救難信号
「あっ、SOSだ」
局長は、そう叫んだかとおもうと、すぐにもう器械のところへ来ていた。
「おい、丸尾。録音はうまく出ているか、ちょっと調べてみたまえ」
局長の命令は、きびきびと急所をおさえる。丸尾は、はっと気がついて、さっそく録音盤の廻っているところをのぞいた。
「局長、だめです。盤はまわっていますが、録音の溝は、ほんの微かについているだけで、これじゃ音が出そうもありません」
「そうか」局長は眼をちらりとうごかすと、すぐ手をのばして受話機をとった。そしてそれを耳にあてた。
「うむ、聞えることは聞えているが、これはまたばかに弱いね」
そういって局長は、受話機をとると、慣れた手つきで、そのうえに鉛筆を走らせた。これが居睡から覚めたばかりの人であろうかと疑問がおこるほど、局長は、極めて敏捷に、事をはこんだ。
「おい、丸尾、すぐ方向を測りたまえ」
「はあ、方向を測ります」
ぼんやり立っていた丸尾は、ここでやっと正気にかえって、命ぜられた方向探知器にとりついた。
甲板のうえに出ている枠型空中線の支柱を、把手によってすこしずつ廻していると、電波がどっちの方向から来ているか分る仕掛になっていた。これは学校時代から丸尾の得意な測定だったので、自信をもってやった。生憎入っている信号は、息もたえだえといいたいほど微弱であったが、彼は懸命にそれを捉えた。その微弱な信号に、死に直面した夥しい生命が托されているのだ。
「どうだい、方向はとれたか」
「はい、とれました。ほぼ南南東微東です」
「なに、南南東微東か」
局長は受話機を下において、急な口調でいった。
「さあ、すぐ船長に報告だ。電話をしたまえ」
丸尾は、交換台の接続を終ると、呼出信号を鳴らしつづけた。しかし船長室の受話機が取りあげられるまでには、かなりの時間がかかった。
「船長が出ました」
「おうそうか」
局長は紙片を手にとって、マイクに近づき、
「船長、ただ今SOSを受信いたしました。遺憾ながら電文の前の方は聞きもらしましたので途中からでありますが、こんなことを打ってきました。“――船底ガ大破シ、浸水ハナハダシ。沈没マデ後数十分ノ余裕シカナシ。至急救助ヲ乞ウ”というのです」
「どこの汽船かね。そして船名はなんというのかね」
船長が、聞きかえした。
「それがどうもよくわかりません。“船名ハ――”とまでは、打ってきましたが、そのあとは空文なんです。符号がないのです。どうも変ですね。なぜ船名をいわないのでしょうか」
「ふーむ」と船長は呻っていたが、
「ひょっとすると、どこかの軍艦かもしれない。さもなければ海賊船か。――で、その遭難の位置は、一体どこなのか」
「その位置は不明です。もっともSOSの電文のはじめに打ったのかもしれませんが、聞きのがしました。なにしろ電源がよわっているらしく、電信はたいへん微弱で、とうとう途中で聞えなくなってしまったのです」
「位置が分らんでは、救いにいけないじゃないか」
「はあ、そうです。そこでさっき、丸尾にSOSを発信している船の方向を測らせました」
「ほう、それはいい。で方向は出たかね」
「南南東微東と出ました」と答えると、
船長は、ちょっと言葉をとめて考えこんでいたが、
「よろしい。では、これから針路をその南南東微東に向け、全速力で走ってみることにしよう。なお今後の信号に注意したまえ」
そこで船長の電話は切れた。
間もなく船が、ぐっと舳をまげたのが感じられた。エンジンは、急に呻りをまして、今や全速力で、謎の遭難地点さして進んでゆくのであった。
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