新船長
丸尾は話をつづける。
「そのことです。私は、ボルク号の船員にたずねて、はじめて事情を知ったのです。この汽船は、ノールウェイに国籍があるのですが、アフリカで、たくさんの猛獣を仕入れ、これから南米に寄港して、本国にかえるところだったんだそうです。アフリカと南米では、かなりたくさんの金属材料や食料品をつむことになっていたそうですが、これらは、どうやら、ドイツへ入るものだと知れていました。ところで、この船に、イギリスのスパイと思われる一組の客が乗っていたのです。船が、南米へ向う途中、そのスパイどもは、下級船員に金をやって、猛獣の檻をやぶらせたのです。はじめは、一さわがせやるだけのつもりのところ、その結果、とんでもないことが起りました。猛獣は、人間の血を味わうと、たいへんに、いきり立ったのです。そして、檻の中におとなしくしていた猛獣たちも、ついには檻を破って一しょにあばれだしたのです。全く手がつけられなくなりました。殊に、猛獣対人間の最初の戦闘において、かなり腕ぷしのつよい連中がやられ、高級船員も相当たおれ、それからボートを出して船を捨てて逃げだすなど、たいへんなさわぎになったそうです。しかも運わるく、そこへ台風がやってくるし、さんざんの目にあって、ついにこの汽船の中には、機関室に閉じこもった少数の乗組員の外には、誰もいなくなったのです」
「なるほど、そうかね。聞けば聞くほど、たいへんな事情だなあ」
「ボルク号の船員をいたわっているところへ、どこからはいこんできたのか、矢島がはじめに、機関室へ辿りつき、ついで、川崎と藤原とが一緒に、とびこんできました。そして機関室には、にわかに人が殖えたのです。それだけに、食うものに困ってしまいました」
「そうであろう」と船長は、同情の眼で、丸尾たちを見まもって、
「ところで、あのSOSの筏は、何者が仕掛けたのかね。あの黒いリボンのついた花環をつけて筏にのって流れていた無電機のことさ」
「ああ、あれですか。あれは、どうもよくわからないのです」
と、丸尾は、首をふった。するとそのとき、古谷局長が、
「船長、あれについて、私は一つの考えをもっているのですが……」
「そうかね、どういう考えか」
「あれは、わが和島丸を雷撃した怪潜水艦がつかった囮だと思います」
「それは至極同感だね」と、船長は、賛意を表しました。
「その怪潜水艦は、ボルク号を狙っていたのだと、私は想像しています」
「え、ボルク号を……」
「そうです。ボルク号が、その附近を通りかかるのを狙っていたところ、その前にボルク号は、あの猛獣さわぎをひきおこしたわけです。そしてボルク号の機関は停るわ、折からの台風に翻弄されたわけで、幽霊船とばけてしまい、怪潜水艦が仕掛けたあの怪電もボルク号には伝わらず、かえって、わが和島丸がその怪無電を傍受して、現場にかけつけたためボルク号に代って、こっちが魚雷を喰ったというわけではないかと考えますが、いかがでしょう」
古谷局長は、なかなか面白い説をはいた。
「なるほどねえ、それはなかなか名説だ。いや、全く、古谷君のいうとおりかもしれない。すると、われわれは、とんだ貧乏くじを背負いこんだわけだね」
船長は、一同の顔を、ぐるっと見まわした。そのとき貝谷が、口を出した。
「船長。その怪潜水艦というのは、どこの国の潜水艦なんでしょうか」
「さあ、わからないね」
「イギリスの潜水艦じゃないですかな。アメリカを参戦させようというので、わざと南太平洋などで、あばれてみせたのではないでしょうか」
「それは、なんとも、いえない」と船長は自重して唇をとじた。
「私は、どこかで、その潜水艦をみつけてやりたい。そして、大いに恨みをいってやらなきゃ、気がすまない。いや、こうしているうちに、今にも、怪潜水艦は、附近の海面に浮び上がってくるかもしれないぞ」
「貝谷。お前は、その潜水艦に、ついにめぐりあえないかもしれない」
「え、なぜですか、古谷局長」
「私は、この船をしらべているうちに、こういう考えが出た。それは、かの怪潜水艦はわれわれの和島丸を沈没させた前後に、かの潜水艦も沈没したのだと想像している」
「局長。君はなかなか想像力がつよい。しかしまさかね」
「いや、船長、このボルク号の艦首は、ひどく壊れているのです。舳のところに何物かをぶっつけた痕があります。私は、怪潜水艦が和島丸を沈没させたのち、海面にうきあがって、面白そうにこっちの遭難ぶりを見物しているとき、いきなり横合から、機関の停っているこのボルク号が、音もなく潜水艦のうえにのりあげた――と、考えているのです。そんなことがあれば、潜水艦は直ちに沈没してしまいます。ボルク号の舳は、そのときに、大破したのではないでしょうか。なにしろ、その後、一度も怪潜水艦の姿は、現われないのですからねえ」
「なるほど。たしかに一つの答案になっているねえ」と、佐伯船長は、微笑した。
「さあ、そこで、われわれは、このボルク号の無電を借りて、救援信号を打つことにしよう。それから、燐で青く光る甲板も、しばらくこのままにして置こう。そうでもしなければ、誰もこの大事件のあったことを信用しないだろうからね」
佐伯船長は、いつの間にか、ボルク号の船長として、生残りの船員にきびきびした命令を下しはじめたのであった。
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