愛よ、愛 |
メタローグ |
1999(平成11)年5月8日 |
1999(平成11)年5月8日第1刷 |
1999(平成11)年5月8日第1刷 |
岡本一平論
――親の前で祈祷
岡本かの子
「あなたのお宅の御主人は、面白い画をお描きになりますね。嘸おうちのなかも、いつもおにぎやかで面白くいらっしゃいましょう。」
この様なことを私に向って云う人が時々あります。
そんな時私は、
「ええ、いいえ、そうでもありませんけど。」などと表面、あいまいな返事をして置きますが、心のなかでは、何だかその人が、大変見当違いなことを云って居る様な気がします。もちろん、私の家にも面白い時も賑やかな折も随分あるにはあります。
けれど、主人一平氏は家庭に於て、平常、大方無口で、沈鬱な顔をして居ます。この沈鬱は氏が生来持つ現世に対する虚無思想からだ、と氏はいつも申します。
以前、この氏の虚無思想は、氏の無頼な遊蕩的生活となって表われ、それに伴って氏はかなり利己的でもありました。
それゆえに氏は、親同胞にも見放され、妻にも愛の叛逆を企てられ、随分、苦い辛い目のかぎりを見ました。
その頃の氏の愛読書は、三馬や緑雨のものが主で、其他独歩とか漱石氏とかのものも読んで居た様です。
酒をのむにしても、一升以上、煙草を喫えば、一日に刺戟の強い巻煙草の箱を三つ四つも明けるという風で、凡て、徹底的に嗜好物などにも耽れて行くという方でした。
食味なども、下町式の粋を好むと同時に、また無茶な悪食、間食家でもありました。
仕事は、昼よりも夜に捗るらしく、徹夜などは殆ど毎夜続いた位です。昼は大方眠るか外出して居るかでした。
しかしそうした放埒な、利己的な生活のなかにも、氏には愛すべき善良さがあり、尊敬すべき或る品位が認められました。
四五年以来、氏はすっかり、宗教の信仰者になってしまいました。
始めは、熱心なキリスト教信者でした。しかし、氏はトルストイなどの感化から、教会や牧師というものに、接近はしませんでした。氏は、一度信ずるや、自分の本業などは忘れて、只管深く、その方へ這入って行きました。氏の愛読書は、聖書と、東西の聖者の著書や、宗教的文学書と変りました。同時にあれほどの大酒も、喫煙もすっかりやめて、氏の遊蕩無頼な生活は、日夜祈祷の生活と激変してしまいました。
その頃の氏の態度は、丁度生れて始めて、自分の人生の上に、一大宝玉でも見付け出した様な無上の歓喜に熱狂して居ました。キリストの名を親しい友か兄の様に呼び、なつかしんで居ました。或時長い間往来の杜絶えて居た両親の家に行き、突然跪いて、大真面目に両親の前で祈祷したりして、両親を却って驚かしたこともありました。また誰かに貰って来たローマ旧教の僧の首に掛け古された様な連珠に十字架上のクリストの像の小さなブロンズの懸ったのを肌へ着けたりして居ました。
氏の無邪気な利己主義が、痛ましい程愛他的傾向になり初めました。
やがて、氏は大乗仏教をも、味覚しました、茲にもまた、氏の歓喜的飛躍の著るしさを見ました。その後とて、決してキリスト教から遠かろうとはしませんけれど、氏の元来が、キリスト教より、仏教の道を辿るに適して居ないかと思われる程、近頃の氏の仏教修業が、いかにも氏に相応しく見受けられます。
氏は毎朝、六時に起きて、家族と共に朝飯前に、静座して聖書と仏典の研究を交る交るいたして居ります。
氏は、キリスト教も仏教も、極度の真理は同じだとの主張を持って居ります。随って二重に仕えるという観念もないのであります。ただ、目下は、キリスト教に対しては、その教理をやや研究的に、仏教には殆ど陶酔的状態に見うけられます。
現在に対する虚無の思想は、今尚氏を去りません。然し、氏は信仰を得て「永遠の生命」に対する希望を持つ様になりました。氏の表面は一層沈潜しましたが、底に光明を宿して居る為か、氏の顔には年と共に温和な、平静な相が拡がる様に見うけられます。暴食の癖なども殆ど失せたせいか、健康もずっと増し、二十貫目近い体に米琉の昼丹前を無造作に着て、日向の椽などに小さい眼をおとなしくしばたたいて居る所などの氏は丁度象かなどの様に見えます。この容態で氏は、家庭に於て家人の些末な感情などから超然として、自分の室にたてこもり勝ちであります。その室は、毎朝氏の掃除にはなりますが、書籍や、作りかけの仕事などが、雑然混然として居て一寸足の踏み所も無い様です。一隅には、座蒲団を何枚も折りかさねた側に香立てを据えた座禅場があります。壁間には、鳥羽僧正の漫画を仕立てた長い和装の額が五枚程かけ連ねてあります。氏は近頃漫画として鳥羽僧正の画をひどく愛好して居る様です。