「俺は捕えられているんだ」
千葉でのある日であった。運動場から帰って、しばらく休んでいると、突然一疋のトンボが窓からはいって来た。
木の葉が一つ落ちて来ても、花びらが一つ飛んで来ても、すぐにそれを拾っていろんな連想に耽りながら、しばらくはそれをおもちゃにしているのだった。春なぞにはよく、桜の花びらが、どこからとも知れず飛んで来た。窓から見えるあたりには桜の木は一本もなかった。窓に沿うて並んでいる幾本かの青桐の若木と、堺が「雀の木」と呼んでいたいつも無数の雀が群がっては囀っている何かの木が一本向うに見えるほかには、草一本生えていなかった。されば、あの高い赤い煉瓦の塀のそとの、どこからか飛んで来たとしか思えないこの一片の桜の花は、たださえ感傷的になっている囚人の心に、どれほどのうるおいを注ぎこんだか知れない。
何でも懐かしい。ことに世間のものは懐かしい。たぶん看守の官舎のだろうと思われる子供の泣声。小学校の生徒の道を歩きながらの合唱の声。春秋のお祭時の笛や太鼓の音。時とすると冬の夜の「鍋焼うどん」の呼び声。ことにはまた、生命のあるもの少しでも自分の生命と交感する何ものかを持っているものは、堪らなく懐かしい。空に舞う鳶、夕暮近く高く飛んで行く烏、窓のそとで呟く雀。
しかるに今、その生物の一つが、室の中に飛びこんで来たのだ。僕はすぐに窓を閉めた。そして箒ではらったり、雑巾を投ったりして、室じゅうを散々に追い廻した末に、ようやくそれを捕えた。
僕はこのトンボを飼って置くつもりだった。馴れるものか馴れないものか、僕はそれを問題にするほど、トンボに知恵があるかとは思っていなかった。が、できるものなら、何か食わせて、少しでもこの虫に親しんで見たいと思った。
僕はトンボの羽根を本の間に挾んでおさえて置いて、自分の手元にある一番丈夫そうな片の、帯の糸を抜き始めた。その糸きれを長く結んで、トンボをゆわえて置くひもを作ろうと思ったのだ。
が、そうして、厚い洋書の中にその羽根を挾まれて、しきりにもみ手をするように手足をもがいているトンボに、折々目をくばりながら、もう大ぶ糸も抜いたと思う頃に、ふと、電気にでも打たれたかのようにぞっと身慄いがして来た。そして僕はふと立ちあがりながら、そのトンボの羽根を持って、急いで窓の下へ行って、それをそとに放してやった。
僕は再び自分の席に帰ってからも、しばらくの間は、自分が今何をしたのか分らなかった。その時の電気にでも打たれたような感じが何であったか、ということにすらも思い及ばなかった。僕はただ、急に沈みこんで、ぼんやりと何か考えているようだった。そしてそのぼんやりとしていたのがだんだんはっきりして来るにつれて、何でも糸を抜いている間に、「俺は捕えられているんだ」という考えがほんのちょっとした閃きのように自分の頭を通過したことを思い出した。それで何もかもすっかり分った。この閃きが僕にある電気を与えて、僕のからだを窓の下まで動かして、あのトンボを放してやらしたのだ。
僕は、今世間で僕を想像しているように、今でもまだごく殺伐な人間であるかも知れない。少なくともまだ、僕のからだの中には、殺伐な野蛮人の血が多量に流れていよう。折を見ては、それがからだのどこかから、ほと走り出ようともしよう。僕は決してそれを否みはしない。殺伐な遊戯、殺伐な悪戯、殺伐な武術。その他いっさいの殺伐なことにかけては、子供の時から何よりも好きで、何人にも負を取らなかった僕は、そしてそれで鍛えあげて来た僕は、今でもその気が多分に残っていないとは決して言わない。
子供の時には、誰でもやるように、トンボや、蝉や、蛙や、蛇や、猫や、犬をよく殺した。猫狩りや犬狩りをすらやった。そしてほかの子供等があるいは眼をそむけ、あるいは逃げ出してしまうほどの残忍をあえてして、得々としていた。虫や獣が可愛いいとか、可哀相だなぞと思うことはほとんどなかった。ただ獣で可愛いいのは馬だけだった。父の馬は、よく僕を乗せて、広い練兵場を縦横むじんに駈け廻ってくれた。が、小動物はすべてみな、見つけ次第になぶり殺すものぐらいに考えていた。
それが今、獄中でもこのトンボの場合に、ただそれを自分のそばに飼って見ようと言うことにすら、それほどのショックを感じたのだ。動物に対する虐待とか残忍とか言うことは、大きくなってからは、理性の上には勿論感情の上にも多大のショックを感じた。しかしことに自分がそれをやっている際に、こんなに強く、こんなに激しく、こんなに深く感じたことはまだ一度もなかった。そしてその時に僕は、僕のからだの中に、ある新しい血が滔々として溢れ流れるのを感じた。
その後僕は、いつもこのことを思い出すたびに、僕はその時のセンチメンタリズムを笑う。しかしまた翻って思う。僕のセンチメンタリズムこそは本当の人間の心ではあるまいか。そして僕は、この本当の人間の心を、囚われ人であったばかりに、自分のからだの中に本当に見ることができたのではあるまいか。
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