日本幻想文学集成23 岡本綺堂 猿の眼 種村季弘編 |
国書刊行会 |
1993(平成5)年9月20日 |
一
Y君は語る。
先刻も十三夜のお話が出たが、わたしも十三夜に縁のある不思議な話を知つてゐる。それは影を踏まれたといふことである。
影を踏むといふ子供遊びは今は流行らない。今どきの子供はそんな詰らない遊びをしないのである。月のよい夜ならばいつでも好さゝうなものであるが、これは秋の夜にかぎられてゐるやうであつた。秋の月があざやかに冴え渡つて、地に敷く夜露が白く光つてゐる宵々に、町の子供たちは往来に出て、こんな唄を歌ひはやしながら、地にうつる彼等の影を踏むのである。
――影や道陸神、十三夜のぼた餅――
ある者は自分の影を踏まうとして駈けまはるが、大抵は他人の影を踏まうとして追ひまはすのである。相手は踏まれまいとして逃げまはりながら、隙をみて巧みに敵の影を踏まうとする。また横合から飛び出して行つて、どちらかの影を踏まうとするのもある。かうして三人五人、多いときには十人以上も入りみだれて、地に落つる各自の影を追ふのである。勿論、すべつて転ぶのもある。下駄や草履の鼻緒を踏み切るのもある。この遊びはいつの頃から始まつたのか知らないが、兎にかくに江戸時代を経て、明治の初年、わたし達の子どもの頃まで行はれて、日清戦争の頃にはもう廃つてしまつたらしい。
子ども同士がたがひに影を踏み合つてゐるのは別に仔細もないが、それだけでは面白くないとみえて、往々にして通行人の影をふんで逃げることがある。迂闊に大人の影を踏むと叱られる虞れがあるので、大抵は通りがかりの娘や子供の影を踏んでわつと囃し立てゝ逃げる。まことに他愛のない悪戯ではあるが、たとひ影にしても、自分の姿の映つてゐるものを土足で踏みにじられると云ふのは余り愉快なものではない。それに就てこんな話が伝へられてゐる。
嘉永元年九月十二日の宵である。芝の柴井町、近江屋といふ糸屋の娘おせきが神明前の親類をたづねて、五つ(午後八時)前に帰つて来た。あしたは十三夜で、今夜の月も明るかつた。ことしの秋の寒さは例年よりも身にしみて、風邪引きが多いといふので、おせきは仕立ておろしの綿入の両袖をかき合せながら、北に向つて足早に辿つてくると、宇田川町の大通りに五六人の男の児が駈けまはつて遊んでゐた。影や道陸神の唄の声もきこえた。
そこを通りぬけて行きかゝると、その子供の群は一度にばら/\と駈けよつて来て、地に映つてゐるおせきの黒い影を踏まうとした。はつと思つて避けようとしたが、もう間にあはない。いたづらの子供たちは前後左右から追取りまいて来て、逃げまはる娘の影を思ふがまゝに踏んだ。かれらは十三夜のぼた餅を歌ひはやしながらどつと笑つて立去つた。
相手が立去つても、おせきはまだ一生懸命に逃げた。かれは息を切つて、逃げて、逃げて、柴井町の自分の店さきまで駈けて来て、店の框へ腰をおろしながら横さまに俯伏してしまつた。店には父の弥助と小僧ふたりが居あはせたので、驚いてすぐに彼女を介抱した。奥からは母のお由も女中のおかんも駈出して来て、水をのませて、落着かせて、さて、その仔細を問ひ糺さうとしたが、おせきは胸の動悸がなか/\鎮まらないらしく、しばらくは胸をかゝへて店さきに俯伏してゐた。
おせきは今年十七の娘ざかりで、容貌もよい方である。宵とは云へ、月夜とは云へ、賑かい往来とは云つても、なにかの馬鹿者にからかはれたのであらうと親たちは想像したので、弥助は表へ出てみたが、そこらには彼女を追つて来たらしい者の影もみえなかつた。
「おまへは一体どうしたんだよ。」と、母のお由は待ちかねて又訊いた。
「あたし踏まれたの。」と、おせきは声をふるはせながら云つた。
「誰に踏まれたの。」
「宇田川町を通ると、影や道陸神の子供達があたしの影を踏んで……。」
「なんだ。」と、弥助は張合ひ抜けがしたやうに笑ひ出した。「それが何うしたといふのだ。そんなことを騒ぐ奴があるものか。影や道陸神なんぞ珍しくもねえ。」
「ほんたうにそんな事を騒ぐにやあ及ばないぢやあないか。あたしは何事が起つたのかと思つてびつくりしたよ。」と、母も安心と共に少しく不平らしく云つた。
「でも、自分の影を踏まれると、悪いことがある……。寿命が縮まると……。」と、おせきは更に涙ぐんだ。
「そんな馬鹿なことがあるものかね。」
お由は一言の下に云ひ消したが、実をいふと其頃の一部の人達のあひだには、自分の影を踏まれると好くないといふ伝説がないでもなかつた。七尺去つて師の影を踏まずなどと支那でも云ふ。たとひ影にしても、人の形を踏むといふことは遠慮しろといふ意味から、彼の伝説は生まれたらしいのであるが、後には踏む人の遠慮よりも踏まれる人の恐れとなつて、影を踏まれると運が悪くなるとか、寿命が縮むとか、甚だしきは三年の内に死ぬなどと云ふ者がある。それほどに怖るべきものであるならば、どこの親達も子どもの遊びを堅く禁止しさうなものであるが、それ程にはやかましく云はなかつたのを見ると、その伝説や迷信も一般的ではなかつたらしい。而もそれを信じて、それを恐れる人達からみれば、それが一般的であると無いとは問題ではなかつた。
「馬鹿をいはずに早く奥へ行け。」
「詰らないことを気におしでないよ。」
父には叱られ、母にはなだめられて、おせきはしよんぼりと奥へ這入つたが、胸一杯の不安と恐怖とは決して納まらなかつた。近江屋の二階は六畳と三畳の二間で、おせきはその三畳に寝ることになつてゐたが、今夜は幾たびも強い動悸におどろかされて眼をさました。幾つかの小さい黒い影が自分の胸や腹の上に跳つてゐる夢をみた。
あくる日は十三夜で、近江屋でも例年の通りに芒や栗を買つて月の前にそなへた。今夜の月も晴れてゐた。
「よいお月見でございます。」と、近所の人たちも云つた。
併しおせきはその月を見るのが何だか怖しいやうに思はれてならなかつた。月が怖しいのではない、その月のひかりに映し出される自分の影をみるのが怖しいのであつた。世間ではよい月だと云つて、或は二階から仰ぎ、あるひは店先から望み、あるひは往来へ出て眺めてゐるなかで、かれ一人は奥に閉籠つてゐた。
――影や道陸神、十三夜の牡丹餅――
子ども等の歌ふ声々が、おせきの弱い魂を執念ぶかく脅かした。
二
それ以来、おせきは夜あるきをしなかつた。殊に月の明るい夜には表へ出るのを恐れるやうになつた。どうしても夜あるきをしなければならないやうな場合には、努めて月のない暗い宵を選んで出ることにしてゐた。世間の娘たちとは反対のこの行動が父や母の注意をひいて、お前はまだそんな詰らないことを気にしてゐるのかと、両親からしば/\叱られた。而もおせきの魂に深く食ひ入つた一種の恐怖と不安とはいつまでも消え失せなかつた。
さうしてゐる中に、不運のおせきは再び自分の影におどろかされるやうな事件に遭遇した。その年の師走の十三日、おせきの家で煤掃をしてゐると、神明前の親類の店から小僧が駈けて来て、おばあさんが急病で倒れたと報せた。神明前の親類といふのは、おせきの母の姉が縁付いてゐる家で、近江屋とは同商売であるばかりか、その次男の要次郎をゆく/\はおせきの婿にするといふ内相談もある。そこの老母が倒れたと聞いては其儘には済されない。誰かゞすぐに見舞に駈け付けなければならないのであるが、生憎にけふは煤掃の最中で父も母も手が離されないので、とりあへずおせきを出して遣ることにした。
襷をはづして、髪をかきあげて、おせきが兎つかはと店を出たのは、昼の八つ(午後二時)を少し過ぎた頃であつた。ゆく先は大野屋といふ店で、こゝも今日は煤掃である。その最中に今年七十五になるおばあさんが突然打つ倒れたのであるから、その騒ぎは一通りでなかつた。奥には四畳半の離屋があるので、急病人をそこへ運び込んで介抱してゐると、幸ひに病人は正気に戻つた。けふは取分けて寒い日であるのに、達者にまかせて老人が、早朝から若い者どもと一緒になつて立働いたために、こんな異変をひき起したのであるが、左のみ心配することはない。静に寝かして置けば自然に癒ると、医者は云つた。それで先づ一安心したところへ、おせきが駈けつけたのである。
「それでもまあ好うござんしたわねえ。」
おせきも安心したが、折角こゝまで来た以上、すぐに帰つてしまふわけにも行かないので、病人の枕もとで看病の手つだひなどをしてゐるうちに、師走のみじかい日はいつか暮れてしまつて、大野屋の店の煤はきも片附いた。蕎麦を食はされ、ゆふ飯を食はされて、おせきは五つ少し前に、こゝを出ることになつた。
「阿父さんや阿母さんにもよろしく云つてください。病人も御覧の通りで、もう心配することはありませんから。」と、大野屋の伯母は云つた。
宵ではあるが、年の暮で世間が物騒だといふので、伯母は次男の要次郎に云ひつけて、おせきを送らせて遣ることにした。お取込みのところをそれには及ばないと、おせきは一応辞退したのであるが、それでも間違ひがあつてはならないと云つて、伯母は無理に要次郎を附けて出した。店を出るときに伯母は笑ひながら声をかけた。
「要次郎。おせきちやんを送つて行くのだから、影や道陸神を用心おしよ。」
「この寒いのに、誰も表に出てゐやしませんよ。」と、要次郎も笑ひながら答へた。
おせきが影を踏まれたのは、やはりこゝの家から帰る途中の出来事で、彼女がそれを気に病んでゐるらしいことは、母のお由から伯母にも話したので、大野屋一家の者もみな知つてゐるのであつた。要次郎は今年十九の、色白の痩形の男で、おせきとは似合の夫婦と云つてよい。その未来の夫婦がむつまじさうに肩をならべて出てゆくのを、伯母は微笑みながら見送つた。
一応は辞退したものゝ、要次郎に送られてゆくことはおせきも実は嬉しかつた。これも笑ひながら表へ出ると、煤はきを済せて今夜は早く大戸をおろしてゐる店もあつた。家中に灯をとぼして何かまだ笑ひさゞめいてゐる店もあつた。その家々の屋根の上には、雪が降つたかと思ふやうに月のひかりが白く照り渡つてゐた。その月を仰いで、要次郎は夜の寒さが身にしみるやうに肩をすくめた。
「風はないが、なか/\寒い。」
「寒うござんすね。」
「おせきちやん、御覧よ。月がよく冴えてゐる。」
要次郎に云はれて、おせきも思はず振り仰ぐと、向う側の屋根の物干の上に、一輪の冬の月は、冷い鏡のやうに冴えてゐた。
「好いお月様ねえ。」
とは云つたが、忽ちに一種の不安がおせきの胸に湧いて来た。今夜は十二月十三日で、月のあることは判り切つてゐるのであつたが、今までは何かごた/\してゐたのと、要次郎と一緒にあるいてゐるのとで、おせきはそれを忘れてゐたのである。明るい月――それと反対におせきの心は暗くなつた。急におそろしいものを見せられたやうに、おせきは慌てゝ顔をそむけて俯向くと、今度は地に映る二人の影があり/\と見えた。
それと同時に、要次郎も思ひ出したやうに云つた。
「おせきちやんは月夜の晩には表へ出ないんだつてね。」
おせきは黙つてゐると、要次郎は笑ひ出した。
「なぜそんなことを気にするんだらう。あの晩もわたしが一緒に送つて来ればよかつたつけ。」
「だつて、なんだか気になるんですもの。」と、おせきは低い声で訴へるやうに云つた。
「大丈夫だよ。」と、要次郎はまた笑つた。
「大丈夫でせうか。」
二人はもう宇田川町の通りへ来てゐた。要次郎の云つた通り、この極月の寒い夜に、影を踏んで騒ぎまはつてゐるやうな子供のすがたは一人も見出されなかつた。むかしから男女の影法師は憎いものに数へられてゐるが、要次郎とおせきはその憎い影法師を土の上に落しながら、摺寄るやうに列んであるいてゐた。勿論、こゝらの大通りに往来は絶えなかつたが、二つの憎い影法師をわざわざ踏みにじつて通るやうな、意地の悪い通行人もなかつた。
宇田川町をゆきぬけて、柴井町へ踏み込んだときである。どこかの屋根の上で鴉の鳴く声がきこえた。
「あら、鴉が……」と、おせきは声のする方をみかへつた。
「月夜鴉だよ。」
要次郎がかう云つた途端に、二匹の犬がそこらの路地から駈け出して来て、恰もおせきの影の上で狂ひまはつた。はつと思つておせきが身をよけると、犬はそれを追ふやうに駈けあるいて、かれの影を踏みながら狂つてゐる。おせきは身をふるはせて要次郎に取縋つた。
「おまへさん、早く追つて……」
「畜生。叱つ、叱つ。」
犬は要次郎に追はれながらも、やはりおせきに附纏つてゐるやうに、かれの影を踏みながら跳り狂つてゐるので、要次郎も癇癪をおこして、足もとの小石を拾つて二三度叩きつけると、二匹の犬は悲鳴をあげて逃げ去つた。
おせきは無事に自分の家へ送りとゞけられたが、その晩の夢には、二匹の犬がかれの枕もとで駈けまはるのを見た。
三
今まで、おせきは月夜を恐れてゐたのであるが、その後のおせきは昼の日光をも恐れるやうになつた。日光のかゞやくところへ出れば、自分の影が地に映る。それを何者にか踏まれるのが怖しいので、かれは明るい日に表へ出るのを嫌つた。暗い夜を好み、暗い日を好み、家内でも薄暗いところを好むやうになると、当然の結果として彼女は陰鬱な人間となつた。
それが嵩じて、あくる年の三月頃になると、かれは燈火をも嫌ふやうになつた。月といはず、日と云はず、燈火といはず、すべて自分の影をうつすものを嫌ふのである。かれは自分の影を見ることを恐れた。かれは針仕事の稽古にも通はなくなつた。
「おせきにも困つたものですね。」と、その事情を知つてゐる母は、とき/″\に顔をしかめて夫にさゝやくこともあつた。
「まつたく困つた奴だ。」
弥助も溜息をつくばかりで、どうにも仕様がなかつた。
「やつぱり一つの病気ですね。」と、お由は云つた。
「まあさうだな。」
[1] [2] 下一页 尾页