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夜泣き鉄骨(よなきてっこつ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-26 6:46:32  点击:  切换到繁體中文


     4


 いよいよ、夜はけわたった。
 月のない、真暗な夜だった。風も無い、死んだようにさびしい真夜中まよなかだった。
 かねて手筈てはずのとおり、工場の門衛番所に、柱時計が十二の濁音だくおんを、ボーン、ボーンと鳴り終るころ、組下くみしたの若者が、十名あまり、集ってきた。わしは、一と通りの探険注意を与えると、一行の先頭に立ち、静かに、構内こうないを、第九工場に向って、行進を始めたのだった。地上をうレールの上には、既に、冷い夜露よつゆが、しっとりと、下りていた。
電纜工場ケーブルこうばは、夜業をやってるぜ」
「満洲へ至急に納めるので、忙しいのじゃ」
 誰かの声に、そっちを見ると、電纜工場だけが、睡り男の心臓のように、生きていた。高い、真黒な大屋根の上へ、なまりかす熱火ねっかが、赫々あかあかと反射していた。赤ともつかず、黄ともつかぬすさまじい色彩は、湯のようにたぎっている熔融炉ようゆうろの、高温度を、警告しているかのようであった。
「組長さん」組下の源太が云った。「おせいさんは、もう身体は、いいのですかい」
 おせいは、実は、わしめかけだった、だが、世の中の妾とは違って、昼間は、この工場で働かせ、わしの顔で、電纜の紙捲ケーブルペーパーまきという軽い仕事をやらせ、日給は、女性として最高に近いものを、会社から払わせてあった。夜になると、身粧みつくろいをして、合宿から抜け出してくるわしを迎えて、普通の妾となった。
「うん、もういいようだ。今夜も、あの電纜工場ケーブルで、かせいでいる位だァ」
「うふ。組長は、万事ばんじぬかりが、ねえな」
「なんだとォ――」わしは、ピリピリする神経を、やっとのことでおさえつけた。「ちょっと電纜工場ケーブルへ寄ってくるから、五分間ほど、ここで待っていてれ」
 わしは、間もなく出てきた。
 電纜工場を通りすぎると、その先は、文字どおりに、無人郷であった。
 漆黒しっこくの夜空の下に、巨大な建物が、黙々もくもくとして、立ち並んでいた。えくさい錆鉄さびてつの匂いが、プーンと鼻を刺戟した。いつとはなしに、一行は、ぴったりと寄り添い、足音を忍ばせて歩いていた。
「うわッ!」
 建物の軒下を伝い歩いていた男が、悲鳴をあげた。皆は、ギョッと、立ち停った。
「な、な、なんだッ」
「工場に、がまがえるが出るなんて、知らなかったもんで……」
 きまりわるそうな、低い声だった、
「ドーン」
 二三間先の、鉄扉てっぴが、鈍い音を立てて鳴った。
「ウウ、出たッ!」
「や、やかましいやい!」
 わし呶鳴どなった。蟇がえるを蹴飛ばした先生は、黙っていた。
 ひイ、ふウ、みッつ!
 やっと、第九工場の、入口が見える。
 ぼッと、丸い懐中電灯の光の輪がぶっつかった。
 錠前には、異常がない。門衛から借りてきた鍵で、それをはずさせた。ガチャリと、錠の開いたのが、骨の崩れる音のようだった。
「さァ皆、懐中電灯を消すんだ」わしの前に突立って云った。「静かに、中へもぐりこんだら、たとえ、どんな吃驚びっくりするようなことが起ろうと、声を立てちゃ、ならねえ。よしかッ。懐中電灯も、わしが命令するまでは、どんなことがあっても、けるなよッ。折角せっかくの化物を、がしちまうからな。いいかッ」
 一同は、それぞれ、うなずいた。
 重い鉄扉を、細目にあけて、ブルブルふるえている組下連中を、一人一人、押込んだ。最後にわしが入って、扉をソッと閉めた。
 工場こうばの中は、油の匂いが、プンプンしていた。そして、鼻をつままれても判らぬほど、絶対暗黒ぜったいあんこくであった。何かしら、闇の中から、大きな手が出てきて、喉首のどくびをグッと締めつけられるような気味の悪い圧力を感じたのだった。
 誰もが、黙っていた。番号をかけるわけにもゆかない。わしは、戸口のところから、手さぐりに、一人、二人と、人間の身体をかぞえて行った。彼等は、わしの手がさわたびに、非常に驚愕きょうがくしている様子であった。そして、申し合わせたように、隣り同士がピタリと身体を寄せ、手をつなぎ合わせていた。
「十三人!」たしかに、全員が、入口に近い壁際かべぎわに、ひらめのように、ピッタリ、附着しているのであった。
 それから、タイムが軸の上を、静かに移ってゆくのが、誰にもハッキリと感ぜられた。時の経つのにしたがって、一秒また一秒と、恐怖の水準線すいじゅんせんが、グイグイと昇ってくるのだった。
 二分、三分、四分、五分――
 夢中で、隣りの男の手を、握りしめた。冷い汗が、わきの下ににじみ出して、やがてタラリと肋骨あばらぼねを、駆け下りた。
「キィーッ」
 一同は、はッと、呼吸いきをつめた。
「キィーッ、キィーッ」
 ッ、いよいよ、泣きだしたのだ。彼等はそれを鼓膜こまくの底に聴いた瞬間、板のように全身を硬直させた。
「キィーッ、キィーッ、ぐうッ、ぐうッ」
 彼等は、見えない眼を閉じた。
「キ、キ、キ、キ、キィーッ」
 もうたまりかねたものか、一行のうちから、サッと、懐中電灯の光芒こうぼうが、射るように、高い天井を照した。
「がーッ、がーッ……」
 一同は、その怪音のする方を、ひとしく見上げた。
ッ!」
「ク、クレーンが……」
 懐中電灯の薄ら明りに、はじめて照し出された怪物は何であったろうか。それはあの巨大な鉄骨で組立てられたクレーンが、物凄ものすさまじい響きをあげて、呀ッという間に、全速力で一同の頭上を通り過ぎたのであった。
「ひえーッ」
 というなり、彼等は、折角せっかく手にした懐中電灯も其場そのばほうり出して、云いあわせたように、ペタペタと、地上に尻餅をついてしまった。
「電灯を、点けろッ」
 わしは、クレーンがまだ動いているうちだったが、決心をして、号令をかけた。そして真先に、懐中電灯を照して、一同の方へ向けた。彼等の顔は、いずれも、泣かんばかりの表情をして見えた。
「しっかりしろ、探険は、これからだッ」
 わしは、一同を激励げきれいした。
 皆の懐中電灯が、揃って点くと、大分だいぶ場内じょうないが明るくなって、元気がついたようだった。
「クレーンを動かすスウィッチが、入っているかどうかを調べるんだ。オイ、まさはいるかッ」わしは、クレーン係の、若い男を呼んだ。
「へええ」と政は、死人のような顔を、こっちへ向けた。「どうか、その役割は、勘弁しとくんなさい」そう云って、彼は、手を合わせて、こっちをおがんだ。
莫迦ばかいうな」わしは叱りつけた。「手前てめえが、調べねえじゃ、係りで無えコチトラには訳が判らねえじゃねえか」
 尻込みする政を、両脇りょうわきから引立てて、捜査に取懸った。
「このスウィッチは、開いている」一同が入った入口の側の壁上で、その入口から六、七間奥まったところに大きいスウィッチが取附けられてあった。その硝子蓋ガラスぶたの上からゆびさしながら、クレーン係の政がうなった。「このスウィッチが、開いているなら、クレーンの上へ、電気が行きっこ無いんです」
「だが可怪おかしいぞ」とわしは云った。「クレーンは確かに動いたんだ。クレーンはモートルでしか動けないんだ。このスウィッチが開いていて動く筈はない。開いているようでも何処か、電気が通うようになってるんじゃないか。よく中を開けて調べて見ろ」
 カチャカチャと音をさせて、スウィッチの硝子蓋を開いてみたが、それは普通のスウィッチが、明らかに開かれた状態になっていて、外にインチキな接続は発見せられなかった。
「たしかに、このスウィッチは開いています」政は泣き声で云った。
「よし、では念のために、クレーンの上へ昇ってみよう」わしは云った。
「なに、クレーンへ昇る――」
 一同は、たがいに顔を見合わせて、恐怖の色をくした。
「政、昇れ!」
「いやァ、たすけて下さい」政は、ポロポロなみだを出して、わめくのであった。
「じゃ、わし先登せんとうに昇るから、直ぐうしろから、ついて来い。いいかッ」
 わしはそういうなり、壁際へ進んで、クレーンにのぼる冷い鉄梯子タラップへ、手をかけた。

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