「そこでそのお侍は、きっと狐か狸がおれを化かすに相違ないと思って、刀を抜いて追いまわしているうちに、その火の玉は宙を飛んでここの家へはいった。ほんとうの火の玉か、化物か、それは勿論判らないが、なにしろここの家へ飛び込んだのを確かに見届けたから、念のために断って置くとかいうのだそうです。となりの家でも気味悪がって、すぐにそこらを検めてみだが、別に怪しい様子もないので、お侍にそう言うと、その人も安心した様子で、それならばいいと言って帰った。お貞さんも奥でその話を聞いていたので、寝床から抜出してそっと表をのぞいてみると、店先に立っている人は自分がたった今、夢の中で追いまわされた侍そのままなので、思わず声をあげたくらいに驚いたそうです。
お貞さんは家の娘にその話をして、これがほんとうの正夢というのか、なにしろ生れてからあんなに怖い思いをしたことはなかったと言ったそうですが、お貞さんよりも、それを聞いた者の方が一倍気味が悪くなりました。その火の玉というのは一体なんでしょう。お貞さんが眠っているあいだに、その魂が自然にぬけ出して行ったのでしょうか。その以来、家の娘はなんだか怖いといって、お貞さんとはなるたけ附合わないようにしているくらいです。そういうわけですから、今夜の盆燈籠もやっぱりお貞さんかも知れませんね。小僧さんが石をぶつけたというから、お貞さんの家の盆燈籠が破れてでもいるか、それともお貞さんのからだに何か傷でもついているか、あしたになったらそれとなく探ってみましょう。」
こんな話を聞かされて、女房もいよいよ怖くなったが、まさかに、ここの家に泊めてもらうわけにもいかないので、亭主にはあつく礼をいって、怖々ながらここを出た。家へ帰り着くまでに再び火の玉にも盆燈籠にも出逢わなかったが、かれの着物は冷汗でしぼるようにぬれていた。
それから二、三日後に、亀田屋の女房はここを通って、このあいだの礼ながらに煙草屋の店へ立寄ると、亭主は小声で言った。
「まったく相違ありません。隣りの家の切子は、石でも当ったように破れていて、誰がこんないたずらをしたんだろうと、おかみさんが言っていたそうです。お貞さんには別に変ったこともないようで、さっきまで店に出ていました。なにしろ不思議なこともあるもんですよ。」
「不思議ですねえ。」と、女房もただ溜息をつくばかりであった。
この奇怪な物語はこれぎりで、お貞という娘はその後どうしたか、それは何にも伝わっていない。
二 寺町の竹藪
これはある老女の昔話である。
老女は名をおなおさんといって、浅草の田島町に住んでいた。そのころの田島町は俗に北寺町と呼ばれていたほどで、浅草の観音堂と隣り続きでありながら、すこぶるさびしい寺門前の町であった。
話は嘉永四年の三月はじめで、なんでもお雛さまを片付けてから二、三日過ぎた頃であると、おなおさんは言った。旧暦の三月であるから、ひとえの桜はもう花ざかりで、上野から浅草へまわる人跫のしげき時節である。なま暖かく、どんよりと曇った日の夕方で、その頃まだ十一のおなおさんが近所の娘たち四、五人と往来で遊んでいると、そのうちの一人が不意にあらと叫んだ。
「お兼ちゃん。どこへ行っていたの。」
お兼ちゃんというのは、この町内の数珠屋のむすめで、午すぎの八つ(午後二時)を合図に、ほかの友達と一緒に手習いの師匠の家から帰った後、一度も表へその姿をみせなかったのである。お兼はおなおさんとおない年の、色の白い、可愛らしい娘で、ふだんからおとなしいので師匠にも褒められ、稽古朋輩にも親しまれていた。
このごろの春の日ももう暮れかかってはいたが、往来はまだ薄あかるいので、お兼ちゃんの青ざめた顔は誰の眼にもはっきりと見えた。ひとりが声をかけると、ほかの小娘も皆ばらばらと駈け寄ってかれのまわりを取巻いた。おなおさんも無論に近寄って、その顔をのぞきながら訊いた。
「おまえさん、どうしたの。さっきからちっとも遊びに出て来なかったのね。」
お兼ちゃんは黙っていたが、やがて低い声で言った。
「あたし、もうみんなと遊ばないのよ。」
「どうして。」
みんなは驚いたように声をそろえて訊くと、お兼はまた黙っていた。そうして、悲しそうな顔をしながら横町の方へ消えるように立去ってしまった。消えるようにといっても、ほんとうに消えたのではない。横町の角を曲っていくまで、そのうしろ姿をたしかに見たとおなおさんは言った。
その様子がなんとなくおかしいので、みんなも一旦は顔を見合せて、黙ってそのうしろ影を見送っていたが、お兼の立去ったのは自分の店と反対の方角で、しかもその横町には昼でも薄暗いような大きい竹藪のあることを思い出したときに、どの娘もなんだか薄気味わるくなって来た。おなおさんも俄かにぞっとした。そうして、言い合せたように一度に泣き声をあげて、めいめいの家へ逃げ込んでしまった。
おなおさんの家は経師屋であった。手もとが暗くなったので、そろそろと仕事をしまいかけていたお父さんは、あわただしく駈け込んで来たおなおさんを叱りつけた。
「なんだ、そうぞうしい。行儀のわるい奴だ。女の児が日の暮れるまで表に出ていることがあるものか。」
「でも、お父さん、怖かったわ。」
「なにが怖い。」
おなおさんから詳しい話を聞かされても、お父さんは別に気にも留めないらしかった。なぜ暗くなるまで外遊びをしていると、おっ母さんにも叱られて、おなおさんはそのまま奥へ行って、親子三人で夕飯を食った。夜になって、お父さんは小僧と一緒に近所の湯屋へ行ったが、職人の湯は早い。やがて帰って来ておっ母さんにささやいた。
「さっきおなおが何を言っているのかと思ったらどうもおかしいよ。数珠屋のお兼ちゃんは見えなくなったそうだ。」
それは湯屋で聞いた話であるが、お兼はきょうのお午すぎに手習いから帰って来て、広徳寺前の親類まで使いに行ったままで帰らない。家でも心配して聞合せにやると、むこうへは一度も来ないという。どこにか路草を食っているのかとも思ったが、年のいかない小娘が日のくれるまで帰って来ないのは不思議だというので、親たちの不安はいよいよ大きくなって、さっきから方々へ手分けをして探しているが、まだその行くえが判らないとのことであった。
「こうと知ったら、さっきすぐに知らせてやればよかったんだが……。」と、お父さんは悔むように言った。
「ほんとうにねえ。あとで親たちに恨まれるのも辛いから、おまえさんこの子をつれてお兼ちゃんの家へ行っておいでなさいよ。遅まきでも、行かないよりはましだから。」と、おっ母さんはそばから勧めた。
「じゃあ、行って来ようか。」
お父さんに連れられて、おなおさんは数珠屋の店へ出て行った。曇った宵はこの時いよいよ曇って今にも泣き出しそうな空の色がおなおさんの小さい胸をいよいよ暗くした。言いしれない不安と恐怖にとらわれて、おなおさんは泣きたくなった。数珠屋ではもう先に知らせて来たものがあったと見えて、夕方にお兼が姿をあらわしたことを知っていた。その竹藪はお寺の墓場につづいているので、お寺にも一応ことわって、大勢で今その藪のなかを探しているところだと言った。
「そうですか。じゃあ、わたしもお手伝いに行きましょう。」と、おなおさんのお父さんもすぐに横町の方へ行った。
横町の角を曲ろうとするときに、お父さんはおなおさんを見返って言った。
「おまえなんぞは来るんじゃあねえ。早く帰れ。」
言いすててお父さんは横町へかけ込んでしまった。それでも怖いもの見たさに、おなおさんはそっと伸び上がってうかがうと、暗い大藪の中には提灯の火が七つ八つもみだれて見えた。とぎれとぎれに人の呼びあうような声もきこえた。恐ろしいような、悲しいような心持で、おなおさんは早々に自分の家へかけて帰ったが、かれの眼はいつか涙ぐんでいた。おっ母さんに言いつけられて、小僧も横町の藪へ探しに行った。
夜のふけた頃に、お父さんと小僧は近所の人たちと一緒に帰って来た。
「いけねえ。どうしても見つからねえ。なにしろ暗いので、あしたの事にするよりほかはねえ。」
おなおさんはいよいよ悲しくなって、しくしくと泣き出した。おっ母さんも顔をくもらせて、お兼ちゃんは児柄がいいから、もしや人攫いにでも連れて行かれたのではあるまいかと言った。そんなことかも知れねえと、お父さんも溜息をついていた。まったくその頃には、人攫いにさらって行かれたとか、天狗に連れて行かれたとか、神隠しに遭ったとかいうような話がしばしば伝えられた。
「それだからお前も日が暮れたら、一人で表へ出るんじゃないよ。」と、おっ母さんはおどすようにおなおさんに言いきかせた。
単におどすばかりでなく、現在お兼ちゃんの実例があるのであるから、おなおさんも唯おとなしくおっ母さんの説諭を聞いていると、おっ母さんはふと思い出したようにおなおさんに訊いた。
「ねえ、お前。お兼ちゃんはもうみんなと遊ばないよって言ったんだね。」
「そうよ。」
「それがおかしいね。」と、かれはお父さんの方へ向き直った。「してみると、人攫いや神隠しじゃあなさそうだと思われるが……。お兼ちゃんは自分の一料簡でどこへか姿を隠したんじゃないかねえ。」
「むむ。どうもわからねえな。」と、お父さんも首をかしげた。
お兼はひとり娘で、親たちにも可愛がられている。まだ十一の小娘では色恋でもあるまい。それらを考えると、どうも自分の一料簡で家出や駈落ちをしそうにも思われない。結局その謎は解けないままで、経師屋の家では寝てしまった。おなおさんはやはり怖いような悲しいような心持で、その晩は安々と眠られなかった。
あくる日になって、お兼のゆくえは判った。近所の竹藪などを掻きまわしていても所詮知れようはずはない。お兼はずっと遠い深川の果て、洲崎堤の枯蘆のなかにその亡骸を横たえているのを発見した者があった。お兼は腰巻ひとつの赤裸でくびり殺されていたのである。お兼は素足になっていたが、そこには同じ年頃らしい女の子の古下駄が片足ころげていた。更におどろかれるのは、年弱の二つぐらいと思われる女の児が、お兼の死骸のそばに泣いていた。これは着物を着たままで、からだには何の疵もなかった。幸いに野良犬にも咬まれずに無事に泣きつづけていたらしい。その赤児から手がかりがついて、それは花川戸の八百留という八百屋の子であることが判った。
八百留には上総生れのお長ということし十三の子守女が奉公していて、その前日の午すぎに、いつもの通り赤児を背負って出たままで、これも明くる朝まで帰らないので、八百留の家でも心配して心あたりを探し廻っているところであった。してみると、お長は洲崎堤でお兼を絞め殺して、その着物を剥ぎ取って、おそらくその下駄をもはきかえて、自分の背負っている赤児をそこへ置き捨てて、どこへか姿を隠したものであるらしい。ふたりがどうしてそんなところへ連れ立って行ったのか、それは勿論わからなかった。お兼を殺してその着物を剥ぎ取るつもりで、お長がお兼を誘い出したとすれば、まだ十三の小娘にも似合わぬ恐ろしい犯罪である。
お長の故郷は知れているので、とりあえず上総の実家を詮議すると、実家の方へは戻って来ないということであった。数珠屋では娘の死骸を引取って、型の如くに葬式をすませた。
それにしても不思議なのは、その日の夕方にお兼が自分の町内にすがたを現わして、おなおさんその他の稽古朋輩に暇乞いのような詞を残して行ったことである。お兼はそれから深川へ行ったのか。それともかれはもう死んでいて、その魂だけが帰って来たのか。それも一つの疑問であった。おなおさんばかりでなく、そこにいた子供たちは同時に皆それを見たのであるから、思い違いや見損じであろうはずはない。
かれが竹藪の横町へ行くうしろ姿をみて、言い合せたようにみんなが怖くなったというのをみると、どこにか一種の鬼気が宿っていたのかも知れない。いずれにしても、おなおさんを初め近所の子供たちは、確かにお兼ちゃんの幽霊に相違ないと決めてしまって、その以来、日の暮れる頃まで表に出ている者はなかった。親たちも早く帰ってくるように、わが子供らを戒めていた。
しかし子供たちのことであるから、まったく遊びに出ないというわけにはいかない。それから十日あまりも過ぎた後、まだ七つ(午後四時)頃だからと油断して、おなおさん達が表に出て遊んでいると、ひとりがまた俄かに叫んだ。
「あら、お兼ちゃんが行く。」
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