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青蛙堂鬼談(せいあどうきだん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-27 9:48:57  点击:  切换到繁體中文


     三

 あくる朝は幸いに晴れていたので、わたしは早朝から支度をして、横田君と一緒に出ました。横田君も写真機携帯で、ほかに店の小僧ひとりを連れてゆきました。池の近所に飯を食わせるような家はないというので、弁当やビールなどをバスケットに入れて、それを小僧に持たせたのです。
 三里ほどは乗合馬車にゆられて行って、それからは畑道や森や岡を越えて、やはり三里ほども徒歩でゆくと、だんだんに山に近いところへ出ました。横田君や小僧は土地の人ですから、このくらいの途は平気です。わたしも旅行慣れているので、別に驚きもしませんでした。小僧は昌吉といって、ことし十六だそうです。年の割には柄の大きい、見るから丈夫そうな、そうしてなかなか利口そうな少年でした。したがって、若主人の横田君にも可愛がられているらしく、横田君がどこへか出る時には、いつも彼を供に連れてゆくということでした。
「この昌吉も、ゆうべお話をした木像のモデルと同じような身の上なのです。」と、横田君はあるきながら話しました。「これも両親は判らないのです。」
 昌吉という少年も、やはり捨て子で、両親も身もとも判らない。それを横田君の家で引取って、三つの年から育ててやったのだということでした。それを聴かされて、わたしもかの捨松という馬飼のむかし話を思い出して、きょうの写真旅行に彼を連れてゆくのも、なんだか一種の因縁があるように感じられましたが、昌吉はまったく利口な人間で、途中でも油断なく我れわれの世話をしてくれました。
 ひるに近い頃に目的地へゆき着きましたが、横田君の話で想像していたのとは余ほど違っていて、なるほど大木もありますが、昼でも薄暗いというような幽暗な場所ではなく、むしろ見晴らしのいい、明るい気分のところでした。
「また伐ったな。」と、横田君はひとりごとのように言いました。近来しきりにこの辺の樹木を伐り出すので、だんだんに周囲が明るくなって、むかしの神秘的な気分が著しく薄れて来たとのことでした。どこでも同じことで、これはやむを得ないでしょう。しかし龍神の社の跡だというところは、人よりも高い雑草にうずめられて、容易に踏み込めそうもありませんでした。三人は池のほとりの大樹の下に一と休みして、それから昌吉が尽力して午飯ひるめしの支度にかかりました。横田君はいろいろの準備をして来たとみえて、バスケットの中から湯沸ゆわかしを取出して、ここで湯を沸かして茶をこしらえるというわけです。朝から晴れた大空は藍色に高く澄んで、そよとの風もありません。梢の大きい枯葉が時どきに音もなしに落ちるばかりで、池の水は静かに淀んでいます。岸の一部には芦や芒が繁っているが、ほかに水草らしいものも見えず、どちらかといえば清らかな池です。これがいろいろの伝説を蔵している龍馬の池であるかと思うと、わたしは軽い失望を感じて、なんだか横田君にあざむかれているようにも思われました。
「水を汲んで来ます。」
 こう言って、昌吉は湯沸しを提げて行きました。池の北にある桜の大樹の下に清水の湧く所がある。その水がこの池に落ちるのだそうで、夏でも氷のように冷たいと、横田君は説明していました。
「さあ、茶の出来るあいだに、仕事をはじめますかな。」
 横田君は写真機を取出しました。わたしも機械を取出して、ふたりはいろいろの位置から四、五枚写しましたが、昌吉はなかなか帰って来ません。
「あいつ、何をしているのかな。」
 横田君は大きい声で彼の名を呼びましたが、返事がない。そのうちに気がつくと、かの湯沸しはバスケットの傍においてあって、中には綺麗な水が入れてありました。我れわれが写真に夢中になっているあいだに、昌吉はもう水を汲んで来たらしいのですが、さてその本人の姿が見えない。いつまで待ってもいられないので、横田君はそこらの枯枝や落葉を拾って来る。わたしも手伝って火を焚いて、湯を沸かす、茶を淹れる。こうして午飯を食い始めたのですが、昌吉はまだ帰らない。ふたりはだんだんに一種の不安をおぼえて、たがいに顔を見合せました。
「どうしたのでしょう。」
「どうしましたか。」
 早々に飯を食ってしまって、ふたりは昌吉のゆくえ捜索に取りかかりました。ふたりは池を一とまわりして、さらに近所の森や草原を駈けめぐりました。龍神の社の跡という草むらをも掻きわけて、およそ二時間ほども捜索をつづけたのですが、昌吉はどうしても見付かりません。横田君もわたしもがっかりして草の上に坐ってしまいました。
「もう仕様がありません。家へ帰って出直して来ましょう。」と、横田君は言いました。
 バスケットなどはそこにおいたままで、ふたりは早々に帰り支度をしました。日の暮れかかる頃に町へ戻って来てそのことを報告すると、店の人々もおどろいて、店の者や出入りの者や、近所の人なども一緒になって、二十人ほどが龍馬の池へ出てゆきました。横田君も先立ちになって再び出かけました。
「あなたはお疲れでしょうから、風呂へはいってゆっくりお休み下さい。」
 横田君はこう言いおいて出て行きましたが、とても寝られるわけのものではありません。私もおちつかない心持で捜索隊の帰るのを待ち暮らしていますと、夜なかになって横田君らは引揚げて来ました。
「昌吉はどうしても見つかりません。」
 その報告を聴かされて、私もいよいよがっかりしました。それと同時に、昌吉のゆくえ不明は、かの捨松とおなじような運命ではあるまいかとも考えられました。

 わたしはその翌日もここに滞在して、昌吉の行く末を見届けたいと思っていますと、きょうは警察や青年団も出張して、大がかりの捜索をつづけたのですが、少年のゆくえは結局不明に終りました。いつまでもここの厄介になってもいられないので、わたしは次の日に出発して、宇都宮に一日を暮らして、それから真っ直ぐに帰京しましたが、何分にも昌吉のことが気にかかるので、横田君に手紙を出してその後の模様を問いあわせると、二、三日の後に返事が来ました。その文句は大体こんなことでした。

前略、折角お立寄りくだされ候ところ、意外の椿事出来しゅったいのために種々御心配相掛け、なんとも申訳無御座候。昌吉のゆくえは遂に相分り申さず、さりとて家出するような子細も無之、唯々不思議と申すのほか無御座候。万一かの捨松の二代目にもやと龍馬の池の水中捜索をこころみ候えども、これも無効に終り申候。
ここにまた、不思議に存じられ候は、当日小生が撮影五枚のうち、一枚には少年のすがた朦朧とあらわれおり候ことに御座候。それは影のように薄く、もちろんはっきりと相分り兼ね候えども、それがどうも昌吉の姿らしくも思われ申候。
 貴下御撮影の分はいかが、現像の結果御しらせ下され候わば幸甚こうじんに存じ候。


 まずこんな意味であったので、わたしも取りあえず自分の撮影した分を現像してみましたが、どこにも人の影らしいものなどは見いだされませんでした。横田君の写真にはどういう影があらわれているのか、その実物を見ないのでよく判りません。





底本:「影を踏まれた女 岡本綺堂怪談集」光文社時代小説文庫、光文社
   1988(昭和63)年10月20日初版第1刷発行
初出:青蛙神「苦楽」1924(大正13)年12月
   利根の渡「苦楽」1925(大正14)年2月
   兄妹の魂、不詳
   猿の眼「苦楽」1925(大正14)年7月
   蛇精「苦楽」1925(大正14)年5月
   清水の井「写真報知」1924(大正13)年7月
   窯変「苦楽」1925(大正14)年6月
   蟹「苦楽」1925(大正14)年4月
   一本足の女「苦楽」1925(大正14)年3月
   黄いろい紙「苦楽」1925(大正14)年9月
   笛塚「苦楽」1925(大正14)年1月
   龍馬の池「苦楽」1925(大正14)年8月
※底本に見る「不便」と「不憫」はママとした。
入力:和井府清十郎
校正:原田頌子
2002年3月25日公開
2005年10月24日修正
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