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獄中記(ごくちゅうき)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-26 6:56:50  点击:375  切换到繁體中文


   巣鴨の巻

 ちょいと眼鏡の旦那
 巣鴨行きと言えば、世間では、電車は別として多少気の触れた人間のことを指すが、僕等の間では監獄行きのことになる、だがこの僕等という奴等は世間からはずいぶん気違い扱いされているのだから、どっちにしても要するに同じことになるのだろうが。
 この巣鴨へは都合三度行った。と言っても実は二度で、最初の新聞紙条令違犯で食っているうちに、二度目の新聞紙条令違犯がきまって、前のが満期になるとすぐ引続いてあとのを勤めた。次が治安警察法違犯。

 たぶん鍛冶橋のだろうと思うが、古いいわゆる牢屋が打ち壊されて、石と煉瓦との新しい監獄がここにできた時、その古い牢屋の古木で古い牢屋そのままの建物が一つここの一隅に建てられた、という話だ。そしてこの建物は、めくらだとかびっこだとか、足腰のろくに利かない老人だとかの、片輪者や半病人をいれる半病監みたようなものになっていた。僕は二度ともこの建物の中の広い一室をあてがわれた。
 初め東京監獄からここに移されて、冷たい暗い一室の中にほうり込まれた時には、実は少々心細かった。春ももう夏近い暖かい太陽のぽかぽかと照る正午近い頃だった。それだのに、室へはいると急に冷たい空気にからだじゅうをぞっと打たれる。四方の真白に塗った煉瓦の壁や、入口の大きな鉄板の扉は、見るからにひいやりとさせる。試みにそれに手をあてて見ると、そこからぞくぞくと冷たさが身にしみて来る。それに、窓が伸びあがってもとどかない、上の方に小さく開いているので、薄暗くて陰気だ。座席として板の間に敷いてある一枚のうすべりまでが、べとべとと湿っているような気がする。
 命ぜられたまま、扉に近く扉の方に向いてこのうすべりの上に坐っていたが、その扉は上下が鉄板でその間が鉄の格子になっていて、しかも僕の室のすぐ真ん前に看守がテーブルを控えて突っ立っているので、絶えず監視されているという不愉快が、その看守の大して意地悪そうでもない平凡な顔をまでも妙に不愉快にさせる。「石の家は人の心を冷たくする」というロシアの諺が思い出されて、ちょいちょい窃み見するようにして僕の方を見るその看守を、この男はきっと冷たい心を持っているに違いないなぞと思わせる。
 やがて、しばらく廊下でガタガタ騒がしい音がすると思っていると、看守が扉を開けて「出ろ」と言うので出て見ると、二十人ばかりの囚人が向い合って二列にコンクリートの上のうすべりに坐って、両手を膝に置いて膳に向っている。僕もその端に坐った。
「礼!」
 初めての僕にはちょっと何の意味だか分らない、大きな声の号令がかかった。みんなは膝に手を置いたままの形で首を下げた。僕はぼんやりしてみんなのすることを見ていた。
「喫飯!」
 また何のことだか分らない、ただぱあんというのだけがはっきりと響く、大きな声の号令がかかった。みんなは急いで茶碗と箸とを手に持った。そしてめいめい別な大きな茶碗の中に円錐形の大きな塊に盛りあげられている飯を、大急ぎに、餓鬼道の亡者というのはこんなものだろうと思われるように、掻きこみ始めた、どんぶりから茶碗へ飯を移す、それを口に掻きこむ、呑みこむ、また掻きこむ、呑みこむ。その早さは本当に文字通りの瞬く間だ。僕は呆気にとられて見ていた。
「何千何百何十番!」
 看守がまた大きな声で怒鳴った。僕はびっくりしてその方を向いた。
「何をぼんやりしているんだ。早く飯を食わんか。」
 看守は僕に怒鳴っているんだ。僕は自分の襟をうつむいて見て、その何千何百何十番というのが自分のきょうからの名前だということに初めて気がついた。そして急いで茶碗をとりあげた。が、僕がその円錐形の塊の五分の一くらいをようやくもぐもぐと飲みこんだ頃には、もうみんなは最初のようにその膝に手を置いてかしこまっていた。
 その後も始終見たことではあるが、囚人等の飯を食うのの早いのは実に驚くほどだ。まるで歯なぞというものは入用のないように、ただ掻きこんでは呑みこむ。
「どうも仕方がないんです。いくらからだに毒だからと言っても、どうしてもああなんです。しかしその言い分を聞くと、ずいぶん無茶なことではあるが、多少の同情はされるのです。よく噛んでいた日にゃ、すぐに消化れて腹が空って仕方がないと言うんですな。」
 坊さんは坊さんらしく、ある時教誨師とその話をしたら、眉を顰めながらにこにこしていた。
 僕はこの上もぐもぐやるのも、きちんと正座して待っているみんなに相済まず、自分でも少々きまりが悪いし、それにもみ沢山の南京米四分麦六分といういわゆる四分六飯に大ぶ閉口もしていたのだから、そのまま箸をおいた。
 みんなはめいめい室に帰された。いい加減心細くなっていた僕は、この喫飯で、また例の好奇心満足主義に帰った。そして僕等の仲間達でその数年前に初めてここへはいった堺の話のように、はいってすぐ身体検査をされる時、裸体のまま四ん這いになって尻の穴をのぞかれたり、歩くのに両手を腰にしっかりとつけて決して振っちゃいけないというようなことが、今ではもう廃止されているのがかえって物足りなく思えた。
 その翌朝、僕は先きに言った半病人や片輪者の連中の中へ移された。今までいたところは、新入や、翌日放免になるものや、または懲罰的に独房監禁されたものなどの一時的にいる、特別の建物であった。
 石川三四郎と山口とはすでに、やはり新聞紙条令違犯で、その一室を占領していた。山口、石川、僕という順で、僕はその隣りの室へ入れられた。十畳か十二畳も敷けようと思われる広い室だ。前後が例の牢屋風の格子になっていて、後の格子には大きな障子がはまっていて、その障子を開けるとそとにはすぐそばに大きな桐の木が枝を広げていた。前の格子は、三尺ばかりの土間を隔てて、やはり障子と相対していた。この障子の向うにもやはり桐の木が見えた。室の左右は板戸を隔てて他と同じような室と続いていた。土間には看守がぶらぶらしている。
「はあ、この格子だな、例のは。」
 と僕は、土間に近い一隅にうすべりを一枚敷いて、その格子の眼の前に坐った時、堺の話を思い出した。堺が前にはいった時にもやはりここに入れられたのだ。そして堺は教科書事件の先生や役人と一緒に同居した。小人で閑居していればそんな不善はしないのだろうが、大勢でいると飛んだ不善な考えを起すものと見える。みんなはこの格子を女郎屋の格子に見立て、また髯っ面の自分等を髯女郎インテレクチュアル・プロスティテュトの洒落でもあるまいが、とにかく女郎に見立て、そして怪しからんことには看守をひやかし客に見立てて「もしもし眼鏡の旦那、ちょいとお寄りなさいな」というような悪ふざけをして遊んだそうな。
 僕もこの髯女郎になってからはすっかり気が軽くなった。室は明るい。そとはかなり自由に眺められる。障子は妙にアト・ホオムな感じを抱かせる。すぐ隣りには仲間がいる。看守も相手が片輪者や老人のことだから特に仏様を選んであるらしい。
 旧友に会う
 その室へ移されてから一時間ばかりしてからのことだ。ふと、僕の室の前に突っ立って、しきりと僕の顔を見つめている囚人がある。僕も見覚えのある顔だと思いながら、ちょっと思い出せずにその顔を見ていた。
「やあ!」
 とようやく僕は思い出して声をかけた。
「うん、やっぱり君か。さっきから幾度も幾度も通るたんびに、どうも似た顔だと思って声をかけようと思ったんだが、一体どうしてこんなところへ来たんだ。」
 その男は悲痛な顔をして不思議そうに尋ねた。しかし僕としては、僕自身がこんなところへ来るのは少しも不思議なことではなく、かえってこんなところでその男と会う方がよほど不思議であったのだ。
「僕のは新聞のことなんだが、君こそどうして来たんだ。」
「いや、実に面目次第もない。君はいよいよ本物になったのだろうけど。」
 その男は自分の罪名を聞かれると、急に真赤になって、こう言いながら、
「失敬、また会おう。」
 と逃げるようにして行ってしまった。
 彼と僕とはかつて同じような理由で陸軍の幼年学校を退学させられた仲間だった。彼は仙台の幼年校、僕は名古屋の幼年校ではあったが、もう半年ばかりで卒業という時になって、ほとんど同時に退校を命ぜられた。そして二人ともすぐ東京に出て来て偶然出遇った。彼にはなお一緒に仙台を逐い出された二人の仲間があった。その一人は小学校以来の僕の幼な友達だった。かくして四人の幼年校落武者が落ち合った。そしてそこへまた大阪や東京の落武者が寄り集まって、八、九人の仲間ができた。みんなは退校処分という恥辱を雪ぐために、互いに助け合ってうんと勉強する誓いを立てた。みんなはすぐにあちこちの中学校の五年へはいった。が、彼ともう一人の仲間とが中途で誓いを破って遊びを始めた。みんなは憤慨して数回忠告した。そしてついに絶交を宣告した。翌年他の仲間のみんなはそれぞれ専門学校の入学試験に通過した。しかしその二人だけはどこでどうしているのか分らなかった。みんなは絶交を悔いていた。
 ちょうどそれから四、五年目になるのだ。僕の入獄は彼から見れば「いよいよ本物になったのだ」ろうが、彼自身の入獄は当時の絶交と思い合して「実に面目次第も」なかったことに違いない。しかし僕としては、僕等が彼に申渡したその絶交が、今になってなおさらに悔いられるのであった。
 彼は早稲田辺で、ある不良少年団の団長みたようなことをしていたのだそうだ。そしてその団員の強盗というほどでもないほんの悪戯から、彼は強盗教唆という恐ろしい罪名が負わせられたのだそうだ。そしてかつて仙台陸軍地方幼年学校の一秀才であった彼は、今は巣鴨監獄で、他の囚人に食事を運んだり仕事の材料を運んだりする雑役を勤めているのであった。
 彼は僕が二度目に来て満期近くなるまで、この建物の中に雑役をしていた。どこでどうして手に入れて来るのか知らないが、ある時なぞは、ほとんど毎日のように氷砂糖の塊を持って来てくれた。そして毎月一度面会に来る女房をどこでどうして知っているのか、「君、奥さんが来てるよ、もうすぐ看守が呼びに来るだろうから用意して待っていたまえ」なぞと知らしてくれたりした。
 ある日急に彼の姿が見えなくなった、その日の夜ある看守の手を経て、「あす仮出獄で出る、君が出ればすぐ会いに行く」と言った紙きれを受取ったが、それっきり彼とはまだ一度も会わない。

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