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流線間諜(りゅうせんスパイ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-26 6:48:39  点击:  切换到繁體中文


   恐ろしき予感


 帆村探偵は漫画の水兵の画から「八日、デジネフ、ピー、アール、ウェールス」を次のような見方をして、取り出したのだった。
 まず水兵さんの帽子と丸い顔の輪廓とが8の字をなしている。それから、口にくわえたパイプの煙をみると、それが渦を巻きながらも左にT、右にHの字に読める。これを合わせると 8THエイツス[#ルビの「エイツス」は底本では「エイス」] となるのである。
「エイツス」とは八日のことである。
 これで日附の符号は解けた。
 次に分りやすいのは、水兵さんの足許あしもとの左に石塊いしころのようなものが落ちているが、これはどうみてもDという字がひっくりかえっているとしか思えない。それからこんどは、水兵さんの右足(というと画面では向って左の方の足のことである)は、靴を履いているようであるが、それはどうやらEという字が左へ倒れているもののようである。それから向って右の、水兵さんの左足さそくをみると、これはどうみてもZという文字にちがいない。――これでDEZデズと出た。
 その右方に、これを書いた画家のサインらしいものが見える。Hエッチ Nevネブ とかいてあるらしいが、この「エッチ・ネブ」というつづりを上の「デズ」に加えてみると俄然がぜんDEZHNEVデジネフ となって、それで一つまた解けた。
 それから次が、ちょっとむずかしい。
 この水兵さんが口に銜えているのはパイプであるが、どうも変な形である。そこでパイプの頭を上に立ててみると、これがPという字になる。それから水兵さんの胴中がRという文字になっている。
 まだ文字が隠れている。
 水兵さんの向って左の手がWという字になる。そしてその反対の方の手は、Aという字になっている。それは誰にもよく分る。まだある! この水兵さんの鼻を見るがよい。これはどうもLという字に似ているようだ。それからこの口は、変に曲っているが、なんとなくSという文字を横に寝かして、上から叩きのばしたように見えるではないか。――結局これを全部集めてみると、WALESウェールス という文字ができる。
 帆村探偵はこれを Pピー. Rアール. WALESウェールス[#「WALES」は底本では「WALE S」] と読んだ。
「デジネフ。それからピー、アール、ウェールス?」
 なんのことだろう。人の名前のようでもある。――帆村はもうこの階段に用がなかった。これから用のあるのは百科事典だった。彼は元気百倍して、そこに通りかかった円タクを呼びとめると都の西北W大学の図書館へ急がせた。
 夜が明けたばかりのことで、宿直員は蒲団ふとんを頭から被ってグウグウ睡っていたが、彼はこんなときに役に立つとは思わず貰って置いた総長T博士の紹介状を示して、急用のためぜひ書庫に入れてもらいたいと頼んだ。宿直員は睡いところを起されたのでブツブツこぼしていたが、それでもチャンと起きてオーバーを取り、みずから鍵をもって図書館の入口を開けてくれた――。帆村は礼もそこそこに、ドンドンと書庫の奥深くへ入っていった。
 そこで彼は、尨大ぼうだいな外国人名大辞林をとりだすと、卓子テーブルの上にドーンと置いた。
「デジネフデジネフ。さあ、早く出て来い」
 といって探した。しかし彼の期待は外れた、どうも現代に関係のありそうなものが出てこなかった。
「そうだ、これは地名辞典でひかなければ駄目なのじゃないか」
 帆村はそこで、また棚を探しまわって、更に大きな地名大辞典をひっぱりだした。そしてDの部をペラペラとりひろげた。
「あ、あったぞ!」と帆村は鬼の首をとったように大声で叫んだ。「デジネフみさきというのがある。カムチャッカ半島の東の鼻先のところにある岬の名だ。ベーリング海峡をへだてて北アメリカのアラスカに対しているそうだ。これに違いない」
 彼はそれからタイムスの世界大地図をまたかつぎだして、カムチャッカ半島の部のページを繰った。たしかに有る有る。東に伸びた七面鳥のくちばしの尖った先のようなところにある岬の名だ。ベーリング海峡を距てて右の方を見ると、そこに海亀の頭のようなアラスカの突端が鼻を突合したように迫っていた。そして、何気なくそこを見ると彼を狂喜させるようなものが目についた。
「ああ。もう一つの方は、向うから転げこんで来たじゃないか。プリンス、オヴ、ウェールス岬――つまり P. R. WALES はその略記号なのだ。これで読めた。この暗号は、ベーリング海峡をさしはさんだ二つの岬の名を示しているのだ!」
 しかし何故なぜそんな地名を暗号の上にかかげてあるのだろう? それを考えた時、帆村探偵はハタと行き止りの露地ろじにつきあたったような気がした。


   隠しインキ


 帆村探偵の熱心によって、とにかく暗号は解けたけれど、その暗号の意味まで解けたわけではなかった。帆村はW大学の図書館の閲覧室えつらんしつをあっちへ歩きこっちへ歩き、けつくような焦躁しょうそうの中に苦悶したけれど、どうにも分らない。アラスカのウェールス岬がどうしたというのだ。カムチャッカのデジネフ岬がどうしたというのだ。どっちも日本の土地ではない。だから日本に関係ないはずだ。しかし日本に関係のないことを、某国の参謀局がわざわざ日本にいる密偵長に知らせてくるのはどうも合点がゆかないことだった。どう考えてみても、なにか日本と関係があるにちがいない。さあ、それは一体どんなことだ?
 結局帆村探偵が到着した結論では、
 ――この漫画の暗号だけがこの密書の中に書かれている通信文の全体ではない!
 ということだった。別の言葉でいうと、この密書には、もっと沢山の言葉が並んでいなければならぬ筈だということだった。
 もっと沢山の言葉! それは一体どこにしるされてあるのか。レターペーパーの裏をかえし表をかえしてみたが、それ以上の数の文字は何処にも発見できなかった。――帆村はまるで迷路の中にみちを失ってしまったように感じた。かれはポケットを探ってそこにしわくちゃになった一本のたばこを発見した。それに火をつけて吸いはじめたが、それは筆紙ひっしつくされぬほど美味うまかった。凍りついていた元気がにわかにけて全身をまわりだした感じだ。彼は煙をプカプカと矢鱈やたらにふかし続けていたが、そのうちに椅子から飛びあがると、ハタと膝を打った。
「そうだ。僕は莫迦ばかだった。なぜそれにもっと早く気がつかなかったのだろう!」
 そう独言ひとりごとをいった彼は、襯衣シャツのポケットに手を入れて何物かを探し始めた。
「あった、あった」
 彼がやっと取出したものは五、六本の燐寸の棒だった。その中から三本を抜きとって、あとは元通りにポケットの底にしまった。それから彼は館員から茶碗を一つ借りて、それに少量の水をたらし、その水の中へ三本の燐寸の頭を漬けた。
 しばらくすると、茶碗の水はうっすらと黄色に変った。そこで燐寸の頭を取出し、そこに残った淡黄色たんこうしょくの水をいと興深げに眺めていたが、こんどは何思ったものかその水を指先につけて、卓子テーブルの上に伸べてあった漫画の水兵の紙面へポタポタとたらし、それをすらすらと拡げていった。かくすること両三度、――彼は息づまる思いでその紙面を穴の明くほどみつめていた。
「おお――」
 と、そのとき彼は嬉しさのあまり、歓声をあげたのだった。紙面にはあまり顕著けんちょではないが、なにか緑色の文字らしきものがポーッと浮かんで来たのだった。ああ、これこそ隠しインキによる暗号文だった! すると問題の燐寸の頭には密かに隠しインキの現像薬が練りこんであったといえる。密偵団が死力をつくして燐寸の棒の奪還をはかったわけもわかる。死の制裁をもって責任者を処罰したわけもわかる。それにしてもうまいところへ隠しインキの現像薬を隠したものである。燐寸の頭なのだ。燐寸なんてどこにも転がっているもので、これを持っていても怪しむ者はないだろう。万一怪しまれそうになっても、何喰わぬ顔をして検閲官の前で、火を点けると薬も共に燃えて跡方もなくなってしまう。実に巧妙な隠し場所だといわなければならない。
 帆村はあの燐寸が、銀座の鋪道にたおれた婦人の身辺から発見されたとき、それが不可解なる唯一の材料だった点からして、油断をなさず「赤毛のゴリラ」が小猿を使って燐寸函の奪還をはかったよりも前にひそかにその函の中から数本の燐寸の棒をポケットに滑りこませて置いたのだった。もしあのとき、そこに気がつかなかったとしたら、今日密書の上に書かれた秘密文字を読みとることは絶対に困難だったろう。したがってR事件も遂にその真相を知られないでしまい、後へ行って大椿事だいちんじを迎えるに及んで始めてあれがその椿事の前奏曲だったかと思いあたるようなことになったかも知れない。それでは遺憾もまたはなはだしいといわなければならない。――
 密書紙上の秘密文字は、ようやく緑色もかなり濃く浮きだして来た。帆村はそこに書かれてある文字を拾って読みだしたが、彼の顔は見る見る紅潮して来たのだった。隠しインキは、そもそも何を語っていたのであろうか?

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