笑ひ声や冗談に開け放たれた家庭の空気に育ち、心に蟠りなどは覚えたこともないお涌は、恋愛などといふ入り組んだ重苦しいものは、今の世にあるものぢやないと首を振つた。
ほとんどきまつた話はしたことのない四五年間の少年少女の交際の間にも、お涌はこの家の神秘な密閉的な原因が判るやうな気がした。
先祖は十八大通といはれた江戸の富豪で、また風流人の家筋に当り、三月の雛祭りには昔の遺物の象牙作りの雛人形が並べられた。明治の初期には皆三の祖父に当る器量人が、銀行の頭取などして、華々しく社交界にもうつて出たが、後嗣はひとりの娘なので、両親は娘のために銀行の使用人の中から実直な青年を選んで娘の婿に取つた。それが皆三の両親である。三人の男の子が生れた頃、どういふものか、祖父は突然その婿を離縁してやがて自分も歿した。
祖父は、あとでわかつたのであるが、強い酒に頭が狂つてゐたのであるさうだ。さうと知らず、離縁された皆三たちの父は、ただぽかんとして、葉山の別荘にひとりで暮してゐるうち、ある日海水浴をすると、急に心臓麻痺が来て死んでしまつた。
「僕が三つのときだ」
皆三は何の感慨もなささうに云つた。
何とも理由づけられない災難に逢つたのち、男の子三人抱へた寡婦として自分を発見した皆三の母親のおふみは、はじめて世の中の寂しいことや責任の重いことを覚つた。さうなるまでは、まつたく中年まで、この母親はお嬢さん育ちのままであつた。知り合ひのなかから相談相手として、三四人の男女も出て来たのであるが、成績は面白くなかつた。遺産はみすみす減つて行くばかりだつた。母親は怯えと反抗心から、その後は羽がひの嘴もしつかり胴へ掻き合せた鳥のやうに、世間といふものから殆ど隔絶して、家といふものと子供とを、ただその胸へ抱き籠めるやうな生活態度を執るやうになつた。
祖父に似て派手で血の気の多い長男は、海外へ留学に出たままずつと帰らない。実直で父親似と思つた次男は、思ひがけない芸人で、年上の恋人が出来、それと同棲するために、関西へ移つたまま音信不通となつた。母親の羽がひの最後の力は、ただ一人残つた末子の皆三の上に蒐められた。
「おまへが、もしもの事をしたら、お母さんは生きちやゐませんよ」
少年の皆三を前にしておふみは、かういつて涙をぽろ/\零した。皆三は血の気で頭の皮膚が破れるかと思ふばかり昂奮して、黙つて座を立つて行つて、土蔵の中の机の前に腰かけた。
そこで別の世界の子供の声のやうに「蝙蝠来い」と喚くのを夢のやうに聞いた。中にも軽く意表の外に姿を閃かすお涌の姿を柳の葉の間から見て、皆三はとても自分と一しよに遊べるやうな少女とは思へなかつた……だが、さういふ少女のお涌が持つて歩き出したあの黄昏時の蝙蝠が、何故ともなく遮二無二皆三には欲しくて堪らなくなつたのだ。性来動物好きの少年だつた皆三が、標本に欲しかつたといふことも充分理由にはなるのだけれど……。
母親は皆三を外へ出しては自由に遊ばせない代りに、家の中ではタイラントにして置いた。そこで蝙蝠を貰つた機会から家へ来たお涌を皆三がしきりに友達にしたがつた様子を察して、その後、お涌をお八つに呼んだりなにかと目にかけるやうになつた。
二人が育つて行くにつれ、母親にふと危惧の念が掠めた。二人があまり気の合つてゐる様子である。青春から結婚、それは関はない。もしそこに母親である自分の愛も挟める余地のあるものでさへあつたら……だが二人の様子を見ると、さういふ母親の気苦労を知らない若い男女は、年老いた寡婦の唯一の慰めを察して、二人の切情をも時に多少は控へても、自分の存在を中間に挟めて呉れるであらうか。皆三は一徹者だし、お涌は無邪気すぎる女である。そこまで余裕のある思ひ遣りが、二人の間につくかどうかが疑問であるとき、お涌の髪に手を入れてやり乍ら訊いた。
「お涌さんは、どういふところへお嫁に行く気」
お涌は
「知りませんわ」
と笑つた。
「でもまあ、云つてご覧なさい」
となほねつく訊くと
「やつぱり世間通りよ。うちで定めて呉れるところへですわ」
と答へた。
これはお涌にしてみれば、嘘の心情ではなかつた。
それから少したつて、母親は晩飯のとき皆三に訊ねた。
「皆さん、妙なことを訊くやうだが、もうお前さんも学校は卒業間際だから訊いとくが、何かい、お嫁なら向うの家の娘さんでも貰ひなさるかね」
母親は、わざとお涌を娘さんといつたり、息の詰るのを隠して何気なく云つた。じつと、母親の顔を見てゐた皆三は、それから下を向いて下唇を噛んで考へてゐたが
「僕は妻など持つて家庭を幸福にして行けるやうな性格ぢや無ささうですね。まあ、当分の間は、このままで勉強して行くつもりですね」
母親は、故意に皆三の言葉どほりを素直に受け取る様子を自分がしてゐるのに、いくらか気がつき乍らも
「さうかねえ、もしお嫁さんを持つなら、あの娘は好いと思ふんだがね」
突然の縁談はお涌の家の両親を驚かした。それは、日比野の女主人のおふみから申込まれたものであるが、相手は皆三では無かつた。日比野の親戚に当る孤児で、医科を出て病院の研究助手を勤めてゐる島谷といふ青年だつた。密閉主義の日比野の家でも、衛生には殊に神経質のおふみが、何かとこの青年に健康の相談をかけ、出入を許してゐる只一人の親戚といふことが出来る。皆三も嫌ひな青年では無かつたが、多く母親の話し相手になつてゐた。お涌も日比野へ遊びに来た序に、茶の間で二三度島谷に逢つたことがあつた。
額が秀でてゐて唇が締てゐる隅から、犬歯の先がちよつと覗いてゐる。いまに事業家肌の医者になりさうな意志の強い、そして学者風に捌けてゐる青年だつた。顎から頬へかけて剃りあとの青い男らしい風貌を持つてゐた。
おふみからお涌の仲人口を聞いたとき島谷は
「だが、皆三君の方は」
と聞き返すと、おふみは
「なに、あれとは、ただ御近所のお友達といふだけで、それに皆三は、当分結婚の方は気が無いといふから」
「では、僕の方、お願ひしてみませうか」
島谷はあつさり頼んだ。
おふみがお涌の家へ来ての口上はかうであつた。
「こちらのお嬢さんは、人出入りの多いお医者さまの奥さんには、うつてつけでいらつしやると思ひますので――」
さういひ乍らもおふみは、何かしらお涌が惜しまれた。おふみに取つてお涌は決して嫌ひな娘ではなかつた。ただ皆三とお涌が結び付くときに、あまりに夫婦一体になり過ぎて母親の自分が除外されさうな危惧のため、二人を一緒にしないさしあたりの回避工作に、島谷との媒酌を思ひ立つたのであるけれど、おふみの心の一隅には、さすがに切ないものが残つてゐた。
お涌の方では、あの大人であつて捌けて男らしい医師を夫と呼ぶやうになるとは、あまり唐突の感じがしないでもなかつた。しかし、これまた当然のやうに思へた。世間常識から云つて、お涌の家のやうな娘が、ああした身分人柄に嫁入りするのは順当に思へた。皆三と自分との間柄は、たとへ多少の心の触れ合ひがあつたにせよ、恐らくそのくらゐなことは世間の娘の誰もがもつ結婚まへの記憶であり、結婚後にも何の支障もなく残る感情だけのものではあるまいか。お涌は、世間並の娘の気持ちの立場になつて、かうも考へられた。
ひどく乗気になつた兄と両親と、それから日比野の女主人との取計らひで、殆ど、島谷とお涌との結婚が決定的なものとなつた。
ところが、そこまで来て急にお涌の心は、何もかも詰らないといふ不思議なスランプに襲はれた。そしてあるとき皆三の母親から聞いた皆三の、当分独身といつた言葉は、皆三の性格としては、もつともと思へるが「何といふ意気地なし」といふやうな言葉で、皆三を思ひ切り罵倒してやり度い気持ちがお涌に湧然として来た。それでゐながら、早速皆三に逢ふほどの勇気も出ない。日毎に憂鬱と焦躁に取りこめられるやうにお涌はなつて行つた。
東京には、かういふ娘がひとりで蹣跚の気持ちを牽ひつつ慰み歩く場所はさう多くなかつた。大川端にはアーク燈が煌めき、涼み客の往来は絶ゆる間もない。両国橋は鉄橋になつて虹のやうな新興文化の気を横へてゐる。本所地先の隅田川百本杭は抜き去られて、きれいな石垣になつた。お涌は、別に身投げとか覚悟とかさういつた思ひ詰めたものでもない、何か死とすれ/\に歩み沿つて考へ度い気持ちで一ぱいだつた。
電車の音、広告塔の灯、街路樹、さういふものをあとにして、お涌はひたすら暗い道へ道へと自分の今の気持ちに沿ふところを探し歩いた。どことも覚えない大溝が通つてゐて小橋がまばらに架り、火事の焼跡に休業の小さい劇場の建物が一つ黝み、河沿ひの青白い道には燐光を放つ虫のやうにひしやげた小家が並んでゐる。蒼冥として海の如く暮れて行く空――お涌には自分の結婚の仲立ちをする日比野の女主人も、それに有頂天になる肉親も、自分の婿にならうとする島谷も、すべてはおせつかいで意地悪く、恨めしく感じられた。皆三には――皆三には、無性にりつき度いほど焦立たしさ口惜しさ、逢つてその意気地なさを罵倒し度くて、そのくせ逢ひもせぬ自分の不思議なこじれ方をどうしやうもない……ああ、かういふ時、蝙蝠でも飛んでゐて呉れればよい。子どもの井戸替への夕、あの蝙蝠も覗くかと見た井戸の底の落付いた仄明るい世界はいまどこにあるであらう。
お涌は、ここをどことも知らぬ空を見上げた。
お涌と島谷との結婚は、近来なんとなく健康のすぐれぬお涌自身の返事が煮え切らず、※々[#「足へん+遷」、46-6]として時期も定まらぬままに過ぎて行くうち、島谷は他の縁談に方向を求め、極めて事務的な結婚をして仕舞つた。
秋になつて、真黒な健康顔をして長い旅から帰つて来た皆三は、家に一休みすると突然母親にかういひ出した。
「今度、始めて家を離れて長旅をしてみましたが、なんとなく寂しい。やつぱり結婚でもしてみたくなりました。お涌さんを貰つて頂きませうか、お母さん」
その言葉は別だん、力の籠つた云ひ方ではなかつたが、母親には電気のやうに触れた。母親には、何か無理に力一ぱい自分がへし曲げてゐたものに最後に弾ね返されたやうに感じた。(やつぱりさうか)と母親は観念すると、たちまちそこに宿命に素直になる歓びさへ覚えた。
「やつぱり、さうだつたのかお前」
母親の皆三にむけて微笑した眼には薄く涙さへ浮んだ。
長い年月が過ぎて行つた一夏、日比野皆三博士が、学生たちを指導してゐる間、葉山の別荘に夫人の涌子は子供たちと避暑に来てゐて、土曜日毎に油壺から帰つて来る良人を待受けてゐた。子供といつても長男はもう工科の学生で、二十三歳になり、妹は婚約中の十九になつてゐた。
一色の海岸にうち寄せる夕浪がやや耳に音高く響いて来て、潮煙のうちに、鎌倉の海岸線から江の島が黛のやうに霞んでゐる。
兄妹は逗子へ泳ぎに行き、友だちのところへ寄つたと見えてまだ帰らない。涌子夫人は夫に食事の世話をしつゝ、自分も食べ終つた。二人とももう脂肪気の多い食品はなるべく避ける年配になつてゐた。
近くに※[#「魚+膠のつくり」、47-13]釣の火が見え出し、沖に烏賊釣りの船の灯が冷涼しく煌めき出した。
冷した水蜜桃の皮を、学者風に几帳面に剥き乍ら博士は云つた。
「じつに、静かな夕方だな」
「さうでご座いますね」
涌子夫人はまだこの時代に、この辺にはちらほらする蝙蝠の影を眺めてゐた。
「油壺の方で、毎晩食後にいろいろ教職員や学生の身の上話も出るのだが、あれでなかなか複雑な経歴なものもある。それに較べると、僕とお前のコースなぞは、まあ平凡といつていいね」
博士は、この平凡といふ言葉につまらないといふ意義は響かせなかつたが、夫人にはただそれだけの言葉ではもの足りないやうな思ひがした。夫人は何気なささうに
「さうでご座いますね」
と博士の言葉に返事をしながら、今眼の前に見る蝙蝠の影に、二人が少年少女だつた遠い昔の蝙蝠の羽撃きが心の中で調子を合せてゐるやうで、懐しい悲しい気持ちがした。
しばらくして夫人はおだやかに云つた。
「それはさうと、もう二三日でお盆の仕度にちよつと東京へ帰つて参らうと思ひます」
「そしたら序にどつかで金米糖を見つけて、買つて来て貰ひ度いね。この頃何だかああいふ少年の頃の喰べものを、また喰べ度くなつた」
博士は庭の植物に水をやりに行つた。夫人は山の端に出た夕月を見つゝ、自分が日比野の家へ入つてから、東京の家も、土蔵だけ残して、便利で明るい現代風の建物に改築したことや、良人の母親も満足して死に、良人の兄たちとも円満に交際を復旧したことや、そして子供達の無事な成長――
これが、良人のいふ平凡な私たちの生涯の経過といふものであつたのかと想つた。
夏も終る頃、日比野博士一家は東京の家へ戻つて来た。またおだやかな日々が暫く経つて行つた或日、今も良人の研究室になつてゐる土蔵の二階から、涌子は昔、自分に貰つた蝙蝠を良人が少年の丹念を打ち籠めて剥製にしてあつたのを持ち出した。蝙蝠の翅の黒色は煤のやうに古び、強く触ればもろく落ちるかと見え乍ら、涌子がそれを自分の居間の主柱の上方に留め付けると、古びた剥製の蝙蝠は一種の格合ひを持つた姿の張りを立派に表示するのであつた。
涌子はそれをひとりつくづく眺めてゐるうちに、少女の自分が、とある夕暮、この家に持ち込んだ蝙蝠が、祖父の狂死からこの家に伝はつた憂鬱を、この黒い奇怪な翅のいろに吸ひつくして呉れたのではないかと考へるやうになつた。日比野博士夫人涌子の穏かな平凡な生涯に、この煤黒い小動物の奇怪な神秘性の裏付けのあることを、今更誰も気づかないのが、夫人自身のうら寂しくもなつかしい感懐であつた。
●表記について
- このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
- [#…]は、入力者による注を表す記号です。
- 「くの字点」は「/\」で表しました。
- 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。
- 傍点や圏点、傍線の付いた文字は、強調表示にしました。
- この作品には、JIS X 0213にない、以下の文字が用いられています。(数字は、底本中の出現「ページ-行」数。)これらの文字は本文内では「※[#…]」の形で示しました。
「足へん+遷」 |
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46-6 |
「魚+膠のつくり」 |
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47-13 |
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