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籠釣瓶(かごつるべ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-27 8:58:24  点击:  切换到繁體中文


     十六

 享保時代の仲の町には、まだ桜が多く植えられていなかった。その頃の夜桜というのは、茶屋の店先や妓楼の庭などへ勝手に植えられたもので、それが年中行事の一つとなって、仲の町に青竹の垣を結い廻して春ごとに幾百株の桜を植え、芝居の「鞘当(さやあて)」の背景に見るような廓の春を描き出すことになったのは、この物語の主人公が亡(ほろ)びてから二十年余の後であった。それでも春の夜はやはり賑わしかった。
 そのぞめき[#「ぞめき」に傍点]の群れにまじって、次郎左衛門は仲の町を忍ぶように通った。八橋の予言ははずれて、彼は再び大門をくぐったのであった。しかも、なんの躊躇もせずに彼はまっすぐに立花屋の店先へずっとはいった。
「おや、佐野の大尽さま。お久し振りでござりました」
 女房のお藤はいつもの通り愛想よく迎えた。次郎左衛門はもうこの茶屋に百両余りの借りが出来ていた。
「この頃はどうなされたかとお噂ばかり致しておりました。浮橋さんの噂では、ひょっとするとお国へお帰りなすったのかなど申しておりましたが、やはりまだ御逗留でござりましたか。八橋さんの花魁もさぞお待ちかねでござりましょう。まあどうぞお二階へ……」
「いや、急に暖かくなったせいか、駕籠にゆられてなんだか頭痛がする。少しここで休ませてもらおうか」
 次郎左衛門は店さきの床几(しょうぎ)に腰をおろして、花暖簾を軽くなぶる夜風に吹かれていた。彼は女中が汲んで来た桜湯(さくらゆ)をうまそうに一杯飲んで、ゆったりした態度で往来の人を眺めていた。女中がすぐに八橋のところへ報(しら)せに行こうとするのを、次郎左衛門は急に呼び止めた。彼は兵庫屋の二階へ登りたくなかった。
「あ、これ、わたしは少し都合があって、今夜はここで帰るかも知れないから、八橋をここへ呼んでくれまいか」
「まあ、そんなことを仰しゃりますな。茶屋で帰るという法はござりますまい」
 女中は笑って行ってしまった。
 次郎左衛門は少し目算(もくさん)が狂った。彼は今夜八橋を殺しに来たのである。それには兵庫屋の二階へ刀を持ってゆくことは出来ないので、なるべく彼女を茶屋まで呼び出したかった。一緒に死んでくれと頼んでも、八橋が承知しそうもないことは彼もさすがに知っていた。なまじいのことを言い出して恥をかくよりも、なんにも言わずに不意に切ってしまう方がいいと胸を決めていた。しかし思い切って彼女を切れるかどうだか、次郎左衛門は我ながら少し不安であった。
 腕に覚えはある、刀は銘刀である、骨の細い女ひとりを打(ぶ)っ放すのは、なんの雑作(ぞうさ)もないことではあるが、八橋を切る――それを思うと、彼はなんだか腕がふるわれた。人を切った経験はたびたびある。血を見ることを恐れるおれではないと思いながらも、八橋を切ることは次郎左衛門に取って一生で一度のおそろしい仕事であった。
 一旦ひそんだ野性が再びむらむら[#「むらむら」に傍点]と頭をもたげて、すでに人を殺すと覚悟した以上、なんの遠慮も容赦もない筈であるが、相手が八橋であるだけに彼はやはり臆病らしい一種の未練に囚(とら)われていた。いま殺そうというきわまで彼は八橋が可愛かった。勿論、可愛いから殺すのである。そうは知っていながらも、どうして突くか、どこから切るか、彼はおののく腕を組みながら、まず刃の当てどころからして考えなければならなかった。
「いっそ喧嘩でも吹っ掛けようか」
 彼は更にまず刀をぬく機会を求めなければならなかった。尋常に八橋と向き合っていて、とても彼女に切り付けることはできない。何かの切っ掛けを見付けて、ひと思いに切り付ける工夫をしなければならないと思った。八橋がいつものように笑い顔をしていたら、とても切るも突くも出来そうもない。何か相手の方からいい機会を与えてくれればいいと、ひそかに祈っていた。
 やがて女中が帰って来た。やはり八橋は来なかった。新造の浮橋が来て、無理に次郎左衛門を兵庫屋へ連れて行ってしまった。彼はよんどころなしに、籠釣瓶を茶屋にあずけて出た。
 次郎左衛門が来たと聞いた栄之丞は、案外に思った。八橋は別に驚きもしなかった。
「ほほ、未練らしい。また来なんしたか」と、彼女は平気で笑っていた。
 栄之丞は廊下へ出るにも注意して、なるべく次郎左衛門と顔を合わせないように念じていた。彼は引け四つ(十時)前に帰ろうといったが、八橋が無理にひき留めて放さなかった。
 この晩は夜なかから南風(みなみ)が吹き出して、兵庫屋の庭の大きい桜の梢をゆすった。
 夜があけるのを待ちかねて、栄之丞は兵庫屋を出た。八橋も茶屋まで送って行った。その留守の間に次郎左衛門も飛び起きて、忙がしそうに顔を洗った。
「いっそ直しておいでなんし」
 新造たちの止めるのを振り切るようにして、次郎左衛門は立花屋へ帰った。浮橋が送って行った。ゆうべの風の名残りで、仲の町には桜が一面に散って、立花屋の店先には白い花の吹き溜まりがうずたかく積もっていた。まだ大戸をあけたばかりの茶屋では、次郎左衛門がいつにない早帰りに驚かされた。
「お早うござります」
 二階へあがれと勧められたが、次郎左衛門はすぐに帰るといって、籠釣瓶をうけ取って腰にさした。女中は駕籠を呼びに行った。浮橋は栄之丞の茶屋へ八橋を迎いに行った。ひと足さきへ帰るつもりであったのを、かえって次郎左衛門に先(せん)を越された気味で、栄之丞は少し躊躇したが、いっそこうなったら次郎左衛門をさきにやりすごして、自分は後から大門を出ようと思ったので、ともかくも早く立花屋へ顔を出して来たらよかろうと八橋に言った。
「そんなら、ちょいと行って来るまで待っていておくんなんし」と、八橋は念を押して出て行った。
 浮橋はひと足さきへ駈けぬけてゆくと、次郎左衛門はやはり立花屋の店先に腰をかけていた。表はもう薄明るくなっていたが、店の奥には暁(あ)けの灯の影が微かにゆらめいていた。
「もう帰りなんすかえ」
 八橋は次郎左衛門のそばへ来て同じく腰をかけた。籠釣瓶を身に着けていながら、次郎左衛門はまだ思い切って手をかける機会がなかった。彼は花の吹き溜まりを爪先(つまさき)で軽くなぶりながら、なるべく女の顔を見ないように眼をそらしていた。そのうちに女房は衣類を着替えて奥から出て来て、ともかくも二階へあがれと次郎左衛門にすすめた。浮橋も勧めた。
「まあ、大尽から」と、女房は手を揉みながら言った。
 次郎左衛門は無言でずっと起って店口の階子(はしご)をあがった。少しおくれて八橋も上がった。
 彼女が階子の中ほどまで登った時に、もう上がり切っていた次郎左衛門が上から不意に声をかけた。
「八橋」
 思わず振り仰ぐ八橋の頭の上に、さっ[#「さっ」に傍点]という太刀風が響いたかと思うと、彼女の首は籠釣瓶の水も溜まらずに打ち落されて、胴は階子に倒れかかった。兵庫に結った首は斜(はす)に飛んで、つづいて登ろうとする浮橋の足もとに転げ落ちた。浮橋も女房も、はっ[#「はっ」に傍点]と立ちすくんだままで声も出なかった。
 丁度そこへ次郎左衛門を迎いの駕籠が来た。駕籠屋がおどろいて口々にわめいた。近所の者も駈けて来た。
「逃げ隠れする者でない。次郎左衛門はここで切腹する。見とどけてくれ」と、次郎左衛門は二階から叫んだ。しかし彼が最後の要求は誰にも肯(き)き入れられなかった。
「人殺しだ、人殺しだ。逃がすな、縛(くく)れ」
 立花屋の店先には人の垣を築いた。聞き分けのない奴らだと次郎左衛門は憤った。卑怯に逃げ隠れをするのでない。ここで尋常に自滅するというものを、無理無体に引っくくって生き恥をさらさせようとする。それならばこっちにも料簡がある。最後の邪魔をする奴は片っ端から切りまくって、一旦はここを落ち延びて、人の見ないところで心静かに籠釣瓶を抱いて死のうと、彼は八橋を切った刀の血糊(ちのり)をなめて、階子の上がり口に仁王立(におうだ)ちに突っ立って敵を待っていた。くるわの火消しがまっさきに駈けあがったが、その一人は左の肩を切られて転げ落ちた。つづいて上がろうとした一人も、手鳶(てとび)を柄から斜めに切られて、余った切っ先きで小手(こて)を傷つけられた。狭い階子の上に相手が刃物をふりかざしているので、誰も迂闊(うかつ)に寄り付くことができなかった。みんなは店から煙草盆を持って来て二階へ投げあげた。茶碗や小皿なども投げ付けた。
「屋根から窓の方へ廻れ」と、誰か叫ぶ者があった。
 逃げ路を塞がれては不便だと気がついて、次郎左衛門は敵の廻らないうちに、自分から先きに窓を破って大屋根の上に逃げて出た。風は暁け方から吹きやんで、三月の朝の空は眼を醒ましたようにだんだんに明るくなった。幾羽の鳩の群れが浅草の五重の塔から飛び立つのが手に取るようにあざやかに見えた。眼の下の仲の町には妓楼や茶屋の男どもが真っ黒に集まっていた。
 火消しは長ばしごを持ち出して来て、方々から屋根伝いに追い迫って来た。次郎左衛門はそれでも二、三人を切りおとして、隣りの屋根から物干の上に出た。物干のあがり口には窓があったが、その窓はもう固く閉められて、はいることは出来なかった。彼は屋根伝いに隣りからとなりへと伏見町の方へ四、五軒逃げた。
 この騒ぎを聞いて栄之丞も茶屋から出ると、狂人のようになって駈けて来る浮橋に出逢った。彼は自分の胸に時どき兆(きざ)していた怖ろしい予覚が現実となって現われたのに驚かされた。彼も大勢と一緒に次郎左衛門のゆくえを見届けに行った。その蒼ざめた顔が大屋根の上に立っている次郎左衛門の眼にはいった。
 次郎左衛門は急に栄之丞を殺したくなった。しかし敵の群がっている往来へ飛び降りることの危険を知っているので、彼は屋根の瓦を一枚引きめくって栄之丞を目がけて投げおろした。それが丁度彼の右の小鬢(こびん)にあたって、若い男の半面は鮮血(なまち)に染められた。偶然に思いも寄らない武器を発見した次郎左衛門は、これを手始めに屋根の瓦をがらがら[#「がらがら」に傍点]と投げおとして、眼の下に群がっている敵を追い払おうとした。下からもその砕けた瓦を拾って投げ返した。
 大門の会所をあずかっている三浦屋四郎兵衛は分別者(ふんべつもの)であった。彼はおくればせに駈け付けて来て、すぐにこの持て余した狼藉者を召捕る法を考え付いた。彼は火消しどもに指図して、屋根へ水を投げ掛けろといった。火消しは龍骨車(りゅうこつしゃ)を挽き出して来て、火がかりをするように屋根を目がけて幾条の瀧をそそぎかけた。みんなも桶などを持って来て、手のとどく限り水を投げかけたので、ぬれた瓦に足をすべらせて、次郎左衛門はとうとう伏見町の河岸へ落ちた。落ちると直ぐに彼は籠釣瓶を腹へ突き立てようとしたが、その手はもう大勢に押さえられて働かすことが出来なかった。
 彼は血走ったまなこで栄之丞はと見廻したが、その顔はそこらに見えなかった。栄之丞はほかの手負(てお)いと一緒に廓内の医者の手当てを受けに連れて行かれていた。

 次郎左衛門の終りはあらためて説くまでもない。彼は千住(せんじゅ)で死罪におこなわれた。八橋ばかりでなく、ほかにも大勢の人を殺したので、彼の首は獄門にかけられた。
 栄之丞のことはよく判らない。その疵がもとで死んだともいい、あるいは次郎左衛門と八橋との菩提を弔うために出家したともいい、ある町家の入り婿になって七十余歳で明和の末年まで生きていたとも伝えられている。お光のことは猶わからない。
 治六が佐野へ帰って、次郎左衛門の姉や親類の眼さきへ突き出したのは、思いも寄らない主人の書置きであった。それと知って、彼がおどろいて江戸へ引っ返したのは、次郎左衛門が入牢(じゅろう)ののちであった。彼は主人の行く末を見とどけて、ふたたび佐野へ泣きに帰った。
 籠釣瓶の刀はあがり物になって、官に没収されてしまった。





底本:「江戸情話集」光文社時代小説文庫、光文社
   1993(平成5)年12月20日初版1刷発行
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)
入力:tatsuki
校正:かとうかおり
ファイル作成:かとうかおり
2000年6月12日公開
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。



【表記について】

本文中の※は、底本では次のような漢字(JIS外字)が使われている。

  粗※ 第3水準1-14-76

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