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河明かり(かわあかり)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-26 7:39:22  点击:  切换到繁體中文


「どう」私は娘に訊いた。
「二調子か三調子、気持ちの調子を引上げないと、とてもこの強い感じは受け切れないわ」と娘は眼をまぶしそうに云った。娘は旅に出てから、全く私にりかかるようになっただけ、親しくぞんざいな口が利けるようになった。
 私には、あまりに現実に乗出し過ぎた物のすべてが、かえって感覚の度に引っかからないように、これ等の風物が何となく単調に感じられて眠気を誘われた。
「半音の入っていない自然というものは、眠いものね」
 私は娘がくびを傾けて、も一度訊き返そうとするのを、別に了解して欲しいほどの事柄でもないので、他の事を云った。
かく、熱いわね。こういう所で、ランデヴウする人も、さぞ骨が折れるでしょうが、そのランデヴウを世話する人は、いよいよ並大抵じゃないわね」
 私は揶揄からかいながら、横を向き、ハンカチを額へ持って行って、にじみ出す汗を抑えた。
 娘は真身しんみに嬉しさを感ずるらしく、ちょっと籐椅子を私の方へいざり寄せ、ひじで軽く私のわきの下をいた。
 私は娘の身の上を引受けてから、若い店員と話をつける手段を進めた。丁度ボルネオの沿岸を航行していた船の若い店員に手紙と電報で事情の経緯を簡単に述べ、あらためて、私が仲に立つ旨を云いると、店員からは案外喜んだ承諾の返事が来て、ただし、いま船は暹羅シャムの塩魚を蘭領印度らんりょうインドに運ぶために船をチャーターされているから、船も帰せないし、自分も脱けられない。新嘉坡シンガポールなら都合出来る。見物がてら、ぜひそこへ来て貰いいと、むしろ向うから懇請するような文意でもあった。
 私は娘にはああは約束したが、たかだか台湾の基隆キールンか、せめて香港ホンコン程度までであろうと予想していた。そこなら南洋行きの基点ではあり、双方好都合である。新嘉坡となると、ちょっと外遊するぐらいの心支度をしなければならない。
 ――少し当惑しているとき思いの外力になったのは叔母である。娘のとき藩侯夫人の女秘書のようなことをして、藩侯夫妻が欧洲の公使に赴任するとき伴われ、それから帰りには世界の国々をもまわって来た女だけに、自分の畑へ水を引くように、私を励ました。
「あんたも一遍そのくらいのところへ行っていらっしゃい。すると世間も広くなって、もっと私と話が合うようになりますから」
 それから、女二人の旅券だの船だの信用状だのを、自分一人でき込むようにしてらちを開け、神戸まで見送ってれた。


 シンガポール邦字雑誌社の社長で、南洋貿易の調査所を主宰している中老人が、白の詰襟服つめえりふくにヘルメットをかぶって迎えに来て呉れた。朝、船へは紋付の和服で出迎えて呉れたのであるが、そのときにくらべて、いくらか精気を帯びて見えた。
「名物のライスカレーはいかがでしたか。とても辛くて内地の方には食べられないでしょう」
 私は昼の食堂で、カレー汁の外に、白飯に交ぜる添菜てんさいが十二三種もオードゥブル式に区分け皿に盛られているのを、盛装した馬来人マレイじんのボーイに差出されて、まず食慾がおびえてしまったことを語った。中老人は快げに笑って、
「女の方は大概そう云いますね。だがあの中には日本の乾物のようなものも混っていて、オツなものもありますよ。慣れて来ると、そういう好みのものだけを選めば、結構食べられますよ」
 こんなことから話をほごし始めて、私たちは市中で昼食後の昼寝時間の過ぎるのを待った。
 叔母はさすがに女二人だけの外地の初旅に神経を配って、あらゆる手蔓てづるを手頼って、この地の官民への紹介状を貰って来て私に与えた。だが、私はそれ等を使わずに、ただ一人この中老人の社長を便宜に頼んだ。それは次のような理由で未知であった社長を既知の人であったかのようにも思ったからである。
 私が少女時代、文学雑誌に紫苑という雅号で、しきりに詩を発表していた文人があった。その詩はすこぶるセンチメンタルなものであって、死を憧憬し、悲恋を慟哭どうこくする表現がいかに少女の情緒にも、誇張に感じられた。しかもその時代の日本の詩壇は、もはやそれらのセンチメンタリズムを脱し、にぎやかな官能を追い求めることに熱中した時代であって、この主流に対比しては、いよいよ紫苑氏の詩風は古臭く索漠に見えた。それでも氏の詩作は続けられていた。そのうち、ふと消えた。二三年してからわずかに三四篇また現われた。それは、「飛魚」とか「貿易風」とかいう題の種類のもので、いくらか詩風は時代向きになったかと感じられる程度のことが、かえって詩形をきごちなくしていた。詩に添えて紫苑氏が南の外洋へ旅に出た消息が書き加えられてあった。しかし、その後に紫苑氏の詩は永久に見られなくなった。
 この新嘉坡邦字雑誌の社長が、当年の詩人紫苑氏の後身であった。私は紫苑氏の後身の社長が、その携っている現職務上土地の智識に詳しかろうということも考えに入れたが、その前身時代の詩にどこか人の良いところが見えたのをおもい出し、この人ならば安心して、なにかと手引を頼めると思った。
「ともかく、私が日本を出発するときの気慨は大変なものでしたよ。白金巾しろかなきんの洋傘に、見よ大鵬たいほうの志を、図南となんの翼を、などと書きましてね。それを振りかざしたりなんかしましてね……今から思えば恥かしいようなもので、は、は、は、……」
 そしてお茶の代りにビールをすすりながら、扇を使っていた中老の社長は感慨深そうに、海を見詰めていたが、
「人間の行き道というものは、自分で自分のことが判らんものですな。僕のその時分の初志は、どこか南洋の孤島を見付けて、理想的な詩の国を建設しようとしたにあったのですが……だんだん現実に触れて見ると、まずその智識や準備をということになり、次には自分はもう出来ないから、それに似たような考えの人に、折角貯えた自分の智識を与えようということになり、それが、職業化すると、単なる事務に化してしまいます」
 中老人は私達をじろじろ眺めて、
「普通の人にならこんな愚痴は云わないで、ただ磊落らいらくに笑っているだけですが、判って下さりそうな内地の若い方を見ると、ついしゃべりたくなるのです。あなた方のお年頃じゃ判りますまいが、人間は幾つになっても中学生のところはのこっています」
 そしてきっとなって私の顔を見張り、自分が云い出す言葉が、どう私に感銘するかを用心しながら云った。
「僕は、今でも、僕の雑誌の詩壇の選者を頑張ってやっています。だんだん投書も少くなるし、内地の現代向の人に代えろと始終、編輯へんしゅう主任に攻撃されもしますが、なに、これだけは死ぬまで人にはやらせない積りです」
 日盛りの中での日盛りになったらしく、戸外の風物は灼熱しゃくねつ極まって白燼化はくじんかした灰色の焼野原に見える。時代をいつに所を何処と定めたらいいか判らない、天地が灼熱に溶けて、静寂極まった自然が夢や幻になったのではあるまいか。そこに強烈な色彩やにおいもある。けれどもそれは浮き離れて、現実の実体観に何の関りもない。ただ、左手海際の林から雪崩なだれれ込む若干の椰子やしの樹の切れ離れが、急に数少なく七八本になり三本になり、へだてて一本になる。そして亭々とした華奢きゃしゃな幹の先の思いがけない葉のしげみを、女の額のり前髪のように振りさばいて、その影の部分だけの海の色を涼しいものにしている。ここだけがえぐり取られて、日本の景色を見慣れた私たちの感覚に現実感を与える。
 天井にうなる電気扇の真下に居て、けむるような睫毛まつげひとみかぶせ、この娘特有の霞性かすみせいをいよいよ全身にひろげ、悠長に女扇を使いながら社長のいうことを聴いている。私が手短に娘をここへ連れて来た事情を社長に話す間も、この娘はまるで他にそんな娘でもあるのかと思いでもしてるような面白そうな顔をして聴いている。私は憎みを感ずるくらい、私に任せ切りの娘の態度にあきれながら、始めは娘をこの方と社長に云っていたのを、いつの間にか、この子という言葉に代えて仕舞っていた。
「どうも、近代的の愛というものは複雑ですな。もう、僕等の年代の人間には、はっきりは触れられんが……」
 旧詩人の社長は、よく通りかかりの旅客が、寄航したその場だけ、得手勝手なことを頼み、あとはそれなりになってしまう交際に慣れているので、私が娘を連れて、こちらに来た用向きを話し出すと、始めは気のない顔つきをしていたが、だんだん乗り出して来た。
「その男なら時々調査所へ来て、話して行きますよ。淡白で快活な男ですがね」 
 社長はビールを啜ったり、ハンカチで鼻をこすったりする動作を忙しくして、やや興奮の色を示し、
「へえ、あの男がこういう美しいお嬢さんとそういうことがあるんですか。それはロマンチックなお話ですね。よろしい、一つお手伝いしましょう」
 中老の社長はその男にも好意を持つと同時に、自分も自分の奥に燃えくすぶってしまった青春の夢を他人ごとながら、再び繰り返せるように気が弾んで来たらしい。
「恋というものは人間を若くする。酒と子供は人間を老いさせる」
 ステッキの頭の握りに両手を載せ、その上に額の端を支えながら、こんな感慨めいた言葉を吐いた。大酒みで子供の大勢あるという中老の社長は、とうのステッキをとんと床に一突きして立上ると
「その船の入港には、まだ三日ばかり日数がありますな。では、その間にしっかり見物しときなさるがよろしいでしょう」
 そしてボーイに車を命じた。


 スピーディーな新嘉坡シンガポール見物が始まった。この市にも川が貫いて流れていた。私は社長に注文して、まず二つ三つその橋々を車で渡って貰った。
 両岸は洋館や洋館まがいの支那家屋の建物が塀のように立ち並んでいるところが多く、ところどころに船が湊泊する船溜りボート・ケイが膨らんだように川幅をひろげている。そして、漫々とたたえた水が、ゆるく蒼空あおぞらを映して下流の方へ移るともなく移って行く。軽く浮く芥屑ごみくずは流れの足が速く、沈み勝ちな汚物をめぐるようにして追い抜いていく。荒く組んだいかだを操って行く馬来マレイの子供。やはり都の河のおもかげを備えている。
 河口に近くなってギャヴァナー橋というのが、大して大きい橋でもないが、両岸にゲート型の柱を二本ずつ建て、それをげんの駒にして、ハープの絃のように、陸の土と橋欄とに綱を張り渡して、橋をっている。何ともないような橋なのだが、しきりに私達の心はかれる。向う岸の橋詰に榕樹ガジマルの茂みが青々として、それから白い尖塔せんとうぬきんでている背景が、橋を薄肉彫のように浮き出さすためであろうか。私がいつまでも車から降りて眺めていると、娘はそれを察したように、
「東京の吾妻橋あずまばしとか柳橋とかに似てるからじゃありません?」と云った。
 この橋から間もなく、河口ののどの膨らみのようになっている岸に、三層楼の支那の倉庫店がずらりと並び、河には木履型ぽっくりがたのジャンクが河身を埋めている。庭の小亭のようなものが、脚を水上にはだけてぬいぬい立っている。
「橋が好きなら、この橋のもう一つ上のさっき渡って来た橋、あれをよく覚えときなさい。あの橋から南と北に大道路が走っていて、何かと基点になっています。もしはぐれて迷子になったら、あの橋詰に立っていなさればよい、迎いに行きますよ」社長はこんな冗談を云った。
 官庁街の素気なく白々しい建物の数々。支那街の異臭、雑沓ざっとう、商業街の殷賑いんしん、私たちはそれ等を車の窓から見た。ここまで来る航行の途中で、上海シャンハイ香港ホンコン船繋ふながかりの間に、西洋らしい都会の景色も、支那らしい町の様子もすでに見て来た。私たちはただ南洋らしい景色と人間とを待ち望んだ。しかし、道で道路工事をしている人々や、日除ひよけ付きの牛車をいている人々が、どこの種族とも見受けられない、黒光りや赫黒あかぐろい顔をして眼を炯々けいけいと光らせながら、半裸体で働いている。躯幹くかんは大きいが、みなせて背中まで肋骨ろっこつが透けて見える。あわれに物凄ものすごい。またそれ等の人々の背を乗客席に並べて乗せた電車が市中を通ると、地獄車のように、異様に見えた。その電車は床の上に何本かの柱があって風通しのめに周りの囲い板はなくわずか天蓋てんがいのような屋根を冠っているだけである。いやし難い寂しい気持ちが、私の心を占める。
「ここは新嘉坡の銀座、ハイ・ストリートといいます」
 と社長にいわれて、二つ三つの店先に寄り衣裳いしょうの流行の様子を見たり、月光石ムーンストーンの粒を手にすくって、水のようにさらさらこぼしながらも、それは単なる女の習性で、心は外に漠然としたことを考えていた。
「この娘を首尾好く、その男にわすことが出来たとしても、それで幸福であるといえるだろうか。」
 けれども、そう思う一方にまた、私は無意識のうちに若者と娘がしばらここに新住宅でも持つであろうことを予想してしきりに社長に頼むのだった。
「ここに住宅地のようなものでもありますなら見物さして頂きたいのですが」


 その晩、私たちをホテルまで送って来た社長は帰り際に「そうだ、護謨園ゴムえんの生活を是非見て貰わなくちゃ、――一晩泊りの用意をしといて下さい」
 と云って更に、
「そりゃ、健康そのものですよ」
 あくる朝、まず、社長がホテルに迎えに来て、そろってサロンで待っていると、大型の自動車が入って来た。操縦席から下りたヘルメットの若い紳士を、社長は護謨園の経営主だと紹介した。
「電話でよく判らなかったが……」
 と経営主は云ってから、次に、私たちに
「いらっしゃい。わにぐらいは見られます」
 と気軽に云った。
 車は町を出て、ジョホール街道を疾駆して行った。速力計の針が六十五マイルと七十哩の間をちらちらすると、車全体がうなる生きものになって、広いアスファルトの道は面前に逆立ち、今まで眼にとまっていた榕樹の中の草葺くさぶきの家も、椰子林やしりんの中の足高の小屋も、樹を切り倒している馬来人マレイじんの一群も、総て緑の奔流に取り込められ、その飛沫ひまつのように風が皮膚に痛い。大きな歯朶しだや密竹で装われている丘がいくつか車の前に現れ、後に弾んで飛んで行く。マークの付いている石油タンクが乱れた列をなして、その後にじりじりと展転して行く。
「イギリス海軍用のタンク」
 水が見える。綺麗きれい可愛かわいらしい市が見える。ジョホール海峡の陸橋を渡って、見えていた市の中を通って、なおしばらく水辺に沿って行った処で若い紳士は車をめ、土地の名所である回教の礼拝堂を見せた。がらんとして何もない石畳と絨氈じゅうたんの奥まった薄闇うすやみへ、高い窓からし入る陽の光がステンドグラスの加減で、虹ともつかず、花明りともつかない表象の世界を幻出させている。それを眺めていると、心がうつろになって、肉体が幻の彩りのままに染め上げられて仕舞いそうな危険をほとほと感ずる。私たちは新嘉坡の市中で、芭蕉の葉で入口を飾り、その上へ極端な性的の表象をかざしているヒンズー教の寺院を見た。それは精力的に手の込んだ建築であった。
 虚空を頭とし、大地を五体とし、山や水は糞尿ふんにょうであり、風は呼吸であり、火はその体温であり、一切の生物無生物は彼の生むところと説く、シバ神崇拝に類して精力を愛するこの原始の宗教が、コーランを左手に剣を右手に、そして、ときどき七彩の幻に静慮する回教に、なぜ南方民族のちょうをば奪われたのであろうか。そしてその回教がなぜまた物質文化におさえられたのであろうか。
 私は取り留めもない感想にとらわれながら、娘を見ると、いよいよ不思議な娘に見える。娘はモデレートな夏の洋装をしているのだが、それは皮膚を覆う一重のものであって、中身はこの回教の寺院の中に置けば、この雰囲気に相応ふさわしく、ヒンズー教の精力的な寺院の空気にも相応わしかった。そればかりでなく、この地の活動写真館のアトラクションで見た暹羅シャムのあのすばらしくさばきのいい踊りを眺めていた時の彼女に、私はその踊りを習わせて、名踊子にしたい慾望さえむらむらと起ったほど、それにも相応しいものがあった。
 一体この娘は無自性なのだろうか、それとも本然のものを自覚して来ないからなのだろうか。また再び疑わねばならなくなった。
 それからおよそ七十マイルばかり疾走して、全く南洋らしいジャングルや、森林の中を行くとき、私は娘にいた。
「どう」
「いいですわね」
「いいですって……どういうふうにいいの」
「そうねえ……ここに一生住んで、自分のお墓を建てたいくらい」
 そういう娘の顔は、さしかける古い森林の深いどす青い陰を弾ね返すほど生気にちていた。
 時々爆音が木霊こだまする。男達は意味あり気な笑いをうかべて、
「やっとるね」
「うん、やっとるね」
 と云った。
 それは海峡の一部に出来るイギリス海軍根拠地の大工事だと、社長は説明した。
 道が尽きてしまって、そこから私たちはトロッコに乗せられた。箱車を押す半裸体の馬来人マレイじん檳榔子びんろうじの実をんでいて、血の色のつばをちゅっちゅと枕木に吐いた。護謨園ゴムえんの事務所に着いた。


 事務所は椰子林やしりんの中を切りひらいて建てた、草葺くさぶきのバンガロー風のもので、柱は脚立のように高く、床へは階段で上った。粘って青臭い護謨のにおいが、何か揮発性の花の匂いに混って来る。
 壁虎やもりがきちきち鳴く、気味の悪い夜鳥のき声、――夕食後私はヴェランダの欄干らんかんもたれた。私のいる位置のいびつに切り拓かれた円味のある土地を椰子の林が黒く取巻いている。り立ったようなこずえは葉を参差しんししていて、井戸の底にいるような位置の私には、草荵くさしのぶの生えた井の口を遙かにのぞき上げている趣であった。
 その狭い井の口から広大に眺められる今宵こよいの空の、何と色濃いことであろう。それを仰いでいると、情熱の藍壺あいつぼに面を浸し、瑠璃色るりいろ接吻せっぷんで苦しく唇を閉じられているようである。夜を一つの大きな眼とすれば、これはその見詰みつめるひとみである。気を取り紛らす燦々さんさんたる星がなければ、永くはその凝澄こりすました注視に堪えないだろう。
 燦々たる星は、もはやここではただの空の星ではない。一つずつ膚に谷の刻みを持ち、ハレーションを起しつつ、悠久に蒼海そうかいを流れ行く氷山である。そのハレーションに薄肉色のもあるし、黄薔薇色きばらいろのもある。紫色がぜて雪白の光茫こうぼうを生んでいるものもある。私は星に一々こんな意味深い色のあることを始めて見た。美しい以上のものを感じて、脊椎骨せきついこつ接目つぎめ接目つぎめに寒気がするほどである。
 空地の真中から、草葺きのバンガローが切り拓かれた四方へ大ランプの灯の光を投げている。
 その光は巻き上げた支那簾しなすだれと共に、柱や簾に絡んでいる凌霄花のうぜんかずらにやや強く当る。欄干の下に花壇もあるらしい。百合ゆり山査子さんざしの匂いとだけ判って、あとは私の嗅覚きゅうかくに慣れない、何の花とも判らない強い薬性の匂いが入れ混って鬱然うつぜん刺戟しげきする。
 私と社長は、その凌霄花の陰のベランダで、食後の涼をいつまでも入れている。娘は食後の洗物を手伝って、それから蓄音機をかけて、若い事務員たちのダンスの相手をしてやっていたが、疲れた様子もなく、まだ興をうこの僻地に仮住する青年たちのために、有り合せのこわれギターをどうやら調整して、低音で長唄ながうた吾妻八景あずまはっけいかなにかを弾いて聞かしている。若い経営主もその仲間に入っている。
 ここへ来てからの娘の様子は、また、私を驚かした。経営主の他、五六人居る邦人の事務員たちは、私たちの訪問を歓迎するのに、いろいろ心を配ったようだが、突然ではあり、男だけで馬来人を使ってする支度だけに、一向はかどらず、私たちの着いたとき、まだ途惑っていた。それと見た娘は
「私もお手伝いさせて頂きますわ」
 と云ったきり、私たちから離れて、すっかり事務所の男達の中に混り、野天風呂も沸せば、応接用の室を片付けて、私たち女二人のための寝室も作った。
「森はずれから野鶏と泥亀を見付けて来たんですが、どう料理したらご馳走ちそうになるか、へばっていましたら、お嬢さんが、すっかり指図して教えてれたんで、とても上等料理が出来ました。これならラフルス・ホテルのメニュウにだってつけ出されまさ」
 事務員の一人は、晩餐ばんさんの食卓でこう云った。なるほど、支那料理めいたもの、日本料理めいたもののほかに、容器は粗末だが、泥亀をタアトルス・スープに作ったものや、野鶏をカレー入りのスチューにしたものは特に味がよかった。
「わたくしだって、こんな野生のものを扱うの始めてですわ。学校の割烹科かっぽうかでは、卒業生が馬来半島へ出張料理することを予想して、教えては呉れませんでしたもの」
 娘は、また、こんなことを云って、座を取り持った。主人側の男たちは靉靆あいたいとして笑った。
 娘がこういう風に、一人で主人側との接衝を引受けて呉れるので私は助かった。
 私は私が始めてあの河沿いの部屋を借りに行ったとき、茶絹のシャツを着、肉色の股引ももひき穿いて、店では店の若い者に交り、河では水揚げ帳を持って、荷夫を指揮していた娘をおもい出した。そして、このさばけて男慣れのした様子は、あまりに易々としたところを見せているので、私はまたこれが娘の天成であって、私が付合い、私がそれに巻込まれて、骨を折っている現在の事は、何だか私の感情の過剰から、余計なおせっかいをしているのではないかという、いまいましいような反省に見舞われそうになった。
 事務員の青年たちは、靉靆として笑い、娘に満足させられている様子でも、それ以上には出ないようであった。たった一人、ウイスキーに酔った一人の青年が、言葉の響を娘にこすりつけるようにして、南洋特産とうわさのある媚薬びやくの話をしかけた。すると娘は、悪びれず聞き取っていて、それから例の濃い睫毛まつげ俯目ふしめにして云った。
「ほんとにそういう物質的のもので、精神的のものが牽制けんせいできるものならば、私の関り合いにも一人飲ませたい人間があるんでございますわ」
 その言葉は、真に自分の胸の底から出たものとも、相手の話手に逆襲するとも、どっちにも取れる、さらさらした間を流れた。
 そこに寂しい虚白なものが、娘の美しさを一時飲み隠した。それは、もはや二度と誰もこういう方面に触る話をしようとするものはなくなったほど、周囲の人間に肉感的なもの、情慾的なものの触手を収斂しゅうれんさす作用を持っていた。それで、娘が再び眼を上げて華やかな顔色に戻ったとき、室内はただ明るく楽しいことが、事務的に捗取はかどって行く宴座となった。けれども、娘は座中の奉仕を決して、義務と感ずるような気色は少しも見せず、室内の空気に積極的に同化していた。

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