――つまりね。まあ少し云ひ憎いが、おとうさんがそのお嬢様を大変お慕ひ申すやうにおなりになつてしまつた。お嬢様はお美しい上に、傍に居れば居る程、お利口で優しくなつかしい御性質なのでそれは無理もないことでしたらうよ――しかし、たとへおとうさんが男そのままでお慕ひ申した処が御身分も違ひまして女であり切つてゐるおとうさんが、そんなところをお嬢様にお知らせ申せるわけのものではなし、とかうして苦しんでおいでの処へ、またも一つおとうさんに苦しい事情が出て来ました。ほかでもないそのS家のお嬢様にお兄様がおいでになつた。お歳は二十位。そのお方がいつか娘姿のおとうさんをすつかり女と思つてお慕ひになるやうにおなりなさつた。しかもそのお兄様はS家の大切な一番御子息、そして御病気になる程思ひ慕つてお仕舞ひなされたのだから困ると云つても一通りの困り方では無く、或日、お嬢様を通してそのおこころもちをおとうさんにお打ち明けなさつた。おとうさんは御自分の悲しい恋に引くらべ、到底悲恋であるべきお兄様のお心を思ひくらべ乍ら何にも御存じなくそれを仰るお嬢様の御顔をぢつと見詰めて涙を流されたと云ふことですよ。
――で、結局どうなりました。
もうさうした人情を正当に解し得る年齢のむすことむすめでありました。正面切つて真面目に追及したのも無理はありません。
――結局おとうさんはS家からお退きになつた……お嬢様といふ悲恋の対象から御自分を退かせる為と御子息の悲恋の対象である自分をお邸から消す為にね……。
――そしておとうさんは直ぐお家へ帰られましたの。
むすめの聞きさうな事です。
――いいえ。このわたし==おかあさんの処へ来られたの。
――今度は、わしが話さう。
とおとうさんが二十年来むすことむすめが聞きなれたおとうさんの声で云ひました。ですが、今まで長いおかあさんのおはなしの内で娘姿にばかり想像して居たおとうさんが突然、男の声を出したので、ほんの一瞬間ではありましたが、むすめも、むすこも何か、あでやかな変怪の姿のなかから忽然、おとうさんが男姿で抜け出したやうな不思議な感じがいたしました。
――お前たち、その頃、おかあさんが、どんな男でゐたか想像がつくか。
――いいや、とても、それは難かしい。
むすこは全く、このはなしの中心に身を入れ切つて其処から途方もなく開展して行き相な事件に対する好奇心の眼を瞠つて居るのでした。
――おかあさんは美青年だつたぞ。だが、まだ恋愛事件になぞ身を縛られてゐなかつた。と云つても、やつぱり外の事情で身を縛られてゐたから、厄介な境遇だつたことに変りは無かつた。おかあさんは気性が女の内気であり乍ら乗馬や、ほかの武芸に実に優れて居た[#「優れて居た」は底本では「優れた居た」]。お前達の知る通り田舎でもおかあさんの耕作達者には村の人達も息を引いて居るのと思ひ合せて御覧、美しい優しい顔して居るおかあさんの今でもこんなに立派な体格をご覧。
――ほほほほ……。
おかあさんの張のある綺麗な笑ひ声……むすこも、むすめも、勇ましいおかあさんの男姿に引き入られようとした想像からまた引戻されました。
――笑つたりしてはいけないおかあさん……かういふ話は一歩それると飛でも無い不面目なものになる。
――はい。
おかあさんも真面目な聴きてになりました。
――おかあさんの母親はおとうさんの母親よりやま気があつてしつかり者だつただけに仕事も小さい乍ら機業工場なんか始めた。大分具合ひは宜かつたがもともと資本はひとから借りた。貸した人があとでおかあさんを義理で縛つた爺さんよ。と云つても爺さんは決して悪人では無い。ただ昔武人だつた丈に冒険癖があつたが本性はむしろ善良だつた位だ。それで却つてこちらから義理を迎へて縛られてしまつたやうなわけだ。義理も強ひられたのはまだそこから逃げ宜いよ。なんと云つたつて迎へた義理は自分で造つた罠へ自分で罹つたも同じだよ。つまり罠の仕組みを知れば知る程、知らない仕組みにかゝつたやうに無茶に逃げ出す力が出ないからな。ところでその爺さんがおかあさんの武者振りには他には類の無い裏にデリケートな処がある。つまり一遍の武辺では無いと見て取つたとでも云はうかな。はははは……(しまつた今度はわしが笑つた)でも本性が女だからな、云はばまあ、その方が当り前の事だ。デリケートな裏の方が本当で、表の武威がむしろ借り物なのだ。しかし、わしがあでやかな娘姿であつたと同じやうにおかあさんにしても、どうせ女として生れ乍ら男で世間を押さねばならぬ様な運命に生れた者には、やはりそれ相当の保護色が備はつて裏も表も調和よく発達したものなんだな。爺さんが其処を目付けどころにしたんだ。爺さんが毎年その都に行はれる荒馬馴らしの競技場へおかあさんの美丈夫を出し度くなつたんだ。今一二年馬術を猛烈に勉強すれば、屹度優賞者になれる見込みのある好乗馬青年だ。就ては、是非自分の愛婿として出て貰ひ度いといふ希望だ。この種の人に有り勝ちな極、無邪気な虚栄家なのだ。尤も愛婿とするにしても、何も自分の家へ引き入れて只一人の母親を放擲して来させようなんて業慾なことは云はない。爺さんに小さな可愛ゆい娘があつた。その娘をゆくゆく貰ふ約束を極めて外戚の婿に定まつて呉れといふのだつた。
――さうありさうな尤な話ですね。
――さうか、お前たちもさう思ふか。さうだとも其処にその話を断る何の理由も存在しない以上、それをよろこんで承諾するよりおかあさん親子のとる道はなかつたらうぢやないか。しかも、それはどこまでも表面のおかあさんに適当な条件であつて裏面の女性を何しやうも無い。いくら武術を好み乗馬に巧みだからと云つて、国全体を震憾させるやうな荒競技に……それにまた達するやうな猛練習など第一生理的耐持力もありやう筈は無い。おかあさん親子ははたと返答に行き詰まつたが、爺さんの頼みがごういんでなくまた恩を笠の命令的でもなくまるで年寄りが余生の願望の只一つのやうな哀願的な態度で頼み入るので先刻云つたやうにそれ、義理を迎へ入れるやうにして却つてこちらからはまつて行つてしまつた。絶体絶命の承諾といふ境地には入つた形になつて居たんだな。
――そこへS家から逃げ出したおとうさんが行き合せたんですね。
――さうだ。聴き手のお前達が、この物語の構成者になつちまつたな。有難いよ、さう熱心に聴いて呉れれば、はは……(しまつたまた、笑つちまつた。)それでと、今まで別に自分達の運命を不思議にも思つて居なかつた二人が、始めて因果同志のかこち合ひをしたのだな。一たん嘆き始めると、何もかもあべこべな二人の運命に気がついて、果てしもなしに悲しくなつた。と云つて、今さら、二人が二人の母親に抗議を申込む気にもなれず、さうだ、わし達は逆な運命を痛感すると同時に、母親と面と向へば、どうも、さういふ運命のつくり主である母親を責めさうで、却つて足が母親の方に向かなかつた。気が弱いと云はうか、それよりも、まあ、優しい気だてだつたと云つて置かう、わしがS家から逃げておかあさんの処へ向つたのも、自然、親を責めさうな機運を意識して、却つてそこから廻逃したのだな。そして親より以外に本当の自分の運命を知るものは自分と同じに性を取違へてゐるおかあさんより外にない、どうも、其のおかあさんの処へ行つて見るよりほかに思案も無かつたのだ。
これから先は作者がまた話すことにしませう。おとうさんも大分語り疲れたやうですから。おとうさんとおかあさんはとど都から姿をかくすことに相談を極めました。二人とも母親を残して行くことは実に悲しいことでありましたが、止むを得ない当面の仕儀、そしてこのまま、不自然な二人が都に苦しみ乍らうろたへて居ることは、却つて追々人目にも怪しまれる、随つて母親達を辛い立場に立たせるやうにならうもはかられぬ。で、二人は母親達に極々安心の行くやう言葉の順序をつくした書き置きをしたため、都をあとにあてもなく落ちて行つたのです。むろんおとうさんとおかあさんが住みつく田舎へ着く迄にはいくばくかの月日も経、その間に完全な男女に二人の性を還元させる外貌姿態に二人が自分達自身を、変らせて居たのは云ふまでもありません。そしてこの二人が、いつごろ何処で夫婦の約を云ひ交したか……それも水の低きにつくごとく極めて自然な落着として今さらせんぎの必要もありませんでせう。二人が都を出る時は、別に二人の間に男女の感情が動いてゐたわけではなかつたのですが。
さて、此度、都へと、一家揃つての旅ですが、これは或ひは一家にとつて単なる旅では無くなるかもしれません。おとうさんもおかあさんも再生の喜びが力となつて、村では勤勉な良民の模範となりお金ももう贅沢せずなら都でも暮らして行ける位ゐな貯へになりました。子供達もなるべくなら都で仕込んでやり度く思ふのです。もう都へ行つてから本当にその気分になり切つたら或ひは田舎の生活を切り上げて都の人達になるかも知れません。しかし、そのまへにおとうさんとおかあさんには成すべき或る事がありますのです。それは昔の大方の知己を見て廻ることです。もちろん一番先きにS家、またおかあさんを婿にしようとしたお爺さん(お爺さんは多分死んで届るでせうから娘)の家へも立寄つて見るつもりです。そして、実は斯く/\と遠い二十幾年も前の真実を打ち明けて、たとへ一時はけしきを損じようともそれを過ぎれば恐らくお互ひのわだかまりがとけて朗にならう。そして或ひは寛いだ都暮らしの気分も其処から自然に湧いて来ようとのおとうさんとおかあさんの意図なのですが、その結果がどうならうかは作者も今ここに明言出来ません。人は、或る年齢に達すると、どうも故郷を顧みずには居られないのが通例のやうです。
それから云ひ遅れましたがおとうさんとおかあさんの母親達は二人の出発後大いに悟るところでもあつたやうに双方とも今までよりより以上頼み合ひ終に同棲迄して一方が一方の死までを見送り、あとまた間もなく一方も別に不自由なしの一生を終つて死に就いたとの事がおとうさんおかあさんに自然知れましたが、その頃はまだ二人とも田舎で世をしのんで居た最中ですから、二人心に嘆き弔ひ乍らそのまゝ年月を経て、その悲しみも消えて行きました。もはや顧慮する母親達も無いので二人は故郷に帰つて本性を明すの冒険をも試みようとするのかもしれません。
月も落ちた。夜も更けた。作者も語りくたびれました。
親子四人もいつしか各々の寝所に入り、安らかな眠りの息を呼吸してゐます。
●表記について
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