右足のない梟
此処は或る広間の中のことであった。この部屋を見渡して、たいへん不思議に思うことは、窓が一つも見えない上に周囲の壁がのっぺらぼうで扉が一つも見えない。どこから出たり入ったりするのか分らない、何階の部屋だかも分らない、しかしその広間には、凡そ二十脚ほどの椅子がグルッと円陣をなして置いてあり、その中に、特に立派な背の高い椅子が一つあるが、その前にだけ、これも耶蘇教の説教台のような背の高い机が置いてあった。人間の姿は見えないが、どうやら会議室らしい。
と、突然どこからともなく妙な音楽が聞え始めた……と思っていると、いつの間にか置かれた椅子の前にマンホールのような丸い穴がポッカリと明いた。その隙間から、明るい光が見える。それは其の部屋の床下に点いている灯のようだ。どこかでグーンという機械の呻る音が聞えた。すると不思議! その穴の一つ一つに、何か黒いものが見えたと思ったら、それが徐々に上に迫り上ってきた。見る見るそれは床上から高く突きでてきて、やがて人間の高さになったかと思うと、ピッタリと停った。まるで黒い筍を丸く植えたように見えた。――そこで黒い筍は号令でもかけたかのように、腰を折って椅子に掛けた。よく見るとその黒い筍の頭の方には、ギラギラ光る二つの眼があった。それは頭のてっぺんから足の下まで、黒い布で作った袋のようにものを被っている人間だったことが、始めて知られた。まことに怪しき黒装束の一団! すると突然、音楽の曲目が違った。
「起立!」
という号令が掛る、とたんに、いままで空席だった唯一つの机の前に、ボンヤリと人影が現れたかと思うと、それが次第にハッキリとしてきてやがていつの間にか卓子の前には、これも全く一同と同じ服装をした怪人がチャンと起立していた。その首領らしき人物は、ギラリと眼を光らせると、サッと右手を水平にさし上げ、
「右足のない梟!」
と呼んだ。
するとそれが合図のようにその隣の黒装束が「壊れた水車」と叫ぶ。その隣が「黄色い窓」という。そうして皆が別々に、わけの分らぬことを叫んだが、どうやらそれはこの一団の隠し言葉であって自分の名乗をあげたものらしかった。
「着席!」
「右足のない梟」と叫んだ首領は、そこで自ら先に立って席に坐った。一同もこれに倣って席についた。
「今日はまず最初に、わがR団の第二号礼式を行う。――」
そういって一同をズッと眺めた。
すると、また別の、まるで地下に滅入るような音楽が起って来た。――ギギィッという軋るような音がして、途端に一同の目の前の床が、畳一枚ほどガッと持ち上ってきたと思うと、それは上に迫り上って一つの四角な檻となった。檻の中には、同じ様な黒装束をした人間が二人突立っていた。
檻がピタリと停ると、「右足のない梟」の隣にいた「壊れた水車」が席を立って檻に近づき、それを開いて二人を引張り出した。一人は大きいし一人はやや低い。
「壊れた水車」は檻をまた旧のように床下に下ろした上で、二人を一座の中央に引据えて、その黒い服を剥ぎとった。するとその覆面の下から現れた二つの顔! ああ意外にも、その大きい方の顔は、銀座に猿を連れて現れ、屍体からマッチ箱を盗んでいった大男だった。もう一人は知らない顔だった。
「まず最初に『狐の巣』に宣告する」と首領は言った。「君には秘密にすべきマッチ箱を売った失敗を贖うことを命ずる。但し我等の祖国は君の名をR団員の過去帖に誌して、これまでの忠勇を永く称するであろう、いいか」
「狐の巣」は絶望の眼をあげた。途端にドーン……という銃声が響いて「狐の巣」の身体は崩れるように床の上に倒れた。
例の大きな男は、これを見るや真青になった。
赤毛のゴリラ
銃殺に遭った「狐の巣」と呼ばれる男は多量の出血に弱りはてたものと見え、やがて宙を掴んだ手をブルブルと震わせると、そのまま落命した。
「さて次は『赤毛のゴリラ』に対する宣告であるが――」と首領「右足のない梟」は厳かな口調で云った。一座はシーンと静まりかえって、深山幽谷にあるのと何の選ぶところもない。
「――その前に、すこしばかり意見を交換して置きたい。『赤毛のゴリラ』が得意の猿を使ってマッチ箱を奪還したことは、部下の過失をいささか償った形だが、そのマッチ一箱にはマッチが半数ほど失われている。見ればその箱にはマッチを擦った痕跡もないが一体どこへ失われたのか、意見はないか」
「本員にも明瞭でありませぬが、お尋ねゆえに私見を申上げます」と彼の大男はいった。「失われた半数のマッチは、かの頓死した日本婦人が嚥み下したものと思います。だから婦人は一命を損じたのです」
「ナニ嚥み下した。嚥み下すと死ぬのは分っているが、ではかの婦人はあのマッチの尖端が何で出来ているのか知っていたと思うか」
「それは知らなかったと思います。あの婦人は何かの身体の異状によって、マッチの軸を喰べないでいられなかったのです。つまり赤燐喰い症です。あの黒い薬をゴリゴリと噛みくだいて嚥んだので、マッチで火を点けたのではないから、箱には擦った痕跡がついていないのです」
「するとその婦人は、あのマッチの不足分は全部胃の中に送ったというのだな」
「そうです。私は確信しています。だから日本人の手に、あのマッチ一本だに渡っていないのです。ですから本員の除名は許していただきたいと思います」
「イヤ宣告に容喙することは許さぬ。――とにかくマッチが日本人の手に残らなかったのは何よりである。それがもし調べられたりすると、われわれが重大使命を果す上に一頓挫を来たすことになる。不幸中の幸だったといわなければならん。――では『赤毛のゴリラ』に宣告を与える。一同起立――」
十数名の黒衣の人物は一せいに起立した。「赤毛のゴリラ」の顔は見る見る土のように色褪せていった。ああ生命は風前の灯である。
「宣告、――君は『狐の巣』の監督を怠り、重大なる材料を流出させたる失敗を贖うことを命ずる。忠勇なる『赤毛のゴリラ』よ。地下に瞑……」瞑せよ――と云いかけたその刹那の出来ごとだったが、突然どこからともなく一匹の鼠が現れて、チョロチョロと首領の方へ走りだした。
「オヤッ――」
と叫んだ途端に、「赤毛のゴリラ」の懐からポケット猿がパッと飛出して、鼠の後を追いかけた。首領はハッと身を避けて、この小動物の追駆けごっこを見送った。他の黒装束の連中も思わず、ゾロゾロと前へ踏みだした。そのとき「赤毛のゴリラ」の影のように寄り添った黒装束の一人が素早く何か囁いてソッと手渡したものがあった。――猿は室の隅でとうとう鼠を噛み殺してしまった。一座は元のように整列した。「右足のない梟」は、そこで再び厳かな口調で叫んだ。――
「――『赤毛のゴリラ』よ、地下に瞑せよ」
ズドン。――と銃声一発。首領の手には煙の静かに出るピストルが握られている。
だだだだッと、「赤毛のゴリラ」は銃丸のために後に吹きとばされドターンと仰向けに斃れてしまった。そして石のように動かなくなった。
「これで第二号礼式を終った」と首領は恐ろしい礼式の終了を報じたが、このとき何を思ったものか、一座をキッと睨んで声を励まして叫んだ。「――R団則の第十三条によって本員を除く他の臨席団員の覆面を脱ぐことを命ずるッ」
覆面を脱ぐ第十三条――それは極めて重大な命令だった。覆面を脱げば、たいてい死刑か本国送還の何れかである。それは実に重大なる事態の発生を意味する。
サッ――と、一同は我を争って覆面を脱いだ。現れ出でたる思いがけないその素顔!
「何者だ、覆面をとらない奴は?」
なるほど一番遠い端にいる会員の一人はただ独り覆面をとろうとしない。それは「赤毛のゴリラ」に何か手渡した男だった。首領はピタリとその団員の胸にピストルを擬した。
覆面を取らぬ団員の生命は風前の灯にひとしかった。あわや第三の犠牲となって床の上を鮮血に汚すかと思われたその刹那!
「うむ――」
と一声――かの団員の気合がかかると同時に、その右手がサッと宙にあがると見るやなにか黒い塊がピューッと唸りを生じて、首領「右足のない梟」の面上目懸けて飛んでいった。
「呀ッ――」
と叫んだのが先だったか、ドーンというピストル[#「ピストル」は底本では「ピルトル」]の音が先だったか、とにかく首領は素早く背を沈めた。
と、それを飛び越えるようにして円弧を描いていった黒塊は、行手にある頑丈な壁にぶつかって、
ガガーン!
と一大爆音をあげ、真白な煙がまるで数千の糸を四方八方にまきちらしたように拡がった。
「曲者! 偽団員だ!」
「遁がすな、殺してしまえ!」
覆面のない十数名の団員はてんでに喚きながら、怪しき黒影の上に殺到していったが、あらあら不思議、どうした訳か分らないが、彼等は拳を勢いよくふりあげたのはよいが云いあわせたように、よろよろと蹣跚き、まるで骨を抜きとられたかのように、ドッと床の上に崩折れてしまった。途端に鼻粘膜に異様な鋭い臭気を感じたのだった。毒瓦斯!――もう遅い。
「ざまを見ろ!」と覆面を取らぬ怪人は、ふくんだような声で叫んだが、
「あッ、こいつは失敗った」といって飛び出していった。そこにたしかに首領が立っていたと思ったのに、何処へ行ったか、首領の姿がなかった。床の上には丸い鉄扉が儼然と閉じていて、蹴っても踏みつけても開こうとはしない。
「ちぇッ――逃がしたかッ」
流石は首領であった。咄嗟の場合に、その場を脱れたものらしかった。
「この上は『赤毛のゴリラ』を頼むより外はない」
彼はスルスルと横に匍って、奥の壁際に倒れている第二の犠牲者のところへ近づいた。
「オイッ、しっかりしろ!」
「赤毛のゴリラ」の上衣を開くと、彼の胸には先刻怪人からソッと渡された簡易防弾胸当が当っていた。しかし弾丸は運わるく胸当の端を掠めて、頤の骨にぶつかったらしく、頸のあたりを鮮血が赤く染めていた。その衝動が激しかったのか、彼は気絶していた。しかし心臓の鼓動は指先にハッキリ感ぜられた。
「このままでは、息を吹きかえすと同時に昏睡してしまうぞ。危い危い」
そういって怪人は黒衣の下からマスクのようなものを出し、ゴリラの顔面に被せてやった。そしてそれが済むと、ドンドンと背中を打って、
「おい、目を覚せ、目を覚すんだ!」
と叫んだ。
激しい刺戟に「赤毛のゴリラ」はやっと気がついたか、ウーンと呻り始めた。
「オイ『赤毛』君。――しっかりするんだ。愚図愚図していると、俺達は死んでしまうぞ」
怪人は気が気ではなかった。隠し持ちたる毒瓦斯を放ったのはよいが、首領を逸してしまっては危険この上もない。首領は何時彼の背後に迫ってくるか知れないのだ。
「ウーン。キ、君は誰だ!」
と赤毛は細い声で呻るように云った。
「誰でもいい。君に防弾衣を恵んだ男だ。――それよりも危険が迫っている。この部屋から早く逃げ出さねば、生命が危い。さあ、云いたまえ。どこから逃げられるのだ」
「あッ。――貴方は団員ではないのだネ。イヤ、そんなことはどうでもよい。僕はもう死んでいる筈だったのだ。逃げよう、逃げよう。貴方と逃げよう。さあ、そこの床にあるスペードの印のあるところを押すんだ。早く、早く」
「なにスペードの印! アッ、これだナ」
と怪人が喜びの声をあげたとき、不意に天井の方から破れ鐘のような声が鳴り響いた。
「帆村探偵君、なにか遺言はないかネ」
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