世界紀行文学全集 第二巻 フランス編2[#「2」はローマ数字、1-13-22] |
修道社 |
1959(昭和34)年2月20日 |
1959(昭和34)年2月20日 |
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旅人のカクテール
旅人は先ず大通のオペラの角のキャフェ・ド・ラ・ペーイで巴里の椅子の腰の落付き加減を試みる。歩道へ半分ほどもテーブルを並べ出して、角隅を硝子屏風で囲ってあるテラスのまん中に置いた円い暖炉が背中にだけ熱い。
眉毛と髪の毛がまっ白な北欧の女。頬骨が東洋風に出張っていてそれで西洋人の近東の男。坊主刈りでチョッキを着ないドイツ人。鼻の尖った中年のイギリス紳士。虎の毛皮の外套を着て、ロイド眼鏡をかけた女があったらアメリカ娘と見てよろしい――彼女はタキシードを着たパリジャンの美青年給仕を眼で追いながら、ふかりふかり煙草を吸っている。オカッパにウエーヴをかけない支那女学生が三四人、巧いフランス語で話し合っている。
並んだ顔を一わたり見渡して、成程、ヴァン・ドンゲンがいったカクテール時代という言葉を肯定する。
孔雀のように派手なシアーレが展げてある向う側の女物屋のショーウィンドウの前へ横町からシルクハットを冠ったニグロの青年と、絹糸のようにデリケートな巴里の女が腕をからんで現われた。
仲好三人
お多福さんとタチヤナ姫と、ただの女と――そう! どう思い返してもこう呼ぶのがいい――が流行の波斯縁の揃いの服で、日覆けの深いキャフェの奥に席を取った。遊び女だ。連れて来た袖猿に栗をあてがって置いて、彼女等はお互いの着物の皺に出来た大小の笑窪を評し合っている。彼女等は誰かここで昼飯交際の旦那が見つかれば好し、もし見つからなければ仲好三人で今日一日遊んでしまおうという話がまとまった。一人が他の一人に、うっかり商売気を出して仲間にまで色眼はお使いでないよと頬を打つ。きゃっきゃと笑う。
斜向うのイギリス銀行、ロイド・ナショナル・プロヴィンシアル・バンクの支店から出て来た髭の生えたプラスフォアのイギリス人が日当りの好さそうな卓を選んで席を取った。彼は女達には知らん顔で律儀に焼パンと紅茶を誂えた。
女達も彼には一向無頓着で、きゃっきゃっと笑い続けている。
ロンポアンから
ゆらゆらと風船でも飛ばしたい麗かさだ。みんながそう思う。期せずしてみんなが空を振り仰ぐ。そこにちゃんと一つ風船が浮いている。腹に字が書いてある。「春の香水、ヴィオレット・ド・バルム」気が利き過ぎて却って張り合いがない。
町並のシャンゼリゼーが並木のシャンゼリゼーへ一息つくところに道の落合いがある。丸点。ささやかな噴水を斜に眺めてキャフェ丸点がある。桃色の練菓子に緑の刻みを入れたような一掴みの建物だ。
春は陰影で煮〆たようなキャフェ・マキシムでもなかろう。堅苦しいフウケでもなかろう。アメリカの石鹸臭いアンパはなおさらのことだ。ギャルソンの客あしらいに多少の薄情さはあっても、それがいつも芝居の舞台のように陽気に客を吹き流して行くロン・ポアンの店が、妙に春に似合う。マロニエの花にも近いというので、界隈の散歩人は入れ代り立ち代り少憩をとる。
「飴を塗った胡桃の串刺しはいかが?」
「燻製鮭のサンドウイッチ、キァビヤ。――それから焙玉子にアンチョビの……。」
少女達がいろいろなサンドウイッチを手頃な荷にして、ギャルソン達の忙しいサーヴィスの間を、邪魔にならぬように詰った客の間を、売歩く。
「あの、桃の肉が溶けているイタリーのヴェルモットはありませんかしら」
と誂えて置いて、トオクを冠った女客がホールの鏡壁の七面へ映る七人の自分に対して好き嫌いをつけている。後向き、好き。少し横向き、少し好き。真横、好かない。七分身、やはり少し。では真向きの全身――椅子を直すふりして女客は立ち上った。が、真向きの一番広い鏡面は表のマロニエの影で埋まっている。白い花を載せた浅緑の葉や、赤い花を包んだ深緑の葉の影がかたまり、盛り上り、重なり合った少しまばらなところに、女客のトオクの先がわずかにちらついて写った。体の影はずっと奥の方へ追いやられて[#「追いやられて」は底本では「追ひやられて」]、表から出入する客達のきれぎれの影に刻み込まれた。
部屋一ぱいの男客、女客の姿態は珈琲の匂いと軽い酒の匂いに捩れ合って、多少醗酵しかけている。弾む話。――
「巴里の消防署長が、火事のときに消防夫に給与する白葡萄酒を今度から廃めるそうですよ。」
「へえ、やっぱり節約からでしょうか。」
「いえ、あれを二本飲むと眠るものが出来て困るからだそうです。」
若い妻が老人の夫に嘆くそぶりで、
「いま巴里中であたしが一ばん不幸な女だろうと思うの。」
「なぜさ、なぜさ。」
「だって、お便通剤が一向利かないんですもの――。」
「ああ、またおまえのバレた冗談が、はじまったのか。」
外では、グラン・パレイの春のサロンから出て来た人がちらほら晩餐までの時間を持てあましている。
一人が道ばたの花園の青芝の縁に杖を垂直に立てて考えることには、
「ヒヤシンスはとても喫むまいが、チュリップというやつはこいつどうも煙草を喫みそうな花だ。」
並木の有料椅子のランデヴウ。無料ベンチのランデヴウ。
軽い水蒸気が、凱旋門からオベリスクの距離を実測よりやや遠く見せている。シャンゼリゼーの北側の店にこの間から展観されていた評判の夫婦乗軽体飛行機が売れたらしい。マロニエの茂みを分けて、紅色の翼が斜に往来へのっと現れた。その丁度向側の家が持主の代が変りそうだという評判を聞いて、その家は保存的価値のある建築であったので、美術大臣が周章てて今度の持主に手紙で政府の保護を申出でた。するとやがて返事が来た。女文字で
御心配御無用に御座候。この家は前持主に妾が与えし愛の代償として譲られしものに御座候。ゆめゆめ粗略には致すまじく候。かしこ。
旧巴里の遺物
オペラの辻を中心に、左右へ展開する大通とイタリー街のキャフェたちは、朝の掃除をしまって撒いた赭砂の一掴みを椅子やテーブルの足元に残している。ソーダの瓶と菓子麺麭の籠とが縞のエプロンの上で日の光を受け止めている。短い秋を見限ってテラスの真ん中の丸暖炉と、角隅を囲う硝子屏風はもう季節の冬に対しての武装だ。
乗合自動車の轍の地揺れのたびに落ちるマロニエやプラタアヌの落葉。
テーブルの上へ、まだ活字が揮発油で濡れているパリ・ミデイの一版を抛り出して、キャフェの蕭条をまづ第一に味わいに来たのは Boulevardier(界隈の人、或は大通漫歩の人と訳すべきか)と呼ばれている巴里の遺物である。大体、戦前から戦後にかけて彼の筆役勤務の現役を終えた文人であって、この付近に雑誌社、新聞社の巣窟があった時代の習慣で足はおのずとここへ向く。デカダン時代の風雅に養成された彼は、今日の唯物的健康なるものに対して悉く反噬する。
「このごろ西の郊外に出来る新住宅の様式は、あれは建築ではないね、あれは建築の骨組というものだ。造作は永久に取付けない――」
併せて彼はフランス主義者だ。カクテールを誂えているアメリカ娘に向っていう。
「御免下さいお嬢さん。巴里には Cocktail というものは御座いませんぜ、Coqueter ならありますが。全然アメリカのものとは違うんです。
十一番
イタリー街の朝のキャフェの一つのテーブルにぐったり肱を落した絹襟巻の紳士は、マデレン寺院を中心に直径半マイルほどの円囲内に地潜っている賭博宿の一つから出て来たものだ。ニコチン中毒で冷たく乾燥した手の掌を頭の毛に摺りつけては、その触覚を取戻そうと努めながら口の中でいっている。
「十一番、十一番、十一番、十一番……。」
近ごろ Sanremo Casino の賭博室で、ルーレットが十一番に六回続けて当ったという事件があった。四回まで同じ人が張って五回と六回は人が代った。もし同じ人が六回まで張り通したら、カジノは七十万円ばかりの損になる勘定であった。
この噂がこの社会一般に伝わると、No. 11 という数は異様な神秘をもって賭博者流の心を捉えた。十一番の模倣者が続出した。そしていたずらに「数」の気まぐれに翻弄された。
白絹襟巻の紳士は、涸裂れた唇に熱い珈琲のコップを思い切って押しつけた。苦痛を通して内臓機関に浸み込んで行く芳烈な匂いは、彼の眼に青とも桃色ともつかぬ二重の蝶を幻覚させた。その蝶が天地大に姿をフォーカスし去ると、そこに二階の窓々で飾人形を掃除している並木越しの商店街を見出した。
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