火花する船腹
佐伯船長も、おどろく眼で、その青白く光る怪船をじっと見つめていた。
ふしぎな船もあるものだ。まるで幽霊船が通っているとしか見えない。
「船長、試みにあの船を撃ってみてはどうでしょうか。ここに一挺小銃を持ってきています」
小銃で幽霊船を撃ってみるか。それもいいだろう。しかし万一あれが本当の幽霊船でなく、どこかの軍艦ででもあったとしたら、そのときはこっちはとんだ目にあわなければならない。
「まあ待て。決して撃つな」
船長は、はやる船員をおさえた。そのとき第二号のボートが船長ののっている第一号艇にちかづいて、しきりに信号灯をふっている。
「船長、第二号艇から信号です」
「おお、なんだ」
「無電技士の丸尾からの報告です。さっき彼は檣のうえから探照灯で洋上をさがしたところ、附近海上に一艘の貨物船らし無灯の船を発見した。その船が今左舷向こうを通るというのです」
「そうか。分かったと返事をしろ」
船長は大きく肯いた。怪しい船だ。船長は、なおもじっと、通りすぎようとする青白い怪船のぼんやりした形を見守っていたが、なに思ったか、
「おい、小銃を持っているのは貝谷だったな」
「はい、貝谷です」
「よし貝谷。かまうことはないからあの船へ一発だけ小銃をうってみろ。吃水よりすこし上の船腹を狙うんだ」
「はい、心得ました」
しばらくすると、どーんと銃声一発汐風ふく暗い洋上の空気をゆりうごかした。射程はわずかに百メートルぐらいだから、見事に命中である。
船長はじっと怪船の方をみつめていたが、弾丸が怪船の船腹に命中してぱっと火花が散ったのを認めた。
「ははあ、そうか。幽霊船だと思ったが、弾丸があたって火花が出るようでは、やはり本物の鉄板を張った船なんだ。じゃあ、今にあの船は、騒ぎだすだろう。おいみんな、油断するな」
船長は声をはげましていった。だが、ボートから撃たれた怪船は、しーんとしずまりかえって、今や前方をすーっと通りすぎてゆく。
「これはへんだな」と、船長は小首をかしげた。船長の考えでは、小銃でうたれたのだからいくら寝坊でも甲板へとびあがってきて、こっちへむいて騒ぐだろうと思ったのに、それがすっかりあてはずれになった。彼は思いきって、次の決心をしなければならなかった。
「おい、貝谷居るか」
「はい、居りますよ。もっと撃ちますか」
「うん、撃て。私が号令をかけるごとに一発ずつ撃って見ろ。狙いどころは、さっきとおなじところだ」
「よし。ではいいか。一発撃て!」
どーんと、はげしい銃声だ。弾丸はかーんと船腹にあたってまたちかっと火花がでた。だが青白い怪船は、やはり林のようにしずかであった。
「もう一発だ。撃て!」
そうして三発の弾丸を空しくつかいはたして、なんの手応えもなかった。
幽霊船か、そうでないか。――たしかに鉄板の張ってある船らしいが、誰も出てこないとはどうしたわけだ。
そのうちに、怪船は船足をはやめて、ボート隊から全く見えなくなってしまった。なんだか狐に鼻をつままれたようだ。
船長は無言で考えにふける。洋上に風はだんだん吹きつける。
四艘のボートの運命はどうなるのであろうか。
風浪あらし
船腹が青白く光る無灯の怪汽船は、闇にまぎれてどこかへいってしまった。あとには、四隻の遭難ボートが、たがいに離れまいとして、闇の中に信号灯をふりながら洋上を漂ってゆく。風が次第に吹きつのってくる。ボートの揺れはだんだんと大きくなる。
第一号艇には、佐伯船長がじっと考えこんでいた。
(一体どうしたというのであろう。難破船があるという無電によって、人命をすくうため現場までいってみれば、それらしい船影はなくて、[#「、」は底本では「。」]あの不吉な黒リボンの花輪が漂っていた。とたんに魚雷の攻撃をうけて、口惜しくも本船はたくさんの貨物とともに海底ふかく沈んでしまった。それからボートにのって洋上を漂っていると、そこへあの恐しい無灯の汽船だ。なぜ本船を沈めなければならなかったか。そして本船の敵は、一体なに者だろうか)
どう考えてみても、そのわけが分らない。それは洋上で会った災難で、和島丸であろうと他の船であろうとどれでもよかったのだとすれば、なんという不運な出来ごとだろう。
船長が、とつおいつ、覆面の敵に対してこののちどうしようかと、思案にくれていたとき、そばにいた古谷局長が、暗闇の中から声をかけた。
「船長、風浪がはげしくなってきて、他のボートがだんだん離れてゆくようです。このままでは、ばらばらになるかもしれません」
「おおそうか」
船長は、はっと顔をあげて、洋上を見まわした。なるほど、他のボートについている信号灯が、たいへん小さくなったようだ。そしてその灯火が上下へはげしく揺れている。
「うむ、これはますます荒れてくるぞ。針路を真東にとることは無理だ。無理にそれをやるとボートが沈没してしまうし、船員が疲れ切って大事をひきおこす危険がある。よし、古谷局長、風浪にさからわぬようにして夜明けをまつことにしよう。他のボートへ、それを知らせてくれ」
船長の言葉に従って、古谷局長はすぐに信号灯をふって他のボートへ信号をおくった。
その信号は、どうやらこうやら、他のボートへも通じたらしかった。
それを合図のように、洋上をふきまくる風は一層はげしさを加えた。どーんと、すごい物音とともに、潮がざざーっと頭のうえから滝のように落ちてくる。
「おい、手の空いている者は、水をかい出せ。ぐずぐずしているとボートはひっくりかえるぞ」
船長はぬかりなく命令をくだした。
生か死か。ボートの乗組員は、いまや全身の力を傾けて風浪と闘うのであった。
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