蜘蛛の夢 |
光文社文庫、光文社 |
1990(平成2)年4月20日 |
1990(平成2)年4月20日初版1刷 |
1990(平成2)年4月20日初版1刷 |
一
I君は語る。
秋の雨のそぼ降る日である。わたしはK君と、シナの杭州、かの西湖のほとりの楼外楼という飯館で、シナのひる飯を食い、シナの酒を飲んだ。のちに芥川龍之介氏の「支那游記」をよむと、同氏もここに画舫をつないで、槐の梧桐の下で西湖の水をながめながら、同じ飯館の老酒をすすり、生姜煮の鯉を食ったとしるされている。芥川氏の来たのは晩春の候で、槐や柳の青々した風景を叙してあるが、わたしがここに立寄ったのは、秋もようやく老いんとする頃で、梧桐はもちろん、槐にも柳にも物悲しい揺落の影を宿していた。
わたし達も好きで雨の日を択んだわけではなかったが、ゆうべは杭州の旅館に泊って、きょうは西湖を遊覧する予定になっていたのであるから、空模様のすこし怪しいのを覚悟の上で、いわゆる画舫なるものに乗って出ると、果して細かい雨がほろほろと降りかかって来た。水を渡ってくる秋風も薄ら寒い。型のごとくに蘇小小の墳、岳王の墓、それからそれへと見物ながらに参詣して、かの楼外楼の下に画舫をつないだ頃には、空はいよいよ陰って来た。さして強くも降らないが、雨はしとしとと降りしきっている。漢詩人ならば秋雨蕭々とか何とか歌うべきところであろうが、我れわれ俗物は寒い方が身にしみて、早く酒でも飲むか、温かい物でも食うかしなければ凌がれないというので、船を出ると早々にかの飯館に飛込んでしまったのである。
酒をのみ、肉を食って、やや落ちついた時にK君はおもむろに言い出した。
「君は上海で芝居をたびたび観たろうね。」
わたしが芝居好きであることを知っているので、K君はこう言ったのである。私はすぐにうなずいた。
「観たよ。シナの芝居も最初はすこし勝手違いのようだが、たびたび観ていると自然におもしろくなるよ。」
「それは結構だ。僕は退屈しのぎに行ってみようかと思うこともあるが、最初の二、三度で懲りてしまったせいか、どうも足が進まない。」
彼はシナの芝居ばかりでなく、日本の芝居にも趣味をもっていない男であるから、それも無理はないと私は思った。趣味の違った人間を相手にしてシナの芝居を語るのは無益であると思ったので、わたしはその問答を好い加減にして、さらに他の話題に移ろうとすると、きょうのK君は不思議にいつまでも芝居の話を繰返していた。
「日本でも地方の芝居小屋には怪談が往々伝えられるものだ。どこの小屋ではなんの狂言を上演するのは禁物で、それを上演すると何かの不思議があるとか、どこの小屋の楽屋には誰かの幽霊が出るとか、いろいろの怪しい伝説があるものだが、シナは怪談の本場だけに、田舎の劇場などにはやはりこのたぐいの怪談がたくさんあるらしいよ。」
「そうだろうな。」
「そのなかにこんな話がある。」と、K君は語り始めた。「前清の乾隆年間のことだそうだ。広東の三水県の県署のまえに劇場がある。そこである日、包孝粛の芝居を上演した。包孝粛は宋時代の名判官で、日本でいえば大岡さまというところだ。その包孝粛が大岡捌きのような段取りで、今や舞台に登って裁判を始めようとすると、ひとりの男が忽然と彼の前にあらわれたと思いたまえ。その男は髪をふりみだし、顔に血を染めて、舞台の上にうずくまって、何か訴えるところがあるらしく見えた。しかし狂言の筋からいうと、そんな人物がそこへ登場する筈はないから、包孝粛に扮している俳優は不思議に思ってよく見ると、それは一座の俳優が仮装したのではなくして、どうも本物らしいのだ。」
「本物……幽霊か。」と、わたしは訊いた。
「そうだ。どうも幽霊らしいのだ。それが判ると、包孝粛も何もあったものじゃない。その俳優はあっと驚いて逃げ出してしまった。観客の眼には何も見えないのだが、唯ならぬ舞台の様子におどろかされて、これも一緒に騒ぎ出した。その騒動があたりにきこえて、県署から役人が出張して取調べると、右の一件だ。しかしその幽霊らしい者の姿はもう見えない。役人は引っ返してそれから県令に報告すると、県令はその俳優を呼出して更に取調べた上で、お前はもう一度、包孝粛の扮装をして舞台に出てみろ、そうして、その幽霊のようなものが再び現れたらば、ここの役所へ連れて来いと命令した。」
「幽霊を連れて来いは、無理だね。」
「もちろん無理だが、そこがシナのお役人だ。」と、K君は笑った。「俳優も困ったらしい顔をしたが、お役人の命令に背くわけにはいかないから、ともかくも承知して帰って、再び包孝粛の芝居をはじめると、幽霊はまた出て来た。そこで俳優は怖ごわながら言い聞かせた。おれは包孝粛の姿をしているが、これは芝居で、ほんとうの人物ではない。おまえは何か訴えることがあるなら、役所へ出て申立てるがよかろう。行きたくばおれが案内してやると言うと、その幽霊はうなずいて一緒について来た。そこで、県署へ行って堂に登ると、県令はどうしたと訊く。あの通り召連れてまいりましたと堂下を指さしたが、県令の眼にはなんにも見えない。県令は大きい声で、おまえは何者かと訊いたが、返事もきこえない。眼にもみえず、耳にもきこえないのであるから、県令は疑った。彼は俳優にむかって、貴様は役人をあざむくのか、その幽霊はどこにいるのかと詰問する。いや、そこにおりますと言っても、県令には見えない。俳優もこれには困って、なんとか返事をしてくれと幽霊に催促すると、幽霊はやはり返事をしない。しかし彼は俄かに立上がって、俳優を招きながら門外へ出て行くらしいので、俳優はそれを県令に申立てると、県令は下役ふたりに命じてその跡を追わせた。幽霊のすがたは俳優の眼にみえるばかりで、余人には見えないのであるから、俳優は案内者として先に立って行くと、幽霊は町を離れて野道にさしかかる。そうして、およそ数里、日本の約一里も行ったかと思うと、やがて広い野原に行き着いて、ひとつの大きい塚の前で姿は消えた。その塚は村で有名な王家の母の墓所であることを確かめて、三人は引っ返して来た。」
「幽霊は男だね。」と、わたしはまた訊いた。「男の幽霊が女の墓にはいったというわけだね。」
「それだから少しおかしい。県令はすぐに王家の主人を呼出して取調べたが、なんにも心当りはないと答えたので、本人立会いの上でその墓を発掘してみると、土の下から果して一人の男の死体があらわれて、顔色生けるが如くにみえたので、県令はさてこそという気色でいよいよ厳重に吟味したが、王はなかなか服罪しない。自分は決して他人の死骸などを埋めた覚えはない。自分の家は人に知られた旧家であるから、母の葬式には数百人が会葬している。その大勢のみる前で母の柩に土をかけたのであるから、他人の死骸なぞを一緒に埋めれば、誰かの口から世間に洩れる筈である。まだお疑いがあるならば、近所の者をいちいちお調べくださいというのだ。」
「しかしその葬式が済んだあとで、誰かがまたその死骸を埋めたかも知れないじゃないか。」
「そこだ。」と、K君はうなずいた。「シナの役人だって、君の考えるくらいの事は考えるよ。県令もそこに気がついたから、さらに王にむかって、おまえは墓の土盛りの全部済むのを見届けて帰ったかと訊問すると、母の柩を納めて、その上に土をかけるまでを見届けて帰ったが、塚全体を盛りあげるのは土工に任せて、その夜のうちに仕上げたのであると答えた。シナの塚は大きく築き上げるのであるから、柩に土をかけるのを見届けて帰るのがまず普通で、王の仕方に手落ちはなかったが、そうなると更に土工を吟味しなければならない。県令はその当時埋葬に従事した土工らを大勢よび出してみると、いずれも相貌兇悪の徒ばかりだ。かれらの顔をいちいち睨みまわして、県令は大きい声で、貴様たちはけしからん奴らだ、人殺しをしてその儘に済むと思うか、証拠は歴然、隠しても隠しおおせる筈はないぞ、さあまっすぐに白状しろと頭から叱り付けると、土工らは蒼くなってふるえ出した。そうして、相手のいう通り、まっすぐに白状に及んだ。その白状によると、かれらは徹夜で王家の塚の土盛りをしていたところへ、ひとりの旅びとが来かかって松明の火を貸してくれといった。見ると、彼は重そうに銀嚢を背負っているので、土工らは忽ちに悪心を起して、不意に鉄の鋤をふりあげて、かの旅びとをぶち殺してしまって、その銀を山分けにした。死体は王家の柩の上に埋めて、またその上に土を盛り上げたので、爾来数年のあいだ、誰も知らなかったというわけだ。」
「すると、幽霊はその旅びとだね。」と、わたしは言った。「しかし幽霊になって訴えるくらいなら、なぜ早く訴えなかったのだろう。そうしてまた、舞台の上に現れるにも及ぶまいじゃないか。」
「そこにはまた、理屈がある。土工らは旅びとを殺して、その死体の始末をするときに、こうして置けば誰も覚る気づかいはない。包孝粛のような偉い人が再び世に出たら知らず、さもなければとても裁判は出来まいといって、みんなが大きい声で笑ったそうだ。それを旅びとの幽霊というのか、魂というのか、ともかくも旅びとの死体が聴いていて、今度ここの劇場で包孝粛の芝居を上演したのを機会に、その名判官の前に姿を現したのだろうというのだ。土工らも余計なことをしゃべったばかりに、みごと幽霊に復讐されたわけさ。シナにはこんな怪談は幾らもあるが、包孝粛は遠いむかしの人だからどうすることも出来ない。そこで幽霊がそれに扮する俳優の前に現れたというのはちょっと面白いじゃないか。いや、話はこれからだんだんに面白くなるのだ。」
K君は茶をすすりながらにやにや笑っていた。雨はいよいよ本降りになったらしく、岸の柳が枯れかかった葉を音もなしに振るい落しているのもわびしかった。
二
わたしは黙って茶をすすっていた。しかし今のK君の最後のことばが少し判らなかった。包孝粛の舞台における怪談はもうそれで解決したらしく思われるのに、彼はこれから面白くなるのだという。それがどうも判らないので、わたしは表をながめていた眼をK君の方へむけて、更にそのあとを催促するように訊いた。
「そうすると、その話は済まないのかね。何かまだ後談があるのかね。」
「大いにあるよ。後談がなければ詰まらないじゃないか。」と、K君は得意らしくまた笑った。「今の話はここへ来たので思い出したのさ。その後談はこの西湖のほとりが舞台になるのだから、そのつもりで聴いてくれたまえ。その包孝粛に扮した俳優は李香とかいうのだそうで、以前は関羽の芝居を売物にして各地を巡業していたのだが、近ごろは主として包孝粛の芝居を演じるようになった。そうして広東の三水県へ来て、ここでも包孝粛の芝居を興行していると、前にいったような怪奇の事件が舞台の上に出来して、王家の塚を発掘することになったのだ。土工の連累者は十八人というのであるが、何分にも数年前のことだから、そのうちの四人はどこかへ流れ渡ってしまって行くえが判らない。残っている十四人はみな逮捕されて重い処刑が行われたのはいうまでもない。たとい幽霊の訴えがあったにもせよ、こうして隠れたる重罪犯を摘発し得たのは、李香の包孝粛によるのだからというので、県令からも幾らかの褒美が出た。王の家でも自分の墓所に他人の死体が合葬されているのを発見することが出来たのは、やはり李香のおかげであるといって、彼に相当の謝礼を贈った。県令の褒美はもちろん形ばかりの物であったが、王家は富豪であるからかなりの贈り物があったらしい。」
「こうなると、幽霊もありがたいね。」
「まったくありがたい。おまけにそれが評判になって、包孝粛の芝居は大入りというのだから、李香は実に大当りさ。李香の包孝粛がその人物を写し得て、いかにも真に迫ればこそ、冤鬼も訴えに来たのだろうということになると、彼の技芸にも箔が付くわけで、万事が好都合、李香にとっては幽霊さまさまと拝み奉ってもよいくらいだ。彼はここで一ヵ月ほども包孝粛を打ちつづけて、懐ろをすっかり膨らせて立去った――と、ここまでの事しか土地の者も知らないらしく、今でもその噂が炉畔の夜話に残っているそうだが、さてその後談だ。それから李香はやはり包孝粛を売物にして、各地を巡業してあるくと、広東の一件がそれからそれへと伝わって――もちろん、本人も大いに宣伝したに相違ないが、到るところ大評判で興行成績も頗るいい。今までは余り名の売れていない一個の旅役者に過ぎなかった彼が、その名声も俄かにあがって、李香が包孝粛を出しさえすれば大入りはきっと受合いということになったのだから偉いものさ。こうして三、四年を送るあいだに、彼は少からぬ財産をこしらえてしまった。なにしろ金はある。人気はある。かれは飛ぶ鳥も落しそうな勢いでこの杭州へ乗込んで来ると、ここの芝居もすばらしい景気だ。しかし、人間はあまりトントン拍子にいくと、とかくに魔がさすもので、李香はこの杭州にいるあいだに不思議な死に方をしてしまった。」
「李香は死んだのか。」
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