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世界怪談名作集(せかいかいだんめいさくしゅう)十五
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彼ももう詮方が尽きたらしく、「では、あなた。ご案内をいたしましょう」 「階子のある所を教えてくれればいい。おれが一人で仕事をするのだ」 「でも、まあ、あなた……」 わたしの癇癪は破裂しました。 「もう黙っていろ。さもないと、おまえのためにならないぞ」 わたしは彼を押しのけて、家のなかへつかつかと進んでゆくと、最初は台所、次はかの老人夫婦が住んでいる小さい部屋、それを通りぬけて大きい広間へ出ました。そこから階段を昇ってゆくと、私は友達に教えられた部屋の扉を認めました。鍵を持っているので、雑作もなしに扉をあけて、私はその部屋の内へはいることが出来ました。 部屋の内はまっ暗で、最初はなんにも見えないほどでした。私はこういう古い空き間に付きものの、土臭いような、腐ったような臭いにむせながら、しばらく立ち停まっているうちに、わたしの眼はだんだんに暗いところに馴れてきて、乱雑になっている大きい部屋のなかに寝台の据えてあるのがはっきりと見えるようになりました。寝台にシーツはなく、三つの敷蒲団と二つの枕がならべてあるばかりで、その一つには今まで誰かがそこに寝ていたように、頭や肱の痕がありありと深く残っていました。 椅子はみな取り散らされて、おそらく戸棚であろうと思われる扉も少しあけかけたままになっていました。私はまず窓ぎわへ行って、明かりを入れるために戸をあけたが、外の鎧戸の蝶つがいが錆びているので、それを外すことが出来ない。剣でこじあけようとしたが、どうもうまくゆきませんでした。こんなことをしているうちに、私の眼はいよいよ暗いところに馴れてきたので、窓をあけることはもう思い切って、わたしは机のほうへ進み寄りました。そうして、肱かけ椅子に腰をおろして抽斗をあけると、そのなかには何かいっぱいに詰まっていましたが、わたしは三包みの書類と手紙を取り出せばいいので、それはすぐに判るように教えられているのですから、早速それを探し始めました。 私はその表書きを読み分けようとして、暗いなかに眼を働かせている時、自分のうしろの方で軽くかさりという音を聴きました。聴いたというよりも、むしろ感じたというのでしょう。しかしそれは隙間を洩る風がカーテンを揺すったのだろうぐらいに思って、わたしは別に気にもとめなかった。ですが、そのうちにまた、かさりという、それが今度はよほどはっきりと響いて、わたしの肌になんだかぞっとするような不愉快な感じをあたえましたが、そんな些細なことにいちいちびくびくして振り向いているのも馬鹿らしいので、そのままにして探し物をつづけていました。ちょうど第二の紙包みを発見して、さらに第三の包みを見つけた時、私の肩に近いあたりで悲しそうな大きい溜め息がきこえたので、私もびっくりして二ヤードほどもあわてて飛びのいて、剣の柄に手をかけながら振り返りました。剣を持っていなかったら、私は臆病者になって逃げ出したに相違ありません。 ひとりの背の高い女が白い着物をきて、今まで私が腰をかけていた椅子のうしろに立って、ちょうど私と向かい合っているのです。私はほとんど引っくり返りそうになりました。そのときの物凄さはおそらく誰にもわかりますまい。もしあなたがたがそれを見たらば、魂は消え、息は止まり、総身は海綿のように骨なしになって、からだの奥までぐずぐずに頽れてしまうことでしょう。 わたしは幽霊などを信じる者ではありません。それでも、死んだ者のなんともいえない怖ろしさの前には降参してしまいました。わたしは実に困りました。しばしは途方に暮れました。その後、一生の間にあの時ほど困ったことはありません。 女がそのままいつまでも黙っていたならば、私は気が遠くなってしまったでしょう。しかも女は口を利きました。私の神経を顫わせるような優しい哀れな声で話しかけました。この時、わたしは自分の気を取り鎮めたとはいわれません。実は半分夢中でしたが、それでも私には一種の誇りがあり、軍人としての自尊心もあるので、どうやらこうやら形を整えることが出来たのです。わたしは自分自身に対して、また、かの女に対して――それが人間であろうとも、化け物であろうとも――威儀を正しゅうすることになりました。相手が初めて現われたときには、何も考える余裕はなかったのですが、ここに至って、まずこれだけのことが出来るようになったのです。しかし内心はまだ怖れているのでした。 「あなた、ご迷惑なお願いがあるのでございますが……」 わたしは返事をしようと思っても言葉が出ないで、ただ、あいまいな声が喉から出るばかりでした。 「肯いてくださいますか」と、女は続けて言った。「あなたは私を救ってくださることが出来るのです。わたしは実に苦しんでいるのです、絶えず苦しんでいるのです。ああ、苦しい」 そう言って、女はしずかに椅子に坐って、わたしの顔を見ました。 「肯いてくださいますか」 私はまだはっきりと口がきけないので、黙ってうなずくと、女は亀の甲でこしらえた櫛をわたしに渡して、小声で言いました。 「わたしの髪を梳いてください。どうぞ私の髪を梳いてください。そうすれば、わたしを癒すことが出来るでしょう。わたしの頭を見てください。どんなに私は苦しいでしょう。わたしの髪を見てください。どんなに髪が損じているでしょう」 女の乱れた髪ははなはだ長く、はなはだ黒く、彼女が腰をかけている椅子を越えて、ほとんど床に触れるほどに長く垂れているように見えました。 わたしはなぜそれをしたか。私はなぜ顫えながらその櫛をうけ取って、まるで蛇をつかんだように冷たく感じられる女の髪に自分の手を触れたか。それは自分にも分からないのですが、そのときの冷たいような感じはいつまでも私の指に残っていて、今でもそれを思い出すと顫えるようです。 どうしていいか知りませんが、わたしは氷のような髪を梳いてやりました。たばねたり解いたりして、馬の鬣毛のように一つの組糸としてたばねてやると、女はその頭を垂れて溜め息をついて、さも嬉しそうに見えましたが、やがて突然に言いました。 「ありがとうございました」 わたしの手から櫛を引ったくって、半分あいているように思われた扉から逃げるように立ち去ってしまいました。ただひとり取り残されて、私は悪夢から醒めたように数秒間はぼんやりとしていましたが、やがて意識を回復すると、ふたたび窓ぎわへ駈けて行って、めちゃくちゃに鎧戸をたたきこわしました。 外のひかりが流れ込んできたので、私はまず女の出て行った扉口へ駈けよると、扉には錠がおりていて、あけることの出来ないようになっているのです。もうこうなると、逃げるよりほかはありません。わたしは抽斗をあけたままの机から三包みの手紙を早そうに引っつかんで、その部屋をかけ抜けて、階子段を一度に四段ぐらいも飛び下りて、表へ逃げ出しました。さてどうしていいか分かりませんでしたが、幸いそこに私の馬がつないであるのを見つけたので、すぐにそれへ飛び乗って全速力で走らせました。[#底本では「。」なし] ルーアンへ到達するまでひと休みもしないで、わたしの家の前へ乗りつけました。そこにいる下士に手綱を投げるように渡して、私は自分の部屋へ飛び込んで、入り口の錠をおろして、さて落ちついて考えてみました。 そこで、自分は幻覚にとらわれたのではないかということを一時間も考えました。たしかにわたしは一種の神経的な衝動から頭脳に混乱を生じて、こうした超自然的の奇蹟を現出したのであろうと思いました。ともかくもそれが私の幻覚であるということにまず決めてしまって、私は起って窓のきわへ行きました。そのときふと見ると、私の下衣のボタンに女の長い髪の毛がいっぱいにからみついているではありませんか。わたしはふるえる指さきで、一つ一つにその毛を摘み取って、窓の外へ投げ捨てました。 わたしは下士を呼びました。わたしはあまりに心も乱れている、からだもあまりに疲れているので、今日すぐに友達のところへ尋ねて行くことは出来ないばかりか、友達に逢ってなんと話していいかをも考えなければならなかったからです。 使いにやった下士は、友達の返事を受け取って来ました。友達はかの書類をたしかに受け取ったと言いました。彼はわたしのことを聞いたので、下士は私の快くないということを話して、たぶん日射病か何かに罹かったのであろうと言うと、彼は悩ましげに見えたそうです。
わたしは事実を打ち明けることに決めて、翌日の早朝に友達をたずねて行くと、彼はきのうの夕に外出したままで帰ってこないというのです。その日にまた出直して行きましたが、彼はやはり戻らないのです。それから一週間待っていましたが、彼はついに戻らないので、私は警察に注意しました。警察でもほうぼうを捜索してくれましたが、彼が往復の踪跡を発見することが出来ませんでした。 かの空家も厳重に捜索されましたが、結局なんの疑うべき手がかりも発見されませんでした。そこに女が隠されていたような形跡もありませんでした。取り調べはみな不成功に終わって、この以上に捜索の歩を進めようがなくなってしまいました。 その後五十六年の間、わたしはそれについてなんにも知ることが出来ません。私はついに事実の真相を発見し得ないのです。
●表記について
- このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
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作家录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 |
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