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金魚撩乱(きんぎょりょうらん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-26 7:41:45  点击:1405  切换到繁體中文


 復一の神経衰弱すいじゃくこうじて、すこし、おかしくなって来たという噂が高まった。事実、しんしんとけた深夜の研究室にただ一人残って標品プレパラートを作っている復一の姿は物凄ものすごかった。辺りが森閑しんかんと暗い研究室の中で復一は自分のテーブルの上にだけ電燈をけて次から次へと金魚を縦に割き、輪切にし、切り刻んで取り出した臓器を一面に撒乱さんらんさせ、じっと拡大鏡で覗いたり、ピンセットでいじり廻したりして深夜に至るも、夜を忘れた一心不乱の態度が、何か夜の猛禽獣もうきんじゅうが餌を予想外にたくさん見付け、喰べるのも忘れて、しばらくもてあそ恰好かっこうに似ていた。切られた金魚の首は電燈の光に明るく透けてルビーのように光る目を見開き、口を思い出したように時々開閉していた。
 都会育ちで、刺戟に応じて智能ちのうが多方面に働き易く習性付けられた青年の復一が、専門の中でも専門の、しかも、根気と単調に堪えねばならない金魚の遺伝と生殖せいしょくに関してだけを研究することは自分の才能を、小さい焦点へ絞りせばめるだけでも人一倍骨が折れた。ほおも眼も窪ませた復一は、力も尽き果てたと思うとき、くったりして窓際へ行き、そこに並べてある硝子鉢ガラスばちの一つのおおいに手をかける。指先は冷血していて氷のようなのに、たまった興奮がびりびり指をもつらして慄えている。やっと覆いを取ると、眼を開いたまま寝ていた小石の上の金魚中での名品キャリコは電燈の光に、眼を開いたまま眼をさまして、一ところにかたまっていた二ひきが悠揚ゆうようと連れになったり、離れたりして遊弋ゆうよくし出す。身長身幅より三四倍もある尾鰭おびれは黒いまだらの星のある薄絹うすぎぬ領布ひれを振り撒き拡げて、しばらくは身体も頭も見えない。やがてその中から小肥こぶとりの仏蘭西フランス美人のような、天平てんぴょうの娘子のようにおっとりして雄大な、丸い銅と蛾眉がびを描いてやりたい眼と口とがぽっかりと現れて来る。
 二三年前、O市に水産共進会があって、その際、金牌きんぱいち得たこの金魚の名品が試験所に寄附きふされて、大事に育てられているのだ。すでに七八さいになっているので、ちょっと中年を過ぎた落付きを持っているので、その魅力は垢脱あかぬけがしていた。
 しばらく眺め入った後、復一は硝子鉢に元のように覆いをして、それから自分のもとの席に戻るとき、いまキャリコのしたと同じ身体のひねり方を、しきりに繰返す。人にかれると彼は笑って「金魚運動」と説明して、その健康法の功徳くどく吹聴ふいちょうするが、この際、復一がそれをするとき、復一にはもっとひそんでいる内容的の力が精神肉体に恢復かいふくして来るのであった。復一はそれを決して誰にも説明しなかった。
 とにかく、深夜に、人が魚と同じリズムの動作のくねらせ方をするので、とても薄気味が悪かった。宿直の小使がいった。
「私が室に入るときだけは、あれ、やめて下さい。へんな気持ちになりますから」
 復一は関西での金魚の飼育地で有名な奈良なら大阪おおさか府県下を視察に廻った。奈良県下の郡山こおりやまはわけてむかしから金魚飼育の盛んな土地で、それは小藩しょうはんの関係から貧しい藩士の収入を補わせるため、藩士だけに金魚飼育の特権を与えて、保護奨励しょうれいしたためであった。
 この菜の花の平野に囲まれた清艶せいえんな小都市に、復一は滞在たいざいして、いろいろ専門学上の参考になる実地の経験を得たが、特に彼の心に響いたものは、この郡山の金魚は寛永かんえい年間にすでに新種をこしらえかけていて、以後しばしば秀逸しゅういつの魚を出しかけた気配が記録によってうかがえることである。そして、そこに孕まれた金魚に望むところの人間の美の理想を、推理の延長によって、計ってみるのに、ほぼ大正時代に完成されている名魚たちに近い図が想定された。とはいえ、まだまだ現代の金魚は不完全であるほど昔の人間は美しい撩乱をこの魚に望んでいることが、復一に考えられた。世は移り人は幾代も変っている。しかし、金魚は、この喰べられもしない観賞魚は、幾分の変遷へんせんを、たった一つのか弱い美の力で切り抜けながら、どうなりこうなり自己完成の目的に近づいて来た。これを想うに人が金魚を作って行くのではなく、金魚自身の目的が、人間の美に牽かれる一番弱い本能を誘惑し利用して、着々、目的のコースを進めつつあるように考えられる。逞ましい金魚――そう気づくと復一は一種の征服慾さえ加っていよいよ金魚に執着して行った。
 夏中、視察に歩いて、復一が湖畔の宿へ落付いた半ケ月目、関東の大震災だいしんさいが報ぜられた。復一は始めはそれほどとも思わなかった。次に、これはよほどひどいと思うようになった。山の手はたすかったことが判ったが、とにかく惨澹さんたんたる東京の被害実状が次々に報ぜられた。復一は一応東京へ帰ろうかと問い合せた。
「ソレニハオヨバヌ」という返電が、ようやく十日ほど経って来て、復一はやっと安心した。
 鼎造から金魚に関する事務的の命令やら照会やらが復一へ頻々ひんぴんと来だした。
 復一が、こういう災害の時期に、金魚のような遊戯的ゆうぎてきのものには、もう、人は振り向かないだろうと、心配して問合わせてやると、鼎造からこう云って来た。
「古老の話によると、旧幕以来、こういう災害のあとには金魚は必ず売れたものである。あらびすさんだ焼跡やけあとの仮小屋の慰藉いしゃになるものは金魚以外にはない。東京の金魚業一同は踏み止まって倍層商売を建て直すことに決心した」
 これは商売人一流の誇張に過ぎた文面かと、復一は多少疑っていたが、そうでもなかった。二割方の値上げをして売出した金魚は、たちまち更に二割の値上げをしても需要に応じ切れなくなった。
 下町方面の養魚池はほとんど全滅したが、山の手は助かった。それに関西地方から移入が出来るので、金魚そのものには不自由しなかったが、金魚桶の焼失は大打撃であった。持ち合せているものはこれを仲間に分配し、人を諸方に出して急造させた。
 関西方面からの移入、桶の註文、そんな用事で、復一はなおしばらく関西にとどまらなければならなかった。

 ようやく、鼎造から呼び戻されて、四年振りで復一は東京に帰ることが出来た。論文はついに完成しなかった。復一よりも単純な研究で定期間に済んだ同期生たちは半年前の秋に論文が通過して、試験所研究生終了の証書を貰ってそれぞれ約定済の任地へ就職して行った。彼は、鼎造にしばらく帰京の猶予ゆうようて、論文をまとめれば纏められないこともなかったが、そんな小さくまとまった成功が今の自分の気持ちに、何の関係があるかとさげすまれた。早くわが池で、わが腕で、真佐子に似た撩乱の金魚を一ぴきでも創り出して、凱歌がいかを奏したい。これこそ今、彼の人生に残っている唯一の希望だ、――彼が初め、いままでの世になかった美麗な金魚の新種を造り出す覚悟をしたのは、ひたすら真佐子の望みのために実現しようとした覚悟であった。だが年月の推移につれ研究の進むにつれ、彼の心理も変って行った。彼は到底現実の真佐子を得られない代償だいしょうとしてほとんど真佐子を髣髴ほうふつさせる美魚を創造したいという意慾がむしろ初めの覚悟に勝って来た。漂渺とした真佐子の美――それは豊麗な金魚の美によって髣髴するよりほかの何物によってもなし得ない。今や復一の研究とその効果の実現はますます彼の必死な生命的事業となって来ていたのである。
 それを想うとき、彼は疲れ切って夜中の寝床に横わりながらでも闇の中に爛々らんらんと光る眼を閉じることが出来なかった。
「馬鹿だよ、君。君の研究を論文にでも纏めれば世界的に金魚学者たちの参考になるんだからなあ――」
 まだ未練気にそう云ってる不機嫌ふきげんの教授に訣れを告げて、復一は中途退学の形で東京に帰った。未完成の草稿そうこうを焼き捨てるとか、湖中へ沈めるとかいう考えも浮ばないではなかったが、それほど華やかな芝居気しばいぎさえなくなっていて、ただ反古ほごより、多少惜しいぐらいの気持ちで、草稿はかばんの中へ入れて持ち帰った。
 地震の翌年の春なので、東京の下町はまだひどかったが、山の手は昔に変りはなかった。谷窪の家には、湧き水の出場所が少し変ったというので棕梠縄しゅろなわ繃帯ほうたいをした竹樋たけどいで池の水の遣り繰りをしてあった。
 帰宅と帰任とを兼ねたような挨拶あいさつをしに、復一は崖を上って崖邸の家を訊ねた。
 鼎造は復一が関西からの金魚輸送の労を謝した後云った。
「実は、調子に乗ってこいうなぎの養殖にも手を出しかけているんだが、人任せでうまく行かないんだ。同じ淡水産のものだからそう違うまい。君に一つその方の面倒を見て貰おうか。この方が成功すれば、金魚と違って食糧品しょくりょうひんだから販路はすばらしく大きいのだ」
 もちろん復一は言下に断った。
「だめですね。詩を作るものに田を作れというようなもんです。そればかりでなく、お願いしておきますが、僕には最高級の金魚を作る専門の方をやらせて下さい。これなら、命と取り換えっこのつもりでやりますから」
「僕は家内も要らなければ、子孫を遺す気もありません。素晴らしく豊麗な金魚の新種を創り出す――これが僕の終生の望みです。見込み違いのものに金をつぎ込んだと思われたら、非常にお気の毒ですが」
 復一の気勢を見て、動かすべからざることをさとった鼎造は、もう頭を次に働かせて、彼のこの執着をまた商売に利用する手段もないことはあるまいと思い返した。
「面白い。やりたまえ。君が満足するものが出来るまで、僕も、催促さいそくせずに待つことにしよう」
 鼎造自身も、自分の豪放ごうほうらしい言葉に、久し振りに英雄的な気分になれたらしく、上機嫌になって、晩めしを一しょに喰いたいけれども、はずせぬ用事があるからと断って、真佐子と婿に代理をさせようと、女中に呼びにやらして、自分は出て行った。
 復一に、何となく息の詰まる数分があって、やがて、応接間のドアが半分開かれ、案外はにかんだ顔の真佐子が、斜に上半身を現した。
「しばらく」
 そして、容易には中に入って来なかった。復一は永い間かっしていた好みのものは、見ただけで満足されるというやすらいだ溜息ためいきがひとりでに吐かれるのを自分で感じ、無条件に笑顔を取り交わしたい、孤独の寂しさがつき上げて来たが、何ものかがそれをさせなかった。それをしたら、即座そくざに彼女の魅力の膝下しっかに踏まえられて、せっかく、固持して来た覚悟を苦もなくさらって行かれそうな予感が彼を警戒さしたのであろう。彼の意地はむしろ彼女の思いがけない弱気を示した態度につけ込んで、出来るだけの強味と素気なさを見せていようと度胸をめた。彼は苦労した年嵩としかさの男性の威を力み出すようにして「お入りなさい。なぜ入らないのです」といった。
 彼女は子供らしく、一度ちょっとドアの蔭へ顔を引込ませ、今度改めてドアを公式に開けて入って来たときは、胸は昔のごとく張り、すわり方にゆるぎのない頸つき、昔のように漂渺とした顔の唇には蜂蜜はちみつほどの甘みのある片笑いで、やや尻下りの大きな眼を正眼に煙らせて来た。まゆだけは時代風に濃く描いていた。復一はもう伏目勝ふしめがちになって、気合い負けを感じ、寂しく孤独のからの中に引込まねばならなかった。
「しばらく、ずいぶん痩せたわね」
 しかし、彼女は云うほど復一を丁寧に観察したのでもなかった。
「ええ。苦労しましたからね」
「そう。でも苦労するのは薬ですってよ」
 それからしばらく話は地震のことや、復一のいた湖の話にれた。
「金魚、いいの出来た?」
 これに返事することは、今のところいろいろの事情から、復一には困難だった。勇気を起して復一は逆襲ぎゃくしゅうした。
「お婿むこさん、どうです」
「別に」
 彼女はちょっと窓から、母屋の縁外の木のしげみを覗って
「いま、いないのよ。バスケットボールが好きで、YMCAへ行って、お夕飯ぎりぎりでなきゃ帰って来ないの、ほほほ」
 子供のように夫を見做みなしているような彼女の口振りに、夫を愛していないとも受取れない判断を下すことは、復一に取ってとても苦痛だった。進んで子供のことなぞ訊けなかった。

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