玄陰池
太原の商人に
石憲という者があった。唐の
長慶二年の夏、北方へあきないに行って、
雁門関を出た。時は夏の日盛りで、旅行はすこぶる難儀であるので、彼は路ばたの大樹の下に寝ころんでいるうちに、いつかうとうとと眠ってしまった。
たちまちにそこへ一人の僧があらわれた。かれは
褐色の
法衣を着て、その顔も
風体もなんだか異様にみえたが、
石にむかって親しげに話しかけた。
「われわれは五台山の南に
廬を構えていた者でござるが、そのあたりは森も深く、水も深く、
塵俗を遠く離れたところでござれば、あなたも一緒にお出でなさらぬか。さもないと、あなたは暑さにあたって死にましょうぞ」
実際暑さに苦しんでいるので、石はその言うがままに誘われてゆくと、西のかた五、六里のところに果たして密林があって、大勢の僧が水のなかを泳ぎまわっていた。
「これは
玄陰池といい、わが徒はここに水浴して暑気を凌ぐのでござる」
僧はこう説明して、彼を案内した。石はそのあとに付いて池のまわりをめぐっているうちに、ふと気の付いたのは大勢の僧の顔がみな一様で、どの人の眼鼻も少しも
異っていないことであった。やがて日が暮れかかると、僧はまた言った。
「お聴きなされ、衆僧がこれから
梵音を唱え始めます」
石は池のほとりに立って耳をかたむけていると、たちまちに水中の僧らが一斉に声をそろえて、なにか
判らない梵音を唱え出した。その声が甚だ騒々しいと思っていると、一人の僧が水中から手を出して彼を引いた。
「あなたも試しにはいって
御覧なされ。決して怖いことはござらぬ」
引かるるままに彼は池にはいっていると、その水の冷たいこと氷のごとく、思わずぞっと身ぶるいすると共に、半日の夢は醒めた。彼はやはり元の大樹の下に眠っていたのである。しかしその衣服はびしょ
湿れになっていて、からだには
悪寒がするので、彼は早々にそこを立ち去って、近所の村びとの家に一夜を明かした。
翌日は気分も
快くなったので、きのうの通りにあるき出すと、路ばたに
蛙の鳴く声がそうぞうしくきこえた。それがかの僧らのいわゆる梵音に甚だ似ているので、彼は俄かに思い当ることがあった。夢のうちの記憶をたどりながら、五、六里ほども西の方角へたずねて行くと、そこには深い森もあり、大きい池もあった。池のなかにはたくさんの蛙が浮かんでいた。
「坊主の正体はこれであったか」
彼はその蛙を片端から殺し尽くした。
鼠の群れ
洛陽に
李氏の家があった。代々の家訓で、生き物を殺さないことになっているので、大きい家に一匹の猫をも飼わなかった。鼠を殺すのを
忌むが故である。
唐の
宝応年中、李の家で親友を大勢よびあつめて、広間で飯を食うことになった。一同が着席したときに、門外に不思議のことが起ったと、奉公人らが知らせて来た。
「何百匹という鼠の群れが門の外にあつまって、なにか嬉しそうに前足をあげて叩いて居ります」
「それは不思議だ。見て来よう」
主人も客も珍しがってどやどやと座敷を出て行った。その人びとが残らず出尽くしたときに、古い家が突然に
頽れ落ちた。かれらは鼠に救われたのである。家が頽れると共に、鼠はみな散りぢりに立ち去った。
陳巌の妻
舞陽の人、
陳巌という者が
東呉に
寓居していた。唐の
景龍の末年に、かれは
孝廉にあげられて都へゆく途中、
渭南の道で一人の女に逢った。かれは
白衣をつけた美女で、
袂をもって口を
被いながら泣き叫んでいるのである。
見すごしかねてその子細をきくと、女は泣きながら答えた。
「わたくしは
楚の人で、
侯という姓の者でございます。父はこころざしの高い人物として、
湘楚のあいだに知られて居りましたが、山林に隠れて
富貴栄達を望みませんでした。しかし
沛国の
劉という人とは親しい友達でありまして、その関係からわたくしはその劉家へ
縁付くことになりました。それから丁度十年になりまして、自分としてはなんの
過失もないつもりで居りますのに、夫は昨年から更に
盧氏の娘を
娶りましたので、家内に風波が絶えません。又その女が気の強い乱暴な生まれ付きで、わたくしのような者にはしょせん同棲はできません。そんなわけで、逃げ出したような、逐い出されたような形で、劉家を立ち退いたのでございますが、どこへ行くという
目的もないので、こうして
路頭に迷っているのでございます」
陳は
律義一方の人物であるので、初対面の女の訴えることをすべて信用してしまった。なにしろ行く先がなくては困るであろうと、一緒に連れ立って行くうちに、いつか夫婦のような関係が結ばれて、都へのぼって後も
永崇里というところに同棲していた。然るにこの女、最初のあいだは大層つつましやかであったが、だんだんに乱暴の
本性をあらわして、時には気ちがいのようになって我が夫に食ってかかることもあるので、飛んだ者と夫婦になったと、陳も今さら悔んでいた。
ある日、陳が外出すると、その留守のあいだに妻は夫の衣類をことごとく庭先へ持ち出して、みなずたずたに引き裂いたばかりか、夕方になって陳が戻って来ると、彼女は門を閉じて入れないのである。陳も怒って、門を叩き破って踏み込むと、前に言ったような始末であるので、彼はいよいよ怒った。
「なんで夫の着物を破ってしまったのだ」
その返事の代りに、妻は夫にむしり付いた。そうして、今度はその着ている物をむやみに引き裂くばかりか、顔を引っ掻く、手に食いつくという大乱暴に、陳もほとほと持て余していると、その騒動を聞きつけて、近所の人や往来の者がみな
門口にあつまって来た。そのなかに
居士という人があった。かれは邪を
攘い、魔を
降すの術をよく知っていた。
居士は表から女の泣き声を聞いて、あたりの人にささやいた。
「あれは人間ではない。山に棲む
獣に相違ない」
それを陳に教えた者があったので、陳は早速に居士を招じ入れると、妻はその姿をみて俄かに懼れた。居士は一紙の
墨符を書いて、
空にむかってなげうつと、妻はひと声高く叫んで、屋根
瓦の上に飛びあがった。居士はつづいて一紙の
丹符をかいて投げつけると、妻は屋根から転げ落ちて死んだ。それは一匹の猿であった。
その後、別に何の祟りもなかったが、陳はあまりの不思議に渭南をたずねて、果たしてそこに劉という家があるかと聞き合わせると、その家は郊外にあった。主人の劉は陳に向ってこんな話をした。
「わたしはかつて
弋陽の
尉を勤めていたことがあります。その土地には猿が多いので、わたしの家にも一匹を飼っていました。それから十年ほど経って、友達が一匹の黒い犬を持って来てくれたので、これも一緒に飼っておくと、なにぶんにも犬と猿とは仲が悪く、猿は犬に
咬まれて何処へか逃げて行ってしまいました」