六
長い間、まさに来たらんとしていた不幸の大団円が、ついに来てしまった。私はそれをどう書いていいか、ほとんど分からない。船長は行ってしまった。あるいは彼は再び生きて帰るかもしれない。しかし、おそらく――おそらくそれは絶望であろう。 今は九月十九日の午前七時である。わたしは何か彼の足跡にでも逢着することもあるまいかと、水夫の一隊を伴って、終夜前方の氷山を歩きまわったが、それは徒労に終わった。わたしは彼の行くえ不明について、ここに少しく書いてみよう。もし他日これを読む人があったならば、これは臆測や伝聞によって書いたものではなく、正気の、しかも教育あるわたしが、自分の眼前に現に発生したことを正確に記述しているものであることを必ず承知してもらいたい。わたしの推量は――それは単に私自身の推量であるに相違ないが、その事実に対して私はあくまでも責任を持つのである。 前述の会話の後、船長はまったく元気であった。しかし、しばしばその姿勢を変えたり、彼の癖の舞踏病的な方法でその手足を動かしたりして、神経質そうに苛いらしているように見えた。彼は十五分間に七たびも甲板へのぼって行った。そうして、二、三歩も大股に急ぎ足で甲板を歩いたかと思うと、また直ぐに降りて来る。わたしはその都度について行った。彼の顔の上に、なんとなく不安な影がただよっているのが見えたからである。彼は私のこの懸念をさとったらしく、わたしを安心させようとして殊更に快活をよそおい、ほんのつまらない冗談にも、わざとからからと笑ったりしてみせた。 夜食の後、彼は再び船尾の高甲板へ登った。夜は暗く、円材にあたる風のひゅうひゅうという陰気な音を除いては、まったく静寂であった。密雲が北西の方から押し寄せて来て、その雲の投げたあらい触角が、月の面を横ぎって流れていた。月はこの雲間を透して時どきに照るのである。船長は足早に往ったり来たりしていたが、私がまだついて来ているのを見て、彼はわたしのそばへ来て、下へ行ったらいいだろうということを、謎かけるように言うのであった。――それは言うまでもなく、甲板にとどまっていようとする私の決心をますます強めるものであった。 この後、彼は私の存在を忘れたように、黙って船尾の手摺りによりかかって、一部分は暗く、一部分は月の光りにおぼろに輝いている大氷原のあなたを、まじろぎもせずに見詰めていたのである。わたしは彼の動作によって、彼がいくたびか懐中時計をながめているのを見た。彼は一度、何か短い文句をつぶやいたが、ただその中の「もういいよ」という一語しか聴き取れなかった。 闇に浮かぶ船長の大きい朦朧とした姿をながめ、さらに彼があたかも媾曳きの約束を守る人がぼんやりと物を考えているような姿で立っているのを見たとき、私は全身にさっと不気味な寒さを感じたことを白状する。しかし、誰との逢いびきであろう。私が一つの事実と他の事実とを接ぎあわせたとき、あるおぼろげな観念は浮かんで来たけれども、その結論はやはりまとまらないのであった。 彼が突然に熱狂したような様子を示したので、わたしは当然彼が何かを見たと思った。私はそっとそのうしろに忍び寄ると、彼は船と一直線上をすみやかに飛んでいる霧の圏のようなものを熱心に見つめていた。それは形のない朦朧たる一種の星雲体のもので、それに月の光りがさしたとき、ある時は大きく、ある時は小さく見えるのである。月はこのとき、あたかもアネモネの覆いのように、極めて薄い雲の天蓋をもって、その光りを小暗くしていた。 「ああ、やって来るよ、あの娘が……。ああ、やって来るよ」と、測り知れぬ優しさと、憐れみの籠った声で、船長は叫んだ。 それはあたかも長いあいだ待ち設けていた愛情をもって、可愛い者を慰めてやるように――。そうしてまた、愛を与えるのは、受けるのと同じく愉快であるといったように――。 その次のことは、まったく瞬間的に突発したのであって、私には何とも手のくだしようがなかった。彼は舷檣の天辺にむかって飛んだ。それから再び飛ぶと、彼はすでに氷の上にあって、かの蒼白い朦朧たる物の足もとに立ったのである。彼はそれを抱くように両手を衝と差し出した。そうして、両方の腕をひろげて、何か色めいた言葉を口にしながら、闇の中へまっしぐらに走り去った。 わたしは硬くなって突っ立ったままで、その声が遠く消えてしまうまで、闇に吸われてゆく彼の姿を、大きい眼で見送っていた。私は再び彼の姿を見ようとは思わなかった。ところが、その瞬間に月は雲のあいだから皎こうと輝き出て、大氷原の上を照らしたので、わたしは氷原を横切って非常の速力で走ってゆく彼の黒影を、遙かに遠いあなたに認めた。これが、彼に対するわれわれの最後の一瞥であった。――おそらく永久にそうであろう。 間もなく追跡隊が組織されて、私もそれに加わったが、みんなの気が張っていないので、何を見いだすことも出来なかった。数時間以内には、さらにもう一度、捜索が試みられるはずである。私はこれらのことを書きながら、自分は夢でも見ているのか、あるいは何か恐ろしい夢魔にでもおそわれているような心持ちがしてならない。
午後七時三十分。第二回の船長捜索から、疲れ切ってただいま帰って来た。捜索は不成功である。この氷山は途方もなく広いので、われわれはその上を少なくも二十マイルは歩いたが、行けども行けども果てしがありそうにも思われなかった。寒気は近ごろ非常に厳しいので、氷の上に降り積む雪が御影石のように固くなっている。こんなことさえなければ、船長の足跡ぐらいはすぐに見つけられたであろう。 船員らは纜を解いて、氷山を迂回して南方にむかって船を進めようと、しきりにあせっている。氷も夜のあいだはひらけて、海水は地平線上に見えているからである。かれらは「クレーグ船長はきっと死んでいる。それであるから、われわれに脱出の機会があるにもかかわらず、ここにぐずぐずしているのはくだらなくみんな生命の質をするものである」と論じている。ミルン氏とわたしとが大いに尽力して、ようよう明日の晩まで待つように一同を説き伏せたが、その以上はいかなる事情があっても、出発を延期しないと約束させられてしまった。そこで、われわれは数時間の睡眠を取った上で、最後の捜索に出発するように提議したのであった。
九月二十日、夜。わたしは今朝、氷山の南部を探索に出発し、ミルン氏は北の方へ出発した。十マイル乃至十二マイルの間、およそ生きているものの影というものは全く見られず、ただ一羽の鳥がわれわれの頭の上を高く飛んで行ったばかりである。その飛び方によって、私はそれを鷹だと思った。氷原の南端は狭い岬のように、その尖端が細まって海中に突出している。この岬の麓へ来た時に、一行は足を停めてしまった。しかし私はいかなる機会をもおろそかにしなかったという満足を得たかったので、岬の行き止まりまで探して見るようにと、みんなに頼んだ。 百ヤードほど行くか行かぬに、ピーターヘッドのムドナルドが、われわれの前方に何か見えると叫んで走り出した。われわれもまた、ちらりとそれを見て走り出した。最初はそれが白い氷に対して、ぼんやりと黒く見えただけであったが、近づくにつれてそれは人の形をなして来た。そうして、しまいにはわれわれが捜しているその人の形となって現われたのである。彼は氷の土手にうつむきに倒れていた。多くの小さな氷柱や、雪の小片が、倒れている彼の上に吹きつけて、黒い水兵着の上にきらきらと光っていた。 われわれが近づいてゆくと、にわかに一陣の旋風がさっと吹いてきて、紛ぷんたる雪片を空中に巻き上げたが、その一部は落ちて来て、また再び風に乗って、海の方へすみやかに飛んで行ってしまった。わたしの眼にはそれが単に吹雪としか見えなかったが、同行者の多くの者の眼には、それが婦人の形をして立ち上がり、屍の上にかがんでこれに接吻し、それから氷山を横ぎって急いで飛び去ったように見えたと言うのであった。 わたしは何事によらず、それがどんなに奇妙に思われても、ひとの意見をけっして嘲笑しないようにこれまで仕馴れてきた。たしかに、ニコラス・クレーグ船長は悼ましい死を遂げたのではなかったものと思う。彼の青く押し付けたような顔には、輝かしい微笑を含んでいる。そうして、死のあなたに横たわる暗い世界へ彼を招いた不思議の訪問者をとらえるかのように、彼はなお両手を突き出しているのである。 われわれは彼を船旗に包み、足もとに三十二ポンド弾を置いて、その日の午後に彼を葬った。わたしが弔辞を読んだとき、荒らくれた水夫はみな子供のように泣いた。それというのも、そこにいる多くの者は彼の親切な心に感じていたのである。そうして、今こそその愛情を示すことが出来たのである。彼の生きている時には例の不思議な癖で、彼はむしろこういう愛情を不快に感じて、いつも拒絶してきたのであった。 船長の屍は、にぶい寂しい飛沫をあげて、船の格子を離れていった。わたしは青い水面を凝視していると、その屍は低く低く、遂に永久の暗黒にゆらめく白い小さい斑点となって、それさえもやがて見えなくなってしまった。秘密や、悲哀や、神秘や、あらゆるものを彼の胸にふかく秘めて、復活の日まで彼はそこに横たわっているのであろう。その復活の日には、海はその死者を放ち、わがニコラス・クレーグは笑みをたたえ、かの硬ばった腕を突き出して挨拶しながら、氷の間から現われて来るであろう。彼の運命がこの世におけるよりは、あの世においていっそう幸福ならんことを、わたしは切に祈るものである。 私はもうこの日記をやめにしよう。われわれの帰路は平穏無事であり、大氷原もやがては単に過去の思い出となるであろう。少し経てば、私はこの事件によって受けた衝動に打ち克つことが出来よう。この航海日誌をつけ始めたとき、私はそれを終わりまで書かなければならないとは考えていなかった。私は人のいない船室でこれを書いている。今もなお時どきにびくりとしたり、または頭の上の甲板に死んだ人の神経的な速い跫音を聞くように思ったりして――。 私は今晩、かねて私の義務であったので、公正証書のために彼の動産表を作ろうと思って、船長室へはいってみると、すべての物は以前にはいった時と少しも変わっていなかった。ただ、かの婦人の水彩画だけが――これは船長の寝床のはしにかけられていたと言ったが――ナイフのようなものでその枠から切り取られて、ゆくえ知れずになっていた。これを不思議な証跡の連鎖となるべき最後のものとして、私は「北極星号」のこの航海日誌の筆を擱く。
(附記)――父のマリスターレー医師の注。――わたしは自分の忰の航海日誌に書かれている、北極星号の船長の死に関する不思議な出来事を通読した。すべての事がまさに記述のごとくに起こったということは、私の十分に信ずるところであり、また実際、最も正確なことである。というのは、彼は真実を語ることには最も慎重な注意を払うものであることを知っている。かつまた、この物語は一見非常に曖昧糢糊としているところから、私は長い間その出版に反対していたのであるが、二、三日前、この問題について独立的な確実の証拠を握ったので、それによって新らしい光明があたえられることとなった。 わたしは英国医学協会の会合に出席するために、エジンバラへ行ったことがある。そこでドクトルP氏に出逢った。氏は古い大学の同窓生で、今はデボンシャーのサルタッシに開業しているのである。忰のこの経験談をわたしが物語ると、彼はその人をよく知っていると言った。さらに少なからず驚いたことには、私にかの船長の人相書をあたえた。それは船長がやや少し若く描かれているほかは、この日誌に記されたところと、まったく符合しているのである。彼の説明によれば、その船長はコーニッシ海岸に住んでいる非常に美しい若い婦人と許嫁の仲であった。ところが、彼が航海の留守中に、その婦人は奇怪なる恐怖が原因をなして死んでしまったというのであった。
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