大金庫やーい
「おい、何をしとる。早く金庫をとりもどさんか」
田山課長は、室内をあっちへ走りこっちへ走り、両手をうちふってわめきたてる。
「ところが、とりもどしたいにも、大金庫はどこへいったか分らんのです」
「そこの壁の中へ、すうっと入っていったがねえ。幽霊が、こんな手つきをして引っぱっていったが……」
「ばかなッ」課長は怒りにもえて課員をどなりつけた。
「そんなばかばかしいことがあってたまるか、大金庫は硬くて大きいんだぞ。それが壁の中へ入るなんて、そんなことは考えられん」
「いや、課長、たしかにすっと壁の中へ入っていったです。私はそれを追いかけていって、このとおり壁で鼻をいやというほどつぶしてしまいました」
金庫番の山形は、鼻血をだして赤く腫れあがった自分の鼻を指した。
「そんなことはない。君たちは、そろいもそろって眼がどうかしているんだ。もっとよくそのへんをさがしてみるんだ」
課長はますますいきりたった。
「ですが課長。あの重い大金庫がそうやすやすと動くはずがないんです。移動するにはいつも十人ぐらいの手がかかるんですからね。――ところが、ごらんのとおり、大金庫のあったところはぽっかりと空いています。わけが分らんですなあ」
「なるほど、たしかにさっきまでここに大金庫があったわけだが、今は無い!」
「課長! 重要なことを思いだしました」
といって課長の腕をとった課員がいた。
「なんだ。早くいえ」
「この前、木見の家の研究室で私が聞いたことですが、あの女の幽霊は、あつい壁でも塀でも平気ですうすう通りぬけていったそうですぞ。だから今もあの幽霊は、この壁を通りぬけて外へでていったのじゃないかと思うんです」
「しかしあの大金庫が壁を通るかよ」
「通るかもしれませんよ。この前のときは、あの幽霊は本をさらって小脇に抱えこんだまま、壁をすうっと向うへ通りぬけましたからね。だから、あの幽霊の手にかかった物は何でも壁を通りぬけちまうんではないでしょうかね」
と、その課員はなかなか観察の深いところを見せた。
「本当かな」
課長は半信半疑であったが、外にいい手がかりがちょっと見あたらないものだから、彼は部下に命じて外をあらためさせた。
気の強い課員が先頭に立って、扉をあけて外へでてみた。そこには非常用の梯子がついていて、この三階から中庭にまで通じていた。下を見まわしたが何にも見えない。
それでは上かなと思って、念のために上を向いてみたが、暮れゆく空には、高いところに断雲がゆっくり動いているだけで、やはり何も見当らなかった。
「どうだ。見つかったか」
課長も、課員と共に外へでてきた。
「だめです。幽霊のゆの字も見えません」
「壁を通りぬければたしかにこっちへでてこなければならんのですがね」
さっきの課員が、そういって首をかしげた。
「幽霊も大金庫も壁の中に入ったまま、まだ外へででこないんじゃないかな」
「おい気味のわるいことをいうな。そんなら僕の立っている壁ぎわから幽霊のお嬢さんが顔をだすという段取になるぜ」
急いで壁のそばからとびのく者があった。
外をしらべ切ったが、手がかりは全くないと分ると、課長の心には、大金庫を重要書類と共に失ったことが大痛手としてひびきつづけるのであった。
(万事休した。一体どうすればいいのか)
さすがの田山課長も、にわかに自分の目が奥へ引っこんだように感じ、力なく課長室へ引きかえした。
室内はがらんとしていた。課員はみんな外へでているからである。しかしただ一人課長の机の前でのんきそうに煙草をふかしている者があった。誰だ、その男は? あいにく室内は暗くて顔を見さだめにくい。
「課長さん。賭は僕の勝ですね。あなたの秘蔵の河童のきせるは僕がもらいましたよ」
そういった声は、蜂矢探偵に違いなかった。課長は舌打ちをした。
「おい蜂矢君、君が幽霊なんか引っぱりこむもんだから、たいへんなさわぎになったよ。大金庫まで持っていっちまったよ、あの幽霊に役所の重要物件まで持っていかせては困るじゃないか、君」
「待って下さい課長さん。お話をうかがっていると、まるで僕が幽霊使いのように聞えるじゃないですか」
蜂矢探偵はにが笑いと共にいった。
「正に君は幽霊使いだとみとめる。君のお膳立にしたがって、あのとおりちゃんと現われた幽霊だからね。なぜ君は幽霊を使って役所の大切な大金庫を盗ませたのか」
「冗談じゃありませんよ、課長さん。幽霊使いなんてものがあってたまるものですか。はははは」
と蜂矢は笑ったが、そこで言葉をあらためて、
「木見学士が大金庫を持ちだしたわけは、課長さんがよくご存じなんでしょう。あの大金庫の中には、木見学士が非常にほしがっているものが入っていたのです。あなたは、僕に相談なしに、まずいことをしました。だから原因はあなたにあるのです」
この蜂矢のことばに、課長は何もいうことができなかった。正にそのとおりだ。
蜂矢は椅子から立上ると課長の机上から木見学士の研究ノートの包をとり、さよならを告げた。
「大金庫はやがてかえってくるでしょうから、心配はいらないでしょう」
蜂矢は、こんなことばをのこしていった。
ふしぎな盗難
捜査課で保管していた重要物件が入っている大金庫を奪われてしまったので、田山課長はその善後処置に苦しんだ。
課員たちも、家へかえるどころか、そのまま課長の机のまわりに集り、これからどうして大金庫を取りもどすか、総監へはどう報告をするか、捜査にさしつかえがおこるがそれをどうしたらよいかなどと、むずかしい問題について会議をつづけねばならなかった。
「とにかく壁をぶちぬいてみるんですね」
「いやそれはだめだ。それより全国へ手配してあの大金庫を探しださせるのがいい」
「そんなことよりも、さっき幽霊が大金庫を持ってどっちへいったか、その目撃者はないか、それを大急ぎで調べる事ですよ」
「そんなものを見たという者は、ただ一人も現われないよ、怪しげな雲をつかむような話だから、頼みにはならないよ」
「困ったねえ。これじゃ全く手のつけようがありゃしない」
一同は顔をあつめて、吐息をもらしあう外なかった。
と、そのときであった。突然室内に大音響が起った。がらがらとガラスが破れ器物がくだける音! すわ一大事件だ。爆弾がなげこまれたのであろうか。
一同は、反射的に、その大音響がした方へふりかえってみた。すると、東に面した硝子窓が大きく破れ、そこから冷たい夜気が流れこんでいる。その窓の下のところに並べてあった事務机や椅子がひっくりかえり、その中に見覚えのない大きな箱が、稜線を斜にしてあぶない位置をとっている。
「おや。へんなものがあるぞ」
「あっ、そうだ。窓から飛びこんできたんだ」
「窓からとびこんできたって、ああそうか。あの通り硝子窓が破れているからねえ」
こわごわその大きな箱の方へ近づいて、目をぱちぱちやっていた刑事の一人が、このとき大きな声でさけんだ。
「あっ、大金庫だ。うちの課の大金庫だ。大金庫が戻ってきたんだ」
大金庫が戻ってきた?
「えっ、本当かな」
これを聞いた課長以下が、そこへとんでいってみると、なるほどさっき失った大金庫に違いない。
「やっぱり、うちの課の大金庫だ」
「ふうん。蜂矢のいったとおりだったね。蜂矢は大金庫がきっと戻ってくるといっていたが……」
よく調べてみると、金庫はほとんどさかさまになり、そして床を大きくへこませていた。厄介なことではあるが、とにかく大金庫が戻ってきたことは何よりありがたいというので、課員総出で力をあわせて、その大金庫をようやくまっすぐにおきなおすことができた。
「さあ、こんどは中身をしらべることだ。重要物件はどうなったかな」
「課長。大金庫の鍵はちゃんとかかっていますよ。この分なら大丈夫です」
「そうか。なるほど、ちゃんと鍵がかかっているな。よし、あけてみよう」
暗号錠と、そうでない錠でひらく鍵と二種類の錠前がつけてあったが、課長の手で試みると、どっちも正しくかかっていた。そこで大金庫の鍵は、順序どおりに、錠をはずしていって、やがて扉はうまく開いた。
金庫の中には、更に錠がいくつもついた小さい扉があったが、それらもまたちゃんとしていた。そしていよいよ重要書類と木見学士の研究ノートの間から抜いた『復元文献抄』の入れてある引出が、課長の手によってぬきだされ、中が改められた。
「あっ、入れてあったものが無い!」
課長の顔はおどろきのために、赤くなり、そして次に青くなった。
無い。たしかに入れてあったものがない。その引出に入れてあったはずの重要書類と文献抄とが見えないのだ。
でも、まことにふしぎである。この大金庫はちゃんと錠が下りていたのに。……するとあの幽霊はこの大金庫をあけるための鍵を持ち、暗号錠の暗号を知っていたのであろうか。
課長は、もしや外に入れ忘れたのではないか、大金庫内の棚の引出などを念入りにしらべてみた。だがその結果はやっぱり同じことであった。重要書類も文献抄も、この大金庫内には全く見えないのだ。
「困った。困った」
課長はがっかりして、椅子に腰を下ろした。他の課員たちも、長時間にわたる奮闘の疲れが急にでてきて、大事なものを抜き去られた大金庫のまわりへ、みんなへたばってしまった。
「幽霊が相手じゃ、全くやりきれないよ」
「仕方がない。われわれのやり方を、このへんでかえるんだな、今の調子じゃ、この事件はいつまでたっても解決しない」
「やり方を変えるというと、どうするんだ」
「幽霊の存在を認めて、それが何故に存在するかという研究から出発するんだ」
「そんなむずかしいことができるもんか」
「そうでもないよ。蜂矢探偵を講師によんで、彼から教わるんだ。彼はなかなか幽霊学にはくわしいらしい」
「われわれとしては、蜂矢に教えをこうなんてことはできないよ」
「でもそれではいつまでたっても解決の日がこない。どうしたら幽霊を逮捕することができるだろうか、誰か大学へいって相談してきたらどうだろうかね」
課員たちのこんな会話を、田山課長はただにがにがしく聞いていた。
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