雷車
東晋の
永和年中に、
義興の
周という姓の人が都を出た。主人は馬に乗り、従者二人が付き添ってゆくと、今夜の宿りを求むべき村里へ行き着かないうちに、日が暮れかかった。
路ばたに一軒の新しい
草葺きの家があって、ひとりの女が
門に立っていた。女は十六、七で、ここらには珍しい上品な
顔容で、着物も鮮麗である。彼女は周に声をかけた。
「もうやがて日が暮れます。次の村へ行き着くのさえ
覚束ないのに、どうして
臨賀まで行かれましょう」
周は臨賀という所まで行くのではなかったが、次の村へも覚束ないと聞いて、今夜はここの
家へ泊めて貰うことにすると、女はかいがいしく立ち働いて、火をおこして、湯を沸かして、晩飯を食わせてくれた。
やがて夜の
初更(午後七時―九時)とおぼしき頃に、家の外から
小児の呼ぶ声がきこえた。
「
阿香」
それは女の名であるらしく、振り返って返事をすると、外ではまた言った。
「おまえに御用がある。
雷車を推せという仰せだ」
「はい、はい」
外の声はそれぎりで止むと、女は周にむかって言った。
「
折角お泊まり下すっても、おかまい申すことも出来ません。わたくしは急用が起りましたので、すぐに行ってまいります」
女は早々に出て行った。雷車を推せとはどういう事であろうと、周は従者らと噂をしていると、やがて夜半から大雷雨になったので、三人は顔をみあわせた。
雷雨は暁け方にやむと、つづいて女は帰って来たので、彼女がいよいよ
唯者でないことを三人は
覚った。
鄭重に礼をのべて、彼女にわかれて、門を出てから見かえると、女のすがたも草の家も忽ち跡なく消えうせて、そこには新しい塚があるばかりであったので、三人は又もや顔を見あわせた。
それにつけても、彼女が「臨賀までは遠い」と言ったのはどういう意味であるか、かれらにも判らなかった。しかも幾年の後に、その謎の解ける時節が来た。周は立身して臨賀の太守となったのである。
武陵桃林
東晋の
太元年中に
武陵の
黄道真という
漁人が魚を捕りに出て、
渓川に沿うて漕いで行くうちに、どのくらい深入りをしたか知らないが、たちまち桃の林を見いだした。
桃の花は岸を挟んで一面に紅く咲きみだれていて、ほとんど他の雑木はなかった。黄は不思議に思って、なおも奥ふかく進んでゆくと、桃の林の尽くるところに、川の
水源がある。そこには一つの山があって、山には小さい
洞がある。洞の奥からは光りが洩れる。彼は舟から上がって、その洞穴の門をくぐってゆくと、初めのうちは甚だ狭く、わずかに一人を通ずるくらいであったが、また行くこと数十歩にして俄かに眼さきは広くなった。
そこには立派な家屋もあれば、よい田畑もあり、桑もあれば竹もある。路も縦横に開けて、
や犬の声もきこえる。そこらを往来している男も女も、衣服はみな他国人のような姿であるが、老人も小児も見るからに楽しそうな顔色であった。かれらは黄を見て、ひどく驚いた様子で、おまえは
何処の人でどうして来たかと集まって訊くので、黄は正直に答えると、かれらは黄を一軒の大きい家へ案内して、
を調理し、酒をすすめて饗応した。それを聞き伝えて、一村の者がみな打ち寄って来た。
かれら自身の説明によると、その祖先が
秦の暴政を避くるがために、妻子
眷族をたずさえ、村人を伴って、この
人跡絶えたるところへ隠れ住むことになったのである。その以来再び世間に出ようともせず、子々孫々ここに平和の
歳月を送っているので、世間のことはなんにも知らない。秦のほろびた事も知らない。
漢の
興ったことも知らない。その漢がまた衰えて、
魏となり、
晋となったことも知らない。黄が一々それを説明して聞かせると、いずれもその変遷に驚いているらしかった。
黄はそれからそれへと他の家にも案内されて、五、六日のあいだは種々の饗応を受けていたが、あまりに帰りがおくれては家内の者が心配するであろうと思ったので、別れを告げて帰って来た。その帰り路のところどころに
目標をつけて置いて、黄は郡城にその次第を届けて出ると、時の太守
劉韻は彼に人を添えて再び探査につかわしたが、目標はなんの役にも立たず、結局その桃林を尋ね当てることが出来なかった。
離魂病
宋のとき、なにがしという男がその妻と共に眠った。夜があけて、妻が起きて出た後に、夫もまた起きて出た。
やがて妻が戻って来ると、夫は
衾のうちに眠っているのであった。自分の出たあとに夫の出たことを知らないので、妻は別に怪しみもせずにいると、やがて
奴僕が来て、旦那様が鏡をくれと
仰しゃりますと言った。
「ふざけてはいけない。旦那はここに寝ているではないか」と、妻は笑った。
「いえ、旦那様はあちらにおいでになります」
奴僕も不思議そうに覗いてみると、主人はたしかに衾を
被て寝ているので、彼は顔色をかえて駈け出した。その報告に、夫も怪しんで来てみると、果たして寝床の上には自分と寸分違わない男が安らかに眠っているのであった。
「騒いではならない。静かにしろ」
夫は近寄って手をさしのべ、衾の上からしずかにかの男を
撫でていると、その形は次第に薄く
且つ消えてしまった。
夫婦も奴僕も言い知れない恐怖に
囚われていると、それから間もなく、その夫は一種の病いにかかって、物の理屈も判らないようなぼんやりした人間になった。
狐の手帳
呉郡の
顧旃が
猟に出て、一つの高い岡にのぼると、どこかで突然に人の声がきこえた。
「ああ、ことしは駄目だ」
こんなところに誰か忍んでいるのかと怪しんで、彼は連れの者どもと共にそこらを探してあるくと、岡の上に一つの
穽があって、それは古塚の
頽れたものであるらしかった。
その穽の中には一匹の古狐が坐って、何かの一巻を読んでいたので、すぐに猟犬を放してそれを咬み殺させた。それから狐の読んでいたものを
検めると、それには大勢の女の名を書きならべて、ある者には朱で
鈎を引いてあった。察するに、妖狐が種々に形を変じて、
容貌のいい
女子を犯していたもので、朱の鈎を引いてあるのは、すでにその目的を達したものであろう。
女の名は百余人の多きにのぼって、顧旃のむすめの名もそのうちに
記されていたが、幸いにまだ朱を引いていなかった。
雷を罵る
呉興の
章苟という男が五月の頃に田を耕しに出た。かれは
真菰に餅をつつんで来て、毎夕の食い物にしていたが、それがしばしば紛失するので、あるときそっと窺っていると、一匹の大きい蛇が忍び寄って
偸み食らうのであった。彼は大いに怒って、長柄の鎌をもって切り付けると、蛇は傷ついて走った。
彼はなおも追ってゆくと、ある坂の下に穴があって、蛇はそこへ逃げ込んだ。おのれどうしてくれようかと思案していると、穴のなかでは泣き声がきこえた。
「あいつがおれを切りゃあがった」
「あいつどうしてやろう」
「かみなりに頼んで撃ち殺させようか」
そんな相談をしているかと思うと、たちまちに空が暗くなって、彼のあたまの上に
雷の音が近づいて来た。しかも彼は頑強の男であるので、
跳りあがって大いに
罵った。
「天がおれを貧乏な人間にこしらえたから、よんどころなしに毎日あくせくと働いているのだ。その命の綱の食い物をぬすむような奴を、切ったのがどうしたのだ。おれが悪いか、蛇が悪いか、考えてみても知れたことだ。そのくらいの理屈が分からねえで、おれに天罰をくだそうというなら、かみなりでも何でも来て見ろ。おのれ
唯は置かねえから覚悟しろ」
彼は
得物を取り直して、天を
睨んで突っ立っていると、その勢いに
辟易したのか、あるいは道理に服したのか、雷は次第に遠退いて、かえって蛇の穴の上に落ちた。天が晴れてから見ると、そこには大小数十匹の蛇が重なり合って死んでいた。