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雛妓(おしゃく)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-26 7:30:08  点击:  切换到繁體中文



 弁天堂の梵鐘(ぼんしょう)が六時を撞(つ)く間、音があまりに近いのでわたくしは両手で耳を塞(ふさ)いでいた。
 ここは不忍(しのばず)の池の中ノ島に在る料亭、蓮中庵の角座敷である。水に架け出されていて、一枚だけ開けひろげてある障子の間から、その水を越して池の端のネオンの町並が見亙(みわた)せる。
 逸作は食卓越しにわたくしの腕を揺り、
「鐘の音は、もう済んだ」と言って、手を離したわたくしの耳を指さし、
「歌を詠む参考に水鳥の声をよく聞いときなさい。もう、鴨(かも)も雁(がん)も鵜(う)も北の方へ帰る時分だから」と言った。
 逸作がご飯を食べに連れて行くといって、いつもの銀座か日本橋方面へは向わず、山の手からは遠出のこの不忍の池へ来たのには理由があった。いまから十八年前、画学生の逸作と娘歌人のわたくしとは、同じ春の宵に不忍池を観月橋の方から渡って同じくこの料亭のこの座敷でご飯を食べたのであった。逸作はそれから後、猛然とわたくしの実家へ乗り込んでわたくしの父母に強引にわたくしへの求婚をしたのであった。
「あのとき、ここでした君との話を覚えているか。いまのこの若き心を永遠に失うまいということだったぜ」
 父の死によって何となく身体に頽勢の見えたわたくしを気遣い逸作は、この料亭のこの座敷でした十八年前の話の趣旨をわたくしの心に蘇(よみがえ)らせようとするのであった。わたくしもその誓いは今も固く守っている。だが、
「うっかりすると、すぐ身体が腑(ふ)が抜けたようになるんですもの――」
 わたくしは逸作に護(まも)られているのを知ると始めて安心して、歿(な)くなった父に対する涙をさめざめと流すことが出来た。
 父は大家の若旦那に生れついて、家の跡取りとなり、何の苦労もないうちに、郷党の銀行にただ名前を貸しといただけで、その銀行の破綻(はたん)の責を一家に引受け、預金者に対して蔵屋敷まで投げ出したが、郷党の同情が集まり、それほどまでにしなくともということになり、息子の医者の代にはほぼ家運を挽回(ばんかい)するようになった。
 しかしその間は七八年間にもせよ、父のこの失態の悔は強かった。父はこの騒ぎの間に愛する妻を失い、年頃前後の子供三人を失っている。何(いず)れもこの騒ぎの影響を多少とも受けているであろう。家によってのみ生きている旧家の人間が家を失うことの怯(おび)えは何かの形で生命に影響しないわけはなかった。晩年、父の技倆(ぎりょう)としては見事過ぎるほどの橋を奔走して自町のために造り、その橋によってせめて家名を郷党に刻もうとしたのも、この悔を薄める手段に外ならなかった。
 逸作は肉親関係に対しては気丈な男だった。
「芸術家は作品と理解者の外に肉親はない。芸術家は天下の孤児だ」そう言って親戚(しんせき)から孤立を守っていた。しかしわたくしの実家の者に対しては「一たいに人が良過ぎら」と言って、秘(ひそ)かに同情は寄せていた。
「俺はおまえを呉れると先に口を切ったおふくろさんの方が好きなんだが、そうかなあ、矢張り娘は父親に懐くものかなあ」
 そう言って、この際、充分に泣けよとばかりわたくしを泣かして置いて呉れた。わたくしはおろおろ声で、「そうばかりでもないんだけれど、今度の場合は」と言って、なおも手巾(ハンケチ)を眼に運んでいた。
 食品が運ばれ出した。私は口に味もない箸(はし)を採りはじめる。木の芽やら海胆(うに)やら、松露(しょうろ)やら、季節ものの匂(にお)いが食卓のまわりに立ち籠(こ)めるほど、わたくしはいよいよ感傷的になった。十八年の永い間、逸作に倣ってわたくしは実家のいかな盛衰にもあらわな情を見せまいとし、父はまた、父の肩に剰(あま)る一家の浮沈に力足らず、わたくしの喜憂に同ずることが出来なかった。若き心を失うまいと誓ったわたくしと逸作との間にも、その若さと貧しさとの故に嘗(かつ)て陥った魔界の暗さの一ときがあった。それを身にも心にも歎(なげ)き余って、たった一度、わたくしは父に取り縋(すが)りに行った。すると父は玄関に立ちはだかったまま「え――どうしたのかい」と空々しく言って、困ったように眼を外らし、あらぬ方を見た。わたくしはその白眼勝ちの眼を見ると、絶望のまま何にもいわずに、すぐ、当時、灰のように冷え切ったわが家へ引き返したのであった。
 それが、通夜の伽(とぎ)の話に父の後妻がわたくしに語ったところに依ると、
「おとうさんはお年を召してから、あんたの肉筆の短冊を何処かで買い求めて来なさって、ときどき取出しては人に自慢に見せたり自分でも溜息(ためいき)をついては見ていらっしゃいました。わたしがあのお子さんにお仰(っ)しゃったら幾らでもじかに書いて下さいましょうにと申しましたら、いや、俺はあの娘には何にも言えない。あの娘がひとりであれだけになったのだから、この家のことは何一つ頼めない。ただ、蔭で有難いと思っているだけで充分だ」と洩(もら)したそうである。
 こんな事柄さえ次々に想(おも)い出されて来た。食品を運んで来る女中は、わたくしたち中年前後の夫妻が何か内輪揉(うちわも)めで愁歎場(しゅうたんば)を演じてるとでも思ったのか、なるべくわたくしに眼をつけないようにして襖(ふすま)からの出入りの足を急いだ。
 七時のときの鐘よりは八時の鐘は、わたくしの耳に慣れて来た。いまは耳に手を当てるまでもなく静に聞き過された。一枚開けた障子の隙(すき)から、漆のような黒い水に、枯れ蓮(はす)の茎や葉が一層くろぐろと水面に伏さっているのが窺(のぞ)かれる。その起伏のさまは、伊香保の湯宿の高い裏欄干(うららんかん)から上(かみ)つ毛野(けの)、下(しも)つ毛野(けの)に蟠(わだかま)る連山の頂上を眺め渡すようだった。そのはろばろと眺め渡して行く起伏の末になると、枯蓮の枯葉は少くなり、ただ撓(たわ)み曲った茎だけが、水上の形さながらに水面に落す影もろとも、いろいろに歪(ゆが)みを見せたOの字の姿を池に並べ重ねている。わたくしはむかし逸作がこの料亭での会食以前、美術学校の生徒時代に、彼の写生帳を見ると全頁(ぜんページ)悉(ことごと)くこの歪んだOの字の蓮の枯茎しか写生してないのを発見した。そしてわたくしは「あんたは懶(なま)けものなの」と訊(き)いた。すると逸作は答えた。「違う。僕は人生が寂しくって、こんな楽書(らくがき)みたいなものの外、スケッチする張合いもないのです」わたくしは訊(たず)ね返した「おとうさんはどうしてらっしゃるの。おかあさんはどうしてらっしゃるの。そして、ごきょうだいは」逸作は答えた。「それを訊かないで下さい。よし、それ等があるとしたところで僕はやっぱり孤児の気持です」逸作はその孤児なる理由は話さなかったが、わたくしにはどうやら感じられた。「可哀(かわい)そうな青年」
 何に愕(おどろ)いてか、屋後の池の方で水鳥が、くゎ、くゎ、と鳴き叫び、やがて三四羽続けて水を蹴(け)って立つ音が聞える。
 わたくしは淋しい気持に両袖(りょうそで)で胸を抱いて言った。
「今度こそ二人とも事実正銘の孤児になりましたのね」
「うん、なった。――だが」
 ここでちょっと逸作は眼を俯(うつむ)けていたが何気なく言った。
「一郎だけは、二人がいなくなった後も孤児の気持にはさしたくないものだ」
 わたくしは再び眼を上げて、蓮(はす)の枯茎のOの字の並べ重なるのを見る。怱忙(そうぼう)として脳裡(のうり)に過ぎる十八年の歳月。
 ふと気がついてみると、わたくしの眼に蓮の枯茎が眼について来たのには理由があった。
 夜はやや更(ふ)けて、天地は黒い塀を四壁に立てたように静まり閉すにつれ、真向うの池の端の町並の肉色で涼しい窓々の灯、軒や屋根に色の光りのレースを冠(かぶ)せたようなネオンの明りはだんだん華やいで来た。町並で山下通りの電車線路の近くは、表町通りの熾烈(しれつ)なネオンの光りを受け、まるで火事の余焔(よえん)を浴びているようである。池の縁を取りまいて若い並木の列がある。町並の家総体が一つの発光体となった今は、それから射出する夜の灯で、これ等の並木は影くろぐろと生ける人の列のようにも見える。並木に浸み剰(あま)った灯の光は池の水にも明るく届いて、さてはその照り返しで枯蓮の茎のO字をわたくしの眼にいちじるしく映じさすのであった。更に思い廻(めぐ)らされて来るこれから迎えようとする幾歳かの茫漠(ぼうばく)とした人世。
 水鳥はもう寝たのか、障子の硝子戸(ガラスど)を透してみると上野の森は深夜のようである。それに引代え廊下を歩く女中の足音は忙しくなり、二つ三つ隔てた座敷から絃歌(げんか)の音も聞え出した。料亭持前の不夜の営みはこれから浮き上りかけて来たようである。そのとき遠くの女中の声がして、
「かの子さーん」
 と呼ぶのが聞えた。それはわたくしと同名の呼名である。わたくしと逸作は、眼を円くして見合い、含み笑いを唇できっと引き結んだ。
 もう一度、
「かの子さーん」と聞えた。すると、襖(ふすま)の外の廊下で案外近く、わざとあどけなく気取らせた小娘の声で、
「はーい。ただ今」
 そして、これは本当のあどけない足取りでぱたぱたと駆けて行くのが聞えた。
「お雛妓(しゃく)だ」
「そうねえ」
(筆者はここで、ちょっとお断りして置かねばならない事柄がある。ここに現れ出たこの物語の主人公、雛妓かの子は、この物語の副主人公わたくしという人物とも、また、物語を書く筆者とも同名である。このことは作品に於ける芸術上の議論に疑惑を惹(ひ)き起し易い。また、なにか為めにするところがあるようにも取られ易い。これを思うと筆はちょっと臆(おく)する。それで筆者は幾度か考え直すに努めて見たものの、これを更(か)えてしまっては、全然この物語を書く情熱を失ってしまうのである。そこでいつもながらの捨身の勇気を奮い気の弱い筆を叱(しか)って進めることにした。よしやわざくれ、作品のモチーフとなる切情に殉ぜんかなと)
 からし菜、細根大根、花菜漬、こういった旬(しゅん)の青味のお漬物でご飯を勧められても、わたくしは、ほんの一口しか食べられなかった。
 電気ストーヴをつけて部屋を暖かくしながら、障子をもう一枚開け拡(ひろ)げて、月の出に色も潤(うる)みだしたらしい不忍(しのばず)の夜の春色でわたくしの傷心を引立たせようとした逸作も遂(つい)に匙(さじ)を投げたかのように言った。
「それじゃ葬式の日まで、君の身体が持つか持たんか判らないぜ」
 逸作はしばらく術無(すべな)げに黙っていたが、ふと妙案のように、
「どうだ一つ、さっきのお雛妓の、あの若いかの子さんでも聘(よ)んで元気づけに君に見せてやるか」
 逸作は人生の寂しさを努めて紛らすために何か飄逸(ひょういつ)な筆つきを使う画家であった。都会児の洗練透徹した機智は生れ付きのものだった。だが彼は邪道に陥る惧(おそ)れがあるとて、ふだんは滅多にそれを使わなかった。ごく稀(まれ)に彼はそれを画にも処世上にも使った。意表に出るその働きは水際立って効を奏した。
 わたくしはそれを知っている故に、彼の思い付きに充分な信頼を置くものの、お雛妓を聘ぶなどということは何ぼ何でも今夜の場合にはじゃらけた気分に感じられた。それに今までそんなことを嘗(かつ)てしたわたくしたちでもなかった。
「いけません。いけません。それはあんまりですよ」
 わたくしの声は少し怒気を帯びていた。
「ばか。おまえは、まだ、あのおやじのこころをほんとによく知っていないのだ」
 そこで逸作は、七十二になる父が髪黒々としつつ、そしてなお生に執したことから説いて、
「おやじは古(ふ)り行く家に、必死と若さを欲していたのだ。あれほど愛していたおまえのお母さんが歿(な)くなって間もなく、いくら人に勧められたからとて、聖人と渾名(あだな)されるほどの人間が直(す)ぐ若い後妻を貰ったなぞはその証拠だ」と言った。
 父はまた、長男でわたくしの兄に当る文学好きの青年が大学を出ると間もなく夭死(ようし)した。その墓を見事に作って、学位の文学士という文字を墓面に大きく刻み込み、毎日毎日名残り惜しそうにそれを眺めに行った。
「何百年の間、武蔵相模の土に亙(わた)って逞(たくま)しい埋蔵力を持ちながら、葡(は)い松のように横に延びただけの旧家の一族に付いている家霊が、何一つ世間へ表現されないのをおやじは心魂に徹して歎(なげ)いていたのだ。おやじの遺憾はただそれ許(ばか)りなのだ。おやじ自身はそれをはっきり意識に上(のぼ)す力はなかったかも知れない。けれど晩年にはやはりそれに促されて、何となくおまえ一人の素質を便りにしていたのだ。この謎(なぞ)はおやじの晩年を見るときそれはあまりに明かである。しかし望むものを遂におまえに対して口に出して言える父親ではなかった以上、おまえの方からそれを察してやらなければならないのだ。この謎を解いてやれ。そしてあのおやじに現れた若さと家霊の表現の意志を継いでやりなさい。それでなけりゃ、あんまりお前の家のものは可哀相(かわいそう)だ。家そのものが可哀相だ」
 逸作はここへ来て始めて眼に涙を泛(うか)べた。
 わたくしは「ああ」といって身体を震(ゆす)った。もう逸作に反対する勇気はなかった。わたくしはあまりにも潔癖過ぎる家伝の良心に虐(さい)なまれることが度々ある。そのときその良心の苛責(かしゃく)さえ残らず打明けて逸作に代って担って貰うこともある。で、今の場合にも言った。
「任せるわ。じゃ、いいようにしてよ」
「それがいい。お前は今夜ただ、気持を取直す工夫だけをしなさい」
 逸作は、もしこのことで不孝の罰が当るようだったら俺が引受けるなどと冗談のように言って、それから女中に命じて雛妓(おしゃく)かの子を聘(へい)することを命じた。幸に、かの女はまだ帰らないで店にいたので、女中はその座敷へ「貰い」というものをかけて呉(く)れた。

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