岡本かの子全集6 |
ちくま文庫、筑摩書房 |
1993(平成5)年9月22日 |
1993(平成5)年9月22日第1刷 |
人間も四つ五つのこどもの時分には草木のたたずまいを眺めて、あれがおのれに盾突くものと思い、小さい拳を振り上げて争う様子をみせることがある。ときとしては眺めているうちこどもはむこうの草木に気持を移らせ、風に揺ぐ枝葉と一つに、われを忘れてゆららに身体を弾ませていることがある。いずれにしろ稚純な心には非情有情の界を越え、彼と此の区別を無みする単直なものが残っているであろう。
天地もまだ若く、人間もまだ稚純な時代であった。自然と人とは、時には獰猛に闘い、時には肉親のように睦び合った。けれどもその闘うにしろ睦ぶにしろ両者の間には冥通する何物かがあった。自然と人とは互に冥通する何者かを失うことなしに或は争い或は親しんだ。
ここに山を愛し、山に冥通するがゆえに、山の祖神と呼ばるる翁があった。西国に住んでいた。
平地に突兀として盛り上る土積。山。翁は手を翳して眺める。翁は須臾にして精神のみか肉体までも盛り上る土堆と関聯した生理的感覚を覚える。わが肉体が大地となって延長し、在るべき凸所に必定在る凸所として、山に健やけきわが肉体の一部の発育をみた。
翁は、時には、手を長くさし出して地平の線に指尖を擬する。地平の線には立木の林が陽を享けて薄の群れのように光っている。翁は地平のかなたの端から、擬した指尖を徐ろに目途の正面へと撫で移して行く。そこに距離の間隔はあれども無きが如く、翁の擬して撫で来る指の腹に地平の林は皮膚のうぶ毛のように触れられた。いつまでも平の続く地平線を撫で移って行く感覚は退屈なものである。人間の翁がそう感ずると等しく、自然自体も感ずるのであろうか、翁の指尖が目途の正面を越して反対側へ撫で移るまもないところから地平は隆起し、麓から中腹にさしかかり、ついに聳え立つ峯巒となる。遠方から翁の指尖はこつに嵌ったその飛躍の線に沿うて撫で移って行くと音楽のような楽しいリズムを指の腹に感ずる。地の高まりというものは何と心を昂揚さすものであろう。人を悠久に飽かしめない感動点として山は天地間に造られているのであろう。
火の端で翁は、つれづれであった。翁は腕を動かして自分の肉体の凸所を撫でまわす。肩尖、膝頭、臀部、あたま――翁の眼中、一々、その凸所の形に似通う山の姿が触覚より視覚へ通じ影像となって浮んで来た。
山処の
ひと本すゝぎ
朝雨の
狭霧に将起ぞ
翁は身体を撫でながら愛に絶えないような声調で、微吟した。
山又山の峯の重なりを望むときの翁は、何となく焦慮を感じた。対象するもののあまりに豊量なのに惑喜させられたからだった。翁は掌を裏返しに脇腹を焦れったそうに掻いた。
峯々に雲がかかっているときは、翁は憂げな眼を伏せてはまた開いて眺めた。藍墨の曇りの掃毛目の見える大空から雲は剥れてまくれ立った。灰いろと葡萄いろの二流れの雲は峯々を絡み、うずめ、解けて棚引く。峯々の雲は日のある空へ棚引いては消え去る。消え去るあとからあとから、藍墨の掃毛目の空は剥離して雲を供給する。峯はいつまで経っても憂愁の纏流から免れ得ないようである。それを見ている翁は、心中それほどの苦悩もないのだが、眼だけでも峯の愁いに義理を感じて、憂げに伏せてはまた開くのであった。そのうち翁は眼が怠くなって草原へごろりと臥てしまった。雲の去来は翁の眠っている暇にも続けられていた。だが、やがて雲は流れ尽き、峯は胸から下界へ向けて虹をかけ渡していた。
西国にて知れる限りの山々を翁はみな自分の分身のように感じられた。翁は山々を愛するがゆえに、それ等の山々の美醜長短を、人間の性格才能のように感じ取った。事実、山には一目見ただけでも傲慢であったり、独りよがりのお人好しであったりしそうな性格に見立てられるものがある。翁がみるところによると、どの山の性格でも翁自身の性格の中に無い性格はなかった。中には自分に潜んでいて、却って山に現れ出て、逆に自分に気付かせられるようなこともあった。翁は山を愛するが、しかし山を惧れ、そして最後に山を信じた。
翁は妻との間にたくさんこどもを生んだ。こどもが生れて一人動きできるようになると、翁はこれを山に持って行って置いて来た。
山の麓にこどもを置去りにして来て、果してそれで育つものかどうか危ぶまれた。しかしどこへ置いたところでその幸のないものは、育った方が却って面白からぬことになるような育ち上りをしてしまうかも知れない。それなら一っそ、こどもを好きな山に賭けよう。山が育つべく思うほどのこどもなら山は育てよう。少くともこれほど信頼する山が悪しゅうは取計う筈はあるまい。もしこの上にして育たぬようだったら、山よ、わたしは諦める。だが、山よ、出来得べくはなる丈け育てて呉れ。翁はこどもを山の方に捧げ、ひょこひょこひょこと三つお叩頭をして、置いて帰った。愛別離苦の悲しみと偉大なものに生命を賭ける壮烈な想いとで翁の腸は一ねじり捩れた。こどもを山にかずける度びに翁の腹にできたはらわたの捻纏は、だんだん溜って翁の腹を縲の貝の形に張り膨らめた。それに腹の皮を引攣られ翁はいつも胸から上をえび蔓のように撓めて歩いた。
こどもの中には餓え死んだり、獣の餌になるものもあったが、大体は木の実を拾って食い、熊、狼の害を木の股、洞穴に避けて育った。山は害敵とそれを免れるものと両方を備え無言にして生命それ自ら護るべき慧智を啓発した。
こどもたちは父親の翁に似て山が好きだった。その性分の上にあけ暮れ馴染む山は、はじめは養いの親であり、次には師であり、年頃になれば睦ぶ配偶でもあった。老年には生みの子とも見做される情愛が繋がれた。死ぬときには山はそのまま墓でもあった。しかし、生涯、山に親しみ山に冥通する何ものかを得たこどもたちは、老年に及び死を迎えるまえに生命を自然の現象に置き換える術を学び得ていた。彼等は死の来る一息まえ、わがいのちを山の石、峯の雲に托した。それゆえ彼等は悠久に山と共に鎮り、峯に纏って哀愛の情を叙することができる。
翁はその多くのこどもを西国の名だたる山に、ほぼ間配りつけた。比叡、愛宕、葛城、鈴鹿、大江山――当時はその名さえ無かったのだが、便利のため後世の名で呼んで置く――山ほどの山で翁のこどもの棲付かぬ山もなかった。
山に冥通を得たこどもたちは、意識に於て「妙」というほどの自在を得た。離れたときには山と自分と相対した二つとなり、融ずるときには自分を山となし、或は山を自分とする一致ができた。山におのおの特殊の性格があることは前の条で説いた。こどもたちは育った山の性その如き人間となった。身体つき容貌まで何やら山の姿、峯の俤に似通って見えた。西国の山は冬は脱ぎ夏は緑を装った。こどもたちも亦冬は裸に夏は藤ごろもを着た。緑の葉に混る藤の花房が風にゆらいで着ものから紫の雫を撥ねさした。
もとより山のことにかけては何事でも暗んじているこどもを、麓の土民たちはその山の神と呼んだ。そして侍き崇むる外に山に就ての知識を授けて貰った。たつきの業を山からかずけられて生活する麓の土民は、山の秘密や消息を苦もなく明す人間を、感謝し、惧れ、また親しんだ。ときどきは神秘に属する無理な人間の願事をも土民はこどもに山へ取次ぐよう頼んだ。こどもは苦笑しながら、しかし引受けた。冥通の力によって山に土民たちの望むことを聴き容れさしてやった。土民たちは助った。
山の祖神の翁は西国の山々へはほとんどこどもを間配り終り、その山々の神としての成長をも見届けた。いまは望むこともないように思われた。ただ東国に目立った二つの山があって神々を欠くという噂を聞いていた。それは、どんな容貌性格の山だろうか、その性格は自分如きには無い性格の山だろうか。まだ見ぬ東国の山は翁に取っていま、一層に、慕わしいものとなった。それへも骨肉を分けて血の縁を結んだなら自分の性格の複雑さも増す思いで、分身を雲の彼方にも遺す思いで、自分はどのようにかこの世に足り足らいつつ眼が瞑れることだろう。翁に、末のこどもの姉と弟があった。深く寵愛していたのでまだどこの山へも送らず、手元で養っていたのであるが、翁はとうとう決心した。翁は姉と弟を取って東路へ帰る旅人の手に渡した。翁は眷属の繁栄のため、そのおもい子を遥なるまだ見ぬ山の麓へおもい捨てた。
自然に冥通の人間の上に、自然が支配する時間の爪の掻き立て方は人間から緩急調節できた。翁の上に幾たびかの春秋が過ぎた。けれども、翁の齢の老に老の重なるしるしらしいものは見えなかった。翁は相変わらず螺の腹にえび蔓の背をしてこそおれ、達者で、あさけ夕凪には戸外へ出て、山々の方を眺めた。そして心の中で、わが眷属は、分身は、性格の一面は、と想った。想う刹那に、山々の方から健在のしるしの応答えが翁の胸をときめかすことによって受取られた。翁は手をその方へ掲げて、彼等を祝福した。
ただ東国の方へ遺った、まだ見ぬ山に棲める筈の姉と弟の方からは、翁のこれほどの血の愛の合図をもってしても何の感応道交も無かった。翁は白い眉を憂げに潜め
「除汝、除汝、はや」
そういって力なく戸の中に戻った。
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