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青蛙堂鬼談(せいあどうきだん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-27 9:48:57  点击:  切换到繁體中文


     二

 男は石見いわみ弥次右衛門という四国の武士であった。彼も喜兵衛とおなじように少年のころから好んで笛を吹いた。
 弥次右衛門が十九歳の春のゆうぐれである。彼は菩提寺に参詣して帰る途中、往来のすくない田圃たんぼなかにひとりの四国遍路の倒れているのを発見した。見すごしかねて立寄ると、彼は四十に近い男で、病苦に悩み苦しんでいるのであった。弥次右衛門は近所から清水を汲んで来て飲ませ、印籠いんろうにたくわえの薬を取出してふくませ、いろいろに介抱してやったが、男はますます苦しむばかりで、とうとうそこで息を引取ってしまった。
 彼は弥次右衛門の親切を非常に感謝して、見ず知らずのお武家さまが我れわれをこれほどにいたわってくだされた。その有難い御恩のほどは何ともお礼の申上げようがない。ついては甚だ失礼であるが、これはお礼のおしるしまでに差上げたいと言って、自分の腰から袋入りの笛をとり出して弥次右衛門にささげた。
「これは世にたぐいなき物でござる。しかし、くれぐれもこころして、わたくしのような終りを取らぬようになされませ。」
 彼は謎のような一句を残して死んだ。弥次右衛門はその生国しょうこくや姓名を訊いたが、彼はかぶりを振って答えなかった。これも何かの因縁であろうと思ったので、弥次右衛門はその亡骸なきがらの始末をして、自分の菩提寺に葬ってやった。
 身許不明の四国遍路が形見かたみにのこした笛は、まったく世にたぐい稀なる名管であった。かれがどうしてこんなものを持っていたのかと、弥次右衛門も頗る不審に思ったが、いずれにしても偶然の出来事から意外の宝を獲たのをよろこんで、彼はその笛を大切に秘蔵していると、それから半年ほど後のことである。弥次右衛門がきょうも菩提寺に参詣して、さきに四国遍路を発見した田圃なかに差しかかると、ひとりの旅すがたの若侍が彼を待ち受けているように立っていた。
「御貴殿は石見弥次右衛門殿でござるか。」と、若侍は近寄って声をかけた。
 左様でござると答えると、かれは更に進み寄って、噂にきけば御貴殿は先日このところにおいて四国遍路の病人を介抱して、その形見として袋入りの笛を受取られたということであるが、その四国遍路はそれがしの仇でござる。それがしは彼の首と彼の所持する笛とを取るために、はるばると尋ねてまいったのであるが、かたきの本人は既に病死したとあれば致し方がない、せめてはその笛だけでも所望いたしたいと存じて、先刻からここにお待ち受け申していたのでござると言った。
 藪から棒にこんなことを言いかけられて、弥次右衛門の方でも素直に渡すはずがない。彼は若侍にむかって、お身はいずこのいかなる御仁ごじんで、またいかなる子細でかの四国遍路をかたきと怨まれるか、それを承った上でなければ何とも御挨拶は出来ないと答えたが、相手はそれを詳しく説明しないで、なんでもかの笛を渡してくれと遮二無二しゃにむに彼に迫るのであった。
 こうなると弥次右衛門の方には、いよいよ疑いが起って、彼はこんなことを言いこしらえて大切の笛をかたり取ろうとするのではあるまいかとも思ったので、お身の素姓、かたき討の子細、それらが確かに判らないかぎりは、決してお渡し申すことは相成らぬと手強くはねつけると、相手の若侍は顔の色を変えた。
 この上はそれがしにも覚悟があると言って、かれは刀の柄に手をかけた。問答無益むやくとみて、弥次右衛門も身がまえした。それからふた言三言いい募った後、ふたつの刀が抜きあわされて、素姓の知れない若侍は血みどろになって弥次右衛門の眼のまえに倒れた。
「その笛は貴様に祟るぞ。」
 言い終って彼は死んだ。訳もわからずに相手を殺してしまって、弥次右衛門はしばらく夢のような心持であったが、取りあえずその次第を届け出ると、右の通りの事情であるから弥次右衛門に咎めはなく、相手は殺され損で落着らくちゃくした。彼に笛をゆずった四国遍路は何者であるか、のちの若侍は何者であるか、勿論それは判らなかった。
 相手を斬ったことはまずそれで落着したが、ここに一つの難儀が起った。というのは、この事件が藩中の評判となり、主君の耳にもきこえて、その笛というのを一度みせてくれと云う上意がくだったことである。単に御覧に入れるだけならば別に子細はないが、殿のお部屋さまは笛が好きで、あたいを問わずに良い品を買い入れていることを弥次右衛門はよく知っていた。迂闊にこの笛を差出すと、殿の御所望という口実で、お部屋さまの方へ取上げられてしまうおそれがある。さりとて仮りにも殿の上意とあるものを、家来の身として断るわけにはいかない。弥次右衛門もこれには当惑したが、どう考えてもその笛を手放すのが惜しかった。
 こうなると、ほかに仕様はない。年の若い彼はその笛をかかえて屋敷を出奔した。一管の笛に対する執着のために、彼は先祖伝来の家禄を捨てたのである。
 むかしと違って、そのころの諸大名はいずれも内証が逼迫ひっぱくしているので、新規召抱えなどということはめったにない。弥次右衛門はその笛をかかえて浪人するよりほかはなかった。彼は九州へ渡り、中国をさまよい、京大阪をながれ渡って、わが身の生計たつきを求めるうちに、病気にかかるやら、盗難に逢うやら、それからそれへと不運が引きつづいて、石見弥次右衛門という一廉ひとかどの侍がとうとう乞食の群に落ち果ててしまったのである。
 そのあいだに彼は大小までも手放したが、その笛だけは手放そうとしなかった。そうして、今やこの北国にさまよって来て、今夜の月に吹き楽しむその音色を、はからずも矢柄喜兵衛に聴き付けられたのであった。
 ここまで話して来て、弥次右衛門は溜息をついた。
「さきに四国遍路が申残した通り、この笛には何かの祟りがあるらしく思われます。むかしの持主は何者か存ぜぬが、手前の知っているだけでも、これを持っていた四国遍路は路ばたで死ぬ。これを取ろうとして来た旅の侍は手前に討たれて死ぬ。手前もまたこの笛のために、かような身の上と相成りました。それを思えば身の行く末もおそろしく、いっそこの笛を売放すか、折って捨てるか、二つに一つと覚悟したことも幾たびでござったが、むざむざと売放すも惜しく、折って捨つるはなおさら惜しく、身の禍いと知りつつも身を放さずに持っております。」
 喜兵衛も溜息をつかずには聴いていられなかった。むかしから刀についてはこんな奇怪な因縁話を聴かないでもないが、笛についてもこんな不思議があろうとは思わなかったのである。
 しかし年のわかい彼はすぐにそれを否定した。おそらくこの乞食の浪人は、自分にその笛を所望されるのを恐れて、わざと不思議そうな作り話をして聞かせたので、実際そんな事件があったのではあるまいと思った。
「いかに惜い物であろうとも、身の禍いと知りながら、それを手放さぬというのは判らぬ。」と、かれはなじるように言った。
「それは手前にも判りませぬ。」と、弥次右衛門は言った。「捨てようとしても捨てられぬ。それが身の禍いとも祟りともいうのでござろうか。手前もあしかけ十年、これには絶えず苦められております。」
「絶えず苦しめられる……。」
「それは余人にはお話のならぬこと。またお話し申しても、所詮しょせんまこととは思われますまい。」
 それぎりで弥次右衛門はだまってしまった。喜兵衛も黙っていた。ただ聞こえるのは虫の声ばかりである。河原を照らす月のひかりは霜をおいたように白かった。
「もう夜がふけました。」と、弥次右衛門はやがて空を仰ぎながら言った。
「もう夜がふけた。」
 喜兵衛も鸚鵡おうむがえしに言った。彼は気がついて起ちあがった。

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