一
野枝さん。
『女の世界』編集長安成二郎君から、保子に対する僕の心持を書いてくれないか、という注文があったので、ちょうど今このことについて君と僕との間に話の最中でもあり、それに君に話しかけるのが僕には一番自由でもあるので、君に宛ててこの手紙を書くことにする。世間の奴等には、堪らないおのろけとも聞えることを書くようになるかも知れないが、堪ろうと堪るまいと、それは僕等の知ったことじゃない。
野枝さん。
君も、ずいぶんわからずやの、意地っ張りであったね。二月のいつであったか、(僕には忘れもしない何月何日というようなことは滅多にない)三年越しの交際の間に初めて自由な二人きりになって、ふとした出来心めいた、不良少年少女めいた妙なことが日比谷であった以来「なおよく考えてごらんなさい」と言って別れて以来、それからその数日後に偶然神近と三人で会って、僕のいわゆる三条件たる「お互いに経済上独立すること、同棲しないで別居の生活を送ること、お互いの自由(性的のすらも)を尊重すること」の説明があって以来、君はまったく僕を離れてしまった形になった。
君には、この「性的のすらも」ということが、どうしても承知できなかったのだ。僕には保子という歴とした女房があることも知ってい、神近という第一情婦(『万朝報』記者からの名誉ある命名)のあることも知ってい、そしてまた自分にも辻という立派な亭主のあることも忘れていた訳でなく。(三行削除)
もっとも、過って改むるに憚ることなかれ、とも言う。もし君が、世間での評判のように、きわめて動揺しやすい、いわゆる出来心的の女であったのであらば、すなわち僕とのあのこともほんの一時の浮気であったのであらば、過って改むるに何の憚るところがあろう。(二行削除)
「私は大杉さんが大好きであった。しかし決して惚れていた訳ではない。」惚れていた、などという言葉は使わなかったろうが、とにかくこんな意味のことを、君はよく人に話したそうだ。話は横道へそれるが、ヴォルテールの哲学事典の「姦通」の項を開いて見ると、これとちょっと似た面白いことが書いてある。
「善良な夫婦者は、今ではもう、そんな卑しい言葉は使わない。姦通などと言う言葉は、決して口にすらも出さない。女が、その友人達に自分の姦通のことを話す時には、
野枝さん。
君は、本当は、僕が大好きであったのだ。けれども、その大好きなことと、君の、と言うよりはむしろ女の、もっとも男にもそんなツラ付をする奴もあるが、数千年もしくは数万年の強制と必要とから本能のような感情になった貞操観とが、君の心の中で闘った。そしてその闘いの間、君の生れつきの大の意地っ張りは、本能的感情の方に味方して、出来心らしい感情の方を無理やりに圧えつけようとした。君は、僕のことを、大嫌いだとまで言うようになった。いろいろと難くせをつけては、盛んに僕を罵倒した。
あの、ちょっとした文章なり顔色なりを見て、すぐさまその人の心の奥底を洞察することにおいて、まさに天下一品とも称すべき批評家、僕はよくあの男のことをこんなふうに評価して多くのあきめくら作家どもから笑われるのだが、しかし君だけは真面目に同意してくれた、あの中村孤月ですらも、(もっともこの洞察も、まかり間違うと、ことに自分の利害と衝突する事柄にでも向うと)しばしばはなはだしい的はずれのウガチに過ぎなくはなるが、一時は君の言葉にだまされて、喜んでその吹聴をして歩いたという話だ。
僕は、男としての器量を、まったく下げてしまった訳だ。ひとかどの異端評論家(『国民新聞』記者命名)、サニズムの主唱者(『時事新報』記者命名)、社会主義研究者(『万朝報』記者命名)と人も許し自分も許していた大の男が、新しい女なぞというアバズレの小娘に、見事背負投げを食わされた形になったのだ。
野枝さん。
しかし、さすがに僕ひとりだけは、本当の君を知っていた。君を大好きな僕に、僕を大好きの君の心がわかるのに、何の不思議はない。堪ろうと堪るまいと、それは僕等の知ったことじゃないとも言ったが、あんまりおのろけを言うのも、まだ少々気はずかしいような気もするので、このことはこの一句だけで止して置こう。君が、そんなふうでカラ威張りに威張っている間に、ロクに飯も食べずに、だんだん痩せ衰えて行った事実は、もっともこれは君ばかりの事実ではなく僕にもそうではあったが、いずれ君の筆でどこかに発表されることと思う。