の名を
板鼻といい、常に穴のなかにひそんで、その鼻を微かにあらわしている。鳴く声は牛の吼えるようで数里の遠きにきこえ、大地も為に震動する。住民が冬期に田を焼く時、あるいは誤まって彼を焼き殺すことがあるが、他の蛇に比して脂が多いのみである。
乾符年中のことである。
神仙駅に巨きい蛇が出た。黒色で、身のたけは三十余丈、それにしたがう小蛇の太さは
椽のごとく、柱のごとく、あるいは十
石入り又は五石入りの
甕のごときもの、およそ幾百匹、東から西へむかって隊を組んで行く。朝の
辰どき(午前七時―九時)に初めてその前列を見て、夕の
酉どき(午後五時―七時)にいたる頃、その全部がようやく行き尽くしたのであって、その長さ実に幾里であるか判らない。その隊列が終らんとするところに、一人の小児が紅い旗を持ち、蛇の尾の上に立って踊りつ舞いつ行き過ぎた。この年、山南の節度使の
陽守亮が敗滅した。
会稽山の下に
冠蛇というのが棲んでいる。かしらには
雄のような
冠があって、長さ一尺あまり、胴まわり五、六寸。これに撃たれた者はかならず死ぬのである。
爆身蛇というのがある。灰色で、長さ一、二尺、人の路ゆく声を聞けば、林の中から飛び出して来て、あたかも枯枝が横に飛ぶように人を撃つ。撃たれた者はみな助からない。
黄願蛇は長さ一、二尺、黄金のような色で、石のひだのうちにひそんでいる。雨が降る前には牛のように
吼える。これも人を撃って殺すもので、
四明山に棲んでいる。