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金魚撩乱(きんぎょりょうらん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-26 7:41:45  点击:  切换到繁體中文


金儲かねもうけの面白さがないときには、せめて生活でも楽しまんけりゃ」
 崖から下りて来て、珍らしく金魚池を見物していた小造りでせた色の黒い真佐子の父の鼎造ていぞうはそう云った。しぶ市楽いちらくの着物の着流しで袂に胃腸の持薬をしじゅう入れているといった五十男だった。真佐子の母親であった美しい恋妻こいづまを若い頃亡くしてから別にささやかな妾宅しょうたくを持つだけで、自宅には妻を持たなかった。何か操持をもつという気風を自らたのしむ性分もあった。
 復一の家の縁に、立てかけてしてある金魚おけならんで腰をかけて鼎造は復一の育ての親の宗十郎と話を始めた。
 宗十郎の家業の金魚屋は古くからあるこの谷窪の旧家だった。鼎造の崖邸は真佐子の生れる前の年、崖の上の桐畑きりばたけならして建てたのだからやっと十五六年にしかならない。
 新住者だがこの界隈かいわいの事や金魚のことまでおどろくほど鼎造はよく知っていた。鼎造の祖父に当る人がやはり東京の山の手の窪地に住み金魚をひどく嗜好しこうしたので、鼎造の幼時の家の金魚飼育の記憶きおくが、この谷窪の金魚商の崖上に家を構えた因縁いんねんから自然とよみがえった。ことに美しい恋妻を亡くした後の鼎造には何か瓢々ひょうひょうとした気持ちが生れ、この生物にして無生物のような美しい生きもの金魚によけい興味を持ち出した。
江戸えど時代には、金魚飼育というものは貧乏びんぼう旗本のていのいい副業だったんだな。山の手では、この麻布あざぶの高台と赤坂高台の境にぽつりぽつりある窪地で、水の湧くようなところには大体飼っていたものです。お宅もその一つでしょう」
 あるとき鼎造にこういわれると、専門家の宗十郎の方が覚束おぼつかなく相槌あいづちを打ったのだった。
「多分、そうなのでしょう。何しろ三四代も続いているという家ですから」
 宗十郎がすすけた天井裏てんじょううらを見上げながら覚束ない挨拶あいさつをするのに無理もないところもあった。復一の育ての親とはいいながら、宗十郎夫婦はこの家の夫婦養子で、乳呑児ちのみごのまま復一を生みのこして病死した当家の両親に代って復一を育てながら家業をぐよう親類一同から指名された家来筋の若者男女だったのだから。宗十郎夫婦はその前は荻江節おぎえぶし流行はやらない師匠ししょうだった。何しろ始めは生きものをいじるということがみょうおそろしくって、と宗十郎は正直に白状した。
「復一こそ、この金魚屋の当主なのです。だから金魚屋をやるのが順当なのでしょうが、どういうことになりますか、今の若ものにはまた考えがありましょうから」
 宗十郎は淡々たんたんとして、座敷ざしきすみで試験勉強している復一の方を見てそういった。
「いや、金魚はよろしい。ぜひやらせなさい。なみの金魚はたいしたこともありますまいが、改良してどしどし新種を作れば、いくらでも価格は飛躍ひやくします。それに近頃では外国人がだいぶ需要して来ました。わが国では金魚飼育はもう立派な産業ですよ」
 実業家という奴はけ目なくいろいろなことを知ってるものだと、復一は驚ろいて振り返った。鼎造は次いでいった。「それにしても、これからは万事科学を応用しなければ損です。失礼ですが復一さんを高等の学校へ入れるに、もしご不自由でもあったら、学費は私が多少補助してあげましょうか」
 唐突とうとつな申出を平気でいう金持の顔を今度は宗十郎がびっくりして見た。すると鼎造はそのけはいを押えていった。
「いや、ざっくばらんに云うと、私の家にはめすの金魚が一ぴきだけでしょう。だから、どうもよそのおすを見ると、目についてうらやましくて好意が持てるのです」
 復一は人間を表現するのに金魚の雌雄しゆうたとえるとは冗談じょうだんの言葉にしても程があるものだとむっとした。しかし、こういう反抗の習慣はやめた方が、真佐子に親しむみちがつくと考えないでもなかった。真佐子に投げられて上顎の奥に貼りついた桜の花びらの切ないなつかしい思い出で――復一はしきりに舌のさきで上顎の奥を扱いた。
「お子さまにお嬢さまお一人では、ご心配でございますね」
 茶を出しながら宗十郎の妻がいうと、鼎造は多少意地張った口調で、
「その代り出来のよい雄をどこからでも選んで婿むこに取れますよ。自分のだったらボンクラでも跡目を動かすわけにはゆかない」
 結局、復一は鼎造の申出通り、金魚の飼養法を学ぶため上の専門学校へ行くことになり学資の補助も受けることになった。真佐子は何にも知らない顔をしていた。しかし、復一が気がついてみると、もうこのとき、真佐子の周囲には、鼎造のいわゆるよその雄で鼎造から好意を受けている青年が三人はたしかにいて、金ボタンの制服で出入りするのが、復一の眼の邪魔じゃまになった。復一の観察するところによると、真佐子は美事みごと一視いっし同仁どうじんの態度で三人の青年に交際していた。鼎造が元来苦労人で、給費のことなど権利と思わず、青年を単に話相手として取扱とりあつかうのと、友田、針谷、横地というその三人の青年は、共通に卑屈な性質が無いところを第一条件として選ばれたとでもいうように、共通な平気さがあって、学費をあおぐ恩家のお嬢さんをも、テニスのラケットで無雑作にたたいたり、真佐子、真佐子と年少の女並に呼び付けていた。一ぴきの雌に対する三びきの雄の候補者であることを自他の意識から完全にカムフラージュしていた。それが真佐子にとって一層、男たちを一視同仁に待遇たいぐうするのに都合つごうがよかったのかも知れない。
 崖邸の若い男女がそういう滑らかで快濶かいかつな交際社会を展開しているのを見るにつけ、復一は自分の性質をかえりみて、遺憾いかんとは重々知りつつ、どうしても逆なコースへ向ってしまうのだった。だれがあんな自我の無い手合いと一しょになるものか、自分にはあんな中途ちゅうと半端はんぱな交際振りは出来ない。征服せいふく征服かだ。しかし、この頃自分の感じている真佐子の女性美はだんだん超越ちょうえつした盛り上り方をして来て、恋愛れんあいとか愛とかいうものの相手としては自分のような何でも対蹠的たいしょてきに角突き合わなければ気の済まない性格の青年は、その前へ出ただけで脱力だつりょくさせられてしまうような女になりかかって来ていると思われた。復一はこの頃から早熟の青年らしく人生問題について、あれやこれや猟奇的りょうきてき思索しさくに頭の片端を入れかけた。結局、崖の上へは一歩も登らずに、真佐子がどうなって来るか、自分が最も得意とするところの強情を張って対抗してみようと決心した。到底とうてい自分のような光沢こうたくにおいもない力だけの人間が、崖の上の連中に入ったら不調和な惨敗ざんぱいときまっている。わけて真佐子のような天女型の女性とは等匹とうひつできまい。交際つきあえば悪びれた幇間ほうかんになるか、威丈高いたけだか虚勢きょせいを張るか、どっちか二つにきまっている。瘠我慢やせがまんをしてもひがみを立てて行くところに自分の本質はあるのだ。要するに普通ふつうの行き方では真佐子ははじめからかなわない自分の相手なのだ。たった一つの道は意地悪くねることによって、ひょっとしたら、今でもあの娘はまだ自分に牽かれるかも知れない。復一は変態的に真佐子をいじめつけた幼年時代のかなしい甘い追憶にばかりだんだん自分をかたよらせて行った。
 そのうち復一は東京の中学をえ、家畜かちく魚類の研究に力を注いでいる関西のある湖の岸の水産所へ研究生に入ることになった。いよいよ一週間の後には出発するという九月のあるよい、真佐子は懐中かいちゅう電燈でんとうを照らしながら崖の道を下りて、復一に父の鼎造から預った旅費と真佐子自身の餞別せんべつを届けに来た。宗十郎夫妻に礼をいわれた後、真佐子は復一にいった。

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