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世界怪談名作集(せかいかいだんめいさくしゅう)五

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-27 10:15:52  点击:  切换到繁體中文


       四

 わたしがわれに返った時、わたしは司祭館の小さな部屋のなかに寝ていました。前の司祭の時から飼ってあるかの犬が、掛け蒲団の外に垂れているわたしの手をなめていました。あとになって知ったのですが、わたしはそのままで三日も寝つづけていたので、その間に少しの呼吸いきもせず、生きている様子はちっともなかったそうです。老婆のバルバラの話によると、わたしが司祭館を出発した晩にたずねて来たかの銅色あかがねいろの男が、翌あさ無言でわたしをかついで来て、すぐに帰って行ったということです。しかし私がクラリモンドを再び見たかの城のことについて、この近所では誰もその話を知っている者はありませんでした。
 ある朝、セラピオン師はわたしの部屋へたずねて来ました。彼はわたしの健康のことを偽善的な優しい声できながら、しきりに獅子ライオンのような大きい黄いろい眼を据えて、測量鉛のように私のこころのうちへ探りを入れていましたが、突然に澄んだはっきりした声で話しました。それはわたしの耳には最後の審判の日の喇叭ラッパのようにひびいたのです。
「かの有名な娼婦のクラリモンドが、二、三日前に八日八夜もつづいた酒宴の果てに死にました。それは魔界ともいうべき大饗宴で、バルタザールやクレオパトラの饗宴をそのままの乱行が再びそこに繰り返されたのです。ああ、われわれはなんという時世に生まれ合わせたのでしょう。言葉は何を言っているのか分からないような黒ん坊の奴隷が客の給仕をしましたが、どうしても私にはこの世の悪魔としか見えませんでした。そのうちのある人びとの着ている晴れなどは、帝王の晴れ衣にも間に合いそうな立派なものでした。かのクラリモンドについては、いろいろの不思議な話が伝えられていますが、その愛人はみな怖ろしい悲惨な終わりを遂げているようです。世間ではあの女のことを発塚鬼グールだとか、女の吸血鬼ヴァンパイヤだとか言っているようですが、わたしはやはり悪魔であると思っています」
 セラピオン師はここで話をやめて、その話が私にどういう効果をあたえたかということを、以前よりもいっそう深く注意し始めました。わたしはクラリモンドの名を聞いて、驚かずにはいられませんでした。それは彼女が死んだという知らせの上に、さらに私を苦しめたのは、その事件がさきの夜に私が見た光景と寸分たがわない偶然の暗合であります。わたしはその煩悶はんもんや恐怖を出来るだけ平気によそおおうとしましたが、どうしても顔には現われずにはいませんでした。セラピオン師は不安らしいけわしい眼をして私を見つめていましたが、また、こう言いました。
「わたしはあなたに警告しますが、あなたは今や奈落ならくのふちに足をのせて立っているのです。悪魔の爪は長い。そうして、かれらの墓はほんとうの墓ではない場合があります。クラリモンドの墓石は三重にもふたをしておかなければなりません。なぜというに、もし世間の話が本当であるとすれば、彼女が死んだのは今度が初めてでないのです。ロミュオー君、どうかあなたの上に神様のお守りがあるように祈ります」
 こう言って、セラピオン師は静かに戸口の方へ出て行きました。間もなく彼はSの町へ帰りましたが、わたしはそれを見送りもしませんでした。
 わたしはそののち健康を回復して、型のごとくに職務を始めました。クラリモンドの記憶と、セラピオン師の言葉とは絶えず私の心に残っていたのですが、セラピオン師の言った不吉な予言が真実として現われるような、特別の事件も別に知らなかったのでした。そこでわたしは、セラピオン師やわたしの恐怖にはやはり誇張があったのだと思うようになりました。ところがある夜、不思議な夢を見たのです。
 わたしはその夜まだ本当に寝入らないとき、寝室のカーテンのあく音を聞きました。わたしはその環がカーテンの横棒の上を烈しくすべったのに気がついて、急いでひじで起き上がると、わたしの前に一人の女がまっすぐに立っているのを見たのです。
 彼女はその手に、墓場でよく見る小さいランプを持っていましたが、その指は薔薇色に透き通っていて、指さきから腕にかけてだんだんに暗くほの白く見えているのです。彼女の身につけているものは、ただ一つ、死の床に横たわっている時におおわれていた白い麻布でありました。彼女はそんな貧しいふうをしているのが恥かしそうに、胸のあたりを掩おうとしましたが、優しい手には充分にそれが出来ませんでした。ランプの青白い灯に照らされて、彼女のからだの色も、身にまとっているものも、すべて一つの真っ白な色に見えていましたが、一つの色に包まれているだけに、彼女のからだのすべての輪郭はよくあらわれて、生きている人というよりは、ゆあみしている昔の美女の大理石像を思わせました。
 死生を問わず、彫像であろうと、生きた女であろうと、彼女の美には変わりはありませんが、ただ多少その緑の眼に光りがないのと、かつては真紅しんくの色をなしていた口が、頬の色と同じように弱い薔薇色をしているだけの相違でありました。彼女はその髪に小さい青い花をさしていましたが、ほとんどその葉を振るい落として花も枯れしぼんでいました。しかし、それは少しも彼女の優しさをさまたげず、こんな冒険をあえてして、不思議な身装みなりでこの部屋にはいって来ても、ちっとも私を恐れさせないほどの美しい魅力をそなえているのでした。
 彼女はランプを机の上に置いて、わたしの寝台の下に坐って私の方へかしらを下げました。そうして、ほかの女からはまだ一度も聞いたことのないような愛らしい柔らかな、しかし時には銀のような冴えた声で言いました。
「ロミュオーさま。わたしは長い間あなたをお待ち申しておりました。あなたのほうでは、わたしがあなたをお忘れ申していたとでも、思っていらっしゃるに相違ないと思います。それでもわたしは、遠い、たいへんに遠い、誰も二度とは帰って来られないようなところから参ったのです。そこには太陽もなければ、月もないのです。そこにはただ空間と影とがあるばかりで、通り路もなく、地面もなく、羽で飛ぶ空気もない処です。それでも私は来たのでございます。愛は死よりも強いもので、しまいには死をも征服しなければならないものですから……。ああ、ここまで参るのにどんなに悲しい顔や、怖ろしいものに出逢ったか知れません。わたしの霊魂が、ただ意志の力だけでこの地上に帰って来て、わたしの元のからだを探し求めて、そのなかに帰るまでにはどんなに難儀をしたでしょう。わたしは自分の上に掩いかぶさっている重い石の蓋を引き上げるには、恐ろしいほどの努力を要しました。わたしのを見て下さい。こんなに傷だらけになってしまったのです。この上に接吻をして下さい。これがなおりますように……」
 彼女は冷たい手を交るがわるに私の口へあてたのです。わたしは全くいくたびも接吻しました。彼女はその間に、なんとも言われない愛情をもってわたしを見ていました。
 恥かしいことですが、わたしはセラピオン師の忠告も、また、わたしの神聖なる職業に任ぜられていることも、全く忘れていました。わたしは彼女が最初の来襲に対してなんの拒絶もなしに服従し、その誘惑をしりぞけるために僅かの努力さえもしませんでした。クラリモンドの皮膚の冷たさが沁み透って、わたしの全身はぞっとするようにふるえました。あわれなことには、わたしはその後にもいろいろのことを見ているにもかかわらず、いまだに彼女を悪魔だと信じることができません。すくなくとも彼女は悪魔らしい様子を持っていないばかりでなく、悪魔がそれほど巧妙にその爪や角を隠すことが出来るはずがないと思っていたからです。
 彼女はうしろの方に身を引くと、いかにもだるそうな魅惑を見せながら長椅子のはしに腰をおろしました。彼女はそれからだんだんに私の髪のなかへ小さい手を差し入れて、髪の毛をくねらしたりして、新しい型が私の顔に似合うかどうかを試みたりしました。
 わたしはこの罪深い歓楽に酔って彼女のなすがままにまかせていましたが、その間も彼女は何かと優しい子供らしい無駄話などをしていたのです。何より不思議なのは、こんな普通でないことをしていて、わたし自身が少しも驚かなかったことです。それはあたかも夢をみているとき、非常に幻想的な事柄がおこっても、それは当たり前のこととして別に不思議に思わないようなもので、今のすべての場合もわたし自身には全く自然なことのように思われたのです。
「ロミュオーさま。わたしはあなたをお見かけ申した前から愛していました。そうして、あなたを捜していたのです。あなたは私の夢にえがいていたかたです。教会のなかで、しかもあの運命的な瀬戸ぎわにあなたを初めてお見かけ申したのです。わたしはその時すぐに〈あの方だ〉と自分に言いました。わたしは今までに持っていたすべての愛、あなたのために持つ未来のすべての愛、それは司教の運命も変え、帝王もわたしの足もとにひざまずかせるほどの愛をこめてあなたを見つめたのです。それをあなたは、わたしには来て下さらないで、神様をお選びになったのです……。ああ、わたしは神様がねたましい。あなたは私よりも神様を愛していらっしゃるのです。考えると詰まりません、わたしは不幸な女です。わたしはあなたの心をわたし一人のものにすることが出来ないのです。あなたは一度の接吻でわたしをこの世によみがえらせて下さいました。この死んだクラリモンドを……。そのクラリモンドは今あなたのために墓の戸を打ち開いて来たのです。わたしはあなたに生の喜びを捧げたい、あなたを幸福にしてあげたいと思って来たのです」
 それらの熱情的の愛の言葉は、わたしの感情や理性を眩惑げんわくさせました。わたしは彼女を慰めるために、平気で彼女にむかって「神を愛するほどに愛する」などと、恐るべき不敬なことを言ってしまいました。
 彼女の眼はふたたび燃えはじめて、緑玉のように光りました。
「本当でございますか。神様を愛するほどにわたしを愛して下さるの」と、彼女は美しい手を私に巻きつけながら叫びました。「そんなら、わたしと来て下さるでしょう。わたしの行きたい所へ来て下さるでしょう。もういやな陰気な商売はやめておしまいなさい。あなたを騎士のうちでもいちばん偉い、みんなの羨望のまとになるような人にしてあげます。あなたは私の恋びとです。クラリモンドの気に入った恋びと――ローマ法王さえ撥ねつけたほどの私の恋びと――それなら男の誇りになるはずです。ああ、わたしの人……。わたしたちはなんともいえないほどに幸福しあわせです。これから美しい黄金生活をともにしましょう。わたしたちはいつ出発しましょうか」
「あした、あした……」と、わたしは夢中になって叫びました。
「あした……。では、そうしましょう。その間にわたしはお化粧する暇があります。このままではあまりお粗末で、旅行するには困ります。わたしはすぐにこれから行って、わたしが死んだと思って大変に悲しんでいるお友達に知らせてやります。お金も、着物も、馬車も、何もかも用意して、今夜とおなじ時間にまいります。さようなら」
 彼女は軽く私のひたいに接吻しました。それから彼女の持つランプが行ってしまうと、カーテンは元の通りにとじられて、あたりは真っ暗になりました。わたしは熟睡して、翌朝まで何も覚えませんでした。


 

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