愛よ、愛 |
メタローグ |
1999(平成11)年5月8日 |
1999(平成11)年5月8日第1刷 |
1999(平成11)年5月8日第1刷 |
一平 兎に角、近代の女性は型がなくなった様だね。
かの子 形の上でですか、心の上でですか。
一平 つまり、心構えの上でさ。昔で云えば新しい女とかいうようにさ。
かの子 特別な型はなくなりましたね。たとえば青踏時代の様に。
一平 つまり今の新しい女はそんな詩的な概念でなく、もっと実質的に入ったんだろう。
かの子 詩的概念を表現する様になったとでも云いましょうか。いえ詩的概念という言葉はあてはまりませんね。
一平 それは空想だろう。
かの子 いいえ、理想ですよ。
一平 要するに実質的になったんだね。
かの子 実質的とは。
一平 たとえば社会的のある理想を持つとすれば、すぐ社会運動に即するし、芸術的モーションを抱いてる人は芸術的の創作に即するという様に昔の女性は何となく一つの新しいということの憧憬があった。その憧憬が此頃は地べたに踵をつけて来た。
かの子 それは時代が非常に便利になったから何となく新しくあろうという憧憬が青踏社時代の様に鬱勃としていません。たとえばその鬱勃としたものが、手軽に云えば髪形の上や服装の上などに通け口が出来ているでしょう。また婦人雑誌を読めば現代語が出て、それを読めば自分の程度の新しさと一致する心よさがあり、見るものすべてが流通無碍になっただけ、それだけ女性全般の中に蓄積されたものがない様に思います。それから一般的に新しい色彩が行き亙っているため、本質的な思想家や芸術家は既成の人を除いてはぼかされ易い様です。すべての女が相当な新らしいテクニカル・タームを覚え青踏社時代の新しさは近代の女性には常識程度に普遍化されて来た様です。
一平 一つは外国からの格別新しい思潮が入らなくなった勢もありはしないか。
かの子 ここの所一寸そういう風な状態ですね。極く繊細な感覚的な拾物程度のものは一部の人の中に入って来てはいるけど。
一平 だから今じゃむしろ一般の女性の外形上の言語や服装等の上には皮相な新し味は非常にあるけど、内容は昔のものが地べたにならされただけのもので外形程の新し味が内容に於てはカルチベードされていないね。
かの子 一面から云えば非常にもの分りのいい新鮮らしい女性が多い様に見えるけれど、それは近代の女性に許されている可成の自由と、女性そのものの普遍化された新味から来る自負心とであって、内容そのものは真の創造や鬱勃たる熱情に乏しいと思います。近代の女性はなかなか巧利的な所もあって兎角利害の打算の方が感情よりも先に立って利害得失を無視してどこまでも自分の感情を生かそうとする熱情の閃は多くの場合に於て見られないと思いますね。この事は恋愛などに於ても。つまりしっかりした芸術作品を持ったり他の事業でも真摯な地歩をかためて居る女性以外には装飾的な表皮の感情は多くひらめかして居ても本質的な真面目な熱情や感情が浅薄です。或種の文学少女などことに。
一平 それは僕も同感だね。所で西洋の文学上で近代的な女というのはどんなだい。それ何とかいう西班牙の無政府主義者の女ね。あれなんかどうだい。
かの子 ポール・モーランの「カタロオニュの夜」の中に現われるルメジオスですか。
一平 あれだってつまり、内容はツラディショナルな女の上に近代の主義主張をかぶせた種類の女を発見しただけなんだね。
かの子 いえ、あれは非常に垢抜した女だと思いますね。それから「トルコの夜」のヒロインはなお、とても現代の日本の女の常識的な新味はあれに較べることが出来ません。兎に角現代では新しいという事が概念になり常識になったから少しも新しくはありません。
一平 それは実質的になったんだ。
かの子 そうです。新しい事を草履を穿く様にまた洋傘をさすと同じ様にしています。
一平 つまり新しいという事を使用しているんだね。丁度円太郎自働車の様に使用しているんだ。
かの子 そうです。
一平 電気の様に内容は分らなくても使用するだけの能力はあるんだ。
かの子 便利だからですね。
一平 僕はあの小説を読むと描き方はやわらかく感じるが、あの女は格別新しいとは思わないね。
かの子 ただ何となく垢抜けした感じがします。あれは散々今の新しさが使用し尽された後のレベルから今一だん洗練を経た後に生れた女です。格別の新しがらなくとも新らしい智識の洗礼を受けたのちの彼女等の素直さと女らしい愛らしさと皓潔な放胆がぎすぎすした理窟や気障な特別な新らしがりより新らしいのでしょう。
一平 昔の新しい女は勇気はあったが、垢抜けしていなかった。どこか自然主義かリアリズムだった。ではこれからの女は今までの新らしさを土台にして垢抜けすることが一特色になるのかね。
かの子 宜い調和と賢い素直さと皓潔な放胆で適宜に生きるというほどいつの時代にだって新鮮な生き方はなかろうと思いますわ。
一平 近代の青年は全く暗い影のない、何というかツルツル滑った、そして危い程ヒラヒラしたとりとめのない程その場その場で動いて行く。それに丁度適応する近代的女性があるだろうか。
かの子 宜い理智から明快に生きる青年と時代のカスをなめてただ軽薄にその場その場の生活をするのと両方でしょうね。もちろん女性にもそれに適応した型が幾つもの差別で存在してます。近代青年に対するあなたの観察は勿論一部分に対するものとしては誤っては居ません。が比較的に云って、近代の青年は案外真面目な思想を抱いているものが多い様です。例えば彼等の女性観を聞くと自分自身が女性でありながら一ち一ち傾聴せずには居られない位に深刻に女性を解剖しています。
一平 近代女性の恋愛はどうかね。今の青年は恋は出来ないと云っていて而も恋はするけどごく刹那的恋を追って行くという傾向だろう。だから女の方の傾向もそうじゃないかね。男の方にはヘロイズムがなくなって享楽生活を非常に重要視している。
かの子 女の方も女の権利とか位置とかを楯にして案外浅薄な利己主義な、お芝居気を満足させるための気障なのも往々にして見受けます。むしろ一般の風潮が多くそうであると云い度い位です。そして反射神経でありあわせなラブレターの書式など、実にうまくなりましたこと。然しほんとうの恋をする女があるということは物論昔も今も決して変ろう筈はありません。真当の恋というものの本質も標準も私が必ず知って居るというわけではないけれど、とにかくより執拗なより永遠的なものということですの。
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