黒リボンの花輪
そのおどろくべき品物は、油紙につつまれて函の隅にあったので、はじめは気がつかなかったのだ。
佐伯船長が、つと手をのばして、油紙につつまれたものをもちあげたとき、待っていたように油紙はばらりととけ、その中からぽとんと下におちたものは一個の小さな花輪であった。
その花輪は、ちかごろ流行の、乾燥した花をあつめてつくってあるもので、色は多少あせていたが、それでも結構うつくしいので眼を楽しませたし、そのうえいつまでおいても、けっして萎まないから、便利なこともあった。
「ああ、花輪だ!」
と、船員たちは、その方に一せいに眼をむけたが、とたんに誰の顔も、さっと青くなった。
「なんだ、その花輪には、黒いリボンがむすんであるじゃないか。縁起でもない!」
黒いリボンは、お葬式のときにだけつかう不吉なものだった。その不吉な黒リボンが花輪にむすびつけてあるのだから、佐伯船長以下一同がいやな顔をしたのも無理ではない。
「ほう、まだなにか書いたものがつけてある」
佐伯船長は、函の底に、一枚のカードがおちているのをつまみあげた。
見ると、そとには妙な字体の英語でもって、
「コノ花輪ヲ、ヤガテ海底ニ永遠ノ眠リニツカントスル貴船乗組ノ一同ニ呈ス」
と書いてある。なんというひどい文句だろう。これを読むと、お前の船にのっている者は、みんな海底に沈んでしまうぞという意味にとれる。
「け、けしからん」
見ていた船員たちは、拳をかためて、怒りだした。
だが、さすがに佐伯船長は、怒るよりも前に、和島丸の危険を感づいた。
「おい、みんな。これは遭難の前触れに決った。お前たちは、すぐ部署につけ。おい事務長銅羅をならして、総員配置につけと伝達しろ」
船長のこえは、疳ばしっていた。
さあたいへんである。船長の言葉が本当だとすると、もうすぐなにごとか災難がこの和島丸のうえにくるらしい。折も折、このまっくらな夜中だというのに、なんということだろう。
「さあ、甲板へかけあがれ」
「おい、こっちは機関室へいそぐんだ」
船員たちは、樹と樹の間をとびまわる猿の群のように、すばしこく船内をかけまわる。
「探照灯や室の外にもれる明かりを消せ。目標となるといけない」
船長は、つづいて第二の号令をかけた。
探照灯は消された。窓は、黒い布でふさがれた。たちどころに灯火管制ができあがった。やれやれと思った折しも、船の底にあたって、ごとんと、ぶきみな物音がして、船体ははげしく揺れた。
「あっ、今のは何だ」
船員が顔を見合わせたその瞬間、船底から轟然たる音響がきこえた。そして和島丸は、大地震にあったようにぐらぐらと揺れた。
「ああっ、やられた。爆薬らしい」
船長はその震動でよろよろとよろめいたが、机にとびついて、やっと立ちなおった。そこへ一人の船員が、胸のあたりをまっ赤にそめて、とびこんできた。
「あっ船長。たいへんです。船底に魚雷らしいものが命中しました。大穴があきました。防水中ですが、うまくゆくかどうか。あと二三分で、本船は沈没いたします」
たいへんな報告であった。
灯火管制が、もう五分も早かったら、こんなことにならなかったかもしれないのだ。
佐伯船長は、首をあげて、ぐっとうなずいた。
「ボート、おろせ!」
悲壮な命令が下った。
青白い怪船
そういううちにも、和島丸の破られた船底からは、おびただしい海水が滝のようにながれこんで、船体は見る見る海面下にひきこまれてゆく。
「やあ、ひどく傾いたぞ。そっちのボートを早くおろせ」
暗の中から、どなるこえがきこえる。
船上には、ふたたび探照灯がついた。誰か分らないが、もう船が沈もうというのに、その探照灯をくるくるまわして、海面をさがしている者があった。
このような騒ぎを経て、あわれ和島丸は、わずか四分のちには波にのまれて沈んでしまった。
海上は、まっ暗で、なにがなんだかわからない。救命ボートが四隻、しずかにうかんでいる。
ごぼごぼどーんと、うしろではげしい音がしたが、これが和島丸の最後のこえのようなものだった。機関の中に海水がながれこんでその爆発となったものであろう。水柱が夜目にも、ぼーっとうすあかるく立って、ボート上の船員たちの胸をかきみだした。
なにゆえの無警告の撃沈であろう。
暗さは暗し、なに者の仕業だか、一向にわからない。佐伯船長は、第一号のボートにのってじっと唇をかんでいた。
「船長、ボートは全部無事です。第一、第二、第三、第四の順序にずっとならびました」
事務長が、暗がりのなかから報告した。さっきから、ボートのうえで手提信号灯がうちふられていたが、全部のボートが無事勢ぞろいをしたことを伝えたものであろう。
「そうか。では前進。針路は真東だ」
えいえいのかけごえもいさましく、四艘のボートは、暗い海上をこぎだした。
「おい古谷局長」
船長が、無線局長をよんだ。
「はあ、ここに居ります」
古谷局長も、いまは一本のオールを握って、一生けんめいに漕いでいる。
「本船の救難信号は、無電で出したろうね」
「はあ、最後まで正味三分間はありましたろう。その間、頑張って打電しました」
「どこからか応答はなかったかね」
「それが残念にも、一つもないので――」
「こっちの無電は、たしかに電波を出しているのだろうね」
「それは心配ありません。なにしろ打電している時間が短いものですからそれで返事が得られなかったものと思われます」
「ふーむ」
このうえは、救難信号をききつけたどこかの汽船が、一刻もはやくこの地点に助けに来てくれるのをまつより外はない。さっきまでは、こっちが遭難船を助けに急いだのに、今はその逆になって、こっちが助けを呼ぶ身となった。なんという逆転だろう。
「おい古谷局長」しばらくして、船長はふたたび局長をよんだ。
「はあ、ここに居ります」
「さっき本船から無電したとき、本船が魚雷に見舞われたことを打電したかね」
「はあ、それは本社宛の電報に、とりあえず報告しておきました。銚子局を経て、本社へ届くことでしょう」
「そうか。それはよかった」
船長の声が、暗闇の中に消えた。洋上は、すこし風が出てきた。舷から、波がしきりにぱしゃんぱしゃんと、しぶきをあげてとびこむ。
「さあ、元気を出して漕ぐんだ。あと二時間もすれば、夜が白むだろう」
事務長は、大きなこえで、一同に元気をつけた。そのときであった。
「あっ、船が! 大きな船が通る」
「えっ、大きな船が通るって、それはどこだ?」
「あそこだ。あそこといっても見えないかもしれないが、左舷前方だ」
「えっ、左舷前方か」
一同は、その方をふりかえった。なるほど暗い海上を、船体を青白く光らせた船の形のようなものが、すーうと通りすぎようとしている。
「あっ、あれか。かなり大きな船じゃないか。呼ぼうや」
「待て。うっかりしたことはするな。第一あの船を見ろ。無灯で通っているじゃないか。あれじゃないかなあ。和島丸へ魚雷をぶっぱなしたのは」
「ふん、そうかもしれない。すると、うっかり呼べないや」
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