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鯉魚(りぎょ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-26 8:16:46  点击:  切换到繁體中文


 姫はもう何もかも考えなくなって、ひたすら昭青年の来るのを待ちびている。自分では、ただ頼みにする人、有難い人と思っている積りだが、心の底ではもう恋が成熟しきっている。その証拠しょうこには、われ知らず、男の心を試すような我儘わがままを言い出すようにもなりました。
 一方、昭青年は早く機会を見付けて何とか始末をしなくては、悟道ごどうさまたげにもなるし、姫のためにもよくない。刻々、そう思いながら、その気持ちに自分で自分に言いわけをこしらえて、ずるずる現状のままを持ち続けています。時には自分で腑甲斐ふがい無いと思えば思うほど「ええ、何もかもおしまいだ、姫と駆落かけおちでもしてしまおう」こんな反動的な情火がむらむらと起るので、自分ながら危なくて仕様がありません。これはいっそ、そっとこのままにしておいて時のさばきを待つよりしかたがないと、思い諦めて、楽しいようなはかないような逢瀬おうせを続けています。
 昼過ぎ、昭青年は姫に生飯を持って行って食べさせたあと、二人は川へ向いた苫を少し掻き分けて、対岸の景色をながめていました。蝉時雨せみしぐれは、一しきりさかりになって山のみどりるるかと思われるやかましさ、その上、あいにくと風がはたと途絶えてしまったので周囲を密閉した苫船の暑さは蒸されるようです。姫はあせたもとぬぐいながら言いました。
「あたくし、久しく行水しないから、この綺麗きれいな水へ入って汗を流したいのよ。あたりにだれもいませんから、あなたも一緒いっしょに入ってうでつかまらしといて下さらない、こわいから」
 これは難題です。あしの葉のそよぎにも息を殺す二人の身の上に取って、このくらい冒険ぼうけんはありません。見付かったら最後、二人はどんな運命になるか判らない。昭青年は戦慄せんりつを覚えながらし止めました。
馬鹿ばかをおっしゃい。昼日中、そんな危険な事が出来ますか。もし今夜、月がくもりだったら、やみを幸い、ここへ来て入れてあげましょう。それまで我慢がまんするものです」
 けれども姫は自分のい出したすがすがしい計画から誘惑ゆうわくされ、身体からだがむずがゆくなって一刻の猶予ゆうよもなく河水にひたらねば居られぬ気持ちにせき立てられるのでした。
「あたくしの言う事はどうしても聴いて頂けないの」
 姫の切なげな懇願こんがんに昭青年は前後のわきまえも無くなって「では」と言って姫を川の中へ連れて入りました。
 青春はむかしも今も変りません。二人は今の青年男女が野天のプールで泳ぐように、満身にを浴びながら水沫しぶきを跳ね飛ばして他愛もなく遊んでいます。あまりの爽快そうかいさに時の経つのも忘れていました。すると、いつの間にか寺の方の岸には僧達がならんで、あきれた声でさわぎ出しました。
「昭沙弥じゃないか」
「水中でおなごたわむれとる」
「いやはや言語道断な仕儀しぎだ」

     三

 僧たちはすぐ昭青年をつかまえて、はだかのまま方丈ほうじょうへ引立てて行きました。しかし、さすがに僧たちも、裸の姫には手を触れかね、躊躇ちゅうちょしているひまに姫はびっくりして苫船の中へげ込み、着物をかぶって縮んでいました。
 僧たちのうったえを静かに瞑目めいもくして聴いていた住持三要は、いちいちうなずいていましたが最後に、
「判った。だが、昭公が一緒に居たのは、しかおなごかな。鯉魚りぎょをおなごと見誤ったのではないかな」
「そんな馬鹿な間違まちがいが」と、いきり立つ僧をおさえて三要は言いました。
おなごか鯉魚かわしが見んことには判らん。これは一つ昭公と大衆だいしゅ法戦ほっせんをして、その対決の上で裁くことにしよう。早速さっそく、鐘を打つがよろしい。双方そうほう、法堂へ行って支度をしなさい」
 三要はこう言ってじろりと昭青年を見ました。もはや諦めてすで覚悟かくごていであった昭青年が、この眼に出会って思わず心にき出た力がありました。それは自分だけの所罰しょばつなら何でもない。しかし、沙弥とは言え、寺門に属する自分を誘惑した罪科として、あのかよわい姫まで罰せられるとも知れない。これは一つたたかおう。その勇気でありました。昭青年は思わず低頭合掌がっしょうして師を拝しました。その時、もう知らん顔で三要は座を立ち法堂へ急ぐ様子でした。

     四

 法戦が始まりました。※(「碌のつくり」、第3水準1-84-27)きょくろくる住持の三要は正面にひかえ、東側は大衆大勢。西側に昭青年一人。問答の声はだんだん高くなって行きます。衣の袖をたすきに結び上げ、竹箆しっぺいしゃに構えた僧も二三人見えます。もし昭青年がちょっとでも言葉にまったら、いたく打ちのめし、引きくくって女と一緒に寺門監督かんとくの上司へ突出つきだそうと、手ぐすね引いてめつけています。
 大衆が入り代り立ち代り問い詰めても、昭青年はただ
「鯉魚」と答えるだけでした。
「仏子、仏域をけがすときいかに」
「鯉魚」
「そもさんか、出頭、没溺火坑深裏」
「鯉魚」
しゃ田舎奴でんしゃぬ、人をまんずること少なからず」 
「鯉魚」
「ほとんど腐肉ふにくようきたす」
「鯉魚」
 これでは全く問答になっていません。大衆はのっけに打ってかかってもいいようなものの、昭青年の意気込みには、鯉魚と答える一筋のおくに、男が女一人を全面的にかばって立った死物狂しにものぐるいの力がこもっています。大概たいがい野狐禅やこぜんでは傍へ寄り付けません。大衆は威圧いあつされて思わずたじたじとなります。
 そのうち昭青年の心理にも不思議な変化が行われて来ました。はじめ昭青年は、問答に当って禅の古つわものとの論戦に、あれこれ言ったのではかえって言いまくられるであろうから、勝負は時の運に任して、幸い師の三要から暗示ヒントを与えられた鯉魚の二字を守って、守りこうと決心したのですが、どの問いに対しても鯉魚鯉魚と答えていると、不思議にもその調法さから、いつの間にか鯉魚という万有の片割れにも天地の全理が籠っているのに気が付いて、脱然だつぜん、昭青年の答え振りはきて来ました。青年は、あるいは「釜中ふちゅうの鯉魚」と答え、あるいは「あみとお金鱗きんりん」と答えはするが、ついに鯉魚あるを知らず、おのれに身あるを知らず、眼前に大衆あるを知らずして、問いに対する答えのすみやかなること、応変自由なること、鐘の撞木しゅもくに鳴るごとく、木霊こだまの音を返すがごとく、活溌かっぱつ轆地ろくち境涯きょうがいとらえました。こうなると大衆はだんだんだまってしまって、ただただ驚嘆きょうたんの眼をみはるのです。にっこりと笑った三要は払子ほっすを打って法戦終結を告げ、勝負は強いて言わずに、次の言葉を発しました。
「昭公が、いま、別の生涯あるを知ったのは、永い間、生飯をほどこした鯉魚の功徳くどくの報いだ。昭公に過ちがあったのは、わしの不徳のいたすところだ。まあ、この辺で事件は落着にしてもらいたい」
 昭青年はこれを機として落髪らくはつして僧となり、別に河辺かわべ鯉魚庵りぎょあんを開いて聖胎長養せいたいちょうように入ったが、将来名器の噂が高い。
 恋愛れんあい関係において一方がさとってしまったら相手は誠に張合いの無いものとなります。悟るということは、生命の遍満性、流通性を体証したことで、一ぴきの鯉魚にも天地の全理がふくまれるのを知ると同時に、恋愛のみが全人生でなく、そういう一部に分外にとどまるべきでないとも知ることです。
 そのうちにさとさなくとも早百合姫は、道に志ある身となって、しかし、これは逆に塵中じんちゅうへ引返し、いの天才を発揮して京町の名だたる白拍子しらびょうしとなりました。さす手ひく手のたえ、面白の振りの中にびた禅味がたゆとうとて珍重ちんちょうされたのは、鯉魚庵の有力な檀越だんおつとなって始終、道味聴聞どうみちょうもんの結果でありました。
 この後、住持三要は、間違いがあってはならぬというので、淵の鯉魚へ生飯をる役は老体ながら自分ですることにしました。そこで淵の鯉魚は、再び、斎の鐘を聴くと寺前の水面に集って待つようになりました。

(昭和十年八月)




 



底本:「ちくま日本文学全集 岡本かの子」筑摩書房
   1992(平成4)年2月20日第1刷発行
底本の親本:「岡本かの子全集」冬樹社
入力:ゆいみ
校正:岩田とも子
1999年9月7日公開
2005年11月30日修正
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