葬儀の日には逸作もわたくしと一緒に郷家へ行って呉れた。彼は快く岳父の棺側を護(まも)る役の一人を引受け、菅笠(すげがさ)を冠(かぶ)り藁草履(わらぞうり)を穿(は)いて黙々と附いて歩いた。わたくしの眼には彼が、この親の遺憾としたところのものを受け継いで、まさに闘い出そうとする娘に如何に助太刀すべきか、なおも棺輿の中の岳父にその附嘱のささやきを聴きつつ歩む昔風の義人の婿の姿に見えた。
若さと家霊の表現。わたくしがこの言葉を逸作の口から不忍(しのばず)の蓮中庵で解説されたときは、左程のこととも思わなかった。しかし、その後、きょうまでの五日間にこのエスプリのたちまちわたくしの胎内に蔓(はびこ)り育ったことはわれながら愕(おどろ)くべきほどだった。それはわたくしの意識をして、今にして夢より覚めたように感ぜしめ、また、新なる夢に入るもののようにも感ぜしめた。肉体の悄沈(しょうちん)などはどこかへ押し遣られてしまった。食ものさえ、このテーマに結びつけて執拗(しつよう)に力強く糸歯で噛(か)み切った。
「そーら、また、お母さんの凝り性が始まったぞ」
息子の一郎は苦笑して、ときどき様子を見に来た。
「今度は何を考え出したか知らないが、お母さん、苦しいだろう。もっとあっさりしなさいよ」
と、はらはらしながら忠告するほどであった。
葬列は町の中央から出て町を一巡りした。町並の人々は、自分たちが何十年か聖人と渾名(あだな)して敬愛していた旧家の長老のために、家先に香炉を備えて焼香した。多摩川に沿って近頃三業組合まで発達した東京近郊のF――町は見物人の中に脂粉の女も混って、一時祭りのような観を呈した。葬列は町外れへ出て、川に架った長橋を眺め渡される堤の地点で、ちょっと棺輿を停(と)めた。
春にしては風のある寒い日である。けれども長堤も対岸の丘もかなり青み亘(わた)り、その青みの中に柔かいうす紅や萌黄(もえぎ)の芽出しの色が一面に漉(す)き込まれている。漉き込み剰(あま)って強い塊の花の色に吹き出しているところもある。川幅の大半を埋めている小石の大河原にも若草の叢(くさむら)の色が和みかけている。
動きの多い空の雲の隙間(すきま)から飴色(あめいろ)の春陽が、はだらはだらに射(さ)し下ろす。その光の中に横えられたコンクリートの長橋。父が家霊に対して畢生(ひっせい)の申訳に尽力して架した長橋である。
父の棺輿はしばし堤の若草の上に佇(たたず)んで、寂寞(せきばく)としてこの橋を眺める。橋はまた巨鯨の白骨のような姿で寂寞として見返す。はだらはだらに射(さ)し下ろす春陽の下で。
なべて人の世に相逢(あいあ)うということ、頷(うなず)き合うということ、それ等は、結局、この形に於てのみ真の可能なのではあるまいか。寂寞の姿と無々(むむ)の眼と――。
何の生もない何の情緒もない、枯骨と灰石の対面ではあるが、いのち[#「いのち」に傍点]というものは不思議な経路を取って、その死灰の世界から生と情緒の世界へ生れ代ろうとするもののようである。わたくしが案外、冷静なのに、見よ、逸作が慟哭(どうこく)している激しい姿を。わたくしが急いで近寄って編笠(あみがさ)の中を覗(のぞ)くと、彼はせぐり上げせぐり上げして来る涙を、胸の喘(あえ)ぎだけでは受け留めかねて、赤くした眼からたらたら流している。わたくしは逸作のこんなに泣いたのを見るのは始めてだった。わたくしは袖(そで)から手巾(ハンケチ)を出してやりながら、
「やっぱり、男は、男の事業慾というものに同情するの」
と訊(き)くと、逸作は苦しみに締めつけられたように少し狂乱の態とも見えるほどあたり関わず切ない声を振り絞った。
「いや、そうじゃない。そうじゃない」
そして、わたくしの肩をぐさと掴(つか)み、生唾(なまつば)を土手の若草の上に吐いて喘ぎながら言った。
「おやじが背負い残した家霊の奴め、この橋くらいでは満足しないで、大きな図体の癖に今度はまるで手も足もない赤児のようなお前によろよろと倚(よ)りかかろうとしている。今俺にそれが現実に感じられ出したのだ。その家霊も可哀(かわい)そうならおまえも可哀そうだ。それを思うと、俺は切なくてやり切れなくなるのだ」
ここで、逸作は橋詰の茶店に向って水を呼んで置いてから、喘ぎを続けた。
「俺が手の中の珠にして、世界で一番の幸福な女に仕立ててみようと思ったお前を、おまえの家の家霊は取戻そうとしているのだ。畜生ッ。生ける女によって描こうとした美しい人生のまんだら[#「まんだら」に傍点]をついに引裂こうとしている。畜生ッ。畜生ッ。家霊の奴め」
わたくしの肩は逸作の両手までがかかって力強く揺るのを感じた。
「だが、ここに、ただ一筋の道はある。おまえは、決して臆(おく)してはならない。負けてはならないぞ。そしてこの重荷を届けるべきところにまで驀地(まっしぐら)に届けることだ。わき見をしては却(かえ)って重荷に押し潰(つぶ)されて危ないぞ。家霊は言ってるのだ――わたくしを若(も)しわたくしの望む程度まで表現して下さったなら、わたくしは三つ指突いてあなた方にお叩頭(じぎ)します。あとは永くあなた方の実家をもあなた方の御子孫をも護(まも)りましょう――と。いいか。苦悩はどうせこの作業には附ものだ。俺も出来るだけ分担してやるけれどお前自身決して逃れてはならないぞ。苦悩を突き詰めた先こそ疑いもない美だ。そしてお前の一族の家霊くらいおしゃれ[#「おしゃれ」に傍点]で、美しいものの好きな奴はないのだから――」
読書もそう好きでなし、思索も面倒臭がりやの逸作にどうして、こんないのち[#「いのち」に傍点]の作略に関する言葉が閃(ひら)めき出るのであろうか。うつろの人には却っていのち[#「いのち」に傍点]の素振りが感じられるものなのだろうか。わたくしはそれにも少し怖(おそ)れを感じたけれども、眼の前の現実に襲って来た無形の大磐石のような圧迫にはなお恐怖を覚えて慄(ふる)え上った。思わず逸作に取縋(とりすが)って家の中で逸作を呼び慣(なら)わしの言葉の、
「パパウ! パパウ!」
と泣き喚く顔を懸命に逸作の懐へにじり込ませていた。
「コップを探してましたもんでね、どうも遅くなりました」と、言って盆に水を運んで来た茶店の老婆は、逸作が水を飲み干す間、二人の姿をと見こう見しながら、
「そうですとも、娘さんとお婿さんとでたんと泣いてお上げなさいましよ。それが何よりの親御さんへのお供養ですよ」
と、さもしたり[#「したり」に傍点]顔に言った。
他のときと場合ならわたくしたちの所作は芝居染(じ)みていて、随分妙なものに受取られただろうが、しかし場合が場合なので、棺輿の担ぎ手も、親戚(しんせき)も、葬列の人も、みな茶店の老婆と同じ心らしく、子供たち以外は遠慮勝ちにわたくしたちの傍を離れていて呉(く)れて、わたくしたちの悲歌劇の一所作が滞りなく演じ終るまで待っていて呉れた。そして逸作が水を飲み終えてコップを盆に返すのをきっかけ[#「きっかけ」に傍点]に葬列は寺へ向って動き出した。
菩提寺(ぼだいじ)の寺は、町の本陣の位置に在るわたくしの実家の殆(ほとん)ど筋向うである。あまり近い距離なので、葬列は町を一巡りしたという理由もあるが、兎(と)に角(かく)、わたくしたちは寺の葬儀場へ辿(たど)りついた。
わたくしは葬儀場の光景なぞ今更、珍らしそうに書くまい。ただ、葬儀が営まれ行く間に久し振りに眺めた本尊の厨子(ずし)の脇段(わきだん)に幾つか並べられている実家の代々の位牌(いはい)に就(つ)いて、こども[#「こども」に傍点]のときから目上の人たちに聞かされつけた由緒の興味あるものだけを少しく述べて置こうと思う。
権之丞というのは近世、実家の中興の祖である。その財力と才幹は江戸諸大名の藩政を動かすに足りる力があったけれども身分は帯刀御免の士分に過ぎない。それすら彼は抑下(よくげ)して一生、草鞋穿(わらじば)きで駕籠(かご)へも乗らなかった。
その娘二人の位牌(いはい)がある。絶世の美人だったが姉妹とも躄(あしなえ)だった。権之丞は、構内奥深く別構へを作り、秘(ひそ)かに姉妹を茲(ここ)に隠して朝夕あわれな娘たちの身の上を果敢(はか)なみに訪れた。
伊太郎という三四代前の当主がある。幕末に際し、実家に遁入(とんにゅう)して匿(かく)まわれた多くの幕士の中の一人だが、美男なので実家の娘に想(おも)われ、結婚して当主に直った人であった。生来気の弱い人らしく、畢生の望みはどうかして一度、声を出して唄(うた)を謡ってみたいということであった。或る人が彼に、多摩川の河原へ出て人のいないところで謡いなさいと進言した。伊太郎は勧めに従ってひとり河原に出てはみたものの、ついに口からよう謡い出ずに戻って来た。
蔵はいろは四十八蔵あり、三四里の間にわが土地を踏まずには他出できなかったという。天保銭は置き剰(あま)って縄に繋いで棟々の床下に埋めた。こういう逞(たくま)しい物質力を持ちながら、何とその持主の人間たちに憐(あわ)れにも蝕(むしば)まれた影の多いことよ。そしてその蝕まれるものの、また何と美しいものに縁があることよ。
逸作はいみじくも指摘した「おまえの家の家霊はおしゃれ[#「おしゃれ」に傍点]で美しいもの好きだ」と。そしてまた言った。「その美なるものは、苦悩を突き詰めることによってのみその本体は掴(つか)み得られるのだ」と。ああ、わたくしは果してそれに堪え得る女であろうか。
ここに一つ、おかのさんと呼ばれている位牌がある。わたくしたちのいま葬儀しつつある父と、その先代との間に家系も絶えんとし、家運も傾きかけた間一髪の際に、族中より選み出されて危きを既倒に廻(まわ)し止めた女丈夫だという。わたくしの名のかの子は、この女丈夫を記念する為めにつけたのだという。しかも何と、その女丈夫を記念するには、相応(ふさ)わしからぬわたくしの性格の非女丈夫的なことよ。わたくしは物心づいてからこの位牌をみると、いつもこの名を愛しその人を尊敬しつつも、わたくし自らを苦笑しなければならなかった。
上一页 [1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] 下一页 尾页