海野十三全集 第12巻 超人間X号 |
三一書房 |
1990(平成2)年8月15日 |
1990(平成2)年8月15日第1版第1刷 |
海野十三全集 第七巻 |
東光出版社 |
1951(昭和26)年5月5日 |
電波小屋「波動館」
みなさんと同じように、一畑少年も熱心な電波アマチュアだった。
少年は、来年は高校の試験を受けなくてはならないんだが、その準備はそっちのけにして、受信機などの設計と組立と、そして受信とに熱中している。
彼は、庭のかたすみに、そのための小屋を持っている。その小屋の中に、彼の小工場があり、送受信所があり、図書室があった。もちろん電源も特別にこの小屋にはいっていた。この小屋を彼は「波動館」と名づけていた。
このような設備のととのった無線小屋を、どの電波アマチュアも持つというわけにはいかないだろう。
一畑少年の場合は、お母さんにうんとねだってしまって、このりっぱな「波動館」を作りあげてしまったのだ。
お母さんは、ひとり子の隆夫少年に昔から甘くもあったが、また隆夫少年ひとりをたよりに、さびしく暮して行かねばならない気の毒な婦人でもあった。
というのは、隆夫少年の父親である一畑治明博士は、ヨーロッパの戦乱地でその消息をたち、このところ四カ年にわたって行方不明のままでいるのだ。あらゆる手はつくしたが、治明博士の噂のかけらも、はいらなかった。もうあきらめた方がいいだろうという親るいの数がだんだんふえて来た。心細さの中に、隆夫の母親は、隆夫少年ひとりをたよりにしているのだ。
なお、治明博士は生物学者だった。日本にはない藻類を採取研究のためにヨーロッパを歩いているうちに、鉄火の雨にうたれてしまったものらしい。
博士の細胞から発生した――というと、へんないい方だが――その子、隆夫は、やはり父親に似て、小さいときから自然科学に対して深い興味を持っていた。そしてそれがこの二三年、もっぱら電波に集中しているのだった。
隆夫は、学校から帰ってくると、あとの時間を出来るだけ多く、この小屋で送った。
夜ふけになっても小屋から出て来ないことがあった。また、「お母さん、今夜は重要なアマチュア通信がありますから、ぼくは小屋で寝ますよ」などと、手製の電話機でかけてくることもあった。
この小屋には、同じ組の二宮君と三木君が一番よく遊びに来た。この二人も、そうとうなアマチュアであった。
隆夫の方はほとんどこの小屋から出なかった。友だちのところを訪れることも、まれであった。
そのような一畑少年が、この間から一生けんめいに組立を急いでいる器械があった。それは彼の考えで設計したセンチメートル電波の送受信装置であった。
この装置の特長は、雑音がほとんど完全にとれる結果、受信の明瞭度がひじょうに改善され、その結果感度が一千倍ないし三千倍良くなったように感ずるはずのものだった。
その外にも特長があったが、ここではいちいち述べないことにする。
その受信機は組立てられると、小屋の中にある金網で仕切った。奥の方に据えられたあらい金網が、天井から床まで張りっぱなしになっているのだ。その横の方が、戸のようにあく、そこから中へはいれる。その仕切りの中の奥に台がある。その上に例の受信機は据えられた。送信機の方は、もっとあとにならないと組上がらない。
パネルは、金網の上に取付けてあった。受信機とパネルの間には、長い軸が渡されてあった。金網の外で、パネルの上の目盛盤をまわすと、その長い軸がまわって、受信機の可動部品を動かすのである。
金網はもちろんよく接地してある。だからパネルの前に人間が近づいて、目盛盤をまわしても、受信回路の同調を破ったり、ストレー・フィールドを作って増幅回路へ妨害を与えたりすることはない。この金網は、じつは天井も床も四方の壁をも取り囲んでいて、つまり受信機は大きな金網の箱の中に据えられているわけだ。これほど念を入れてやらないと、波長がわずかに何センチメートルというような短い電波を、純粋にあつかうことはできないのだ。
隆夫は、自分の受信機が、非常にすぐれていると信じていた。これが働きだしたら、ひょっとすると火星などから発信されている電波を受けることもできるのではないかとさえ考えていた。
もちろん彼は、火星だけをあてにしているわけではなかった。最近の観測によると、火星には植物でもずっと下等な地衣類がはえているだけで、動物はまずいないのであろうといわれる。つまり火星人なんて棲んでいないらしいというのだ。
しかし宇宙は広大である。直径十億光年の大宇宙の中には、地球と似た遊星も相当たくさんあるにちがいないし、従ってその住民がやはり電波通信を行っているだろうし、そうだとすればその通信をとらえる可能性はあるはずだと考えていた。
そしてあと二十年もすれば、われわれ人類はいよいよ宇宙旅行に手をつけるだろうが、それにはロケットをとばすよりも先に、電波をとばし、また相手から発射される電波信号をさぐることの方が先にしなくてはならない仕事だと思っていた。
そういう意味において、隆夫は、こんど組立てた受信機に大きな望みと期待とを抱いていた。
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