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獄中記(ごくちゅうき)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-26 6:56:50  点击:  切换到繁體中文


 もう半年はいっていたい
 要するに僕等は監獄にはいってこれほどの扱いを受けるのは初めてだった。しかし僕等は、先方の扱い如何にかかわらず、一年なり二年なりの長い刑期を何とかして僕等自身にもっとも有益に送らなければならない。
 僕はその方法について二週間ばかり頭を悩ました。方法と言っても読書と思索の外にはない。要はただその読書と思索の方向をきめることだ。
 元来僕は一犯一語という原則を立てていた。それは一犯ごとに一外国語をやるという意味だ。最初の未決監の時にはエスペラントをやった。次の巣鴨ではイタリア語をやった。二度目の巣鴨ではドイツ語をちっと噛った。こんども未決の時からドイツ語の続きをやっている。で、刑期も長いことだから、これがいい加減ものになったら、次にはロシア語をやって見よう。そして出るまでにはスペイン語もちっと噛って見たい。とまずきめた。今までの経験によると、ほぼ三カ月目に初歩を終えて、六カ月目には字引なしでいい加減本が読める。一語一年ずつとしてもこれだけはやられよう。午前中は語学の時間ときめる。
 こう言うと、僕は大ぶえらい博言学者のように聞えるが、実際またこの予定通りにやり果して大威張りで出て来たのだが、その後すっかり怠けかつこの監獄学校へも行かなくなったので、今ではまるで何もかも片なしになってしまった。
 それから、以前から社会学を自分の専門にしたい希望があったので、それをこの二カ年半にやや本物にしたいときめた。が、それも今までの社会学のではつまらない。自分で一個の社会学のあとを追って行く意気込みでやりたい。それには、まず社会を組織する人間の根本的性質を知るために、生物学の大体に通じたい。次に、人間が人間としての社会生活を営んで来た径路を知るために、人類学ことに比較人類学に進みたい。そして後に、この二つの科学の上に築かれた社会学に到達して見たい。と今考えるとまことにお恥かしい次第だが、ほんの素人考えに考えた。それには、あの本を読みたい、この本を読みたい、と数え立ててそれを読みあげる日数を算えて見ると、どうしても二カ年半では足りない。少なくとももう半年は欲しい。
 こうなると、今までずいぶん長いと思っていた二カ年半が急に物足りなくなって、どうかしてもう半年増やして貰えないものかなあ、などと本気で考えるようになる。
 仕事はある。しかしそれは馴れさえすれば何とでもなる。一日幾百足という規定ではあるが、その半分か、四分の一か、あるいはもっと少なくなってもいい。何と言われてもこれ以上はできませんと頑張ればいい。みんなで相談してひそかにある程度にきめればさらに妙だ。現にこの相談はほとんど最初から、自然にできあがっている。とにかく、できるだけ仕事の時間を盗んで、勉強することだ。
 こうきめて以来は滅茶苦茶に本を読んだ。仕事の方は馴れるに従ってますます早くやれるようになる。それに、下等の南京麻ではない上等の日本麻をやらしてくれる。いよいよますます仕事はしやすい。しかし仕事の分量は最初から少しも増やさない。ただもう看守のすきを窺っては本を読む。
 かくして僕は、かつて貪るようにして掻き集めた主義の知識をほとんどまったく投げ棄てて、自分の頭の最初からの改造を企てた。
 鱈腹食う夢を見て下痢をする
 一方に学究心が盛んになるとともに、僕は僕の食欲の昂進、というよりもむしろ食いっ気のあまりにさもしい意地きたなさに驚かされた。
 最初の東京監獄の時は弁当の差入れがあるのだから別としても、その次の巣鴨の時にも、二度目の巣鴨の時にも、刑期の短かかったせいかそれほどでもなかったが、こんどは自分ながら呆れるほどにそれがひどくなった。好き嫌いのずいぶんはげしかったのが、何でも口に入れるようになったのは結構だとしても、以前には必ず半分か三分の一か残ったあのまずかった四分六の飯を本当に文字通り一粒も残さずに平らげてしまう。おはちの隅にくっついているのも、おしゃもにくっついているのも、落ちこぼれたのさえも、一々丁寧にほじくり取り、撫で取り、拾い取る。ちゃんと型に入れて、一食何合何勺ときまっている飯の塊を、きょうのは大きいとか小さいとか言ってひそかに喜びまたは呟く。看守が汁をよそってくれるのに、ひしゃくを桶の底にガタガタあてるかどうかを、耳をそばだて眼を円くして注意する。底にあてれば、はいる実が多いのだ。それも茶碗を食器箱の蓋に乗せてよそって貰うのだが、その蓋の中にこぼれた汁も、蓋を傾けてすすってしまう。特に残汁ざんじると言って、一と廻り廻った残りをまた順番によそって歩くことがある。その番の来るのがどれほど待ち遠しいか知れない。
 小説なぞを読んでいて、何か御馳走の話が出かかって来れば、急いでページをはぐって、その話を飛ばしてしまう。とても読むには堪えないのだ。そうかと思うと、本を読んでいる時でも、何か考えている時にでも、またはぼんやりしている時でも、何でもないことがふと食物と連想される。
 折々何か食う夢を見る。堺もよくその夢を見たそうだが、堺のはいつも山海の珍味といったような御馳走が現れて、いざ箸をとろうとすると何かの故障で食えなくなるのだそうだ。堺はひどくそれを残念がっていた。しかるに僕のは、しるこ屋の前を通る、いろんな色の餅菓子やあんころ餅などが店にならべてある、堪らなくなって飛びこむ、片っ端から平らげて行く、満腹どころかのどにまでもつめこんでうんうん苦しがる、というようなすこぶる下等な夢だ。そして妙なことには、苦しがって散々もがいたあげく、ふと眼をさますと腹工合が変だ。急いで便所へ行くと一瀉千里の勢いで跳ね飛ばす。そうでなくても翌朝起きてからきっと下痢をする。まるで嘘のような話だ。
 しからば色欲の方はどうかと言うに、これまたすこぶる妙だ。先きの東京監獄や巣鴨監獄では時々妙な気も起きたが、ここへ来てからまるでそんなことがない。
 僕は子供の時には、性欲を絶った仙人とか高僧とかいうものは非常に偉いものと思っていたが、やや長じてからは、そんな人間があるとすれば老耄の廃人くらいに考えていた。しかしそれはどちらも誤っていた。僕のような夢にまで鱈腹食って覚めてから下痢するというほどの浅ましい凡夫でも、時と場合とによれば、境遇次第で、何の苦心も修養も煩悶もなく、ただちに聖人君子となれるのだ。
 ある夜などは、自分が不能者になったのかと思って少々心配し出して、わざといろんな場面を回想もしくは想像して見た。が、ついにその回想や想像が一つとして生きて来ない。僕はほとんど絶望した。
 危く大逆事件に引込まれようとする
 一カ年の刑期のものはとうに出た。一カ年半のものも出た。二カ年の堺と山川ももう残り少なくなった。そこへ突然検事が来て、今お前等の仲間の間にある大事件が起っているが知っているかというお尋ねだ。何か途方もない大きな事件が起きて、幸徳を始め大勢拘引されたということは薄々聞いていた。その知っただけのことを、またどうしてそれを知ったのか、監獄の取締上一応聞いて置きたいと言うのだ。うろん臭いのでいい加減に答えて置いた。
 すると数日経って、不意に、恐ろしく厳重な警戒の下に東京監獄へ送られた。そして検事局へ呼び出されて、こんどは本式に、いわゆる大逆事件との関係を取調べられた。
「この事件は四、五年前からの計画のものだ。お前等が知らんという筈はない。現にお前等もその計画に加わっていたということは、他の被告等の自白によっても明らかだ。」とくどくどと嚇かされたりすかされたりするのだが、何分何にも知らないことはやはり知らないと答えるより外はない。
 監獄では典獄を始めどの看守でも、しきりに、気の毒そうに同情してくれる。
「こんな事件にひっかかったんでは、とても助かりっこはない。本当に気の毒だな。」
 と明らさまに慰めてくれる看守すらある。みんなで僕等を大逆事件の共犯者扱いするのだ。
 最初はそれを少々可笑しく思っていたが、この同情が重なるに従ってだんだん不安になり出して来た。監獄の役人がこれほどまで思っているのだから、あるいは実際検事局で僕等をその共犯者にしてしまってあるのじゃあるまいか、と疑われ出して来た。まさかと打消しては見るが、どうしても打ち消し得ないあるものが看守等の顔色に見える。そうなったところで仕方がない、とあきらめても見るが、そうなったのかならぬのか明らかにならぬうちは、やはり不安になる。
 やがて堺は無事に満期出獄した。それでこの不安は大部分おさまった。しかしまだ役人等の僕に対する態度には少しも変りがない。僕自身ももう満期が近づいたのだから、出獄の準備をしなければならぬと思って、二カ月に一回ずつしか許されない手紙や面会の臨時を願い出ても、典獄や看守長はそんなことをしても無駄だと言わんばかりのことを言って、一向とり合ってくれない。ただ気の毒そうな顔色ばかり見せている。どうかすると僕一人があの中に入れられるのかな、と疑えば疑えないこともない。が、その後少しも検事の調べがないのだから、とまたそれを打消しても見る。
 その間に僕は大逆事件の被告等のほとんどみんなを見た。ちょうど僕の室は湯へ行く入口のすぐそばで、その入口から湯殿まで行く十数間のそと廊下をすぐ眼の前へ控えていた。で、すきさえあれば窓からその廊下を注意していた。みんな深いあみ笠をかぶっているのだが、知っているものは風恰好でも知れるし、知らないものでもその警戒の特に厳重なのでそれと察しがつく。
 ある日幸徳の通るのを見た。
「おい秋水! 秋水!」
 と二、三度声をかけて見たが、そう大きな声を出す訳にも行かず(何という馬鹿な遠慮をしたものだろうと今では後悔している)、それに幸徳は少々つんぼなので、知らん顔をして行ってしまった。
 とうとう満期の日が来た。意外なのを喜ぶ看守等に送られて、東京監獄の門を出た。そとでは六、七人の仲間が待っていた。みんな手を握り合った。
 出獄して唖になる
 僕は出た日一日は盛んに獄中のことなどのお饒舌をしたが、翌日からまるで唖のようになってほとんど口がきけない。二年余りの間ほとんど無言の行をしたせいか、出獄して不意に生活の変った刺激のせいか、とにかくもとからの吃りが急にひどくなって、吃りとも言えないほどひどい吃りになった。
 で、その後まる一カ月くらいはほとんど筆談で通した。うちにいるんでも、そとへ出掛けるんでも、ノートと鉛筆を離したことがない。
「耳は聞えるんですか。」
 とよく聞かれたが、勿論耳には何の障りもない。それでも知らない人は、僕がノートに何か書いて突き出すので、向うでも同じようにそのノートに返事を書いて寄越したりした。
 これは僕ばかりではない。その後不敬事件で一年ばかりはいった仲間の一人も、やはり吃りであったが、出た翌日からほとんど唖になってしまった。そしてやはり僕と同じように、一カ月ばかりの間筆談で暮していた。
 牢ばいりは止められない
 また少々さもしい話になるが、出る少し前には、出たら何を食おう、かにを食おうの計画で夢中になる。しかし出て見ると、ほとんど何を食っても極まりなくうまい。
 まずあの白い飯だ。茶碗を取り上げると、その白い色が後光のように眼をさす。口に入れる。歯が、ちょうど羽布団の上へでも横になった時のように、気持よく柔らかいものの中にうまると同時に、強烈な甘い汁が舌のさきへほとばしるように注ぐ。この白い飯だけでたくさんだ、ほかにはもう何にも要らない。
「あれを思い出しちゃ、とても牢ばいりはやめられないな。」
 前科者同士がよく出獄当時の思い出話をしながら、こう言っては笑う。実際日本飯の本当の味なぞは、前科者ででもなければとうてい味わえない。





底本:「大杉栄全集 第13巻」現代思潮社
   1965(昭和40)年1月31日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:kompass
校正:小林繁雄
2001年11月8日公開
2005年11月29日修正
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