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青蛙堂鬼談(せいあどうきだん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-27 9:48:57  点击:  切换到繁體中文


   窯変ようへん


     一

 第七の男は語る。

 明治三十七年八月二十九日の夕方である。僕はその当時、日露戦争の従軍新聞記者として満洲の戦地にあって、この日は午後三時ごろに楊家店ようかてんという小さい村に行き着いた。前方は遼陽攻撃戦の最中で、首山堡しゅざんぽうの高地はまだ陥らない。鉄砲の音は絶え間なしにひびいている。
 僕たちは毎晩つづいて野宿同様の苦をしのいで来たので、今夜は人家をたずねて休息することにして、二、三人あるいは四、五人ずつ別れ別れになって今夜のやどりを探してあるいた。楊家店は文字通りに柳の多い村である。その柳のあいだをくぐり抜けて、僕たち四人の一組は石の古井戸を前にした、相当に大きい家をみつけた。
 井戸のほとりには十八九ぐらいの若い男がバケツに綱を付けたのを繰りさげて、にない桶に水を汲みこんでいる。おまえはこの家の者かと、僕たちはおぼつかない支那語できくと、彼は恐れるようにかぶりをふった。ここのうちの姓はなんというかと重ねて訊くと、彼はそこらに落ちている木の枝を拾って土の上に徐という字を書いてみせた。そうして、日本の大人たいじんらはそこへ何の用事でゆくのかときかえした。
 今夜はここの家に泊めてもらうつもりであると僕たちが答えると、彼は再び頭をふり、手を振って、それはいけないというらしいのである。しかし僕たちは支那語によく通じていない上に、相手は満洲なまりが強いと来ているので、その言うことがはっきりと判らない。彼は何か我れわれをおどすような表情や手真似をして、そこへ泊るのは止せというらしいのであるが、その意味がどうも十分に呑み込めないので、僕たちもれ出した。
「まあ、いい。なんでも構わないから、内へはいって交渉して見よう。」
 気の早い三人は先に立って門内にはいり込んだ。僕も続いてはいろうとすると、かの男は僕の腰につけている雑嚢ざつのうをつかんで、なにか口早に同じようなことを繰返すのである。僕は無言でその手を振払って去った。
 門はあいたが、内には人のいるらしい様子もみえない。四人は声をそろえて呼んだが、誰も答える者はなかった。
「あき家かしら。」
 四人は顔をみあわせて、さらにあたりを見廻すと、門をはいった右側に小さい一棟の建物がある。正面の奥にも立木のあいだに母屋おもやらしい大きい建物がみえる。ともかくも近いところにある小さい建物のとびらを押して見ると、これもすぐにあいたが、内には人の影もなかった。
 僕たちはもう疲れ切っているので、なにしろここで休もうということになって、破れたアンペラを敷いてあるゆかの上に腰をかけた。腹はすいているが、食いものはない。せめては水でも飲もうと、四人は肩にかけている水筒をとって飲みはじめたが、午飯ひるめしのときの飲み残りぐらいでは足りないので、僕は門前の井戸へ汲みに出ると、かの男はまだそこの柳の下に立っていた。
 僕が水をくれと言うと、彼は快くバケツの水を水筒に入れてくれたが、やはり何か口早にささやくのである。それが僕にはどうしても呑み込めないので、彼も焦れて来たらしく、再び木の枝を取って、「家有妖」と土に書いた。それで僕にも大抵は想像が付いた。僕は「鬼」という字を土に書いて見せると、それは知らない。しかしあの家には妖があると彼は答えた。この場合、鬼と妖とはどう違うのか判らなかったが、この家はなにか一種の化物屋敷とでもいうものであるらしいことだけはまず判った。要するに、あの家には妖があるから、うかつに入り込むのはよせというのである。僕は彼に礼をいって別れた。
 引っ返してみると、僕の出たあとへ一人の老人が来て、しずかに他の人たちと話していた。四人のうちでは比較的支那語をよくするT君がその通訳にあたっていて、僕たちに説明してくれた。
「この老人はこの家に三十年も奉公している男で、ほかにも四、五人の奉公人がいるそうだ。このあいだから眼のまえで戦争がはじまっているので、家内の者はみな奥にかくれている。したがって、別段おかまい申すことは出来ないが、茶と砂糖はある。裏の畑に野菜がある。泊りたければここへ自由にお泊りなさいと、ひどく親切に言ってくれるのだ。泊めてもらおうじゃないか。」
「もちろんだ。多謝トーシェー多謝トーシェー。」と、僕たちは口をそろえてかの老人に感謝した。
 老人は笑いながら立去った。あとでT君は畑にどんなものがあるか見て来ようと言って出たが、やがて五、六本の見事な唐もろこしをかかえ込んで来た。それはいいものがあると喜んで、M君がまた駈け出して取りに行った。家の土間には土竈どべっついが築いてあるので、僕たちはそのかまどの下に高粱コウリャンの枯枝を焚いて唐もろこしをあぶった。めいめいの雑嚢の中には食塩を用意していたので、それを唐もろこしに振りかけて食うと、さすがは本場だけに、その旨い味は日本の唐もろこしのたぐいでない。
 僕たちは代るがわるに畑からそれを取って来てむさぼり食らっていると、かの老人は十五六の少年に湯わかしを持たせて、自分は紙につつんだ砂糖と茶を持って来てくれたので、僕たちは再び多謝トーシェーをくり返して、すぐに茶をこしらえる支度をして、その茶に砂糖を入れてがぶがぶと飲みはじめた。唐もろこしを腹いっぱいに食い、さらにあたたかい茶を飲んで、大いに元気を回復したのを、老人はにこにこしながら眺めていたが、やがてT君にむかって小声で言い出した。この一行のうちに薬を持っている人はないかというのである。
 実は主人夫婦のあいだにことし十七になる娘があって、それが先頃から病気にかかっている。ここらでは遼陽の城内まで薬を買いに行かなければならないのであるが、この頃は戦争のために城内と城外との交通が絶えてしまったので、薬を求める法がない。日本の大人たいじんらのうちに、もし薬を持っている人があるならば、どうかお恵みにあずかりたいと彼は懇願するように言った。
 彼が我れわれに厚意を見せたのは、そういう下ごころがあったためであることが判ってみると、我れわれの感謝も幾分か割引をしなければならないことになるが、その事情をきけば全く気の毒でもある。由来、ここらの人は日本人をみな医者か薬屋とでも心得ているのか、僕たちの顔を見ると、とかくに病気を診察してくれとか、薬をくれとか言う。今までにもその例はたびたびあるので、この老人の無心も別にめずらしいとは思わなかったが、病人の容体をよく聴かないで無暗に薬をやることは困る。現に海城の宿舎にいたときにも、胃腸病の患者に眼薬の※(「金+奇」、第3水準1-93-23)せいきすいをやって、あとでそれに気がついて、大いに狼狽して取戻したことがある。その失敗にかんがみて、その後は確かにその病人を見届けない限りは、うかつに薬をあたえない事にしていた。
 T君はその事情を彼に話して、ともかくもその病人に一度逢わせてもらいたいと言うと、老人はすこぶる難儀らしい顔をして、しばらく思いわずらっているらしかったが、こっちの言い分にも無理はないので、それでは主人とも一応相談してみようということになって、彼は他の少年と一緒に奥へ引っ返して行った。
 僕たちはもちろん医者ではないが、それでもでたらめに薬をやるよりは、一応その本人の様子を見て、親しくその容体をきいた上で、それに相当しそうな薬をあたえた方が安全である。殊にその当時は僕たちもまだ若かったから、その病人が十七の娘であるというので、どんな女か見てやりたいというような一種の興味も伴っていたのであった。
「どんな女だろう。まだ若いんだぜ。」
「一体なんの病気だろう。」
「婦人病だと困るぜ。そんな薬は誰も用意して来なかったからな。」
「悪くすると肺病だぜ。支那ではろうとかいうのだそうだ。」
 そんな噂をしているうちに、僕はかの「家有妖」の一件を思い出した。
「門の前の井戸で水を汲んでいた男……あの男の話によると、ここのうちには化物が出るからなにかの祟りがあるか、なにしろ怪しい家らしいぜ。あの男は家有妖と書いて見せたよ。」
「むむう。」と、ほかの三人も首をかしげた。
「それじゃあ、その娘というのも何かに取憑とりつかれてでもいるのかも知れないな。」とT君は言った。
「そうなると、我れわれの薬じゃあ療治は届かないぞ。」とM君は笑い出した。
 僕たちも一緒に笑った。ふだんならばともかくも、いわゆる砲煙弾雨ほうえんだんうのあいだをくぐって、まかり間違えば砲弾のお見舞を受けないとも限らない現在の我れわれに取っては、家に妖ありぐらいは余り問題にならないのであった。
「それにしても、娘は遅いな。」
「支那の女はめったに外人に顔をみせないというから、出て来るのを渋っているのかも知れない。」
「ことに相手が我れわれでは、いよいよ渋っているのだろう。」
 前面には砲声が絶えずとどろいているが、この頃の僕たちはもうそれに馴れ切ってしまったので、重砲のひびきも曳光弾えいこうだんのひかりも、さのみに我れわれの神経を刺戟しなくなった。僕たちはそこらに行儀わるく寝ころんで、しきりに娘の噂をしているあいだに、きょうの日ももう暮れかかって、秋の早い満洲のゆうべは薄ら寒くなって来たので、土間の隅に積んである高梁コウリャンを折りくべて、僕たちは霜を恐れるきりぎりすのようにかまどの前にあつまった。

     二

「敵もいい加減にしないかな。早く遼陽へ行ってみたいものだ。」
 むすめの噂も飽きて来て、さらにいつもの戦争のうわさに移ったときに、足音をぬすむようにしてかの老人が再びここへ姿をあらわして、主人の娘を今ここへ連れて来るから何分よろしくおねがい申すと言った。それを聴いて、僕たちは待ちかねたようにちあがって、老人のあとに付いて門口かどぐちに出ると、外はもう暗くなって、大きい柳の葉のゆるくなびいている影が星あかりの下に薄白く見えるばかりであった。そこらではこおろぎのむせぶ声もきこえた。
 やがて奥の木立ちの間に一つの燈籠のがぼんやりと浮き出した。それはここらでしばしば見る画燈がとうである。僕はにわかに剪燈新話せんとうしんわの牡丹燈記を思い出した。あわせて円朝の牡丹燈籠を思い出した。そうして、その灯をたずさえて来るのが美しい幽霊のような女であることを想像して、一種の幽怪凄絶の気分に誘い出された。灯がだんだんに近寄って来ると、それに照らし出された影はひとつではなかった。問題の娘らしい若い女は老女にたすけられて、そのそばににはまたひとりの若い女が画燈をさげて附添っていたが、いずれもぬいの靴をはいているとみえて、もう夜露のおりているらしい土の上を音もなしに歩いて来た。
 老女はむすめの母ではない。画燈をさげた若い女と共にこの家の召使であるらしいことは、その風俗を見てすぐ覚られたので、僕たちはかれらふたりを問題にはしないで、一斉に注意の眼をまん中の娘にあつめると、娘は十七というにしては頗るおとなびていた。痩せてはいるが背も高い方で、うす桃色地に萌葱もえぎのふちを取った絹の着物を着て、片手を老女にひかれながら、片手の袖は顔半分をうずめるようおおっていた。その袖のあいだからかなり強い咳の声が時どき洩れた。
 画燈に照らされた三つの影がひと株の柳の下にとどまると、かの老人は静かに近寄って老女に何事かをささやいた。老女は彼の妻であるらしい。老人はさらに僕たちに向って、病人の娘が来ましたから、御診察をねがいたいと丁寧に言った。さあ、こうなると四人のうちで誰が進んで病人を診察するかと、僕たちも今更すこしく躊躇したが、なんといってもT君が比較的に支那語に通じているのであるから、これがお医者さまになるよりほかはない。T君も覚悟して進み出て、いよいよ病人の脈を取ることになった。T君は病人の顔を見せろと言うと、老人はあたかもそれを通訳するように老女にささやいて、青い袖の影に隠されている娘の顔を画燈の下にさらさせた。その娘は僕がひそかに想像していた通り、色の蒼白い、まったく幽霊のような美しい女であった。剪燈新話の女鬼――それが再び僕の頭にひらめいた。
 T君は娘の顔をながめ、脈を取り、さらに体温器でその熱度をはかった。そのあいだにも娘は時どきに血を吐きそうな強い咳をして、老女に介抱されていた。T君は僕たちを見返って小声で言った。
「君。どうしても肺病だね。」
「むむ。」と、僕たちは一度にうなずいた。かれが呼吸器病の患者であることは、我れわれの素人眼にも殆んど疑うの余地がなかった。
「熱は八度七分ぐらいある。」と、T君はさらに説明した。「軍医部が近いところにあれば、その容体をいって薬を貰って来てやるのだが、今はどうすることも出来ない。まあ気休めに解熱剤げねつざいでもあたえておこうか。」
「まあ、そんなことだな。」と、僕も言った。
 T君は雑嚢から解熱剤の白い粉薬こなぐすりを出して、その用法を説明してあたえると、老人は地にひざまずいて押し戴いた。それをみていて、僕はひどく気の毒になった。満洲の土人は薬をめったに飲んだことがないので、日本人にくらべると非常に薬の効目ききめがある。現に宝丹をのんで肺炎が癒ったなどという話もきいた。しかしこの娘の病気――殊にこの年頃でこの病気――それが普通の解熱剤ぐらいで救われようとは、とても想像の許さないところである。いっ時の気休めに過ぎない解熱剤の二日分や三日分を貰って、素人しろうと医者の前にひざまずいて拝謝する老人――彼は恐らくこの家の忠僕であろう。――その姿を見るに堪えないようないたましい心持になって、僕はおもわず顔をそむけた。
「夜風に長く吹かれない方がいい。」
 T君から注意されて、娘たちはうやうやしく黙礼して引っ返して行った。女三人は、初めから一度も口を利かなかったが、画燈のかげが遠く微かに消えて行くあいだに、娘の咳の声ばかりは時どきにひびいた。それを見送って、老人も僕たちに敬礼して立去った。
「可哀そうだな。あの娘も長くは生きられないぜ。」
 今までは、どんな娘だろうなどと一種の興味をもって待ち受けていたのであるが、さてその本人の悼ましい姿をみせられると、僕たちももう笑ってはいられなくなった。四人は顔を見合せて一度に溜息をついた。竈の下の高梁もたいてい燃え尽してしまったので、再びそれを折りくべていると、門の外で何か笑う声がきこえて、ここへはいって来る足音がひびいたので、誰が来たのかと表をのぞいて見ると、ひとりの男が戸の外に立っていた。
「従軍記者諸君はおいでですか。」
「はあ。」と、僕は答えた。「わたしです。」
 それが通訳のS君であることを知って、僕たちは愛想よく迎えた。
「Sさんですか。どうぞおはいりください。」
 S君は会釈えしゃくして竈の前に来た。S君は軍隊付の支那通訳であるが、ふだんから非常にまじめな人で、且は親切にいろいろの通信材料を我れわれに提供してくれるので、我れわれ従軍記者のあいだにも尊敬されていた。今夜は何かの徴発のためにこの村へ来たところが、ある支那人から妙な話をきいたので、ここには一体誰が泊っているのかと見届けに来たというのである。
「ある家の若い支那人が、今夜この村の徐という家に泊った日本人がある。わたしが注意したけれども、かないではいってしまったと言うのです。それはどんな人たちだと訊くと、新聞とかいた白いきれを腕にまいていたと言う。それでは従軍記者諸君に違いないが、いったい誰々だろうかと思って、ちょっとその顔ぶれを見に来たのですよ。」と、S君はまじめな顔に微笑を漂わせながら言った。
「若い支那人が……。」と、僕はすぐに思い出した。「では、家に妖ありと言うのじゃありませんか。」
「そうです。」と、S君はうなずいた。「支那人はしきりに止めたそうですが……。」
「止めたには止めたが、家に妖ありだけでは訳が判らないので、僕たちも取合わなかったのですが、その妖というのはどんな訳なのですかね。」と、僕は訊いた。
「では、その子細は御承知ないのですね。」
「彼はしきりにしゃべるのですが、僕たちは支那語が不十分の上に、相手は満洲なまりが強いと来ているので、なにを言っているのか一向わからないのです。要するに、ここの家には何か怪しいことがあるから泊るなと言うらしいのですが……。」
「そうです、そうです。」と、S君がまたうなずいた。「実はわたしも家に妖ありだけでは、なんのことだかよく判らなかったのです。それに、あなたの言う通り、あの若い支那人は訛りが強くて、わたしにもはっきりとは聴き取れなかったのですが、幸いにその祖父だという老人がいて、それがよく話してくれたので、その妖の子細が初めて判ったのです。」
 如才じょさいのないT君が茶をこしらえて出すと、S君は、「やあ、御馳走さまです。」と喜んで飲んだ。実際、砂糖を入れた一杯の茶でも、戦地ではたいへんな御馳走である。S君はその茶をすすり終えて例のまじめな口調で「家有妖」の由来を説きはじめた。
 夜になっても戦闘は継続しているらしい。天をつんざくような砲弾の音と、豆を煎るような小銃弾のひびきが、前方には遠く近くきこえている。それをよそにして、S君はこの暗い家のなかで妖を説くのである。我れわれ四人も彼を取巻いて、高梁の火の前でその怪談に耳をかたむけた。

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