ちくま日本文学全集 岡本かの子 |
筑摩書房 |
1992(平成4)年2月20日 |
桐の花の咲く時分であった。私は東北のSという城下町の表通りから二側目の町並を歩いていた。案内する人は土地の有志三四名と宿屋の番頭であった。一行はいま私が講演した会場の寺院の山門を出て、町の名所となっている大河に臨み城跡の山へ向うところである。その山は青葉に包まれて昼も杜鵑が鳴くという話である。
私はいつも講演のあとで覚える、もっと話し続けたいような、また一役済ましてほっとしたような――緊張の脱け切らぬ気持で人々に混って行った。青く凝って澄んだ東北特有の初夏の空の下に町家は黝んで、不揃いに並んでいた。廂を長く突出した低いがっしりした二階家では窓から座敷に積まれているらしい繭の山の尖が白く覗かれた。
「近在で春蚕のあがったのを買集めているところです」
有志の一人は説明した。どこからかそら豆を茹る青い匂がした。古風な紅白の棒の看板を立てた理髪店がある。妖艶な柳が地上にとどくまで枝垂れている。それから五六軒置いて錆朽ちた洋館作りの写真館が在る。軒にちょっとした装飾をつけた陳列窓が私の足を引きとめた。
緊張の気分もやっと除れた私は、どこの土地へ行っても起るその土地の好みの服装とか美人とかいうのはどういう風のものであろうかと、いつもの好奇心が湧いて来た。
窓の中の写真は、都会風を模した、土地の上流階級の夫人、髯自慢らしい老紳士、あやしい洋装をした芸妓、ぎごちない新婚夫妻の記念写真、手をつないでいる女学生――大体、こういう地方の町の写真館で見るものと大差はないが、切れ目のはっきりした涼しい眼つきだけは撮されている男女に共通のものがあってこの土地の人の風貌を特色づけていた。
だが、私が異様に思ったのは、それらに囲まれて中央に貼ってある少年の大きな写真である。写真それ自体がかなり旧式のものを更に年ふるしたせいもあるだろうが、それにしても少年の大ようで豊かでそして何か異様なものが写真面に表われているのに心がうたれた。
少年はいい絹ものらしい着物を無造作に着て、眼鼻立ちの揃った顔を自然に放置していた。いくら写真を撮し慣れた人でも、これくらい写真機に対して自然に撮させた顔も尠なかろう。
私が思わず硝子近く寄って、つくづく眺め入るのを見て、有志の一人は側に来て言った。
「それは、東北地方では有名だった四郎馬鹿の写真です」
「白痴なのですか、これが」私は訊ね返した。
「白痴ですが、普通の馬鹿とは大分変っておりまして、みんなに、とても大事にされました」
そして、これも遠来の講演者に対する馳走とでも思ったように四郎馬鹿について話してくれた。
汽車の係員たちまでがこの白痴の少年には好意を寄せて無賃で乗車さす任意の扱いが出来たというから東北の鉄道も私設時代の明治四十年以前であろう。この町に忽然として姿の見すぼらしい少年が現われた。
少年は、見当り次第の商家の前に来て、その辺にある箒を持って店先を掃くのである。その必要のある季節には綺麗に水を撒くのである。そうしたあと、少年はにこにこして店の前に立って何かを待つ様子である。
始めは何事か判らなかった店の者は余計なことをすると思って、少年の所作を途中で妨げたり、店先に立つ段になると叱って追い放ったりした。少年は情ない顔をして逃げ去る。ときどきは心ない下男に打たれて泣き喚きながら走ったりした。
けれども少年はしばらくすると機嫌を取直す。というよりも芥を永く溜めてはおけない流水のように、新鮮で晴やかな顔がすぐ後から生れ出て晴やかな顔つきになる。そしてもう別の店の前を掃くのであった。
「性質のいい乞食なのだ。一飯の恵みに与りたいのだ」
そう受取るようになった店々のものは、掃除をしたあとで立つ少年を台所の片隅に導いて食事をさせた。少年はなぜこれが早く判らなかったのだろうという顔つきをして、嬉しそうに箸を取り上げる。
少年には卑屈の態度は少しも見えなかった。
食事の態度は行儀よく慎ましかった。少年はたっぷり食べた。「お雑作でがんした」礼もちゃんと言った。店の忙しいときや、面倒なときに、家のものは飯を握り飯にしたり、または紙に載せて店先から与えようとした。すると少年は苦痛な顔をして受取りもせず、踵を返してすごすごと他の店先へ掃きに行った。坐って膳に向うのでなければ少年は食事と思わなかった。
少年は銭も受取らなかった。銭は貰ったこともあるが大概忘れて紛失するので懲りたらしい。
「あれは、どこか素性のいい家に生れた白痴なのだ」
「そう言えば、上品だ」
町の人は、少年自身がわずかに記憶している四郎という名を聞き取って四郎馬鹿と言ったが、四郎馬鹿さんと愛称をもって呼ぶようになった。
「四郎馬鹿さんに見舞われた店はどうも繁昌するようだ」
東北の町々にこういう風評が立った。だいぶ以前から四郎は、最初出現したS――の城下町にも飽いて、五六里距った新興の市へ遊びに行った。誰か物好きに荷馬車にでも乗せて連れて行ったらしい。それから少年は町から町へ漂泊することを覚えた。汽車にも乗せた人があるらしい。奥羽、北国の町にも彼の放浪の範囲は拡張された。それらの町々でも少年の所作に変りはなかった。店先の掃除をして一飯の雑作に有りついた。誤解や面倒がる関門を乗り越して四郎の明澄性はそれらの町々の人の心をも捉えた。
「四郎馬鹿さんに見舞われた店は、どうも繁昌するようだ」
それには多分に迷信性と流行性があったかも知れない。しかし少年の一点の僻みも屈託もない顔つきと行雲流水のような行動とは人々の心に何か気分を転換させ、生活に張気を起させる容易なものがあったらしい。マスコットというものはそうしたものである。
町々の人は少年を歓迎し始めた。少年の姿を見ると目出度いと言って急いで羽織袴で恭しく出迎えるような商家の主人もあった。華々しい行列で停車場へ送ったりした。少年の姿は絹物の美々しいものになった。町の有力者は言った。
「あの白痴を呼んで来るのは町の景気引立策にもいいですなあ」
北国寄りのF――町の表通りに、さまで大きくはないがしっかりした呉服店の老舗があった。お蘭という娘があった。四郎はこの娘が好きでF――町へ来ると、きっとこの呉服店へ立寄った。四郎はお蘭の傍にいるだけで満足した。お蘭の針仕事をしている傍に膝をゆるめて坐って、あどけないことを訊ねたり単純な遊びごとをしたりした。小春日和の暖かい日にはうとうと居眠りをした。ときに眼を覚まして、そこにお蘭のいるのを確めると、また安心して瞼をゆるめた。
お蘭は、世の中の雑音には極めて怖え易く唯一人、自分だけ静な安らかな瞳を見せる野禽のような四郎をいじらしく思った。彼女はこの人並でないものに何かと労りの心を配ってやった。それは母か姉のような気持だった。こうしているうちに一つの懸念がお蘭の心に浮んだ。あるとき彼女は四郎にこう訊いた。
「もし、あたしがお嫁に行くとき、四郎さはどうする」
四郎は躊躇なく答えた。
「おらも行くだ、一緒に」
お蘭は転げるように笑った。
「そんなこと出来ないわ。人を連れて嫁に行くなんて」
四郎には判らなかった。
「どうしてだ」
「お嫁に行くということは私が向うの人のものになってしまうのだから、その人が承知してくれないじゃ、一緒に行けないのよ」
「お蘭さが誰かのものになるというだかね」
「そうよ」
「ふーむ」
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