五
その頃の大音寺まえは人の家もまばらであった。枯れ田を渡る夜の風は茅(かや)屋根の軒を時どきにざらざら[#「ざらざら」に傍点]なでて通って、水谷(みずのや)の屋敷の大池では雁(がん)の声が寒そうにきこえた。
栄之丞が堀田原から帰った時には冬の日はもう暮れていた。妹のお光(みつ)の給仕で夕飯を食ってしまうと、高い空には青ざめた冷たい星が二つ三つ光って、ここらの武家屋敷も寺も百姓家も、みんな冬の夜の暗闇(くらやみ)の底に沈んでしまった。遠い百姓家に火の影がちらちら[#「ちらちら」に傍点]と揺らいで、餅を搗(つ)く音が微かに調子を取って響くほかには、ここらに春を待っている人もありそうにも思われない程に、ひっそりと静まり返っていた。栄之丞の兄妹(きょうだい)も春を待っている人ではなかった。
「今も言うような訳だが、どうだ、その家(うち)へ奉公に行って見ては……」と、栄之丞はうす暗い行燈の下にうつ向いている妹に優しく言った。
彼が堀田原の知りびとをきょう訪ねたのも、その用向きであった。妹のお光ももう明ければ十八になる。年頃の娘を浪々の兄の手もとにおいて、世帯(しょたい)やつれをさせるのも可哀そうだと思って、彼は妹のために然るべき奉公口を探していた。なるべく武家奉公をと望んでいたのであるが、どうも思わしい口が見つからなかった。しかし町家ならば相当の口があると、その人が親切に言ってくれた。町人といっても、人形町(にんぎょうちょう)の三河屋という大きい金物問屋で、そこのお内儀(かみ)さんがとかく病身のために橋場(はしば)の寮に出養生をしている。台所働きの下女はあるが、ほかに手廻りの用を達(た)してくれる小間使いのような若い女がほしい。年頃は十七、八で、あまり育ちの悪くない、行儀のよい、おとなしい娘がほしいというのである。別に忙がしいというほどの用もない、給金はまず一年一両二分と決めておいて、当人の辛抱次第で着物の移り替えその他の面倒も見てやる。もし長年(ちょうねん)するようならば、嫁入りの世話までしてやってもいいというので、まず結構な奉公口である。そこへ妹をやってはどうだと勧められて、栄之丞も考えた。
浪々しても宝生なにがしの妹を町家の奉公には出したくない。たとい小身(しょうしん)でも陪臣(ばいしん)でも、武家に奉公させたいと念じていたのであるが、それも時節で仕方がない、なまじいに選り好みをしているうちに、だんだんに年が長(た)けてしまっても困る。何もこれが嫁にやるという訳でもない、長くて二年か三年の奉公である。こういう奉公口を取りはずして後悔するよりも、いっそ思い切ってやった方がよかろうと決心して、何分よろしく頼むと挨拶して帰って来た。
帰ってゆっくりとその話をすると、お光にも別に故障はなかった。
「兄(にい)さまさえ御承知ならば、わたくしは何処へでもまいります」
すなおな妹の返事を聞くと、栄之丞も何だかいじらしいような暗い心持ちになった。自分がまじめに家(いえ)の芸を継いでいれば、家には相当の禄も付いている。貧乏しても奉公人の一人ぐらいは使っていられるのに、今はその妹が却って町人の家へ奉公に行く。妹にはなんの罪もない。悪い兄をもったのが禍いである。結構な口を見付けたといいながらも、兄の心はやっぱり寂しかった。
「わたくしが居なくなりますと、兄さまおひとりではさぞ御不自由でございましょう」と、お光も寂しそうに言った。
「いや、こっちはわたしひとりでもどうにかなる。結構な主人といったところで、どうで奉公、楽なわけにも行くまい。まあ辛抱しろ」
「それで、いつから参るのでございます」
「さあ、いつと決めて来たわけでもないが、むこうも歳暮(くれ)から正月にかけて人出入りも多かろうし、なるべく一日も早いがいいだろう。お前の支度さえよければ、あしたにでも目見得(めみえ)に連れて行こう」
お光はもう一日待ってくれと言った。目見得に行くといっても碌な着物も持っていない。いま縫いかけている春着はあしたでなければ仕立てあがらないから、どうかあさってに延ばしてもらいたいと言った。栄之丞も承知した。約束さえ決めて置けば一日ぐらいはどうでも構わないと言った。それにしても気が急(せ)くので、お光は夜業(よなべ)で裁縫に取りかかった。
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――心弱しや白真弓(しらまゆみ)、ゆん手にあるは我が子ぞと、思い切りつつ親心の、闇打ちにうつつなき、わが子を夢となしにけり――
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栄之丞は柱に倚(よ)りかかって、小声で仲光(なかみつ)を謡っていた。寒そうな風が吹いて通った。堤へ急ぐらしい駕籠屋の掛け声がきこえた。うす暗い行燈の片明かりをたよりとして、お光はしきりに針を急がせていた。
今の栄之丞には妹に春着を買ってやるような余裕はなかった。お光がいま縫っているのは、先月の末に八橋から送ってよこしたものであった。八橋はお光も識っていた。栄之丞の妹といえば自分の妹も同様であるというので、彼女は今までにもお光にいろいろの物を送ってくれた。くるわの年季があければ八橋は自分の姉になるものとお光も思っていた。粗末ではあるが春着にでもと送ってくれた一反(いったん)の山繭(やままゆ)が、丁度お目見得の晴着となったのであった。いくら奉公でも若い女が着のみ着のままでは目見得にも行かれない。これもみんな八橋のお庇(かげ)であると、お光は今更のように有難がっていた。
それが今の栄之丞には心苦しく思われてならなかった。彼は八橋と縁を切りたいと思っていた。この夏の初めに八橋から使いが来て、少し用があるから是れから直ぐに来てくれとのことであった。
昼の九つ(十二時)過ぎで、栄之丞は夏の日を編笠によけながら出て行くと、八橋の座敷には次郎左衛門が流連(いつづけ)をしていた。彼女は栄之丞にささやいて、次郎左衛門には自分の従弟(いとこ)であるように話してあるから、お前はそのつもりで逢ってくれ。きっと幾らかの金をくれるに相違ないと言った。栄之丞は面白くなかった。いやだと振り切って帰ろうとするのを、八橋はしきりに止めた。彼は渋々ながら次郎左衛門に引き合わされて、八橋が注文通りの嘘をついてしまった。相手は別に疑うような顔を見せないで、近づきのしるしにといって百両の金を惜し気もなしにくれたが、栄之丞は恐ろしくて手が出せなかった。いくら自堕落に身を持ち崩しても、彼は決して腹からの悪人ではなかった。八橋が思うように、ひとを欺(だま)して平気ではいられなかった。ましてこれが三両や五両ではない、この時代において大枚(たいまい)百両の金をひとから欺して取ろうなどとは、彼として思いもつかないことであった。栄之丞はたって辞退してその金を受取らなかった。
彼がその金を断わったのは、ひとを欺すことのできない彼の正直な心から出たのでもあったが、もう一つ彼を恐れさせたのは、次郎左衛門その人の容貌と態度とであった。案外に正直らしい、鷹揚(おうよう)な、しかもその底には怖ろしい野性がひそんでいるらしい彼の前に曳き出された時に、栄之丞は言い知れぬ怖れを感じた。ひとを欺(だま)すことのできない彼は、いよいよこの人を欺すことを怖ろしく感じたのであった。
「ぬしも気が弱い。なぜあの金を断わってしまいなんしたえ」
八橋はあとで失望したように言った。
「いや、あの人を欺すのは悪い。ああいう人を欺すと殺されるぞ」と、栄之丞はおびえたように言った。八橋はただ笑っていた。
その以来、栄之丞は八橋に近づくことがなんだか忌(いや)になって来た。いかにひとを欺すのが商売でも八橋の仕方は余りに大胆だと思った。一面からいえば、あまりに残酷だとも思った。廓(くるわ)の水に染みると、こうも冷たい心にもなるものかと、彼はそぞろに怖ろしくもなった。それから惹(ひ)いて次郎左衛門の恨みを買うことを怖ろしかった。彼は相変らず八橋を懐かしいものに思いながらも、以前のように足近くかよって行く気にはなれなかった。それと同時に、彼はもう少しまじめになって、女を頼らずに生きてゆく方法を考えなければならないと思い立った。
それからいろいろに奔走して、この冬の初めから謡いの出稽古の口を見つけ出した。それは堀田原のある御家人(ごけにん)の家で、主人のほかに四、五人の友達が集まって、一六(いちろく)の日に栄之丞の出稽古を頼むということになった。それで乏しいながらも、どうにかこうにか食って行くだけの凌ぎは付けられるようになった。お光の奉公口もここの主人が親切に探してくれたのであった。
「兄(にい)さま。なぜこの頃は八橋さんの所へお越しにならないのでございます」
文(ふみ)が来ても、使いが来ても、なるべく避けているらしい兄(あに)のこの頃の様子をお光は不思議に思っていたが、栄之丞は妹にその訳を明かさなかった。八橋の方からは時どきに金を送ってくれた。品物も届けてくれた。それを断わるのも辛(つら)し、受け取るのも辛いので、栄之丞はそのたびごとに言うに言われない忌(いや)な思いをさせられた。
その次郎左衛門にきょう測(はか)らずも途中で出逢った。むこうではなんにも知らないような風で馴れなれしく話しかけたが、こっちは気が咎めてならなかった。栄之丞は早々にはずして逃げて来た。こっちの気のせいか、きょうは取り分けて次郎左衛門の眼つきがおそろしく見えた。こういう人を欺しては末がおそろしいと、彼はつくづく考えた。
次郎左衛門はあれから直ぐに吉原へ行ったに相違ない。今頃は八橋が彼にむかってどんなことを言っているだろう。自分の噂も出たかも知れない。それを思うと、栄之丞はますます忌な心持ちになった。妹が一心に縫っているのは、八橋から送ってくれた品である。それを見ながら栄之丞は次郎左衛門と八橋との行く末を考えたりしていた。八橋が自分のために癪をおこして半病人になっていようなどとは、彼は思いも付かなかった。
「これで妹のからだも落ちつく。おれも細ぼそながら、食(く)い続(つづ)きはできそうになって来た。不人情のようでもあるが、ここでいっそ思い切って八橋と離ればなれになってしまおうか。なんといっても向うは籠の鳥だ。こっちさえ寄り付かなければいい」
次郎左衛門を欺すと欺さないとは八橋の勝手であるが、自分だけはその係り合いを抜けたいと彼は思った。しかし、八橋に対してそれも余り薄情のようにも思われた。
ふんべつに迷った彼は、気をまぎらすために又もや小声で謡い始めると、お光はふと振り向いて訊いた。
「兄さま。わたくしが橋場へまいることを、八橋さんへ一筆(ひとふで)知らせてやりましょうか」
お光は八橋と文通をしていた。兄の使いで吉原へ行ったこともあった。
「いや、それにも及ぶまい。わたしからそのうちに知らせてやる。廓の者は無考えだから、お前の奉公さきへ返事などをよこされると迷惑だ。まあ止した方がよかろう」
「そうでございますねえ」
お光はおとなしく黙ってしまった。
六
次郎左衛門はその明くる日も、またその明くる日も流連(いつづけ)をして帰った。馬喰町の佐野屋の閾(しきい)をまたいだのは、師走の二十四日の四つ頃(午前十時)で、彼は近所の銭湯へ行って、帰るとすぐに夕方まで高いびきで寝てしまった。
「治六さん。相変らず長逗留だったね」と、佐野屋の亭主が顔をしかめてささやいた。
「どうも仕方がねえ」と、治六もあきらめたように溜め息をついていた。しかしただ諦めてはいられないので、彼は亭主になんとかいい工夫はあるまいかと更に相談した。
「いっそ、その花魁を請け出したらどうだろう」
亭主はしまいにそんなことを言い出した。こういう風にだらしなく金をつかっていたら、千両が二千両でも堪まったものではない。いっそ千両の金をたんと減らさないうちに八橋を請け出してしまって、残った金でどんな小商いでもはじめる。その方が却って無事かも知れないと彼は言った。
治六も考えた。さきおとといからの流連でも、自分が恐れていたほどに金は懸からなかった。ここの亭主に預けてある五百両のほかに、まだ百六七十両は確かに残っている。もし四、五百両ぐらいで、そっと八橋の身請(みう)けができるものならば、いっそそうした方が無事かも知れないと考えた。
「花魁の身請けは幾らぐらいかかるだろうね」と、彼は試みに亭主に訊いた。
亭主も首をひねった。幾らの金があればこの問題が解決するのか、彼にも確かな見当は付かなかった。百両で身請けのできるのもあれば、千両かかるのもある。しかし、吉原で大兵庫屋の花魁を請け出すという以上は、何かの雑用(ぞうよう)を見積もって、まず千両仕事であるらしく思われた。その話を聴いて、治六も同じく首をかしげた。
「千両かかっちゃあ大変だ。どうにもならねえ」
もともと千両しかない金のうちが、もう三分の一ほどは食い込んでいる。千両の身請けはとてもできない。たとい残りの三分の二で、どうやらこうやら埒が明いたところで、主人と花魁と自分との三人が一文なしではどうにもならない。して見ると、八橋の身請けなど初めからできない相談であった。
「だが、一概にはいえない。花魁の借金が案外すくないようならば、親許(おやもと)身請けとでもいうことにして、なるべく眼立たないようにすれば、千両の半分でも話が付かないとも限らないが……。いったい花魁の借金はどの位あるんだろう」と、亭主はまた言った。
それは治六も知らなかった。しかし旦那は大抵知っているに相違ない。一応はそれとなく次郎左衛門に訊いて見て、とても出来そうもないことならば、その儘に聞き流してしまうもよし、又どうにか手出しのできそうな話であったら、改めて自分の考えも言い、旦那の料簡も訊いて見ようと、彼は亭主と相談して別れた。
日が暮れて、夜食の膳が運び出される頃になって、次郎左衛門はようよう眼を醒ました。彼は治六に、もうなんどきだと訊いた。すぐに駕籠を呼べとでも言いそうな気色(けしき)なので、治六は先(せん)を越して八橋の身代(みのしろ)を訊くと、次郎左衛門は知らないと言った。いずれにしても今の身の上では八橋を請け出すことはむずかしかろうと言った。請け出したところで連れて来る所もないと言った。
「いっそ早くに請け出した方がよかったかも知れない」
次郎左衛門は今さら悔(くや)むように言った。この春よし原でつかった金だけでも、八橋の身請けは立派にできたのである。しかし自分は八橋の意見に従って、もとの堅気の百姓になろうと思っていた。堅気の百姓の家へ吉原の遊女を引き入れる訳にはゆかない。第一に親類の苦情が面倒である。それらの事情に妨げられて、今まで身請けを延引(えんいん)していたのであったが、こうなると知ったらば半年まえに思い切って身請けをしてしまった方が優(ま)しであった。それを悔んでももう遅い。自分はこの金のある限り、八橋に逢いつづけて、いよいよ金のなくなったあかつきに、なんとか料簡を決めるよりほかはないと言った。
その暁にどういう料簡を付けるのか、治六はそれを心もとなく思った。勿論、根掘り葉掘り詮議したところで、どうで要領を得るような返事を受取ることのできないのは万々(ばんばん)承知しているので、彼もそのままに口をつぐんでしまった。あかりがついて、夜の町に師走の人の往き来が繁くなると、次郎左衛門は果たして駕籠を呼べと言い出した。しょせん止めても止まらないと思ったので、治六も一緒に供をして行った。
その晩、治六は自分の相方の浮橋にむかって、それとなく八橋の身代のことを探って見ると、浮橋は急にまじめになった。
「なぜそんなことを聞きなんす。身請けの下ばなしでもありいすのかえ」
「なに、別にそういう訳じゃあねえ」と、治六はいい加減に胡麻化してしまったつもりでいた。
しかし相手の方では胡麻化されていなかった。くるわに馴れている彼女は、これを治六の一料簡ではないと見た。主人の次郎左衛門と内々相談の上で、それとなくさぐりを入れるに相違ないと鑑定した。彼女は直ぐにそれを花魁に耳打ちすると、八橋はしばらく考えていた。
「あとでその御家来さんに逢わせておくんなんし」
引け過ぎになって、次郎左衛門を寝かしつけてから、八橋は治六の名代部屋(みょうだいべや)へそっと忍んで来た。浮橋をそばにおいて、彼女は身請けの話を言い出した。彼女も浮橋の考えた通りに、それはお前の一存ではあるまい、主人に言い付けられてよそながら捜るのであろうと言った。治六は決してそんな訳ではない、ただ一時の気まぐれに訊いて見ただけのことだとまじめに言い訳をしたが、二人の女はなかなか承知しなかった。なんでも正直に白状しろと責めた。
「口は禍いの門(かど)で、飛んでもねえことになったが、まったくなんでもねえことでがすよ」と、治六も困り切っておろおろ声になった。
「嘘をつきなんし」
「隠すと、抓(つね)りんすによ」
八橋は睨んだ。浮橋は小突(こづ)いた。そうして、お前が言わなければ言わないでもいい、わたしが直かに主人に訊いてみると八橋は言った。そんなことを主人の耳に入れられては困ると、治六はあわててさえぎった。困るならば素直に言えと、二人は嵩(かさ)にかかって責めた。
防ぎ切れなくなって、治六もとうとう白状した。主人がいつまでも廓がよいをして、こういう風に無駄な金をつかっていては際限がない。廉(やす)い金でできることならば、いっそここで花魁を請け出してしまった方がいいと思ったので、ほんの自分の一料簡で訊いて見たまでのことである。主人はまったく知らないことであると、何もかも打ち明けて話した。それを聴いて、八橋は又かんがえていた。そうして、幾らぐらいまでの金を出してくれることが出来るのだと訊いた。
「まず、三、四百両、その上はむずかしい」と、治六は正直に答えた。
二人の女は顔を見合せた。とても問題にならないとでもいうふうに、八橋はただ笑って起って行ってしまった。
「久し振りの土産にさえ二百両もくれなんした佐野の大尽が、おいらんの身請けを四百両や五百両で……。ほほ、馬鹿らしい」と、浮橋もあざけるように笑った。
この廓へ足踏みをしてから、彼は幾たびかこの「馬鹿らしい」を浴びせられているので、治六は別に恥かしくも腹立たしくも感じなかったが、今の二人の顔色や口ぶりによると、身請けなどという相談はとても今の懐ろでは出来ないものと諦めるよりほかはなかった。
そうすると、主人は相変らず現在の放蕩を続けてゆく。金はみすみす減ってゆく。それから先きはどうなるだろうと思うと、彼は実に気が気でなかった。こうして暖かい蒲団の上に坐っていても、彼の胸には冬の夜の寒さが沁み渡るようにも思われた。しかもその「馬鹿らしい」ことを言った祟(たた)りで、彼は浮橋にさんざん振り付けられた。
けさも流連(いつづけ)かとひやひやしていると、次郎左衛門は思い切りよく朝の霜を踏んで帰った。途中はなんにも言わなかったが、馬喰町へ帰ると彼は怖い顔をして治六に宣告した。
「貴様には暇をくれる。どこへでも勝手に行け」
ゆうべの祟りの余りに劇(はげ)しいのに治六も驚かされた。なぜ暇をくれると言うのか、それに就いて次郎左衛門はなんにも説明を与えなかったが、かの身請けの一条を八橋が訴えたものに相違ない。主人に恥をかかした――それが勘当の根となったことは、治六にもたやすく想像されたので、彼はいろいろに言い訳をしてあやまった。八橋の身請けのことを口走ったのも決して悪気ではない、つまりは旦那さまのおためを思うがためであったと、彼は泣いて言い訳をした。
「今更ぐずぐず言うな。出て行け」
次郎左衛門はどうしても取り合わなかった。それでも十両の金をくれて、すぐにここを出て行けと言った。治六も途方に暮れて、帳場へ行って亭主に泣きついた。亭主もおどろいて二階へ行って共どもに口を添えて取りなしたが、次郎左衛門はやはり肯(き)かなかった。
いったん言い出したらあとへは戻らない主人の気質(きしつ)を呑み込んでいるので、治六もあきらめて階下(した)へ降りた。
「ご亭主さん。いろいろ有難うごぜえました。これもわしの不運で仕方がごぜえませんよ」
「だが、旦那の料簡が判らない。お前さんのことだから、どれほどの悪いことをした訳でもあるまいに、長年(ちょうねん)の奉公人をむやみに勘当するというのは……」と、亭主は次郎左衛門の無情を罵るように言った。
「いや、これもわしが至らねえからでごぜえますよ」
治六はゆうべの吉原の一条を話した。それを聴いて亭主はいよいよ気の毒になった。八橋の身請けのことも元来自分が知恵をつけたのである。それがもとで治六が勘当されるようなことになっては、いよいよ黙って見ている訳には行かなくなった。しかし今が今といってはどうにもならないのを知っているので、いずれそのうちにいい折りを見てもう一度詫びを入れてやろう。これが一季半季の渡り奉公というではなし、児飼いから馴染みの深い奉公人である。一旦は腹立ちまぎれに何と言おうとも時が過ぎれば機嫌が直るに相違ない。まずそれまでおとなしく待っている方がよかろうと、亭主は親切に治六をなだめた。
「ここの家(うち)に置くのは訳もないが、主人から勘当されたお前さんをそのまま泊めて置くというのは、旦那に楯を突くようでどうも穏やかでない。ともかくも近所の宿屋へ引き取って、二、三日待っていてもらいたい」
それも一応は尤(もっと)もにきこえるので、治六は素直に承知して佐野屋を引き払うことにした。出る時にもう一度二階へ行って、しきい越しにしおしお[#「しおしお」に傍点]と手をついた。
「旦那さま。長々お世話になりました」
次郎左衛門は返事もしなかった。
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