中老の詩人社長は、欄干の籐椅子で、まだビールのコップを離さず、酔いに舌甜めずりをしていた。
「東北風を斜に受けながら、北流する海潮を乗り越えつつ、今や木下君の船は刻々馬来半島の島角に近づきつつあるのです。送るのは水平線上の南十字星、迎えるのは久恋の佳人。いいですな。木下君は今や人間のありとあらゆる幸福を、いや全人類の青春を一人で背負って立っているようなものです」
彼はすっかり韻文の調子で云って、それから、彼の旧作の詩らしいものを、昔風の朗吟の仕方で謡った。
星の海に
船は乗り出でつ
魂惚るる夜や
…………
…………
親しき息は海に通い
ささやきは胸に通い
…………
浪枕
社長は私が話した海の上の男と、娘との間の複雑した事情は都合よく忘れて仕舞い、二人の間の若い情緒的なものばかりを引抽いて、或は空想して、それに潤色し、自分の老いの気分に固着するのを忘れ、現在の殻から一時でも逃れて瑞々しい昔の青春に戻ろうと努めているらしいその願いが如何にも本能的で切実なものであるのに私の心は動された。朗吟も旧式だが誇張的のまま素朴で嫌味はなかった。
親しき息は海に通い
ささやきは胸に通い――――
壁虎が鳴く、夜鳥が啼く。私にも何となく甘苦い哀愁が抽き出されて、ふとそれがいつか知らぬ間に海の上を渡っている若い店員にふらふらと寄って行きそうなのに気がつくと、
「なにを馬鹿らしい。人の男のことなぞ」
と嘲って呆れるのであるが、なおその想いは果実の切口から滲み出す漿液のように、激しくなくとも、直ぐには止まらないものであった。
何がそうその男を苦しめて、陸の生活を避けさせ、海の上ばかり漂泊さすのか。
ひょっとしたら、他に秘密な女でもあって、それに心が断ち切れないのではあるまいか。
或は、この世の女には需め得られないほどの女に対する慾求を、この世の女にかけているのではあるまいか。
或は、生れながら人生に憂愁を持つ、ハムレット型の人物の一人なのではあるまいか。
女のよきものをまだ真に知らない男なのではあるまいか。
こういうことを考え廻らしている間に、憐な気持ち、嫉妬らしい気持、救ってやり度い気持ち、慰めてやりたい気持ち、詰ってやり度い心持ち、圧し捉まえてやり度い心持ちが、その男に対してふいふいと湧き出して来て、少し胸が苦しいくらいになる。恐らくこれは当事者の娘が考えたり、感じねばならないことだろうにと、私は私の心の変態の働きに、極力用心しながら、室内の娘を見ると、いよいよ鮮かに何の屈托もない様子で、歌留多の札を配っている。私はふと気がついて、
「あの女は、自分の愛の悩みをさえ、奴隷に代ってさせるという世にも珍らしいサルタンのような性質を持っている女なのではあるまいか。」
そして、それを知らないで、みすみすその精神的労苦を引受けた自分こそ、よい笑われものである。急に娘に対する憎みが起った。だが、また娘の顔を覗くと、あんまり鮮かで屈托がなさ過ぎる。私の反感も直ぐに消えてしまう。
「この無邪気さには、とても敵わない」
私は気力も脱けて、今度はしきりに朗吟の陶酔に耽っている、社長の肩を揺って、正気に還らせ、
「これは真面目なご相談ですが……」と、木下の新嘉坡に於ける女出入や、その他の素行に就いて、私はまるで私立探偵のように訊き質すのであった。
深林の夜は明け放れ、銀色の朝の肌が鏡に吐きかけた息の曇りを除くように、徐々に地霧の中から光り出して来た。
一本のマングローブの下で、果ものを主食の朝餐が進行した。レモンの汁をかけたパパイヤの果肉は、乳の香がやや酸※[#「やまいだれ+発」、742-下-21]した孩児の頬に触れるような、かさと匂いがあった。指ほどの長さでまるまると肥っている、野生のバナナは皮を剥ぐと、見る見る象牙色の肌から涙のような露を垂らした。柿の型をした紫の殻を裂くと、綿の花のような房が甘酸く唇に触れるマンゴスチンも珍らしかった。
「ドリアンがあると、こっちへいらっした紀念に食べた果ものになるのですがね。生憎と今は季節の間になっているので……。僕等には妙な匂いで、それほどとも思いませんが、土人たちは所謂、女房を質に置いても喰うという、何か蠱惑的なものがあるんですね」若い経営主は云った。
「南洋の果ものには、ドリアンばかりでなく、何か果もの以上に蠱惑的なものがあるらしいです。ご婦人方の前で、そう云っちゃ何ですが、僕等だとて独身でこんなとこへ来て、いろいろの煩悩も起ります。けれどもそういうものの起ったとき、無暗にこれ等の豊饒な果ものにかぶりつくのです。暴戻にかぶりつくのです。すると、いつの間にか慰められています。だから手元に果物は絶やさないのです」
若い経営主は紫色の花だけ眼のように涼しく開けて、葉はまだ閉じて眠っているポインシャナの叢を靴の底でいじらしそうに※[#「てへん+(「縻」の「糸」に代えて「手」)」、743-上-20]りながら、こう云った。
娘は、今朝も事務員に混っていろいろ手伝っていたが、何となくそわそわしていた。そして、話にばつを合せるように、私には嫌味に思える程、きらきらした作り笑いの声を挙げた。しかし、若い経営主が、こういうにつれ、他の若い男たちも悵然とした様子をみて、娘は心から同情する気持ちを顔に現した。
「僕の慰めは酒と子供だな」と社長は云った。
彼は今朝もビールを飲んでいた。
「君にもまだ慰めなくちゃならない煩悩があるのかね」と若い経営主は云った。「そんなにチッテ族の酋長のような南洋色になっても」
社長は、「ある――大いにある」と怒鳴ったが、誰も酔いの上の気焔と思って相手にしない。社長は口を噤んで仕舞った。
逆巻く濤のように、梢や枝葉を空に振り乱して荒れ狂っている原始林の中を整頓して、護謨の植林がある。青臭い厚ぼったいゴムの匂いがする。白紫色に華やぎ始めた朝の光線が当って、閃く樹皮は螺線状の溝に傷けられ、溝の終りの口は小壺を銜えて樹液を落している。揃って育児院の子供等が、朝の含嗽をさせられているようでもある。馬来人や支那人が働いている。
「僕等は正規の計劃の外、郷愁が起る毎に、この土に護謨の苗木を、特に一列一列植えるのです。妄念を深く土中に埋めるのです」
その苗木の列には、或は銀座通とか、日比谷とか、或は植主の生地でもあろうか、福岡県――郡――村とか書いた建札がしてあった。
若い経営主は、努めて何気なくいうのだが、娘は堪まらなそうに、涙をぽたぽたと零して、急いでハンケチを出した。
中老の社長は、こういう普通の感傷を珍らしいように眺め、私に云った。
「どうです。あなた方も、紀念に一本ずつ植えて行っては」
護謨園の中を通っている水渠から丸木船を出して、一つの川へ出た。ジョホール河の支流の一つだという。大きな歯朶とか蔓草で暗い洞陰を作っている河岸から、少し岐れて、流れの中に岩石がある。
「あすこによく鰐の奴が、背中を干しているのだが、……」と事務員の一人が指したが、そのすぐあと、艫の方にいた事務員がいった。
「こっちこっち、あすこにいます」
濁った流れの中に、黒っぽいものが、渦を水に曳いて動くのが見えた。また、その周囲にそれも生きものが泳ぐのかと思われるほどの微かな小さい渦が見える。
「は は は 子供を連れとる」
私の気持ちはというと、この原始の自然があまりに、私たちの自然と感じ慣れているものより差違があり、この現実が却って、百貨店の催しものの、造り庭のように見え、この南洋風景図の背景の前に、鰐がいるのは当然の趣向に見え、もう少し脅えたい気持ちをさえ自分に促した。鰐に向ける銃声の方が本当の鰐に対するより却って私たちを驚かした。鰐は影を没した。
「鉄砲の音は痛快ね」と娘はいって、しきりに当もなく発砲して貰った。
「あなた方内地の女性に向って、ふだん考え溜めていたことを、話し出せそうな緒口が見つかったようになって、お訣れするのは惜しいものです」と若い経営主はいった。
私も、「こういう本当の自然と、それを切り拓いて行く人間の仕事に就いて、漸く眼が開きかかって来たのに、お訣れするのは、まったく惜しい気が致します」といった。
娘は俯向いて、型のようにちょっと無名指の背の節で眼を押えた。その仕草が、日本女性のこういう場合にとる普通の型のように見え乍ら私はやはりこの遠方の異境にまで男を尋ねて来た娘が何かと感傷的になっている証拠にも見た。
私たちはジョホール河のベンゲラン岬から、馬来人が舵を執り、乗客も土人ばかりのあやしいまで老い朽ちた発動機船に乗った。
「腰かけたまわりには、さっき上げといた蚤取粉を撒くんですよ。そうしないと虫に食われますよ」見送りの事務員の労った声が桟橋から響いた。娘はポケットを押えてみて、窓からお叩頭をした。
怠惰なエンジンの音が聞えて、機船は河心へ出た。河と云いながら、大幅な両岸は遠く水平線に退いて、照りつける陽の下に林影だけ一抹の金の塗粉のようになって見えた。それが水天一枚の瑠璃色の面でしばしば断ち切れて、だんだん淡く、蜃気楼の島のように中空に映り霞んで行く。たゆげな翼を伸した鳥が、水に落ちようとしてたゆたっている。
昼前に新嘉坡の郊外のカトン岬の小さな桟橋についた。娘の待つ男の船は、今夜か明朝、新港に着く予定であった。
「まだ時間は大丈夫だ。ゆっくりして行きましょう。この辺もチャンギーと云って、新嘉坡の名所の一つで、どうせ来なくちゃならんところだ」社長はそういって、海の浅瀬に差し出してある清涼亭という草葺き屋根の日本人経営の料亭へ、私たちを連れて行き、すぐ上衣を脱いだ。
「まあいい所ね」
私も娘も悦んだ。この辺の砂は眩いくらい白く、椰子の密林の列端は裾を端折ったように海の中に入っている。
亭の前の崖下は生洲になっていて、竹笠を冠った邦人の客が五六人釣をしている。
汐時のすこし湿っぽい畳の小座敷で、社長は無事見学祝いだとか、何とか云っては日本酒の盃を挙げている。海の匂いと酒の匂いが、自分たちの遠い旅をほのぼのと懐かしませる。私は生洲から上げたばかりという生け鱸の吸ものの椀を取上げて、長汀曲浦にひたひたと水量を寄せながら、浜の椰子林をそのまま投影させて、よろけ縞のように揺らめかし、その遙かの末に新嘉坡の白亜の塔と高楼と煤煙を望ましている海の景色に眼を慰めていた。だが、心はまだしきりに今朝ジョホール河の枝川の一つで、銃声に驚いて見張った私達の瞳孔に映った原始林の厳かさと純粋さを想い起していた。それはひどく心を直接に衝った。何か人間にその因習生活を邪魔なものに思わせ、それを脱ぎ捨て度い切ない気持ちにさせた。そしてその原始の自然に食い込んで生活を立てて行く仕事が、何の種類であれ、人間の生きる姿の単一に近いものであるように考えさせられた。始終自然から享ける直接の豊饒な直観に浸れもしよう。
「二万円の護謨園をお買いになれば、年々その収益で、こっちへ休暇旅行ができますね。どうです」
座興的であったが若い経営園主がゆうべ護謨園で話の序にこういうことを云ったのも想い出された。
私の肉体は盛り出した暑さに茹るにつれ、心はひたすら、あのうねる樹幹の鬱蒼の下に粗い歯朶の清涼な葉が針立っている幻影に浸り入っていた。
そのとき娘が「あらっ!」と云って、椀を下に置いた。そして、「まあ、木下さんが」と云って眼を瞠って膝を立てた。
小座敷から斜に距てて、木柵の内側の床を四角に切り抜いて、そこにも小さな生洲がある。遊客の慰みに釣りをすることも出来るようになっている。
いま、その釣堀から離れて、家屋の方へ近寄って来る、釣竿を手にした若い逞ましい男が、娘の瞳の対象になっている。白いノーネクタイのシャツを着て、パナマ帽を冠ったその男も気がついたらしく、そのがっしりした顔にやや苦み走った微笑を泛べながら、寛るやかに足を運んで来た。男は座敷の椽で靴を脱いだ。
「これはこれは、船が早く着いたのかい」
社長もびっくりして少し乗出して云った。
「けさ方早く着いちゃってね。早速、ホテルと君の事務所へ電話をかけてみたが、出ているというので、退屈凌ぎにここへ昼寝する積りで来てたんだが……」ひょっとするとここへ廻るかも知れないとも思った。なにしろ新嘉坡へ来る内地の客の見物場所はきまっているからと云って男は朗に笑った。
私は男がこの座敷へ近寄って来る僅か分秒の間に、男の方はちらりと一目見ただけで、娘の態度に眼が離せなかった。
彼女は男が、娘や私たちを認めて、歩を運び出した刹那に、「あたし――」といって、かなりあらわに体を慄わして、私の肩に掴った。その掴り方は、彼女の指先が私の肩の肉に食い込んで痛いくらいだった。ふだん長い睫毛をかむって煙っている彼女の眼は、切れ目一ぱいに裂け拡がり、白眼の中央に取り残された瞳は、異常なショックで凝ったまま、ぴりぴり顫動していた。口も眼のように竪に開いていた。小鼻も喘いで膨らみ、濃い眉と眉の間の肉を冠る皮膚が、しきりに隆まり歪められ、彼女に堪え切れないほどの感情が、心内に相衝撃するもののように見えた。二三度、陣痛のようにうねりの慄えが強く、彼女の指先から私の肩の肉に噛み込まれ、同時に、彼女から放射する電気のようなものを私は感じた。私は彼女が気が狂ったのではないかと、怖れながら肩の痛さに堪えて、彼女の気色を覗った。自分でも気がつくくらい、私の唇も慄えていた。
男は席につくと、私に簡単に挨拶した。
「木下です。今度は思いがけないご厄介をかけまして」と頭を下げた。
それから社長に向って
「いや、あなたにもどうも……」これは微笑しながらいった。
娘は座席に坐り直して、ちょっとハンケチで眼を押えたが、もうそのときは何となく笑っている。始めて男は娘に口を切った。
「どうかしましたか」それは決して惨いとか冷淡とかいう声の響ではなかった。
「いいえ、あたし、あんまり突然なのでびっくりしたものだから……」そして私の方を振り向いて、「でも、すべて、こちらがいて下さるものですから」と自分の照れかくしを仕乍ら私に愛想をした。
娘は直きに悪びれずに男の顔をなつかしそうにまともに見はじめた。だが何気ないその笑い顔の頬にしきりに涙が溢れ出す。娘はそれをハンケチで拭い拭い男の顔に目を離さない――男もいじらしそうに、娘の眼を柔かく見返していた。
社長もすべての疎通を快く感ずるらしく、
「これで顔が揃った。まあ祝盃として一つ」などとはしゃいだ。
私はふと気がつくと、娘と男から離れて、独り取り残された気持ちがした。こちらから望んで世話に乗り出したくらいだから、利用されたというような悪毒く僻んだ気持ちはしないまでも、ただわけもなく寂しい感じが沁々と襲った。――この美しい娘はもう私に頼る必要はなくなった。――しかし、私はどんな感情が起って不意に私を妨げるにしても自分の引受けた若い二人に対する仕事だけは捗取らせなくてはならないのである。私は男に、
「それで、結婚のお話は」
ともう判り切って仕舞ったことを形式的に切り出した。すると男はちょっとお叩頭して、
「いや、私の考がきまりさえしたら、それでよろしいんでございましょう。いろいろお世話をかけて申訳ありません」といった。
娘は私に向って、同じく頭を下げて済まないような顔をした。
もはや、完全に私は私の役目を果した。二人の間に私の差挟まる余地も必要もないのをはっきり自覚した。すると私は早く日本の叔母の元へ帰り、また、物語を書き継ぐ忍従の生活に親しみ度い心のコースが自然私に向いて来た。
私たちからは内地の話や、男からは南洋の諸国の話が、単なる座談として交わされた。社長は別室へ酔後の昼寝をしに行った。
この土地常例の驟雨があって後、夕方間近くなって、男は私だけに向って、
「ちょっとその辺を散歩しましょう。お話もありますから」と云った。
私は娘の顔を見た。娘は「どうぞ」と会釈した。そこで私は男に連立って出た。雨後すぐに真白に冴えて、夕陽に瑩光を放っている椰子林の砂浜に出た。
スコールは右手の西南に去って、市街の出岬の彼方の海に、まだいくらか暗沫の影を残している。男はその方を指して「こっちはスマトラ」それからその反対の東南方を指して「こっちはボルネオ」、それから真正面の青磁色の水平線に、若い生姜の根ほどの雲の峯を、夕の名残りに再び拡げている方を指して、「ずーっと、この奥に爪哇があります。みな僕の船の行くところです」
彼は一本の椰子の樹の梢を見上げて、その雫の落ちない根元の砂上に竹笠を裏返しに置き、更にハンケチをその上に敷き、
「まあ、この上に腰を降ろして頂きましょうか」
そして彼は巻莨を取り出して、徐ろに喫っていたが、やがて、私から少し離れて腰をおろして口を切りだした。海を放浪する男にしては珍らしく律儀な処のある性質も、次のような男の話で知られるのであった。
「お手紙で、あの娘と僕とにどうしても断ち切れない絆があることは判りました。実はその絆が僕自身にも強く絡わっていたのがはっきり判ったのでご座います。それをご承知置き願って、これから僕の話すことを聞いて頂き度いのです。でないと、僕がここへ来て急に結婚に纏まるのが、単なる気紛れのように当りますから」
彼は、私が大体それを諒解できても、直ぐさま承認出来ないで黙っているのを見て取ってこう云った。
「僕と許婚も同様なあれと僕との間柄を、なぜ僕がいろいろと迷って来たか、なぜ時には突き放そうとまでしたか、この理由があなたにお判りになっていらっしゃらないかも知れませんが……いやあなたばかりではない、あれにもまだ判っていない……」
彼はしまいを独言にして一番肺の底に残して置いたような溜息をした。私は娘の身の上を心配するについての曾ての焦立たしい気持ちに、再び取りつかれ、ついこういってしまった。
「多分あなただけのお気持ちでしょう、そんなこと、私たちには判らなかったからこそ、あの娘さんは死ぬような苦しみもし、何のゆかりも無い私のようなものまで、おせっかいに飛び出さなくてはならない羽目に陥って仕舞ったのですわ。」
私の語気には顔色と共にかなり険しいものがあったらしい。すると、彼は突き立てている膝と膝との間で、両手の指を神経質に編み合せながら、首を擡げた。
「ご尤もです。しかし、僕自身の気持ちが、僕にはっきり判ったのも、矢張りあなたが仲に入られたお陰なんです。その前まではただ何となくあの娘は好きだが、あの娘も女だ。あの娘も女だという事が気に入らない。ぼんやりこの二つの間を僕は何百遍となく引ずり廻されていました。僕とて永い苦しい年月でした。ま、とにかく、僕の身の上話を一応訊いて下さい。第一に僕の人生の出発点からして、捨子という、悲運なハンディキャップがついているんです。」
彼の語り出した身上話とは次のようなものであった。
東京の日本橋から外濠の方へ二つ目の橋で、そこはもはや日本橋川が外濠に接している三叉の地点に、一石橋がある。橋の南詰の西側に錆び朽ちた、「迷子のしるべの石」がある。安政時代、地震や饑饉で迷子が夥しく殖えたため、その頃あの界隈の町名主等が建てたものであるが、明治以来殆ど土地の人にも忘れられていた。
ところが、明治も末に近いある秋、このしるべの石の傍に珍らしく捨子がしてあった。二つぐらいの可愛らしい男の子で、それが木下であった。
その時分、娘の家の堺屋は橋の近くの西河岸に住宅があったので、子のない堺屋の夫妻は、この子を引き取って育てた。それから三年して、この子が五つになった時分に、近所に女中をしていた女が、堺屋に現れて、子供の母だと名乗り出た。彼女は前非を悔い、不実を詫びたので、堺屋ではこの母をも共に引き取った。
母は夫と共に日露戦役後の世間の好景気につれ、東京の下町で夫婦共稼ぎの一旗上げるつもりで上京して来た。そういう夫婦の例にままあるとおり無理算段をして出て来た近県の衰えた豪家の夫妻で、忽ち失敗した上、夫は病死し妻は、今更故郷へも帰れず、子を捨てて、自分は投身しようとしたが、子のことが気にかかり、望みを果たさなかった。そして西河岸の同じ町内に女中奉公をして、陰ながら子供の様子を見守っていたのだった。
堺屋では、男の児の母を家政婦みたように使うことになった。母は忠実によく勤めた。が、子供のことに係ると、堺屋の妻とこの母との間に激しい争いは絶えなかった。
一度捨てたものを拾って育てたのだから、この子はわたしのものだと、堺屋の妻は云った。一度は捨てたが、この子のために死に切れず、死ぬより辛い恥を忍んで、世間へ名乗り出ることさえした位だから、この子はもとより自分のものだと、木下の母は云った。
「よく考えてみれば、僕にとっては有難いことなのでしょうが、僕は物心ついてから、女のこの激しい争いに、ほとほと神経を使い枯らし、僕の知る人生はただ醜い暗いものばかりでした」
生憎なことに、木下は生みの母より、堺屋の妻の方が多少好きであった。
「堺屋のおふくろさんは、強情一徹ですが、まださっぱりしたところがありました。が、僕を自分ばかりの子にして仕舞いたかった気持ちには、自分に男の子がないため、是非欲しいという量見以外に、堺屋の父親が僕をとても愛しているので、それから牽いて、僕の生みの母親をも愛しはしないかという心配も幾らかあったらしいのです。こういう気持ちも混った僕への愛から、堺屋のおふくろは、しまいには僕だけ自分の手元にとどめて、母だけ追出そうとしきりに焦ったのです。それでも堺屋の母はただ僕の母に表向きの難癖をつけたり、失敗を言い募ったりする、まだ単純なものでした」
ところが、木下の生みの母はなかなか手のある女だった。
「一度こういうことがありました。堺屋のおふくろが、僕に掻餅を焼いて呉れていたんです。その側には僕の生みの母親もいました。堺屋のおふくろは、焼いた掻餅を普通に砂糖醤油につけて僕に与えました。すると僕の母はそれを見て、そっとその掻餅を箸で摘み取り、ぬるま湯で洗って、改めて生醤油をつけて、僕に与えました。僕は子供のうちから生醤油をつけた掻餅が好きだったのです」
しかし、いくら子供の好みがそうだからと云って、堺屋のおふくろに面当てがましく、掻餅を目の前で洗い直さないでもよさそうだと木下は思った。その上子供の木下に向って、掻餅を与えながら、一種の手柄顔と、媚びと歓心を求める造り笑いは、木下に嫌厭を催させた。堺屋のおふくろは箸を投げ捨て、怒って立って行った。
「また、こういうことがありました。僕が尋常小学に入った時分でした。その夜は堺屋で恵比須講か何かあって、徹夜の宴会ですから、母親は店へ泊って来る筈です。ところが夜の明け方まえになって、提灯をつけて帰って来ました。そして眼を覚ました僕の枕元に座って、さめざめと泣くのです。堺屋のお内儀さんに満座の中で恥をかかされて、居たたまれなかったと云います」
これも後で訊ね合せて見ると、母親の術であるらしく、ほんのちょっとした口叱言を種に、子供の同情を牽かんための手段であった。
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